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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
三章『広がる青』
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048 黒髪の面影


 稽古も十日目となったが、わたしの日常にそう大きな変化はなかった。

 内容は相変わらずの走り込みと、でたらめな重量の木刀を素振りすることに終始し、指導者であるシラエアは汗を流し続けるわたしを年老いた目でじっと見つめている。


 草葉の臭い。晩夏の熱気。

 丘の上からは平原を縦に貫く大街道を見渡すことができ、さすがは一国の首都、馬車の列がほとんど途切れることなく門を出入りしている様子がよく見えた。


「顔がやつれてきたね」 シラエアが水筒を手渡しながらに言う。


 受け取ったわたしは喉を潤し、それでも拭えきれない体の熱を溶かすようにして残りの水を頭にぶちまけた。


「僕の様子に心配でも覚えたんですか?」

「いいや、ちっとも。痩せ犬みたいにいい面構えだとは思うがね……さて、そろそろ頃合いか。ユリウス、次の段階に入るよ」

「次?」


 木刀の重量を倍に増やすのだろうか。


「〝東の剣聖〟の技を覚えるのさ。立ちな」


 いよいよか。そよ風に髪をなびかせる老婆を見上げ、わたしはこの時が来たのだと小さな感慨に思い耽り、シラエアの卓越した剣の冴えを思い出した。

 飛ぶ斬撃を……いわゆる真空波を自在に放つ、剣聖の技。

 剣の間合い――物理的な射程を克服するあの技を会得すれば、それは旅や今後において大きな助けになることは間違いない。


「だけど……」


 あれは常人が会得を出来るものなのか?

 大陸に名を轟かせる剣豪、シラエア・クラースマンはあぐらをかいて今の地位と名を得たわけではない。彼女には彼女の過酷な修練と戦いがあり、それを越えた果てに今の技を手に入れたことをわたしは知っている。


 それを、わたしがたった一ヶ月で……。

 いや、悩むな。やるしかないんだ。


 わたしのいぶかしむ様子が彼女にははっきりと伝わったらしい。剣の柄頭でわたしの横腹を小突き、


「何をぶつぶつ言ってんだい? はっきり言え」

「あなたの技を僕が会得を出来るのかどうか考えていました。剣聖の技を、僕が……」


 剣聖ね。シラエアがしわの刻まれた口を歪ませてくつくつと笑う。


「周りはそうもてはやしてくれるけどね、あたしも元々は普通の人間だってことを忘れてもらっちゃあ困るよ。同じ人間なんだ。練習すりゃあこの程度は誰でも出来る」

「そうは思えませんが……」


 剣の才能にあふれる彼女が言う『誰でも』にわたしが含まれているとは思えないが、鋭く睨みつけるシラエアを前にして口答えをする度胸は、無い。

 わたしは右手に木刀を握りしめたままに立ち上がり、


「よろしくお願いします」 と頭を下げた。

「うむ。ではこいつを覚えてもらおうかね」


 シラエアが木目の浮いた鞘から愛刀を抜く。鍔はなく、真っ直ぐな片刃の剣。以前にも感じたことだが、やはり東方のカタナによく似ている。


「いい眼だ。確かにこいつは東方の剣、刀だよ。あたしの手におさまっている由来はまた今度教えてやる。ところであんたの親父は両刃の直剣を使ってんのかい?」

「そう……ですね」 父の広い背中と、物置部屋に隠されていた魔剣を思い出した。「僕に剣を教えていた時の父はいつも直剣を握っていました」


 ため息。あからさまな「はあ」という声は落胆そのものだ。


「なら家に帰ったら片刃に戻せとあたしが言っていたと伝えな。フレデリックも本来はこっちの方が向いてる。……さて、目をかっ開いてよく見ておきな」


 シラエアは刀の切っ先を大地へ向けた。続けざまに「ふっ」と細い息を吐き、空気を下からすくい上げるようにして刀を振り上げる。

 風が――衝撃波が生まれた。

 波は筋となって前方へと伸び、見る見るうちに地面を抉りとっていく。亀裂はバキバキと不吉な音をあげて前へと拡がり続け、あっという間に二十メートル程度を破壊し、わたしが時折に背中を預けていた樹木を豪快に割り砕いてようやく止まった。


「これが〝迅閃流〟の初歩の技、<地削(じけず)り>。フレデリックから教わってるね?」


 教わっていないし、見たこともない。

 父からは剣や徒手空拳による近接戦闘だけを教わってきた。


「いえ、初めて見ました。父から教ったのは基礎の他には、あの踏み込みの剣……父が呼ぶところの<瞬影剣>だけです」

「なにぃ? あいつ、本当に何をやって……まあいい、あまり頭に血がのぼると血管が……とにかくあんたにはこの<地削(じけず)り>を覚えてもらう。間合いの外から相手を狙える。覚えて損はないよ」

「はい!」


 と、言われても。

 やってみな、と促されて真似をしてみるのだが、わたしの剣は空を切るばかりでそよ風ひとつも生まれやしない。

 シラエアは横でああだこうだとがなり立て、わたしの手を握り、振り方や軌道を手取り足取りに教えてはくれるのだが、彼女のように軽々と大地を割り断つような芸当は出来そうになかった。


 これを素で繰り出すのは無茶だろう。一度見ただけで技を盗むような能力の持ち主ならともかく、飛ぶ斬撃を正確に撃ち放つには何かしらの補助が必要に違いない。そう、たとえば魔力とか。


「シラエアさんは……」

「師匠と呼びな」 ぴしゃりと言う。

「……師匠はこの技を放つときにはどの程度の魔力を込めているんですか? 魔力を利用しないで繰り出すのは、その、無茶ですよ」


 こう話を振れば彼女はタネを明かすだろう。内心で「さあ、秘密をさらせ」と手を擦っていたわたしだが、現実はそう甘くはなかった。


「これっぽっちも使ってないよ」

「はい?」

「だから、魔力は使ってないんだ。あん? なんて顔してんだい。こんなもん斬撃を飛ばすだけだろ? そんなことに魔力なんてこれっぽっちも使う必要はないじゃないか」

「ええと、僕には……」

「言い訳無用!」 シラエアが一喝し、鞘でわたしの背に腹、そして右肩を素早く殴りつけ、気炎をあげて言う。「背、腹、そして腕! それから手先にグッと力を込めて、ザッと振りゃあ、バーッと出せる!」


 簡単に言ってくれる。

 さすがは剣聖。彼女はただ腰を入れ、ヒュンと素早く木の枝を振るのと同等の感覚で衝撃波を放てるらしい。


「やってみます。ありがとうございます、師匠」


 わたしは呆れるばかりだった。


………………

…………


 稽古の開始から二十五日。

 腕力の強化、何度もなぞった太刀筋。短期間の特訓ということで成果についてはあまり期待をしていなかったのだが、わたしの剣の振りは驚くほどに随分と速くなっていた。師が良いのだろうか? 実力の上昇はわたし自身の自覚もあれば、シラエア・クラースマンも認めるところであり、大きな自信に変わったのは確かだと言えた。


「しゃきっとせんか! いいとこまで来てんだ。へばんないで続けな!」

「くっ……はい!」


 しかしそれでも<地削(じけず)り>を会得できてはいない。真空波を気軽に起こす方が常識離れをしているのだから仕方ないとも言えるが、シラエアはわたしが〝迅閃流〟の技を会得しない限りは解放しないということを忘れてはならない。


 心の中で密かに定めた期限は一ヶ月。残り十日となる今日この頃、わたしは相当に焦っていた。


「雑になってきてるよ。集中しな」


 完成も、そこに至るまでの理屈も分かっている。だがわたしの体がそれを再現できないことがあまりにも歯痒い。

 技を会得出来ず、期限が迫り、仲間がこの身の帰りを待っていると思うと焦りは一層に強いものに変わる。


「だめだ……何が足りない。速さか?」


 シラエアは魔力の補助無しで放て、わたしにもまたそれを求めている。

 しかし、どうすれば……。


『他人は他人、お前はお前だ。他人と同じになろうとしないでいい、自分のやり方を見つけてみろ』

「……父さん」


 わたしを教え導いた父の言葉を思い出す。わたしはシラエアではない。彼女のように練達した剣の腕もまた無い。

 わたしにはわたしのやり方で同じ結果を目指せばいい。ならば――、

 

「……魔力を腕へ。留まらせず、一息に放つ」


 腰を落とし、剣の切っ先を大地に突き立てた。このまま一息に下段から振り上げればそれは<地削(じけず)り>の動作だ。だがわたしは動きに自分(・・)を加える。


 魔力を腕から手、指先へと素早く移動をさせつつ、下段から剣を鋭く振り抜く。そして最高速に達した剣の切っ先へ魔力を移し、放つ――!


「<地削(じけず)り>!」

「まさか!?」


 刃から魔力が放出される。属性も何もない、ただの魔力の圧だ。

 剣の軌道に魔力を乗せ、放った我流の<地削り>は大地を飲み、破壊の波を前方へと拡げ続けていく。

 剣の物理的な射程を越えた飛ぶ斬撃だ。過程はどうあれ、結果は同じだ。問題は彼女がどう見るかだが。


「出来た! ぜっ……これで、ぜえ……どうでしょうか……」

「控えめに言って、苦しいね」


 シラエアは渋い顔だ。決して良い顔をしないとは薄々思ってはいたが、だけれどそんな苦虫を噛んだような顔までしなくてもいいのではないだろうか。


「あんたの親父を含めた四人の弟子は全員自力でそいつを放ったもんだ。素早さが足りないよ、素早さが。空気をぶった切るつもりでやりな」

「自力であれは……いえ、何でもありません。頑張ります。……と……」


 これで十時間はぶっ続けで剣を振り続けている。少しでも体力の消耗を抑えようとしてきたが、魔力の放出でどうやら底をついたらしい。

 視界が黄ばみ、背中から外へと血の気がさっと引いていく感覚がした。しかし、この二十五日間では何度もあったことだ。糸の切れた人形のように丘の上に仰向けに倒れ、呼吸に胸を弾ませた。こうしていればいずれ治る。


「こら勝手に休むんじゃ……まあ、いい。休憩だ」


 ありがたい。返事もせずにわたしは酸素に肺を膨らませた。「そろそろ一ヶ月か」と、シラエアがぽつりと言った。


「あんたが勝手に決めた期間のうちにあそこまで出来たんなら及第点かね。センスは悪くない」

「一ヶ月……何故それを」


 耳さ。シラエアがにやりとして言う。


「ばばあの地獄耳をなめんじゃないよ。一ヶ月で技をものにする? 無茶なことを言うガキだとは思ったが、<地削(じけず)り>を形だけでも出来たのは誉めてやる。今の感触を忘れずに振るい続ければそのうち魔力無しで撃てるだろうさ。足らない部分は故郷の親父に教えてもらいな。技を見て覚えることに関しちゃ、あいつのセンスはずば抜けていたからね」

「父が?」

「そうさ。遅れて入ってきたが、三人の兄弟子に追いつくのはあっという間のことだった。あんたの眼も悪くないよ、ユリウス。親父譲りの青い眼も、裏に隠した緋色の眼もね」


 呼吸を忘れた。わたしもシラエアも言葉をつぐみ、風が草原をさらう音だけが聞こえる。

 緋色の眼を彼女が見たということはわたしが〝紋章〟を使う場面を見たということだ。だが、どこで?


「黙るなよ。あんたのそれはどこで拾ったのかと聞いているのさ」

「何の話か――」

「とぼけんな。路地裏であんたの右腕を切り飛ばした時、あんたの目は確かに緋色に変わった。そして続けざまに放ったカウンターは駆け出しの若造の剣にしちゃあ、あまりにも鋭すぎたよ。剣士を相手にあたしが手傷を負ったのは人生でたったの三度……久しぶりに思い出したよ、世に最も鋭き刃、〝ウル〟の剣を」


 コートの上から腹を撫でながらにシラエアが言う。彼女の思わせぶりな口振りに注意を引かれてはいたが、内心の焦りの方が強く、大きい。


 わたしは思案する。これは尋問だろうか?

 ギュスターヴが語ったところによれば〝紋章〟は使いようによっては一国を滅ぼせるほどの力を秘めているという。わたしが〝紋章〟保有者であることをマールウィンドはどこかで掴んだのだろう。


 強大な力をもつ可能性を持つ危険因子には同等の戦力をぶつけ、制圧する。その戦力が今回のシラエア・クラースマンだったのか?

 冒険者ギルドの暗い広間でわたしを襲い、路地裏でしとめ、シラエアを通したフラメル・カストロ首相の監視下に〝紋章〟保有者を置く。


 太古の魔法技術の遺産である〝紋章〟の保有者は今日において貴重な存在だとギュスターヴ・ウルリックは語っていた。

 こうなればわたしは連邦の子飼いになるのだろうか? 自分の価値を軽視し過ぎていたことは認めよう。連邦は、シラエアはわたしに何を――。


「フラメルの野郎は『あんたから目を離すな』と言っていた」

「首相が……」 好々爺然としたフラメル・カストロの笑顔が脳裏をよぎる。

「どうしてですか?」

「利用価値があるとも、危険な力だとも言っていたね。なるほど、あたしに一発くれたあの剣で何かを――例えば暴走でもやらかすんなら、それを止められるのはあたししか居ないだろうと、任じられた監視の役に納得はした」


 けどね。白コートの裾をなびかせ、シラエアは笑う。


「そんな危険はまるで無いと感じたよ。何故ってお前、一ヶ月も近くで見てりゃあいやでも分かる。あんたは力を悪用出来そうもない、不器用で真面目な……有り体に言やあ良いやつだ。そう、フレデリックそっくりのね」

「父と僕が……僕をどうにかしないのですか。例えば拘束とか」

「どうもしない。包丁の扱い方と危険性を正しく知っているやつに説教をしないだろう?」

「しかしそれではあなたの立場が……」

「マールウィンドの人間としてはあんたを拘束、あるいは監視のもとに手元に置いておくのが正しいんだろうさ。けれど、そうはしない。あたしが危険因子をどうもしないことで苛立ち、小突いてくる連中も多く居るだろう。しかしねえ。師匠ってもんは弟子のことが可愛くて仕方がないのさ」


 シラエアが白い歯をのぞかせ、爽快な笑みをわたしに向けて言う。


「マールウィンドであんたが迷惑を被らないように便宜を計っといてやるよ。好きにやってみな。我が五人目の弟子、ユリウス・フォンクラッド」


………………

…………

……


「爽やかに話を締めたところでなんだけどね。今日はいいもんを持ってきたんだ」


 相変わらずの白コートのポケットをがさつかせ、シラエアはひとつの小瓶を取り出した。ラベルには『強壮』の二文字。受け取ってじろじろと観察をしてみるが、怪しげな名前の他には成分表も効用も注意も何も書いてはいない。


「何ですかこれ」

「強壮剤だとさ。街に古い知り合いが来ていてね、稽古をつけてる弟子がへばって仕方がないんだと話をしていたら『良いもんがある』と、こいつを譲ってくれたのさ」

「なるほど」


 ふたを捻って匂いを嗅ぐと強烈な刺激臭がした。鼻孔を満たした匂いは槍のような鋭い爽快感でわたしの脳天を突き抜けていく。眼球の裏側から冷風を送ったように目元が眩む。なんだこれは。


「どこで手に入れたかとかは聞いてない。安心しな、試しにそこらの野ウサギに飲ませてみたら倍速以上のスピードで走り去っていったからね。よほど活力がみなぎるんだねえ」

「間違いなくやばいやつでしょう、これ!」


 ウサギは強制的に生き急がれたのではないだろうか。今頃はエネルギーを使い果たしてくたばっている可能性が高い。


 小瓶の中で泡が立っている。空気に触れて何かしらの反応をしたのだろうか。人体に取り込むにはあまりにもまずいと直感が叫んでいる。


 しかめっつらのままにわたしに向けてシラエアが剣の先を向ける。


「さっさと飲みな。残りの日数もみっちりやるからね」


 ……鬼め。



三章『広がる青』了

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