表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
三章『広がる青』
46/193

044 フラメル・カストロ

 乾いた紙の上をペンが走る音が聞こえた。


 音に誘われるようにして薄目を開く。見慣れない天井だ。濃い茶色の大きなシーリングファンが眠くなるようなゆっくりとした速度で回っている。

 知らない部屋の天井の隅へとぼんやりとした視線をやりながら、五年前にもこんなことがあったなと寝ぼけた頭でわたしは思った。


 ぺちゃくちゃと誰かが早口で何かをまくし立てている。

 

「ピーチュピーチュ、コシイタイ、コマッタナコマッタナ、ピーチュピチチ、シラエア、シラエア、イツマデコドモダ」

「ぬう……あっちを立てればこちらが立たぬ……むう……」


 それから唸り、髪をかきむしる音。早口な声の方は話す言葉の脈絡がでたらめで時折鳴き声らしきものが混ざっている。この小さな書斎の主は鳥を飼っているようだ。

 となれば唸り声はその主か。予算や揉み消しがどうのと微かに聞こえてくる。


 わたしはソファに横たわったまま、包帯の巻かれた左手で右腕に触れ、右手首までを撫でるように指先で流した。


「腕……ちゃんとくっついてる」


 流血の痕跡はなく、向きのズレもない。握り拳を作り、開く。五指の感覚もいつもと同じだ。

 昨晩の逃走と痛みと恐怖をはそれら全てが泥酔に見た悪夢だったのだと。そう思いたい気持ちは強くあったが、見知らぬ部屋に横たわっている今、あれは紛れもない現実だったのだと思い知らされている。


「シラエアめ……好き放題にやりおって……。外壁の修理費、店舗損壊、けが人の治療費、やれやれ……わしの立場もこれで揺らぐな……狂犬の飼い主は楽ではないわ」


 書斎の中央を木目の浮かぶ古めかしい机が陣取っている。机の上には平積みになった分厚い本。山積した書類。放り出された万年筆。

 机の背後には大きな丸窓があり、レースのカーテンを通して柔らかな光が射し込んでいた。

 銀色の振り子の形をした調度品が机の上で音もなく揺れ続けている。小鳥の「ちちち」と小さな声だけが数段高く響いている。


「コールやビヨンはどうなったかな……」


 わたしは横向いたままで丸窓に視線を注ぎ、物思いに耽った。身に感じる虚脱感の原因は〝紋章〟をわずかとはいえ使った代償か、それとも昨夜のひどい失血からか。


 唸り、ため息、舌打ち。ときどき鳥の声。

 何か急いでやるべきことがあるわけでもなく、ただ転がっているだけの無為でいて贅沢な時間。わたしは<リムルの村>で過ごした穏やかな時間を思いだしていた。


「おや。起きたのかね? どれ、よっこらせ……と」


 山積した本の向こうで誰かが口をきいた。きっと書斎の主だ。

 続けて椅子を引く音が聞こえ、室内履きが絨毯を踏む音。


「昨晩はすまなかったな、君。腕の調子はどうだね? 繋がっとるか?」


 机の向こうから男がその姿をぬっと現した。年の頃は五十半ばか。初老の顔つきだ。肩幅は広く、腰回りは引き締まっておりスポーティな雰囲気がある。特に二の腕は丸太のように太く、手のひらは鍋のフタほどの大きさはあるだろう。


 ギュスターヴ・ウルリックの偉丈夫な姿を彷彿とさせる立派な体格をした男だ。

 ただし千年前の英雄の末裔である彼とは違い、わたしに微笑みを向ける初老の男の顔はどこまでも柔和だった。野生の狼じみた顔をしたギュスターヴとは対極に位置しているようにさえ思う。


「はい。しっかりと動きます。あなた……?」


 彼の顔には強い既視感があった。家族や友人ほどに記憶に根差したものではないが、だからといって実家暮らしのあいだに写真で一度見た親戚の顏ほどに薄いものではない。近くて遠く、そして忘れてはならない顏。


「それは良かった。シンゼルマンのやつ、肩書きだけの張りぼて医療術師だと思っていたが腕は確かにあるらしい。これで私も安心して怪我が出来るな。さて、茶でも飲むかね? <白霊泉はくれいせん>の辺りで採れた上等な茶葉があるのだ。君もどうだ?」


 整髪料で整えられた七三分けの髪型。色はすっかり白んでいる。口元にはかまぼこの断面を張り付けたようなヒゲがあり、柔らかい物腰でこちらに話しかけるこの男の顔……わたしは、どこかで……、


「まさか、フラメル首相?」

「いかにも。私はフラメル・カストロだ。マールウィンド連邦、第四十八代首相の顏を忘れていたのかね」


 三角形のポットに指を添え、流れ出るお湯をカップに注ぎながらに男が名乗る。言葉尻は強気な、しかし冗談だとはっきり分かるような語気だった。

 フラメル首相は苦笑交じりに言葉を続け、


「もっとも、今この時間の私は国の先に思案を注ぐ首相ではなく、手に負えぬ狂犬の扱いに苦慮をする老人だがね」

「信じられない……」


 雑誌の表紙や新聞の見出しで何度も顏を見た人物が目の前に居るとは。どんな運命の巡りあわせがわたしの周囲に働いているのだろうか?


 あっけに取られるあまり、わたしはソファに横になったままでマールウィンド連邦の頂点に立つ男をぽかんと口を開けたままに見上げていた。「無礼をどうかお許しください」という謝罪すらも上の空の口振りである。

 そうして自分に気付き、慌てて姿勢を正すわたしへ向けてフラメル首相は小首を傾げ、茶目っ気のあるウィンクをひとつ。


「では私の話し相手になってくれるのならば、今の非礼は見逃すとしよう。さあ、茶を受け取ってくれ。おっと、かなり熱いぞ」


 フラメル首相が手渡した器はマグカップではなく、見慣れない形状をしており、わたしの興味を強く惹いた。冒険者という職業柄か、自身の性格か。「ありがとうございます」と礼を口にしながらに器を観察した。


 円筒状だが椀の角度は直線的なものではなく、波だった表面がユニークだ。オリーブグリーンをくすませた色合いをしていて、中に注がれている緑色の茶との色の相性がすこぶる良い。


「珍しいかね。それは土を練り、焼き固めた東方の『湯飲み』という器だ。波を思わせる表面の紋様が見事だろう?」


 上着を脱ぎ、白いシャツの首もとにくぐらせたネクタイを緩め、彼はソファのアームレストに腰をおろした。自ら注いだ湯飲みに口をつけ、音を立てて豪快にすする様は世にありふれた大勢の仕草だ。


「飲まないのかね。それともやはり腕が痛むか?」 片眉をあげて彼が言う。

「いえ、すみません。いただきます」


 作法が分からず、彼の仕草を真似てわたしも音を立て、すする。思ったよりも随分と熱くて息をのんだが、我慢を出来ないほどではなかった。


 無言の時間。相変わらずわたしが苦慮をしながらに茶を飲み進めていると、フラメル首相が出し抜けに言った。


「ユリウス・フォンクラッド。君の来歴については調べさせてもらったよ」


 噴き出すかと思った。

 こらえたつもりだったがわたしはひどくむせ、息を荒げながらに言葉を探す。どうしてわたしの身元を……いや、彼は一国の首相なのだ。情報を知りたいと望めばあらゆる手を尽くし、手に入れるだろう。


「ははは、そう取り乱すな。冒険者免許を拝借して、照会をしただけだ。何しろここは連邦の首から上の部分だからね。身元不明の人間を招き入れるわけにはゆかぬのだ。さて……出身は南のリムルだったか。随分と遠い場所からやってきたんだな、君は」

「はい、二人の仲間と土地土地を巡りながらに北上をしてきたのです」

「旅に実りはあったかい?」 片眼鏡の縁を逆光に輝かせて首相は言う。

「充実してあまりあるものでした。祖国の美しさに感動をし、何度も息をのみました」


 そうか、とフラメル首相はうなずくとしわの刻まれたまぶたを閉じ、心中の景色に意識を注ぐような顔で語った。


「我らがマールウィンドの大地はじつに美しい。南東には水霊の集う地、悠大な巨大湖である<白霊泉はくれいせん>があり、西には大地が脈打つ荒々しさをたたえ、溶岩熱に赤う燃ゆる<イヴニル連山>。民意により首相の地位に立てられた私だが、一人の国民として、マールウィンドの美しさには誇りをもっているよ」

「ええ、同感です。旅の中で必ず足を向けたいと考えています」

「是非そうすると良い。経験は人生最大の宝だよ」


 言葉が途切れる。食事の席などで人は緊張をすると頻繁に水を口にするというが、どうやらあれは真実であるらしい。それが証拠にわたしの湯飲みはすっかり底をついていた。


 隣に座るのがコルネリウスや父であったならば、ほとんど思考をしないままにくだらない冗談のひとつでも口に出来たが、相手は我が祖国、マールウィンド連邦の頂点に立つフラメル・カストロ首相その人だ。


 今のわたしには場を切り抜けるような話題も、後先を省みないジョークを口にする度胸は、無い。


 話の向かう先が分からなかった。

 わたし個人に用がなければ医療施設に放り込むなりをするのだろうが、彼はわざわざわたしの身分を明らかにし、それから自身の執務室にわたしを招き入れたのだ。


 当たり障りのない世間話で終わるはずがない。

 きっとなにか個人的な話があるのだろう。

 そう、例えば……父フレデリックに関連した話だとか。


「フレデリックは相変わらずなのかね?」 


 思った通り、ここでもそう来るか。三度目ともなればそうそう驚かない。


「リムルで地方騎士を立派にやっています。霧が現れれば仲間を率いて奔走し、望む者には武芸の稽古もつけていました」


 父の過去に散々な目に遭わされながらも、父の名を立てる。よく出来た息子だろうと内心でひとりごちる。「ふうむ」とフラメル首相。


「なるほど。彼は随分と落ち着いた性格になったのだな。過去を知る身としては感慨深いね」

「そうなのですか?」


 フラメル首相がにやり、と不敵な笑みをして、


「十八歳のころの彼は不良少年の見本、あるいは鏡のような男であった。住所をもたない彼はこの<ウィンドパリス>にある橋の下で眠り、時には知人の家々を転々として暮らしていたよ。人の温情を良いことに無銭飲食や仲間とともに違法……すれすれ(・・・・)の悪戯を働くことも時にはあったがね」


 すれすれ、とは言うが実際は法に触れていたのだろう。フラメル首相は息子であるわたしに父親の素行の悪さを真っ正直に突きつけるのはいかがなものかと思い、言葉を飾りなおしたに違いない。


「冒険者ギルドでは父と僕を見間違えた男にツケを支払えと言われ、驚きました」

「ああ、それらは氷山の一角さ。まさしくね。既に知っているかも知れんが、私には商人だった過去がある。当時はこの街で商会を率いていてね、自分の店と忠実なる従業員らには誇りと尊敬を持っていた。だからだろう、それらをフレデリックに文字通りに破壊をされた時はさすがに向かっ腹が経ったね」


 語気とは裏腹に首相はくつくつと楽しそうに笑っている。彼もまたわたしに父の過去の清算を望むのだろうかと胆が冷えたのは口にはしない。

 そうして彼は興が乗ったのか、わたしの返事やうなずきを見ずに言葉をつないだ。


「迷惑を振りまくフレデリックだがその人柄を知れば悪い男ではないことはすぐに分かった。簡潔に言えば彼には常識が無かったのだ」

「常識が?」


「そうだ。まあ、彼は当時学び舎のひとつも無い辺境の村の出だったからな。都会での生き方が分からなかったのだろう。そこで私は彼の心身をまともなものに矯正させてやりたいと考え、この<ウィンドパリス>で剣術を教えていたシラエア・クラースマンの道場の門を叩かせたのだ。世に名高き〝東の剣聖〟だ。知っているだろう?」


「はい。名声も、その腕も……道場が過酷極まるものだったことも」

「厳しい環境に身をおけば心身は真っ直ぐに育つ、というのが当時の私の持論でね。シラエアのそれは相当に厳しいものであるともっぱらの噂であったから、私は彼をそこに放り込んだのだ」


「どうなったのですか?」

「私が知る限りでは五十名以上が居たはずだが、最後まで残ったのは四人だったはずだよ。その中にはフレデリックも……」

「居なかったよ」


 執務室の扉が開かれていた。音もなく室内へ踏み入ったのは茶と白の入り交じった頭髪をした老婆だ。

 結わえた髪は肩上でまとめていて、腰には木目の浮いた鞘を吊っている。


「フレデリックは途中で辞めたんだ。才能はあったんだが、ありゃ勿体無かったね」

「シラエア……そろそろノックを覚えたらどうだね」

「次から気を付けるよ。それよりフラメル、昔話をするのなら記憶はもう少ししっかりさせた方がいいよ」


 彼女が目を離せず、右腕と両目の底がうずくような錯覚を覚えた。


 夜だ。空には満月があり、斬撃が乱れ飛び、わたしは必死に避けていた。

 都の夜を走り、逃げるわたしに易々と老婆は追いつき、決して勝てない実力差をまざまざと見せつけた。

 

 無意識のうちに右手首に手で触れていた。しっかりとくっついている。


「あなた……」

「昨晩は悪かったね、坊主。興が乗っちまってついざっくりやっちまった」


 片手をあげ、軽く頭を下げた老婆は素直に「すまんね」と口にした。興が乗ったからといって右手首を、それも手刀で断たれるのは迷惑極まりない話ではあるが、この場で責めても何も得るものはない。

 精々わたしが小さな自己満足を得て、代わりにフラメル首相と彼女の心象を悪くするだけだろう。


「あたしはシラエア・クラースマン。あんたの親父の剣の師で、今はそこで二杯目の茶を注いでる爺さんの護衛をしてる。特技は戦いで好きなものは戦い。嫌いなものは事務仕事と説教。よろしく」

「お会いできて――」


 光栄です、と口にしようとしてわたしは迷った。出会い頭に切りかかってくる相手と親交を結ぶのはどうにも難しく思え、言葉を渋った。


「嬉しいです」 わたしは言った。笑顔を浮かべて言えた自信はあまり無い。

「言葉と顔の態度がまるで違うね。やれやれ、生意気なジャリだ。こういうのを血は争えないと言うのかね、フラメル?」

「私はフレデリックの生き写しのように見えるよ。言葉を選べる彼は、当時のフレデリックよりも遥かに賢い。いやしかし……実に懐かしい気持ちを覚える」


 フラメル首相は深い眼差しをわたしにじっと注いだ。それは心の裏を見透かされるような視線でいて、わたしは霧の森で目覚めた、体を間借りしている亡霊であるかも知れないという秘密と、胸を横一文字に切り裂く惨い傷跡を思い出し、強い恥を覚えた。


「<ドーリンの街>で君は〝悪竜殺し〟の息子だと名乗ったそうだね? 自らはニルヴァルドの息子である、と。ふふ、面白い。かの英雄やその縁者を詐称する者は多いが、真正の血統である君がそう名乗るとは」


「ふん……。世の中は悪竜を討ったのはニルヴァルドという男だと思い込んでるんだ。自分がフレデリックの息子だと名乗ったとて、あの半端な男を知らない者には誰だそいつは、なんておかしな顔をされるだけだよ」 シラエアがしかめっ面で言う。


「名を出すなと父に口止めをされていたのです。首都の辺りで自分の息子だと名乗れば、その、厄介な目に遭う可能性があると……」

「ああ……ふふ、はっはっは! それは間違いなくお前のことだな、シラエア!」


「何がそんなに面白いんだい、ジジイ。若い日にこの街でやらかしたことに対して責任を感じてるからこその言葉だろうに。しかし……修行を半端にして辞めたのが、師であるあたしに殺されるほどの罪だとでも思ってるのかい、あいつは」


「まあ、菓子折りのひとつでも持って当時暴れに暴れた教会や旧ギルド本部を訪れれば、連中の溜飲もいくらか下がろうがな。――修行の中断はやむを得ないものだったろう。かの災厄、<ミストフォール>に飲まれたハインセル王国より漏れ出した霧が自身の故郷を襲ったとなれば、情を持つ者として駆けださぬわけにはいかんだろうに」


「<ミストフォール>……北の山々の向こうにかつて存在したハインセル王国を滅ぼした、霧の噴出……」

「そう。近年において最大最悪の災厄だ。そして君の父君が語られぬ英雄となった旅でもある」


「名前を伏せるのにはあたしゃ反対をしたんだ。ニルヴァルドなんていう適当な張りぼてを打ち立ててなんの意味があるんだい? 今じゃあ〝悪竜殺し〟を名乗って金儲けをする連中が後を絶たない。あたしはあの馬鹿弟子にも、偽物にもむかっ腹が立って仕方がないよ。己の栄光は誇るべきだ」


「そう言うな。不完全とはいえ、彼は霧を降ろした魔竜を確かに討ったのだ。知られれば最後、西方大陸の聖王国や〝五神教〟が黙ってはおるまい。フレデリックは己の功績が要らぬ面倒を必ずや招くと考え、偽物の英雄を打ち立てることを望んだのだ」

「父が……。ルヴェルタリア王国は父を連れ帰ろうとは考えなかったのですか?」


 魔を呼ぶ霧を噴出させた悪竜に相対し、それを討った男を、霧に抗し続ける北の騎士国ルヴェルタリアが放っておくだろうか。

 フラメル首相はわたしをちらりと見やり、肩を竦めた。


「フレデリックの旅にはルヴェルタリアの皇太子と〝王狼〟ギュスターヴ・ウルリックが同行をしていた。情報はその二人のもので十分だったのではないかな。公にしてくれるなと北の王に頼まれた以上、こちらも無視は出来ぬ」

「存在しない英雄、〝悪竜殺し〟ニルヴァルドとその仲間はそういった下地の上に出来上がったのですね」


「いかにも。先にも語ったが、フレデリックの名が表に出ていたらば、現在の彼は穏やかな生活とはおよそ縁遠い場所に居ただろうな。我々は彼の働きに報い、平穏を望む彼の願いを叶えたのだよ」

「しみじみとした昔話はもういいだろ、フラメル。そろそろあたしの話に回しておくれ」


 首相は自身の白髪を一度撫で、やれやれと呟くとシラエアにソファのアームレストという席を譲った。立ち上がり際に「気を付けろよ」とわたしに囁いたのはアドバイスだろうか。

 どかり、とわたしの真横に座り、剣の鞘を床に突き立てると〝東の剣聖〟はわたしをじろりと睨んだ。


「ユリウス、あんたはフレデリックに剣を教わったといったね」 語気が強い。

「はい。父は『こいつはフレデリック流だぞ』と称していました」

「ふざけた名前だ」


 鞘の底で床を小突く。どすのきいた声がわたしの肝を冷やした。


「あたしの動きをさんざっぱらに真似しておいて、しまいにゃ自分の名前をつけるなんて一体どんな神経してんだいあいつは? いいかい、ユリウス。あたしは自分の剣と技には誇りがある。何にも勝る強い誇りがね」 剣の柄頭を撫でながら彼女は言う。

「あたしが剣を教え、あたしの技の流れを汲むそのすべてがあたしの剣であり、同時に誇りなんだ。……あんたも例外じゃないよ、ユリウス。どうしてこんな話を切り出したか、あんたには分かるかい?」


「出来の悪い模倣をする僕を折檻するのですか?」

「惜しい」


 惜しいのか。もはやわたしにとってこの話には暗雲が立ち込めるばかりだ。首都に辿り着いてからの難事はすべて父に由来するものであり、これから先に降りかかる苦難も父に起因のあるものなのだろう。

 わたしにはある種の諦めがあった。フラメル首相はそっぽを向いたままで茶をすすっている。「聞いてんのかい」とシラエアがわたしの肩を張った。


「このあたしが手ずからにあんたの技を叩き直すんだ。言っとくが拒否権は無いよ。外で出来の悪いシラエアの剣技(・・・・・・・)を振り回されて、あたしの看板に泥を塗られるのは困るんだ」


 シラエアの名前の下に多くの剣士が集ったが、過酷な内容に大半が逃げ出したという逸話が脳裏をよぎる。生き残ったのは確か……父を含めた四人だった。


「フレデリックが剣術でつながる息子だとするならば、あんたはあたしの孫だ。飛燕の鋭さをもって一切を断つ。シラエア・クラースマンの風の技をあんたには身につけて貰うよ。形になった暁には、外でこの〝迅閃流(じんせんりゅう)〟を名乗ることを許そう」

「いつからですか? まさか今からじゃないですよね」

「ああ、猶予はやる。そこまで鬼じゃないさ」


 わたしの肩にしわの刻まれた手をぽんと置き、しかし意地悪な笑みを浮かべ、


「――稽古は一時間後からだ。そのあいだに遺書を二通したためておきな。ひとつはあたしが預かり、もうひとつはあんたの懐だ」

「遺書!? どうしてですか!?」

「手元の狂いで微塵切りにしちまったら身元が分からなくなるだろ? さあて、今日は日付が変わるまで徹底的にやるよ。いやあ、年甲斐もなく楽しみに胸が沸く沸く」

「父さん……恨むよ……」


 老婆が実に嬉しそうな調子で立ち上がり、わたしの知らぬ鼻歌を歌いながらに執務室を出ていく。

 フラメル首相と目があった。言葉はないが、彼の顏には「無事を祈る」とはっきりと書いてあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ