041 ガリアンの祝福
顛末を語ろう。
頭に悪趣味な黄金のティアラを飾った真っ白い小型犬、アリスを腕に抱いたままにわたしたちは依頼人である<カサマール家>の屋敷へとまっすぐに向かい、威圧感をたっぷりと漂わせる客人用の門前にて呼び鈴を鳴らした。
待つこと数分。初めて訪れた時と同じようにメイドがわたしたちの前に現れ、犬を受け取った。その時の彼女は奉公人ではない、動物を心より愛する人間の持つ純真な笑顔を華と咲かせていて、人助けも中々に悪くないなと思ったものだ。
直前に悪漢らを斬り伏せた記憶は生々しかったが、仕事は仕事。意識の切り離しは重要であるという自覚をわたしは確かに持っている。そしてまた、病的であるかもしれないという、小さな懸念も。
「依頼人であるサーラミン様に直接ご報告をしたいのですが」
暗い影を振り払い、わたしは微笑みを浮かべたままのメイドに声を掛けた。めでたしめでたしと踵を返され、この依頼の話が有耶無耶にならないうちに依頼完了のサインを受け取っておきたかった。が、それは叶わない願いだという。水色のポニーテールを揺らしながらにメイドが事情を語る。
「サーラミン様はお倒れになりました」
「くたばったのか?」
「ちょっと! コールくん、滅多なことを言わないでよ」
「……サーラミン様は、冒険者様方が屋敷をお出になった後、この数時間のあいだに気を失ったのです」
心配が極まり、心と脳がもはや処理をしきれぬと降参をし、自主的に落ちたのだろうか? 思えば依頼人は大層かっぷくの良い女性だった。彼女を病人のベッドへと運ぶのは随分と骨が折れることだろう。
「医療術師さまはただの失神だと申しておりました。それと、ストレス性のものだとも……」
「そうですか」 思った通りだ。
「うちたち……ごほん、私達は依頼の完了をサインを頂かなければ冒険者ギルドへ戻れません。どなたか代理の方はおられますか?」
ビヨンの言葉にメイドが眉根を寄せる。「親方様は……居ないし、奥様……」とぶつぶつと難しい顔でつぶやいている。
「私が応じましょう」
と、黒々とした門柱から影のようにゆらりと姿を現したのは、針金のような細身を体のラインにぴったりの執事服で覆い、厳めしい面構えをしたカタブツ執事であった。彼は定規で計ればキリの良い数字が出そうな角度で一礼をする。
「執事長のイスヒーにございます。ユリウス様、この度は依頼の達成、誠にありがとうございました。主であられるサーラミン様の愛するアリス様がお戻りになった今、本来であれば私どもが総手でパレードのひとつでも執り行いたいのですが……」
「いえ、結構です。本当に。ささ、こちらへサインを」
想像するだけで恐ろしい。この場合は生命的な危機を前にする恐怖ではなく、いつ終わるともしれない時間の空費と、随分と上の生活を送る、いわゆる上流階級の人間を相手にどういった態度をとったら良いか分からないという未知への恐怖だ。
わたしは執事長へと依頼書の羊皮紙を突き出し、『依頼人の方へ。完了の際はこちらへサインをお願いします』と記された四角い枠を指で示した。
「はい、では……。代理、イスヒー……と……終わりました」
「確かに。では、僕たちはこれで」
「しかし恩人のあなたがたをただでお返しするわけには……何かお茶菓子のひとつでも召し上がっていかれませぬか?」
「いえ、急いでいますので。申し訳ありません」
「何でだよ? 少しぐらいいいじゃねえか、相棒っグオォアッ!?」
わたしのアイサインを受け取ったビヨンが、コルネリウスのつま先を杖の底で思い切りに潰した。男の悲痛な叫びで会話を無理矢理に中断させ、わたしは執事長とポニーテールがよく似合うメイド、それから無数の犬たちへ向けて別れを告げると、犬を愛してやまぬ<カサマール家>を後にした。
道すがらに妙な匂いを感じ、すんすんと鼻を鳴らした。それからシャツの袖に鼻を近づけ、やはり、とわたしはしかめっ面をする。
「……やっぱりだ」
「どうした?」
「あの薄笑いの人が言ってたとおり、ものすごく犬くさい」
「……変なとこ気にすんのな。そのうち慣れるさ。酒場に戻ろうぜ」
………………
…………
……
酒場<火竜の恩讐>は冒険者ギルドに認可をされた、マールウィンド連邦領内に数多くあるギルド支部のひとつである。
無数の依頼が所狭しと貼りつけられた巨大なボード。冒険者らは依頼を千切り取り、ギルドの受付カウンターにて契約を結び、依頼に取り掛かるのが一連の流れだ。
多くの冒険者らへの対応をスムーズに処理するため、酒場内の受付カウンターは平均で五つほどはあり、中々に大規模な街であるところのこの<ドーリンの街>の酒場には、なんと平均の倍である十ものカウンターが並んでいる。
これだけ贅沢な数のカウンターが並んでいるのであらば、混雑などは朝一番のピークタイム等を除いて起こりようはずもない。
……のだが、現実問題としてわたしの視界内では十あるカウンターのうち、九つが混雑、あるいは中々の盛況ぶりであった。待機の列には苛立った様子の先輩冒険者らが並び、しきりに靴底で床を鳴らす者まで居る。
一方で一つのカウンターだけはほぼ無人である。
他の窓口が平均にして十五人ほどが並んでいるのに対し、閑散としたカウンターは一人か二人の見るからにルーキーらしい出で立ちの若造しか並んでおらず、受付を終えた彼らは皆どうにも浮かない顏をして立ち去って行く。
「あのカウンター人気無さすぎるだろ、ひでえな」
「煙いんじゃないかなあ。ガラス越しなのに臭かったもん」
「……あの人、苦手なんだよね……」
空いているカウンターとはつまり、わたしたちが破格の依頼を請けた、タバコの煙で満たされたカウンターである。表示する番号は七番。ラッキーセブンという言葉をわたしはもう当分は信用しない。
周囲の行列からの哀れみと嘲笑の視線を受けながらにカウンターガラスを中指で何度かノック。内側より聞こえるのはやたらと耳に残る甘ったるい声。
「どなたあ? 今雑誌読んでて忙しいんだけどお」
「仕事中ですよね?」
コルネリウスに目線をやると、彼は『受付中』の札を指差した。「金だけ貰ってさっさと帰ろうぜ」の言葉は真理に思え、再びカウンターガラスを指で叩く。
「依頼の完了を報せに来ました。<カサマール家>の犬の依頼です」
「あら、まあ!」
換気のスイッチが入ったらしく、もくもくと揺れていた紫煙が渦を巻いて排出をされていく。そうして煙の世界より現われたのはひとりの女だった。
顏の化粧は濃く、まつ毛などはまばたきの度に風が起こりそうなほどだ。
「あんたら生きてたのねえ。やるじゃなあい?」
「死ぬ危険があるような依頼だったんですか?」
「ええと……ノーコメントで」
ヨンがわたしの肩越しに物言いたげな顔をしていたが、片手で制する。
「これが依頼完了のサインです。執事長からいただきました」
「あら、本人じゃないのねえ。あの太っちょ、とうとうくたばったの? ……ああ、ストレスで気絶したのか。とうとうお陀仏かと思ったわあ。ほんじゃご苦労さん。これが交換札。銀行の窓口に手渡せば報酬を受け取れる……って、知ってるわよねえ。もうヒヨコじゃないんだもの」
数字を刻印された金属の札を受け取り、わたしは適当な相槌を打つ。愛煙家の受付嬢がまともな人間の形をしていたものだから、そちらの方に集中と驚きを奪われてしまっていた。てっきり亜人かと思っていた。例えば煙に強い耐性があるような。
帰ろうぜ。そうわたしの肩を叩くコルネリウスにうなずきを返し、雑多な賑わいを見せる酒場の中に姿を消そうとした時、
「そういえば助っ人には会ったあ?」
と、タバコに火を点けながらに受付嬢が言った。
「助っ人とはあの薄笑いの男ですか?」
「野郎、めちゃめちゃ怪しかったぜ」
「そいつそいつ。良かった、ちゃんと仕事はしてくれたのねえ」
結局彼からは名を聞くことはなかった。また会いたいとは思えず、より正確に言えば興味を抱かなかったのだ。しかしそれはわたしに限った話らしく、ビヨンは会話を繋いだ。
「あの人は誰なんですか?」
「S級の冒険者ねえ。名前はメルウェン・リーナー。五年ぐらい前だったかしら? ふらりとこの街に現れて『退屈しのぎに冒険者でもやるわ』なんて言って登録をしたら、あれやこれやとアブナイ依頼をこなし続けて今や随分上の階級よ」
「上から四つ目の階級……んな大物には見えなかったけどな」
「見かけによらないってことよ。あいつ、どっかで傭兵か騎士でもしてたんじゃない? メルウェンに旅の護衛を頼んだキャラバンはどいつもこいつも口を揃えて『デタラメに腕が立つ男』なんて褒めてるわよ」
彼は優れた弓手なのだろうか。わたしの太刀筋を観察をしていたというし……おや、彼はどこでわたしの立ち回りを見ていたのだろうか。
盾を無くした辺りと言っていたような覚えがある。
わたしが盾を失ったのは黒い太矢が原因であり、メルウェンの背負った矢筒に収まった矢の色は、確か黒い――、
「……僕には危なげな人物に思えましたが」
「間違っちゃいないわよ」 細い吐息と共に、受付嬢が紫煙を吐く。
「ギルドにとってみれば腕の立つ便利な男。一般にとってみれば何をしでかすか分からないイカれた独り者。メルウェンは前に真っ昼間の広場で大立ち回りを演じたことがあんのよ。あいつの無茶で怪我人も出たわ。それでもあの男は相変わらずの薄笑いのまんま。正直言って人格はまともじゃないわね」
独り者の冒険者は性格に難あり、という話を耳にしたことがある。
行動の際の倫理的な基準は人間それぞれの常識と考えに基づいたものだが、他者から見て常軌を逸した行動をとる者は少なからず、確かに居る。そういった場合には周りの仲間がセーブを効かせるものだが、独り者の冒険者には意見を与える存在が無いのだ。
すべての行動は自身の経験、意見、常識から導き出されるものであり、結果として他者から見た場合にいわゆる『イカレた人物』だという評価を下される者は少なくない。
わたしたちへ協力をした、メルウェン・リーナーはそういった手合いなのだろう。
「悪かったわね。今回は急ぎだったのよ。本当ならまともな奴を応援に呼ぼうとはしたのよ?」
「いえ、お気にせずに。色々と裏があったようですし」
「んんん、バレてたか……ま、そういうことよ。チップ代わりにアドバイスをしたげる、メルウェン・リーナーとまた出会うことがあったら距離を置いて、回れ右で逃げ出すことをおすすめするわ」
「肝に銘じておきます」
「よしよし。ああ、そういえば……あいつ、人を探してるって言ってたかな」
「人を?」
「珍しく深酔いしている時に聞いたんだけどね。仕事で仕方なく冒険者をやってんだ、だとか、殺してでも手に入れなきゃいけない物がある、なんて物騒なことを言ってたわ。危険な物には近寄るべからず。あんたらも他人をよく見て、本質を見抜ける目を培うのよ」
じゃあね、と言葉を切り、受付嬢は机の上に広げている何かのファイルへ視線を落とした。それきり彼女は一言も口にせず、再び紫煙が満ちていく。会話は終わりのようだ。
わたしたちは三人横並びで一礼をし、相変わらず混んでいるカウンターの行列を横目に見ながらに酒場を後にした。
………………
…………
……
そのままの足で銀行へ向かい、手続きを終える頃にはわたしたちはひとつの皮袋を手にしていた。口を縛るヒモを緩めれば、中には黄金の輝きを放つ十枚の貨幣が見える。
大金だ。
これだけあれば三ヶ月以上は生活にまるで困らず、武具を一新してもなお十分な釣りが出るほどの金額。
「気前よく良い飯でも食ってくか?」
コルネリウスのアイデアはかなり魅力的なものだった。
金銭的な窮地を脱したことを祝い、飯屋にてささやかな祝杯をあげることも考えたが、
「いや、立ち止まらずに次の街へ移動しよう」
「なんだよ。腹減ったぜ……」
「ユーリくん、次はどこへ行くの?」
「首都<ウィンドパリス>へ行こう。もう目と鼻の先って言ってもおかしくないぐらいに近いこの街からなら、きっと馬車が出てるはずだ」
わたしの判断に二人がうなずく。マールウィンド連邦が誇る最大の都市への到達は、この旅の目的のひとつであり、また、スケジュール全体での折り返しでもある。
重たくなった貨幣袋を幸せそうな顔で手に握るビヨンを横目に、わたしとコルネリウスは<ドーリンの街>の正門に並ぶ旅馬車を品定めをしていた。
安物の馬車は値段相応に薄汚れていて、車を引く馬の艶も悪く、見るからに老いている。これは冗談だが、通常ならば三日でたどり着くような旅程も、この馬では二週はかかりそうにも思える。
「俺は嫌だな。相乗り上等は悪かねえが、そりゃ美人と同じになった時の話だ。むさいおっさんと一緒になったら悲惨だぜ」
「コールと同じ。ここは奮発しようか」
「おう! よく言った!」
相乗り上等の安馬車をわたしたちは選択せず、艶の良い毛並みをした、力がみなぎり若々しい面構えの二頭の白馬が待機をする、上等な旅馬車を利用することに決めた。
御者は左右一対の大角をこめかみから生やした屈強な亜人<ヴァーリン族>の若い男だった。精悍な顔立ちに砂漠の日差しに焼けた肌。愛想の良い笑顔を顔に浮かべて御者は言う。
「ようこそ、我がイプセン旅行社へ。どこまでのご利用で?」
「<ウィンドパリス>までお願いします。人間三人です」
「あいわかった。金貨を一枚いただくよ。いや、旦那は見る目があるね。最高の旅馬車をお選びになった」
「決めたのは俺だぜ」
「もう。お世辞に決まってるでしょ。よろしくお願いします」
目を丸くしてやり取りを見ていた大角の男が、太い声をあげて笑う。
「オレの娘っ子を思い出す可愛い嬢ちゃんだなあ。我が社は安心安全がモットー、任せておきな。霧が出ようが盗賊が出ようが、オレが追っ払ってみせよう」
言って力こぶを作った彼の二の腕はまさに強靱そのもので、コルネリウスが感嘆の声を漏らしたのをよく覚えている。
御者が開いた扉から馬車内へと足を踏み入れる。清掃の手の行き届いた、小綺麗かつ上品な内装だ。
ワインレッドの色をしたソファは柔らかく、ここ数日に利用をしていた宿屋のベッドよりも数段心地が良い。ここで寝れる~と漏らすビヨンの言葉に同感だった。
「<ウィンドパリス>までは一日半ってとこだな。ゆったりとくつろいでいるといい。砂漠仕込みのヴァーリン料理も、旦那方が構わねえってんなら振る舞いますぜ」
「マジか! 是非食ってみてえな!」
「こら失礼でしょ! ……嬉しいです。うちも興味があって。すごく辛いんですよね?」
「ああ。ほんの一時だが火を吐けるぐらいにな。ガァハハ! 冗談だ!」
会話のにぎわいを耳で聞きながら内装を確かめていると、客の暇つぶし用に用意をされたらしい新聞がいくつか突き刺さっている棚にわたしの目が留まり、ある新聞の見出しに視線を釘付けにされた。
見出しの一文は『<ガリアンの祝福>再び。およそ三百年振りのことか』とある。
わたしははやる気持ちで新聞を手に取り、舐めるようにして目を滑らせた。
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『伝承に語られる忌み地、〝イリルの大穴〟より霧が消え果てた。
大穴の周囲にて一切の霧さえも認められない状態を<ガリアンの祝福>と呼ぶ。千年前に〝霧払い〟の英雄ガリアン・ルヴェルタリアが〝霧の大魔〟を打ち滅ぼしてより、今回で四度目のこととなる。
今回は三百年振りの霧の晴れ間で、これまでの例から、霧が再噴出をした際には大規模なものとなる予想がなされており、直近の国家であるルヴェルタリア古王国では今後の動向について警戒を強めている。
レオニダス・ガーランド・ルヴェルタリア国王を始めとした王族らからのコメントは無く、十三騎士団を統括するジーン・デュラン総団長は「いかなる霧とその魔物が大地を脅かそうとも、我ら〝霧払い〟の末裔が打ち払って見せましょう。ルヴェルタリアの国民らには心行くまで霧の無い平穏を楽しんでいただきたい」とコメントを寄せている
ルヴェルタリア古王国の観測台の予測では<ガリアンの祝福>は最低でも一週間以上は続くと予想をされ………」
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「ルヴェルタリアの記事か? ヒュウ、霧が無くなったってのか? 大ニュースだ」
「〝イリルの大穴〟といえば、常に魔物が湧き出ている世界有数の危険地帯で有名だからね。そこの霧が晴れたなんて、本当に大ニュースだよ。どうして気付かなかったんだろう」
紙面の上部。日付に目をやるとそこには今日の日付があった。
わたしとコルネリウスの会話を聞いていたらしい御者が、馬車の上部に取り付けられた目出し穴から声を掛ける。
「そりゃ今日の号外さ。ついさっき、中央広場で売り子が声を張り上げて売ってたましたぜ。見なかったかい?」
「いえ……気付きませんでした」
「ま、そこに並べてるのはどれも無料だから好きなだけ読んでくんな。しかし、物騒なことになりそうだ」
「物騒と言いますと?」
ビヨンの問いかけに御者がため息をつく。「これは祖父から聞いた話なんだが」と、
「祖父は三百年前ばかり昔にルヴェルタリアで戦士をやっていてな。大穴の周りは戦いに次ぐ戦い。いくら殺しても次から次へと魔物が現われる、とんでもない戦場だったと言っていたよ。砂漠の生まれの祖父は、生まれてこの方一度も目にしたことがないような異形の魔物を相手にし続けたんだ。クジラにムカデみたいに足が生えたのや、首に目がびっしりとくっついた竜を見たことがあるかい?」
「いや、ねえな。気持ち悪いから想像もしたくないぜ」 コルネリウスは素直だ。
「話を聞いたオレも勘弁してくれって思ったね。で、半年ばかり戦い続けたある日、大きな地響きが起こったんだ。とうとう大穴の奥に眠るバケモノが目覚めたのかと、疲れ果てた祖父は心の中で愛の女神ルピス様に祈りを捧げたらしいんだが、いざ見てみるとなんと驚き。辺り一帯に立ち込めていた濃霧がウソみたいに消えていて、青空が見えていたって言うんだよ」
〝イリルの大穴〟の周囲には常に濃霧が立ち込め、視界を確保する特殊な魔法の加護が無い限りでは真っ直ぐに前へ歩くことすらもままならないという。
死と血、そして暴力を呼ぶ霧が晴れたとならば、三百年前のルヴェルタリアの騎士たちの驚きは想像を絶するものがあっただろう。
「それが<ガリアンの祝福>ってやつか」
「霧と密接な関係にあるイリル大陸北部ならではの祝祭なんだよ、コールくん。いつかまた〝霧払い〟がこの世界に現れて、今度こそ永遠に霧を無くしてくれるってお願いを青空にするんだってさ」
「ふーん……騎士や戦士は職にあぶれちまうな」
「ちょっと、そういうのは……もうっ」
棚に目を戻すと見覚えのある、いや、生涯において決して忘れることのできない少女を写した写真が目に入った。
背丈が随分と伸びていた。わたしも彼女も出会ったころは互いに十歳の子供であり、あの夏の日から五年もの時間が流れたのだから成長をするのは当たり前の話だ。
しかし、わたしの心の中の彼女は常に少女のままの姿であり、こうして成長をした姿を見るのは、まるで似た面影を持つ別人を眺め見るような心持であった。
若草色の髪をポニーテールに結わえ、相変わらずの強気な目元でカメラに視線をやっている。
写真越しに見る朝焼けの色の瞳はひどく懐かしく、当の本人――アーデルロールは目の前に居ないというのに、わたしと彼女がかつて交わした約束を、再び面と向かって言われたような気がした。
『また会いましょう。私との約束を果たすまで死ぬんじゃないわよ』と。
遠い日の騎士の誓いが胸に蘇り、わたしは首に掛けた緋色のネックレスを静かに握り締めた。




