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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
三章『広がる青』
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040 薄笑いの弓手

 屋上を駆け走る人影がある。人々の往来の頭上を跳び、家々の屋根を渡るその人物は白い仮面に黒いコートで細い体を覆っていた。

 仮面の下の――若い男だ――の顔は蒼白の色をしていて、その原因は信頼を寄せ、家族同然に親密な仲だった仲間たちの唐突な死だった。


『裕福な成金野郎が悪趣味なアクセサリーを欲しがっている』

 グループのまとめ役が掴んできた仕事は、犬が被ってる黄金のティアラを奪うだけの簡単な内容だった。犬の生死はいっさいの関係がなく、目当てのティアラを依頼人に手渡せばそれで済む仕事。

 

「はっ、はあっ! はっ! くそ、みんな殺されるなんて夢にも思わなかった! 先輩、リーダー……ちくしょうっ! くそったれ、あいつら殺してやる!」


 仲間の内に誰ひとりとして『素人』は居なかった。

 毒殺、人質、爆殺、闇討ち。仕事の達成の為ならば、手段は選ばず、実行をしてきた。

 白仮面らのそのやり口を指し、非情が過ぎると揶揄する者も過去には居たが、そういった手合いは闇夜の路地で人知れずに死に、短剣の刃は血に濡れた。

 

 そんな白仮面の生き残りが信頼を寄せていた仲間は今やもうひとりも居ない。

 戦士と魔法使いの二人組にあっさりと殺されたのだ。それもあからさまな駆け出しの若造に、仲間を!

 逃げ走る男――白仮面の生き残りの心中は、復讐に熱く煮えていた。


「まずはこいつを……届けて……金を……」


 今は生き延びよう。命を繋ぎ、仲間の復讐を必ず遂げるのだ。


 同じような外見の屋根が延々と続く、平民街の長屋の屋根を白仮面は駆ける。傾斜のついた三角屋根を鍛え上げた脚力で素早く駆け走り、路地に隔たれた彼岸の距離などわけもないように彼は跳ぶ。

 

 と――、レンガ作りの煙突の脇を通る直前、細長い何かが空気を割り裂き、仮面の男の左腕を貫いた。

 

 突然のことだった。血肉を裂き、骨を砕く一撃の痛みは尋常ならざるものであり、意識の外からの攻撃に仮面の下の素顔が醜く歪む。


「っが!? なんっだ……これは!?」


 黒く太い矢が左腕に深々と突き刺さっている。左腕を貫通した矢の先端は煙突にめり込んでおり、(やじり)には返しがついているのか、いくら力を込めても引き抜けず、激痛が意識を苛むばかりだった。


 無事の右腕は犬を抱き抱えているために使用が出来ない。かといって左腕は潰され、復帰をさせられず、狙われる恐怖が募る最中に仮面の男は辺りを見回した。

 苦痛、焦燥、不安。危機的な負の感情が磔にされた男を煽り立てる。


 狩猟に供される獲物同然となった男の、どうしようもなく不安げな視線が追っ手の姿を捉えたのはそんな時だった。


「よお~お、惜しかったなあ! もう少しで逃げ切れそうだったのにな、いやほんと運がねえよ、あんた。ハハ」


 追っ手は男だった。彼は連なる屋根をとんとん、と軽快な足取りで渡り、レンガに釘づけにされている白仮面と同じ足場にすぐさまに辿り着いた。


 男は黒革の軽装鎧を着ており、軽い身のこなしと体の細さからスカウトであるらしいことがうかがえた。所持する武器類もそれを証明するようでいて、男は矢束を背負い、手には白塗りの短弓。腰には長剣を吊っている。


「なぜ、俺を狙う……どこの組だ……?」 脂汗を流しながらに白仮面が問う。

「アァ? おれの話はいいさ。知ったってしょうがないだろ? どうせ長生きしねえんだから。あ、おい、勘違いすんなよ? あんたのことだぜ」


 細い目に半月型の薄ら笑い。何を話し掛けようとも決して真摯に聞き入れず、安易に他人を信用しそうにない、酷薄な性格がにじみ出ているような冷たい表情を、追っ手の男は顔に張りつけていた。


 追っ手が己の足元を見たままで手に持つ弓の弦を何度か絞った。その仕草は手持ち無沙汰な子供がおもちゃを操るようにも見える。と、矢をつがえない弓を白仮面へと向け、

 

「その犬なんだけどよお、こっちに渡してくんねえかな? 頼む、このとおり」

「なに? 渡せるわけがない……渡してたまるか! 仲間はこいつの為に死んだんだぞ! 仲間の死を無駄に出来るか!」

「おいおいおい、いかにも三下って感じの反応はやめろよ。かなりお寒いぜ、マジでさ」

「寒かろうが熱かろうが知るか! こいつは……渡せない!」


 磔にされた白仮面が奥歯を噛み締め、訪れるだろう痛みへの覚悟を最大限に強めると左腕に力を込めた。太矢が突き刺さったままの左腕を無理矢理によじり、強引に腕を抜こうとする。

 激痛が神経を走り、本能は今すぐに行為をやめろと叫ぶが、白仮面は意志の力で何もかもを抑え込んだ。

 

 そうだ、仲間はこの仕事の為に死んだのだ。

 ならば、自身ひとりが生き残った今、この仕事を完遂させることこそが仲間への手向けだ。それに何より……死と比べればこんなものはただの痛みだ。

 耐えれば終わる。そう、終わるのだ。

 

 もうすぐ矢が抜ける。傷口は拡がり、血は止めどもなく流れ、痛みはもはや絶え間のない波と化していた。だが、あと一息だ。そう思えばいくら意識が白もうともどうにかなりそうに思え――、

 

「ハハッ! おいおいおい、一本じゃ物足りなかったのかよ? まさかのマゾヒストとはな、おかわりが欲しいなら素直にそう言えっての」


 薄笑いを浮かべた男が、手に持つ弓に矢を素早くつがえる。その手さばきは弓術に熟練した者に特有の指の運びであり、男の目に束の間、嗜虐の色が射した。


 つがえると同時。

 弦を絞り、狙いを正確に定め、風を裂く一矢を放つ。その間、まさに一秒足らず。

 一発目は懸命にもがく左腕の肘へ。二発目は腿、三発目は膝。

 

 白仮面が絶叫し、こらえきれずに右腕に抱きかかえていた犬を手放した。

 怯えきった犬が恐ろしい場を逃れようと駆け走るが、ひらりと身を翻した薄笑いの男にあっけなく捕まり、確保をされる。

 

「あい、ご苦労さん。おおよしよしよし。マゾの旦那、犬をよこしてくれてあんがとなあ。その矢、あんたなら自力で抜けんだろ? さっきは惜しいとこまでいったんだ! がんばれよお! じゃあな!」


 屋根から薄笑いの男が去り、取り残された白仮面は痛みと恥辱にむせび泣いた。体より流れる血はとめどもなく流れ、意識が薄らいでいく。自分の末路が彼にははっきりと、残酷に理解出来た。

 

 



 わたしが合流をした時には、コルネリウスとビヨンの二人は散らかり放題の木箱やがらくたの山をひっくり返していた。

 最初は目標の犬を懸命に探しているのかとも思ったが、ちらちらとわたしの様子をうかがっているところを見るに、二人はどうやら目標を取り逃がしたらしい。

 

「怒ってないよ」 出し抜けにわたしはそう言った。


 すると二人がすぐさまに作業を取りやめ、安堵の顏と息をはいて駆け寄ってくる。

 場の様子を見るにコルネリウスたちも何者かに襲われたらしい。壁や床に残された血痕の量はおびただしく、綺麗に丸くくり抜かれた街路は本来のものではないだろう。注釈をすれば円形状にくり抜かれた部分だけは石畳ではなく、湿っぽい土が盛られていた。

 

「わりい、相棒。逃げられた」


 頭を下げ、コルネリウスが「面目ねえ」と付け加えて言う。


「気にしないで。二人に怪我がないならいいんだ」

「大丈夫だけど……どうして戦闘があったって分かったの?」

「これだけ血痕が飛び散ってたら誰でも気付くでしょ。犬は残念だけど、仕方ない。また情報を集めて探せばいいだけだよ」


 どこへ消えたかは分からないが、聞き込みをすればまたあの犬へ辿り着けるだろう。依頼主のサーラミン嬢に付き従う可愛らしいメイドには早めの依頼達成を乞われたが、どうやらすぐさまに達成を出来そうにはない。

 

 剣を鞘に納め、盾を背中に戻し、来た道を振り返る。と、視線の先に見知らぬ男が立っていた。スラムから表通りへと続く近道を塞ぐようにして男が居る。


 またか、と内心でため息を吐く。


 冒険者ギルド、依頼人、犬を狙う他勢力からの刺客。

 様々な方面からのアプローチがかかる、一癖ある依頼ならば先んじてそう言っておいてほしかったと、内心で不満を吐いた。


 だが……今思えばこの仕事はそもそもが怪しい内容だった。

 何せ迷い犬を飼い主のもとへ届けるだけで、金貨十枚――銀貨にして百枚だ――が懐に入るのだ。普段は三日をかけてようやく銀貨五枚を得る生活を送っているわたしたちにとって、この依頼は魅力に溢れてあまりあるものだった。あの金の輝きに飛びつかないという選択肢ははっきり言って無かった。


 路地を塞ぐ男を眺め見る。その気だるげな立ち姿からは善人的な印象は受けない。どちらかと言えば、わたしが先ほど斬り伏せたような暗い生業で生きる連中に思えた。

 酷薄な顔立ち、糸のように細い目、にやにやとした笑みを張りつけた半月型の口。詐欺師の類だろうか? いかにも怪しい。

 

「あいつ……何か怪しいな。また戦闘か? 三人揃ってんなら楽勝だな」

「だからって今度も槍を投げないでよね」

「武器を投げたの?」 仲間に背を向けながらにわたしは言う。

「ちとやむを得ないことになってな。おい、分かったよ、もうしないって」


 二人の言葉を聞きながら、わたしは男へ注意を向け続けていた。

 痩せ身の男だ。背中には矢筒を背負い、片手に短弓を握っている。腰には鞘に納められたままの長剣。だらけた体勢で壁によりかかってはいるが、にやにやとこちらを見るその姿に隙を見つけることはできない。

 

 先ほどの悪漢らとは比べようもない手練れなのだろうか。

 鞘に納めた剣をいつでも抜けるようにわたしは重心をずらし、腹に力を込め、牽制の意図を込めて問う。

 

「僕たちに何か用ですか?」


 わずかの間。壁から身を起こし、男が答える。


「見てたぜ、お前らの仕事。なかなかやるじゃねえか」

「……見ていた? 誰ですか、あなた」

「今はどうでもいいさ、そんなもん。ほら、こいつを受け取りな」


 ワン! と大きな吼え声。暗がりからわたしたちの立つ陽光の下へと一直線に走り寄ってきたのは、薄汚れた子犬――探し求めていたアリスだった。

 可哀想に。怯えきった犬はビヨンの胸元へと矢のごとくに一直線に走り、飛び込むとそのまま彼女に抱かれるがままとなった。ちらと見た限りでは逃げ出す素振りは無く、こちらもそんな油断は決してしない。依頼目標の確保完了だった。

 

「いったいどうして僕たちがこの犬を探していると知っていたのですか?」


 カウンターで交わした依頼のやり取りを盗み見られていたのだろうか。酒場の人出は場所が場所だけにずいぶんと多く、その可能性は十分にある。が、返事は意外と言えば意外のもので、


「答えは簡単。同じ奴に同じ仕事を頼まれたのさ。酒場のあのタバコくせえババアに紹介されたんだろ、お前ら?」 

「ええ……確かにその通りです。となればあなたはライバルか、それともバックアップ、あるいはフォローで来たのか。どちらでしょう。……いや、同じ狙いなら犬を渡しはしないはずだ。何の裏があるんですか」


 憶測を口にするほどに警戒心が募っていく。剣の柄頭を人差し指で薄く撫で、相変わらず日陰に立つ、薄笑いの男をわたしは睨むようにして見据えた。

 

「おいおいおい、やめてくれよ。その目、怖くてちびりそうだ」


 暗がりから光の下へと男が身をさらす。日の光の中に見る男は蛇のような顔立ちだった。両手を上向け、降参のポーズをしながらに男は言う。

 

「同じ仕事だが、おれにその犬は必要ねえんだ。知らねえだろうが、おれは言わば休日出勤なんだよ。金貨十枚程度じゃあ休みの幸福は埋められねえ。分かるか?」

「いえ、まったく。僕たちはひたすらに金が欲しいので休んでられません」

「若いねえ、ついでに言えばルーキーらしい。まぶしいぜ」


 とにかく、と薄笑いの男が指をパチリと鳴らす。


「犬はやるよ。それに出来ることならあの屋敷には近付きたくもねえんだ、服にイヤなにおいが染み着いちまうからな。知ってっか、クリーニングって意外に高いんだぜ」


 言葉を交わせども本題らしい本題へ進まない男との会話に、わたしは無為を感じ始めていた。暗がりで待ち受けていたとなれば、さぞ何かしらの思惑があるのだろうと思ったが、どうやらただの変わり者のようだ。


「そうですか。用がなければ僕たちはもう行きますよ」

「ちょっと待てって。手の届かないところへ行く寸前だった犬を渡してやったんだぜ? 感謝のひとつぐらいしやがれ、後輩くんよお」


「……ありがとうございます。先輩」

「んで、感謝ついでなんだけどな」


 男の糸目がわずかに開いた気がした。男は短弓を背に戻し、革製のグローブをぎちぎちと鳴らしながらに一歩を詰め寄り、


「礼ってことでおれの質問に答えてもらってもいいよな。すぐ終わっから」

「どうぞ」


 どうやら逃れられそうにはない。表通りへ続く道は薄笑いの男が塞いでおり、得体の知れない奇妙な雰囲気が漂っていて、その違和感はわたしの足を釘付けにしていたのだ。


「黒髪。お前の剣、どこで学んだ。シラエア(・・・・)の流れか?」

「シラエア……東の剣聖、シラエア・クラースマンですか?」


 他に居ねえだろ、と男は薄笑いを一層深くする。


 シラエア・クラースマン。

 マールウィンド連邦最強の剣士、またの名を<東の剣聖>。


 抜剣術を自在に操るシラエアの剣技の冴えはきわめて鋭く、岩盤よりも堅いと称され、傷つけること万人に叶わずと謳われた要塞龍の肉体をゼリーのように断ち裂いた。


 シラエアは剣を選ばない。曲剣、東方の刀、直剣、刺剣。およそ剣の形をしているのならば、それが例えなまくらであったとしても、連邦最強の名を持つ剣士は万全のコンディションで戦場いくさばに立つ。


〝退魔駆け〟と称される有名な逸話がある。シラエアは広範囲の霧に覆われた三つの街を見捨ててはおけぬと、自らとわずかばかりの味方だけで守り抜いたという。彼女らは街から街へと絶え間なく移動をし続け、剣を振るい、霧が晴れるその瞬間まで戦い続けたのだ。

 危機的な状況を救われたその三つの街にはシラエア・クラースマンとその銅像が立ち、今日にも親しまれているという。


 かつては〝ウル〟に迫るだろうと称されたシラエアだが、今では七十を数える高齢の女性である。彼女は五十の頃に一線から身を引き、『後進の育成をしないとねえ』と剣術指南の道場を興した。

 シラエア・クラースマンの名声に引かれ、東の剣聖の技を我が物にせんと、大勢の人間が詰めかけたが、その苛烈極まる内容に一握りの門弟だけしか残らなかったと書物や雑誌などでわたしは聞き知っている。(出典:麗しき剣客、シラエア・クラースマンの鬼神な素顔)


 そも、それらは二十年以上も前のことであり、現在十五歳であるところのわたしには一切の関係がない。剣を学びたいとは一度は思ったが、現在のシラエアは連邦の頭である首相の護衛の席に就いており、わたしとは運命の線はおよそ交わらないのだ。


「なあ、おい、あのババアに剣を教わったんだろ? 一気呵成、踏み込みと同時に居合いの抜剣をかます流れる剣技! シビレるねえ」


 握り拳を作り、感嘆の声をあげるこの薄笑いの男はシラエア・クラースマンのファンなのだろう。

 彼女の苛烈であり流麗な剣の運びは見る者を魅了するものがあり、わたしに剣を教えた父フレデリックのことだから、彼もまた若い日にシラエアの技を目にして鍛錬に励んだのだろうと想像をする。なにせ、父は〝我流〟だと言っていたのだから、直々に学んだわけではあるまい。


「いえ、剣聖とお会いしたことは一度もありません。お噂はかねがねに聞き存じていますが」

「ウソだろ! 盾を外してからのお前の構えと技はありゃどっからどう見てもシラエアの……いや……? 少し違ったか……?」

「どうしましたか?」


 男の挙動がどうにも読めない。難しげな顔をしたかと思えば、無遠慮にわたしを指さしては笑顔を見せ、次に瞬間にはうんうんと悩んだ表情を作る。

 わたしの背後に立つコルネリウスは、わたしの小腹をつつき「もういい加減に行こうぜ。いかにもスラムに居そうって感じじゃねえか」と声をひそめてささやいた。


 ちらとビヨンをうかがえば、彼女は会話に興味はないらしく、杖の先から流水を生み、汚れきった小型犬を洗っていた。小型犬――アリスは話に聞く限りでは『白雪のように真っ白な毛色』という話だったので、子供が練り固めた泥団子のような風貌に変わり果ててしまったこの犬を手渡しても、そうそう受け入れてもらえないかもしれず、洗うというのは良いアイデアだった。


「……勘違いだったみてえだな。いや、すまん! 珍しいもんを見たなと思って懐かしくなっちまったんだ。詮索して悪かったな」

「いえ、謝らないでください。東の剣聖を連想させるような動きを僕が出来ていたなら、それは嬉しいことなので」


「ガンくれると思えばお次は調子のいいこと言いやがって。変なガキだな、はっ。ってこたあ、お前のそれは我流の剣か」

「故郷の父から教わりました。腰溜めからの抜剣や立ち回りは父のものです」

「〝悪竜殺し〟のニルヴァルドに剣を? へへ、笑えんな、それ」


 はっとした。わたしが受付カウンターの女に言い放った誤魔化しを彼は知っている。内心に疑っていたが、男が冒険者か運営の者かはともかくとして、ギルドに関わる人間であることははっきりした。だからといって安心を得る強い材料にはなりはしないが、心中での警戒は和らいだものに変わる。精々『やたらと馴れ馴れしい、見知らぬ他人に対応する』ようなレベルのものだが。


 さて、彼の言葉にどう答えたものか、わたしは口をつぐんだ。

 父フレデリックは決して自分の名を出すなといった。息子の身に面倒が降りかからない為の父なりのせめてもの措置だろう。ならばこそ、わたしはこの場においてもその名を口にするわけにはいかない。

 

「……そうです。ニルヴァルドに直々に。なかなか箔がついた新人でしょう?」

「違えねえ。おれが聞きたかったのはそんだけだ。気になったことをそのままにしとくと、小骨が喉に残ってるみたいで気持ち悪いだろ? そういうことさ」


 なるほど、と短く返すが今一つ実感が湧かず、愛想笑いをする。


「じゃ、おれは行くぜ。ワン公は確かに渡したからな。寄り道しねえでカサマールの屋敷にまっすぐ行けよ!」

「ありがとうございました。では、ご縁があればまた」


 踵を返して立ち去る男の背を見送ると、


「結局名前も言わねえ変な兄ちゃんだったな」

「スラムにはいろんな薬を売ってるらしいから」

「コールくん、買っちゃだめだよ」 白色の毛を取り戻し、すっかり上等なペットらしい姿に戻った犬を撫でながらにビヨンが言う。

「なんで俺だよ!? それよか相棒、〝悪竜殺し〟のニルヴァルド直伝の剣ってのは……なんつうか……」


 話を盛りすぎだろう、と言うのだろうか。わたしは身構え、冗談だよと返す準備を心の中でするとコルネリウスは実に良い笑顔で、


「最高だな! 期待のルーキー、現るって感じだぜ。こりゃ取材のひとつもあるかも知れねえぞ。いいねえ」

「……あ、そう。だ、だよねえ!」


 剣聖のそれと見間違えた、などとある種のおだてを受け、舞い上がっていたわたしは珍しくも親しきコルネリウスとハイタッチを叩くのだった。


「……ほんっと子供。単純だよねえ。ね、ワンコ?」


 ワフッ!

 

………………

…………

……


 薄笑いの男は久方ぶりにひどく上機嫌だった。上等の酒を飲んだとしてもこれだけの幸福感はまず得られないだろう。

 知己の男の息子との出会いというのはそれほどに心が躍るものなのだ。

 指をぱちりぱちりと弾き、時折に民家の窓を拳で殴りつけながらに男は鼻歌を歌う。

 

「フレデリックよぉ、なにを名前を隠してやがんだよ。息子につまんねえウソまで口にさせやがって、相変わらず思い切りの無い男をしてんな」


 にやついた笑いが一層深まり、男がくつくつと笑う。

 

「楽しくなってきたぜ、おいおいおいおい……ユリウス、ユリウス・フォンクラッドね。休日出勤もたまにゃ悪くねえな。期待してんぜ、〝悪竜殺し〟のせがれよ」


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