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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
三章『広がる青』
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038 ユリウスの剣技

 結局のところ、水色の髪をしたメイドは玄関まで丁寧に見送ってくれた。富裕街に足を踏み入れるには、少々汚れすぎている身なりのわたしたちに対して彼女は恭しくもその頭を下げ、「どうかアリス様をよろしくお願いします」と願ったのだ。

 

 飼い主の反応は相当に過剰なものに思えたが、アリスという犬はそれほどに愛くるしいのだろうか。金貨十枚という、わたしたちが受注を出来る、Eランクの依頼にはあるまじき破格の報酬に目がくらんでいたわたしは、自身の目が覚める思いだった。

 

「さて。広場に戻るか?」

「そうだね。中央広場に戻り、聞き込みをしながら平民街を目指そう」

「ティアラを被ってる犬なんてそうそう居ないよね。すぐに情報が集まるよ」

「ビヨンの言うとおり。さ、行こう」


 噴水の噴き上がる中央広場へ足を運び、商人や道行く子供、人の良さそうな顔をした憲兵や住民たちに話を聞くと情報は思ったよりも素早く、軽々と集まった。



・証言その一、昼間から酒をあおる男。


「犬ならスラム街の酒場の前で見たよ」

「ありがとうございます。いつ頃のことですか?」

「今朝だな。もう五時間は前だから、もう動いてることだろうよ」


・証言その二、肉屋と値切りの攻防を繰り広げる主婦。


「そういえば今朝に汚れた犬がうちの軒先をうろついてたねえ。ゴミ箱を引っかいている辺り、お腹を減らしてたのかね」

「なにか特徴はありませんでしたか?」

「んん……頭に飾り物があったかな。イタズラされたのかと思って気にとめなかったけどさ」

「ありがとうございます」


・証言その三、チャンバラをして友達と遊ぶ、どこか懐かしい子供。


「ぼくね! 大きな犬にマウントを取られて鳴いてる犬を見たよ! やっぱり大きいのは強いんだね!」

「坊や、それは多分、じっと見ちゃいけないやつだよ」 ビヨンが穏やかに言う。

「なんで? ねえ、なんでなんでなんで? なんで見ちゃいけないの?」

「なんでって……コールくん、お願い」


「任せろ。いいかガキ共、それはな、男と女が(相応しくない表現)のために(相応しくない表現)を(相応しくない表現)で……」

「ふんっ! 黙れ! ポンコツ!」

「ヴッ」

「兄ちゃんが一発で死んだ……姉ちゃん、強いな……」


・証言その四、遅い昼食をとる商人の男。


「ティアラを着けた犬? ああ、それなら今さっき見たよ」

「本当ですか! その犬はどこへ?」

「昼飯を買った店……あの角に弁当屋が見えるだろ? 奥には路地があるんだが、そっちの方へとぼとぼと歩いていったよ。可哀想に、捨て犬なんだろうな」

「間違いない、それだ。お話をしてくださってありがとうございます」

「いやあ、いいんだ。兄ちゃんたちは犬を追うつもりかい?」

「ええ。そのつもりです」

「そうかい。あの路地はスラム街に続いていて……その、治安が悪いんだ。散らかりっぱなしの木箱の陰で病人やら中毒者が座り込んでいたり、独り言を言いながら暴れていたりで危なっかしい。気を付けることだね」

「なるほど……ご忠告感謝します。それでは」



 商人に礼を告げるや否やに、わたしたちは駆けだしていた。商人が指で示した弁当屋は既に視界内にあり、その先にあるという裏路地まではあっという間にたどり着く。


「別れるか?」

「街の中なら危険も無いと思う。路地裏に入ったらすぐに分散しよう」

「了解!」


 と、威勢良く意見を交わしたものの、実際にはその必要は無かった。

 街の角を曲がり、スラム街へと続くという暗ったい道に目を凝らすと視界の中で何かが動いた。汚れたモップ、いや、毛玉か。毛玉はキャンキャンと喚き、頭には汚れてはいるものの何かしらの飾りがあり……あれは……、


「犬だ!」

「ここに居やがったか、犬畜生がぁ!」


 わたしと誰かが声をあげるのはほとんど同時のことだった。

 声の主はわたしの真横に立っており、何かおかしなものを見る顔でわたしを見下ろしている。


 汚れて暗くなった顔に濃いあごヒゲ。率直に言って悪い人相である。わたしの知り合いの中にこんな男は居ない。


「相棒、こいつら知り合いか?」

「こいつ()?」


 怪しげな男の後ろには十名ほどの人間が集まっていた。全員が覆面を被っていて、その顔立ちと表情はまるでうかがえない。ただ、それぞれが短剣や剣や斧を手に握っているのを見るに、まともな職業の人間ではないことはすぐに知れた。日の目を見るような明るい仕事ではないだろう。


「テメエらも宝石を狙ってんのか?」 目の前の悪漢が出し抜けに言う。

「宝石? 僕たちの狙いは犬です」

「とぼけやがって……おい! 仕事はオレらの組だけだったはずだよなあ!?」


 男が何を口にしているかは分からないが、漂う空気は不穏そのものだ。男の問いに対し、背後に控える覆面連中が「同業者は他に居なかったはずです、ボス」と口にする。


「ってこたあ冒険者か? っは! 見たとこ、街の事情も知らねえルーキーだろ? 悪いこた言わねえからさっさと帰んな。邪魔するとマジで殺すぜ」

「邪魔してんのはあんたらだろ、おっさん」

「あん……!?」


 コルネリウスが一歩を踏みだし、槍を片手に握りしめながらに低い声音で凄む。


「こっちも仕事で来てんだ。痛い目見るのはそっちだっつってんだよ。死にたくなかったら回れ右して酒場にでも行きやがれ」

「威勢がいいじゃねえか……ガキィ」


 悪漢の背後のアブナイ連中がぞろりと動く。それぞれが重心を変え、臨戦態勢に移ったことが分かる。続けて。どうやら覗き見をしていたらしい、通りの住人らが戸口や窓をバタバタと騒々しく閉める。


「止めないの、ビヨン?」

「今のコールくんは本気の顔でしょ。戦いたくってウズウズしてんのが分かるもん。うちじゃ止めらんない……好きにやらせて解消させよ」

「よく分かってんじゃねえか! さすが幼なじみだぜ。相棒、どうする!」


 手綱から自由になる瞬間を今か今かと待ちわびる犬のような表情だ。目は爛々と輝いており、戦いの渦に飛び込みたくてそわそわとしている。だが、わたしたちは悪党の退治を依頼されたわけではない。


「……仕事が最優先だよ。足の速いコールは犬を追う、ビヨンは援護しながらコールを助けてあげて」

「了解だ、お前は?」

「僕はここだ。ひとりでいいよ」


 腰の鞘から剣を引き抜き、背負った丸盾を取り出し、内側のベルトを左腕で力強く握る。切っ先を向けられた悪漢らが「おお、サマになってんじゃねえかあ!」と軽口で冷やかすが、わたしのプライドも自信も何一つとして揺るぎはしない。

 

「死にたがりかぁ? 未成年が一人でこんなとこに来ちゃいけねえんだぜ?」

「格好つけてえ年頃なんだよなあ、分かるぜ。けどなあ、邪魔なんだわ。死んでくれ」

「二人とも、先に行ってて。すぐに追いつくから」


 コルネリウスとビヨンの二人が犬を追って駆け出したのを見送り、わたしはスラム街へと続く道を自らの体でもって阻んだ。

 胸の前で指先で小さく円を描き、拳でぎゅっと握る。父がわたしに教えた戦いの前の所作。勇気の灯火だ。

 

「無駄話をする時間はないでしょう。手早く済ませたい。お一人ずつでも、多数でも、お好きな方をどうぞ」


 薄ら笑いの悪漢連中の表情が変わった。彼らにも一端のプライドがあったらしい。例えそれがドブの(にお)いがするものであったとしても。

 

「ガキが! 舐めんじゃねえよ!」


 ありふれた言葉を叫び、三人の男がわたしへと向けて一気に襲い掛かる。


 剣による刺突が繰り出され、その切っ先がわたしの胸を狙う。


 が、遅い。


 傾斜をつけた盾の表面を攻撃の軌道に置き、受け流す。

 鉄が盾の表面を流れ、独特のザリザリとした感触が左腕に伝わった。

 覆面のせいで顔全体は見えないが、スリットからかろうじて覗く目元だけでも相手が驚いていることは分かった。

 

 すれ違いざまに盾で相手の体を押す。刺突に全体重を傾けていた悪漢の体勢が崩れ、無様に尻もちをつく。余裕があるならば、ここで相手の腱を断ち切っておきたかったが今回は一対多数の戦いであり、脅威の群れは殺到している。


「……仕方なし」


 倒れ込む相手の側頭部を盾の表面で思い切りに打ち据え、わたしは次なる攻撃へと向き直った。

 

 上段から振りかぶられる斧。昔に相対したミノタウロスの戦斧とはまるで別物に見えるほどに覇気が無い。これもまた遅い。

 半身を逸らして回避。同時に相手の喉元を剣の柄で思い切りに突き上げる。喉仏を正確に突いた一撃は相手を嗚咽させ、その場にうずくまらせるに十分なものだ。

 

 続けて短剣の使い手が駆け走る。相手は戦局を見る目があるらしく、仲間が倒れ込む隙を突き、わたしとの距離を詰めていた。

 剣を引くフェイントを入れると、攻撃が来ると勝手に勘違いをした相手が跳ぶ。細い通路の壁面を蹴りつけ、攪乱をしようと試みているのだろうか。三度ほど左右に跳び、ここぞのタイミングで短剣で切りつけようと飛びかかってきた。

 

 この場合の対処は簡単だ。盾を胸の前に掲げ、思い切りに前へと押し出せば、空中で無防備な相手にぶち当たり、その体勢は無様なまでに崩れる。


「ウソだろ!?」 相手が目を丸くして叫ぶ。


 ウソだと思いたいのはわたしの方だ。彼らの動きは素人そのものであり、父フレデリックに稽古をつけられていたわたしには、この十数名の悪漢連中の動きは止まったように見えているのだから。

 正直に言って、ぬるい(・・・)

 彼らにこの商売から足を洗い、真っ当な職に就くよう薦めたくなるほどに。

 

「くそがあ! 舐めやがって、次だ! 次のやつ行け!」

「『舐めやがって』はさっきも聞きましたよ」


 足元に転がっている三名の悪漢の急所を容赦なく切りつける。仕掛けてきたのは相手方であり、弱いとはいえ、起き上がられると面倒なことは確かなので行動不能に陥らせるのが確かな安全策だ。

 悲鳴を上げ、血を噴きあげる手首や足首を必死におさえる悪漢はしばらく動けないだろう。彼らにはもう何の興味も無く、失血で気絶をしようが構わなかった。

 

 連中の斧がわたしに襲い来る。随分腰が引けた攻撃だ。前ステップで懐に飛び込み、両腿を深く切り裂くと相手はその場でうずくまり、苦悶の声をあげた。

 

「次」


 連中の曲剣がわたしの足元に切りかかる。低姿勢の相手の顔面を膝で蹴りつけ、怯んだ隙に額を切り裂くと相手はもんどりを打って転がった。


「……次」


 連中の槍が遠間から鋭い刺突でわたしを狙う。とっさに構えた盾で刺突の軌道を逸らし、右手に握っていた剣を上へ放り投げる。

 自由になった右手で槍の柄を掴み、力任せに引き寄せるとあっけに取られた相手が前のめりに倒れ、わたしの前に現れた。

 重力に任せて落ちてきた剣をキャッチし、喉元を一閃。こうなれば相手が再起不能に陥ることをわたしはよく知っている。

 

 残りは……七人。すぐさまに片付けてコルネリウスらの後を追おう。そう思った矢先、何か鋭い影がわたしの左手を襲った。

 

「……矢? 弓手は居なかったと思ったけど……見落としなんて、父さんに怒られるな」


 黒い太矢が左腕に握った丸盾を貫き、真横の民家の壁面へと文字通りにわたしを釘づけにした。握り込んだベルトから手を離すと、直前まで拳があった場所へと二発目の矢が打ち込まれる。

 盾の守りを失ったわたしを悪漢連中が下卑た笑みで見る。まるで形勢が逆転し、勝利の女神が自分たちに微笑んだと確信をしているように。

 

「調子こいてくれてんじゃねえぞ……へへ、テメエはこれで終わりだ! おい! 上の連中は先に行ったガキ共を追え、殺しても構わねえ! 犬が最優先だ!」

「あいよぉ!」


 二人分の足音が民家の屋根を駆け走る。

 コルネリウスたちが素人同然の人間を相手に後れを取ることは無いだろうが、犬を捕らえるのには随分と難儀をしそうな具合だ。雑魚を蹴散らし、応援に駆け付けるべきだろう。

 

 わたしは悪漢へ向き直り、剣を構えると守勢から攻勢へと転じた。

 駆け走ると同時。剣を腰に溜め、居合と同様のモーションで横一閃に振り薙ぐ。

瞬影剣しゅんえいけん>、わたしが初めて教わった技であり、最も得意とする、鋭く速い剣技。腹部を切り裂かれた悪漢が悲鳴を上げるが、わたしは意に介さない。


 返す刃で二人目の脚を切りつけ、崩れ落ちる男の体を空いた左手で掴み、体の側面を守る即席の肉盾へ変える。

 すると肉盾が間髪を置かずに悲痛な叫びをあげる。

 

「どうしました?」

「ああああ、胸が! いてえ、あああっ! くそっ! 死んじまう!」

「あらら……」


 横目で様子をうかがうと、槍を握った悪漢が繰り出した攻撃に胸を刺し貫かれていた。意識はあるようだが、彼の運命がこの先どう転ぶかは分からない。生存に賭けるのは勝ち目が薄そうだが。

 

「な、てめ! 人を盾にするなんて、人間のやることじゃ……」

「先に手を出したのはそちらでしょう。人でなしはあなたです」


 斬り、防ぎ、再び裂く。

 五年間、父とコルネリウスと共に磨いたわたしの剣の冴えは、息を巻き、口先だけは達者な悪漢などまるで敵にならないほどに昇華をされていた。


 弱者を嬲るようで気が滅入ることもあるが、わたしはこれを自己防衛の範疇だと認識をしていた。この連中は闇の世界で生きる人間であり、害したところで悲しむ人間はそう多くない。

 特定の人間が死に、他人が喜ぶ例は大いにあるのだ。

 

 五年前、アーデルロールらを守る為に剣を振るった、小さな洞窟での戦い。

 二匹の小鬼(ゴブリン)をこの手で葬った時より、わたしは自身の中に非情の冷たさが芽生えているのを実感していた。

 ビヨンやコルネリウスの二人と行動をしている時には決して見せはしないが、こうして単独で戦闘に臨む場合には、わたしは容赦なく相手の命を奪える覚悟がある。動物でも魔物でも、例え人であっても一切の別はない。

 

 わたしがそう考え到った時には、わたしの剣の先端はグループのまとめ役であったらしい、ヒゲ面の男の首筋に突き立っていた。


 死する寸前、男は恨めしげな目でわたしを見つめていたが何も恐ろしくはない。

 東方では恨みをもって死んだ人間が枕元に立つという話があるようだが、出れるものなら出てみるがいい。わたしはそういった与太話を本音のところで信用はしないのだ。霊などいない。

 

「呆気ないな。父さんと比べると雑魚ばかりだ」


 傷口を押さえ、嗚咽をあげながらに転がる男の覆面を引っ張り奪い、剣の血を丁寧に拭うと自身の鞘にすらりと納めた。


「うーん……憲兵が来るのは時間の問題かな、犬捜しをさっさと終わらせよう」


 血だまりの中に沈んだ盾を拾い、裏面のベルトを左腕で強く握る。

 戦いの結果、わたしの足元には十人近くの男たちが倒れており、何人かの呻き声が耳に聞こえた。

 追われては面倒だし、とどめを刺していくか? 束の間立ち止まり、判断に迷ったが、今回の戦いの目的は追っ手の足止めであると自分に言い聞かせた。腱を切られた以上は走れはしないだろう。十分な成果だ。

 

「今後の課題は見落としをしないことか。不意打ちで盾を無くすのは避けよう」


 血だまりに倒れた男たちを見下ろし、実に事務的な言葉をぽつりと口にすると、わたしはスラム街へと続く路地裏へ駆けだした。


 


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