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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
三章『広がる青』
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037 カサマールの犬


「地図によりゃあ、犬好きの依頼主の家はこの辺りみてえだな」


 手渡された地図を頼りにして市街を練り歩き、大道芸人や商人らで賑わう中央広場を越えた先に広がる富裕街に、わたしたち三人は辿り着いていた。


 富を有する者と平民とでは行政の扱いも明確に違うらしく、富裕街の各所には鎧を着こんだ憲兵が立っており、場にそぐわないであろうみすぼらしい出で立ちの人間らを冷たい視線で見まわし、ないしは監視をしていた。

 この場合の『みすぼらしい人間』にはわたしたちも含まれる。


 地図を片手に徘徊をするわたしたち三人は不審者以外の何者でもなく、暇をもて余したのか使命感に背を押されたのかした憲兵に一度注意をされ、身分の証明を求められた時には冒険者免許と依頼の証明書を見せることになった。


 見せて減るものでもないが、信用されていない身分というのは落ち着きが悪い。

 拠点を定め、土地に貢献をする形で活動をする冒険者は地元の人間に信用を置かれるらしいが、わたしたちにはまだまだ先の長い話だろう。


 高級住宅街を歩きながらにコルネリウスがうなる。彼は度々地図を上下逆さまに見るクセがあったが、今回は問題無かった。

 

「一軒一軒がデカいし広すぎる! この中からどうやって見つけろってんだ?」

「うーん……あ、もしかしてあれじゃないかな? うん、絶対にそうだよ」


 ビヨンの示した指の先には随分と背の高いフェンスが長々と広がり、整備の行き届いた広大な庭園では何かしらの獣たちが好き勝手に走り回っていた。

 ワンワンと特徴的な吼え声。上機嫌そうに尻尾を左右にブンブンと振る仕草。目を凝らさずとも分かる、あれらは犬である。

 

「確かにここっぽいな」 コルネリウスがニヤリとして言う。

「あの生垣見てよ。一軒家ぐらいの大きさの犬の形に刈りこんである」


 間違いない。ここが件の犬好きにして富豪である<カサマール家>の屋敷だ。

 大仰な黒塗りの門前に立ち、ベルを鳴らすとすぐさまに人が駆け走る音が聞こえた。その人物は水色の髪をポニーテールの形に結わえた女性であり、白と黒を基調とした衣服を見るにメイドの身分らしい。

 彼女はわたしたち三人をビヨン、コルネリウス、わたしの順に見回し、

 

「何か御用ですか?」 と、訝しげな顔のままにそう言った。

「冒険者ギルドから参りました。こちらの用件で……」


 返答をしつつ、わたしはポケットから依頼証明書を取り出した。メイドはよほど疑り深い性格の持ち主らしく、証明書とわたしの青い瞳を交互に見ると「しばらくお待ちください」と言い残し、犬たちが縦横無尽に駆け走る庭園の向こうに見える屋敷の方へ向けて、駆け足で去っていった。

 

「大丈夫かな?」

「成り行きに任せるしかないよ」

「帰れ、なんて言われたら落ち込むぜ俺は。それか犬に紛れて芝生で寝る」

「コールくんなら仲間として歓迎されそうだね」


 すると、足元で「わふっ!」という大きな声がした。視線を下向けると金色の毛色をした大型の犬が行儀も良く座っている。媚びた目でこちらを見上げる犬の意図は分かっている。ずばり『遊んで!』だ。

 

「どうした~、お前? 遊びたいのか?」 膝立ちになったビヨンが甘い声で言う。

「遊びたいのはビヨン、お前だろ」

「しっ! 余計なことを言うとまたつま先を潰されるよ」


 望みの通りに構ってもらえそうで気分が高揚したのか、犬はその場に仰向けになり、見ず知らずのわたしたちに向けて腹を晒した。

 メイドが戻ってくるまでのあいだ、これといってやることも無く、手持ち無沙汰であるところのわたしたちは、豊かな毛量を誇る犬の腹やら頭を好き勝手に撫で回した。

 釣り上げられたばかりの魚のように激しく振られる尻尾を見つめること五分あまり。

 

「お、おまたせ、しま、ぜっ、ぜえ……した……」


 駆け戻ってきたメイドが息を切らしたままに、わたしたちを門内へと招き入れた。話に聞いていた『カタブツ執事』の姿は見えず、代わりに見えるのは自由気ままに生を謳歌する無数の犬たちの姿。

 

「このメイド大丈夫かよ? めっちゃビクビクしてるぜ」

「この家では人よりも犬の方が重要視されてるって話だったでしょ。犬が不機嫌になったらまずいんじゃないの? ……うちの勘だけどね」

「はーん……当たった試しが無いものに頼るのはやめとけよ、ビヨン」

「その言葉、そっくりそのまま返させていただきます~」

「……まあまあ」


 門前で遊んでいた犬を引きつれて庭園を歩く。最初は一匹だったはずが、屋敷の玄関前に辿り着いたころには十数匹の大所帯になっており、わたしたちと犬たちとを引き剥がすのにメイドは随分と苦心をしていた。

 

「彼らの今日のエリアはお庭なんです。屋敷の中にはまた別の犬様がおりまして。さ、我が主はこちらです。私の後ろに付いてきてください」


 金色の犬の像。犬専用の食堂。犬専用の居室。

 屋敷の中は右も左も犬に関連した物で埋め尽くされていた。

 わたしは犬を苦手としているわけではないが、さすがにこうまで一色で埋め尽くされているとげんなりとしてくる。

 

「主はこちらです」


 メイドが立ち止まったのは犬の横顔を象った悪趣味な大きな扉の前でのことだった。

 コルネリウスが「やべえセンスだな」と小声で言うので、彼はビヨンに再びつまさきを踏みつぶされ、痛みをかみ殺す羽目になった。

 

「サーラミン様、冒険者の方々がいらっしゃいました」

「お(はい)んなさい」 扉の向こうでワンワンギャンギャンとやかましい声。

「……失礼します」

 

 メイドが恐る恐るに開いた扉の内部は広く、小さなパーティであれば易々と催せそうなものであった。

 中にはやはりというべきか、無数の犬と彼らが使う玩具が散らかっており、人間用の椅子の上では大きな犬が丸まって眠りこけていた。その様たるやまさしく毛玉である。

 

「待ってたわよお、あんたたち。今回はありがとうねえ」


 依頼者であるサーラミン・カサマール嬢(わたしなりの失礼の無い呼称だ)の第一印象は、はっきりといって海獣と見間違えるような巨躯であった。

 部屋の最奥に鎮座するソファの上に彼女は深々と座っていて、彼女のふくよかな体型はその裕福な暮らしを容易に想像が出来るものである。太い指を飾る金の指輪をさすりながらに、サーラミン嬢が言う。

 

「ワンちゃんたち、可愛いでしょお?」


 楽器のように太い声だ。わたしは好印象な愛想を浮かべるよう、口元と目の端に精一杯に力を入れる。

 依頼者との顔合わせではわたしが対応をするのが、わたしたちのパーティの一連の流れだ。

 

「ええ、とても可愛らしい。飼い主の方の愛情に包まれて、彼らも幸せでしょう」

「そうなのよぉ。あなた、見る目があるわねえ」

「ありがとうございます」


 後ろで小さな悲鳴が聞こえた。目の端でうかがうとビヨンの杖の底がコルネリウスのつま先を正確に潰しており、彼が苦悶の顏を浮かべて痛みに耐えていた。

 おおかた『幸せじゃなくてあんたの肉で包まれてるんだろ』だとか、『ちょっと獣臭くないか』と空気の読めない発言をしたのだろう。ビヨンの(しつけ)ないし、調教は着実に実行へと移されている。

 

「今回の依頼は……」 依頼書の内容を脳裏に思い浮かべ、確かめる。

「カサマール様の大事なご家族(・・・)の捜索であるとうかがいましたが」

「そうなの……ぞうなのよおおおおおぉぉおおぉお! ヴぉおおおおぉぉ!」

「っ!?」


 肉塊……失礼、サーラミン嬢がふとましい両腕を動かし、手近な犬を引っ掴み、抱き寄せるとその顏を犬の横腹に埋め、野太い声で轟然と泣きだしたではないか。

 あまりの声量に部屋が震えるようだった。犬たちはキャンキャンと鳴き、落ち着きがなさそうに辺りをグルグルと回っている。


 ハンカチ代わりにされている犬のしかめっ面と言ったらない。憮然とした面持ちでこちらを見る犬の顏は『そこな人間よ、どうか助けてくれ』と乞うものであり、わたしは依頼主が泣き声をあげている隙に、声にこそ出さなかったがささやかな笑みを浮かべた。

 

「あだじの、あだじのアリズぢゃんがあああぁあぁ!」

「失礼いたします。サーラミン様はこう仰っておられるのです」


 気付けばわたしのすぐ傍に、すらりとした長身の執事が立っていた。彼は例えるならば針金のような男でいて、神経質そうな顔は他者の意見を容易に聞き入れない性格の持ち主に見えた。彼が噂の『カタブツ執事』だろう。

 

「『私が最も愛してやまないアリスが一人で屋敷を離れ、頼れる者のいない外の世界で風雨に曝されていると思うと心配で夜も眠れない。ああ、誰ぞ、アリスを連れて帰ってきておくれ』ということです」

「は、はあ……」


 通訳(・・)をありがとうございます。とは無礼に当たるだろうと思い、わたしは短く「ありがとうございます」とだけ口にした。

 

「そのアリスという犬を連れ戻すのが依頼ですね。特徴はありますか?」

「アリス様は毛並の美しい、真っ白な体をしていらっしゃいます。大きさは小型犬。最も特徴的なのは、その美しさを引き立てる黄金色のティアラにございます」


「ティアラ? アクセサリーをつけているのですか?」

「いかにも。アリス様はご自身の瞳の色とそっくりの、美しいエメラルドグリーンに飾られたティアラをお召しになっております。魔法の類で取り付けておりますので、決して外れることはありません。もし、アリス様をお見かけになったらば、あの輝かしいティアラをもって、すぐさまに彼女だとお分かりになることでしょう」


 やはり金持ちの趣味というのはどうにも分からない。恐らくわたしたち三人の身の周りの品を合計した金額よりも、大きく値が張るであろうティアラを身に着けた犬の姿を思い浮かべた。なるほど、よく目立ちそうだ。

 

「失踪から二日が経っております。お早い発見を、どうかよろしくお願いします」

「それはもちろん。目撃証言などがあれば参考になるのですが」

「富裕街での目撃証言はありません。噂によれば、南部の平民街でアクセサリーを身に着けた犬が居たと……。しかし、その犬は随分と薄汚れていたそうですから。まさかアリス様に限って、みっともなく汚れるとは思えません」


 犬は宙に浮いているわけではないのだから、地べたを歩き、水たまりを通り過ぎれば汚れもするだろう。

 彼らは犬を尊重するあまりに価値観が常人離れをしてしまったのだろうか? わたしはそれこそがお探しのアリスではありませんか、と口にせず、

 

「分かりました。情報、感謝致します。では、吉報をお待ちください」

「おぉぉおおぉぉぉ! アリズぢゃあああぁあんんんん!」


 メイドに導かれたわたしたちが部屋を出て、扉が閉じるまで犬たちの主であるサーラミン嬢の悲痛な叫びは止むことがなかった。

 

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