036 ウマい話
「これ全部依頼なのか? 故郷じゃ考えられない量だな」
「そうだよ。目を通すだけでも結構大変だったんだ」
学校の黒板二つ分の長さは優にある掲示板の表面には無数の依頼用紙がピン留めされており、条件の良い仕事を求める冒険者連中でボードの前は賑やかにごった返していた。
あるところでは威勢の良い若者が依頼書を手に取り、パーティの面々に意見を求めている。呆れた顏をされているのを見るに、身の丈に合わなかったりと微妙な内容だったのだろう。
肉をえぐるような大きな傷跡を顏に負った男が、依頼の受注を管理するカウンターに立つヒゲ面の男から、何かメモらしき物を受け取っているのが遠目に見えた。
目を凝らすと傷跡の男がこちらを振り返り、睨みを利かせたものだから、わたしは即座に自分のつま先に視線を落とした。
ここは盛り場であり、良いも悪いもが一緒くたに混ざり合っている。
一歩道を踏み外せばそこは日常を外れた裏の世界であり、言葉や行動には一層の気を払うべきだと改めて自覚をした。
わたしたちは団子になったままにボードの前へと寄り、随分と羽振りの良い額を記した依頼用紙を千切り、仲間へ向けた。
「これなんかどうかな?」
「『竜の死骸から鱗を集める』……やめとこうぜ、死肉喰いのヤバいやつが出るって噂を前に聞いた」
「うーん……じゃ、パスってことで。さて、どうしたもんかな……」
わたしがあごに指を添えて唸る一方、コルネリウスは親指をぐっと立て、太陽がごとくに輝かしい笑顔で言う。「いいアイデアを思い付いたぜ」、と。
「こういう時は探すより訊いた方が早いに決まってる。カウンターへ行こうぜ」
「え、ちょ、ちょ、人垣を無理矢理通るのは流石にまずいんじゃ! 怖いって!」
「こっちのが時間の節約だろ? 悪いね、通るぜ、すまんすまん、失礼」
コルネリウスは自慢の長身を人々の垣根に割り込ませ、何の障害があるものかとぐいぐいと前進していく。押し退けられた先輩方の、いかにも嫌そうな顔がわたしの心を突き刺し深くえぐる。わたしが後ろ手に握るビヨンの手などといったら、可哀想に、カタカタと震えていた。
しかしわたしたちのストレスなんて何のその。涼しい顔のままにカウンターに辿り着いたコルネリウスが、受付のガラスをカツカツと数回ノックする。
「よう、話があるんだが。ちょっといいか」
放る言葉は直球ど真ん中。答える声は気だるげな女の声音。
「いきなりなにぃ? 依頼内容で問題があったんなら、当事者同士でやんなさい」
「ちげえよ。何かウマい話が無いか訊きにきたんだ。一つや二つはあんだろ?」
「出し抜けに調子の良いことを言うわねえ。というかあんた誰よぉ?」
受付カウンターの中は煙にまみれていた……より正確に言うならば、煙しか無い。
わたしたちの対応をしている受付嬢は随分な愛煙家かつヘビースモーカーのようで、二言三言を交わしているこのあいだにもプカプカと新しい煙が湧きだしている。
紫煙は濃く、受付嬢の姿形はまるでうかがい知れない。わたしはどうしてか、雲の形をした魔物を脳裏に想像をしていた。
無性に興味をそそられたわたしは角度を時々に変えて見回した。が、受付嬢の姿はどうあっても見えはしない。わたしの不審な行動が見えたか伝わったのか、受付嬢が「ねえ、あんたさあ」と声をあげる。
「ど~~にも見覚えがあるわ、そのほがらかな顏。ちょっと、あんたじゃないわよ金髪のアホ面。あたしが言ってんのはそこの黒髪の坊や」
「僕ですか?」
「そうそう。ねえ、あんた昔、<ウィンドパリス>の剣術道場に居なかった? 東の剣聖、シラエア・クラースマンが気まぐれでやってた道場よ。確か……二十年ぐらい前かしらぁ?」
父のことだ。間違いない。
成長したわたしを見た妹のミリアや母は、父フレデリックにそっくりだと言っていたがまさか見ず知らずの他人にまで見間違いをされるとは。
旅立ちの直前、父はこう言っていた。
『旅の最中、俺の名前は極力出さない方がいい。特に連邦首都の辺りでは……何でかって? 説明が難しいんだが……簡単に言えば、刺客というか通り魔に狙われる可能性がある。相手は年食った婆さんなんだが、動きも剣の鋭さも正直人間離れしてる。死にたくなかったら父さんの名前を絶対に出すんじゃないぞ。それと、見間違いをされたら全力で否定することだ』
なるほど。父がどうしていつになく真剣に釘を差すのか不思議で仕方がなかったが、これで納得がいった。父はあれで顔が売れていたらしい。ならば言いつけに従い、わたしが口にする答えはただひとつ。
「人違いですよ。僕はまだ十五歳ですから」
「あらあ? そうなの……なら産まれてないわね。あの男だけ年食ってないってのはおかしい話かぁ。……父親の名前は?」
そう来るか。
フレデリック……〝悪竜殺し〟……思い浮かぶのは父に関連した名前ばかりだ。
さて、どうするかとわたしは思案に耽り、考えいたる。これしかない。
「父はニ……ニルヴァルドです」
はあ? と素っ頓狂な声。
「あんた、〝悪竜殺し〟が父親なのぉ? あらまあ。笑える、それ。あっはっは」
よほどウケたのか、笑いの息でタバコの煙がゆらゆらと大きく揺れる。ひとしきりを笑うとガラスの向こうで咳ばらいがひとつ聞こえ、
「冗談が面白かったからイイ話を教えてあげる。情報の鮮度は良好、しかもこれは表に張り出す予定の無い依頼」
「本当ですか?」
「ほんとほんと。ただ、いきなりカウンターに押し掛けるようなのはもうやめなさいよねぇ。もちっと名の知れた有名どころなら構わないけどさぁ」
「い、以後気をつけます……」
やったなおい、とコルネリウスが肘でわたしを小突く。君が反省するべきなのに、どうしてわたしが……。
「それで内容だけれどぉ。この<ドーリンの街>には金持ち連中が多いのね。昔からの貴族も居ればどっかで大金こしらえた奴が家を建てたり。あんたらこの街に来てどれぐらい? 一週間? なら、連中の豪邸は散々見たわよねぇ。あいつら、やたらと幅を利かせてるからめんどいったら……まあいいか。あの中に<カサマーラ家>って成金が居てね。これがもうひどい犬好きなのよ」
「犬好き、ですか?」
「とびきりのねぇ。メイドや執事は奴隷みたいに扱うっていうのに、犬は貴賓や愛娘のように手厚く扱ってるってんだから変な話よね。ウワサじゃ犬に賃金を出してるって話よ。『あたしを愛してくれてるから』ってさ。イカれてるわね」
「はあ……」
人間は人それぞれ。趣味嗜好もまた十人十色というやつだろう。
「それで依頼というのは」
「逃げたのよ」
「逃げた?」
耳に入れた情報を必死にメモに出力していたビヨンが顔をあげて聞き返した。
「そう、犬が逃げたの。それを捕まえろってハナシよぉ。報酬額は金貨十枚。銀貨換算で百枚ね。犬を捕まえるだけでこれ。どう? イイ話でしょ?」
「ペットの捕り物がどうしてそんな高額に……」
高額なアクセサリを身につけているのか、それとも財産の詰まった革袋をつり下げているのか。まさか、人間じゃあるまいし。
「いち早く捕まえてほしいんですって。金を積めば大勢が食いついて、数にものを言わせた人海戦術を取れるとでも思ってるんでしょうねぇ。だけどさあ、こっちは地位のある人間からの依頼は絶対にトチれないのよ。確実に成功させなきゃならないのよねえ。だから適当な連中は使えないし、腕があっても信用の無いヤツにも回せないのよ」
「それはそうでしょう。ですが、どうして無名の僕たちを?」
わたしの目の前には煙に満ちた窓があるばかりで、こうしていると人間を相手に話しているのか不安になってくる。まさか何かしらの魔法による再生音声ではなかろうか? カウンターのガラスの表面にそっと指先で触れると、煙の中から突然に吸い終えたタバコが突き出され、わたしの人差し指の腹とガラス越しに重なった。
「勘よ」
タバコの主が紫煙の中で言う。
「あんたらの目、今時珍しいぐらいにマジメって感じだわ。正確には黒髪くんの目がね。リーダーはあんたでしょ?」
「そういうことになっています」
「ふふん、犬を持ち逃げして依頼主に法外な値段をふっかけようとは夢にも思わない善良顔してるわぁ」
「そんなのはとんでもない考えですし、実行しようとも思いません。第一、ここに顔を出せなくなるのは避けたいですし」
「どころか免許剥奪よぉ。ま、心配は要らないけどさぁ」
「ふっかける……そうか……」
「ビヨン?」
帽子を目深にかぶった幼なじみがあくどい顔でぼそりと言う。
どうやらイルミナ・クラドリンの教育は、魔法の修得においては上等だが、道徳面では決して善くはないらしい。最低かも知れない。
「どう? イイ話でしょ」
「ああ、サイコーだね。俺らで請けられるならもっとイイ話だけどな」
コルネリウスの言葉に女が押し黙る。続けて聞こえた「スパッ」という音はタバコを吐く音だろう。
「んー……あんたらの免許証を一応見せて。あちゃあ、E級だったんかい。まー……無視でも……けど、あまりにも低い……が、しかし……」
受付嬢が細い声でぶつぶつと呟いている。どうやらまずい流れに思えた。
明るかった先行きに『不幸』という名の暗雲がにじみ出ている気がして、わたしたち三人はカウンターガラスに顔面を押しつける勢いで、ぐいと思い切りに身を乗り出した。
旅で学んだこと、その一。
情に訴えれば大概の場合は通る。
「お願いします。明日の飯を食べるお金も無いんです!」
「これ、本当の話な。っていってえ!」
「コールくんが浪費したんでしょ! すみません、どうかお願いします」
カウンターの向こうで上機嫌な笑い声が聞こえた。
「あーあーあー、分かったわよ。若いのにチャンスを回すのもギルドの仕事だしねぇ。はい、これがスタンプ押印済みの依頼書。こっちが依頼者の<カサマーラ家>の住所とギルドからの紹介状。屋敷のカタブツ執事はいやそうな顔をするだろうけど、こいつを鼻っ面に突きつければ通れるはずよ」
言葉と共にカウンターガラス下部のスリットから差し出されたのは、厚手の二枚の羊皮紙だった。一枚は『冒険者ギルド マールウィンド連邦ドーリン支部』と洒落た字体で始まる、今ではすっかり見慣れたギルド発行の依頼証明書。
依頼者と受領者の二者の名がそこには記されており、依頼の受領が完了したことの証明である。
もう一枚は<ドーリンの街>の手書きの地図だった。
街の輪郭はおよそ正確だ。円形状の中央広場を境にして、北部に富裕層、南部に平民から貧民の人々が住まう平民街が正しく描写をされている。
依頼者の<カサマーラ家>は受付嬢の説明通り、富裕層の住まう北部エリアに居を構えていた。けばけばしいピンクの色をしたキスマークのシール(手書きで『ここよ』と追記されていた)が貼られているポイントが目的地なのだろう。
シールひとつ取ってみて、この受付嬢と趣味がまるで合わないことはすぐさまに分かったが、わたしたちの無茶な要求の通りに上等な依頼を紹介してくれた温情に感謝し、各人が自分なりの礼を伝えるとわたしたちは雑踏に賑わう酒場を後にした。
………………
…………
……
「いきなりノックをかましてくるから、また頭おかしいやつかと思ったけど、いや~新人って可愛いもんね。ついサービスしちゃったわぁ」
「……失礼。あれがサービスですと? 私には死への招待状に見えましたが」
「ワンコロを捕まえるだけで相場の倍以上の報酬でしょ? ルーキーには身に余るようなサービスじゃない。死への招待状なんて、失礼なことを言いますね」
「ミーアさん……あなた、彼らに渡した依頼の調査書に目は通しましたか」
つい十分前までにユリウスらが立っていた受付カウンターにはカーテンが引かれていて、『ただいま休憩中』と下手くそな文字で書かれたボードが吊られている。
むせかえるほどに濃く満ちていたタバコの煙は、換気の気流に巻かれて排出をされており、過剰なまでに濃い化粧で着飾った受付嬢がいかにも退屈そうな面持ちで、椅子に体を預けていた。
「まだですけど……何か問題ありましたかぁ? 支部長」
「問題大ありです」
支部長と呼ばれた初老の男が、やれやれといった顏と共に深いため息を吐く。
脇に挟んだボードから数枚の羊皮紙を取り出し、厚化粧の受付嬢の机へと無造作に放り投げ、
「ミーアさん。それをご覧なさい」
「んなに怖い顔しなくても……って。あらあらあら。まぁまぁまぁ……。ゴロつきの犯罪集団も同じワンコロを狙ってるんですかぁ?」
もうすぐ休憩なのに、どうして上司に捕まるかなあ。気だるげな面持ちで調査書に目を滑らせる受付嬢だが、即座に目の色が真剣なものに変わる。
調査書には『多量の脅威あり』と筆されていて、およそ平和な内容とは到底言い難い依頼であることがすぐさまに分かった。
「名門<カサマール家>の令嬢からの直々の依頼がアッサリとしたものであるわけがないでしょう。これが駆け出しの冒険者に任せるような仕事では無いことはご理解いただけましたね?」
「強盗・殺人・人身売買・薬物精製……何ですか、こいつら? マトモじゃないですよね。何だって犬を狙うんですか?」
「<カサマール>から逃げ出した犬自体には価値はありません。問題は、その犬が身に着けているアクセサリーなのですよ」
「アクセサリー?」
「かの令嬢の悪趣味な……失礼。少々変わった趣味により、逃げ出した犬の頭にはティアラが飾られています。そのティアラに嵌められた美しいエメラルドグリーンの宝玉、それこそが悪漢と背後で息をひそめる首謀者の狙いだと私は睨んでいます」
「ワンコロをそんなに着飾るってのは理解出来ないわねぇ。いくらのものなんです?」
「さあ……。私たちに価値をつけられるものではないでしょうが、私やあなたの生涯年収は遥かに上回るかと」
「あらあら……」
冒険者ギルドに勤める人間は決して薄給ではない。街の北部に暮らす富豪連中に比べれば確かに数段は落ちるが、生活にまるで不自由のない暮らしは出来ているのだ。
金銭にさしたる興味は無いらしい、支部長が咳払いをひとつし、
「富を有する者は更なる富を欲する。正体はまだ分かりませんが、宝石を手中に収めんと願う上客からの依頼である以上、雇われの犯罪集団は必死に仕事に取り掛かるでしょう。そんな中で先ほどの三人の若者と悪漢連中が鉢合わせ、一悶着があった末に若い命が路地裏で散ることは想像に難くないですね」
ミーアという名の受付嬢の顏が青ざめる。なにせ、彼女は自らの手でユリウスたちへ死へのチケットを渡してしまったようなものなのだ。
依頼の陰謀渦巻く内情などつゆと知らず、大金獲得の機会であると喜色満面の顏で出て行った三人の若者の笑顔が脳裏を素早くよぎる。
「対処は分かっていますね、ミーアさん?」
「はい。今すぐに」
整理整頓の字の欠片もない、雑然とした様相の本棚には分厚いバインダーがずらりと並んでいる。背表紙には《SOM》や《SSS》と記されたものから《E》のシールが適当に貼りつけられたものまでがあり、受付嬢の指が《S》のバインダーに引っ掛かる。
彼女が慣れた様子でバインダーを開くと、そこには冒険者登録時にギルドへ提出をする、登録申請書が大量に収められていた。
「すぐに動けるやつ、近くに居てすぐに動けるやつは~と~……」
申請書の束を素早くめくっていた指先が、一枚の申請書でぴたりと止まる。
顔写真には軽薄そうな面構えの男が写っており、細い目と三日月の形に歪んだ薄笑いの面持ちはどうにも信用がおけず、動物に例えるならば蛇のようである。
受付嬢ミーアが『まあまあ頑張ります』と適当な自己PRの書かれた申請書に指を添え、魔力を流して十数分。
証明写真に写っていた本人が汗みずくの顏をして、冒険者ギルドのカウンターに出頭を果たした。
………………
…………
……
「いき、なり、人を呼びつけるんじゃねえよ! ぜえっ、ぜっ……! 畜生!」
「仕事があんのよ」
再び紫煙に埋め尽くされたカウンター。聞き慣れた声に出し抜けに仕事を振られ、薄笑いを浮かべた男が「はあ?」と素っ頓狂な声をあげた。
「指名ってのは珍しいじゃねえか。けど、悪いな、おれにも用事があるんだわ。プライベートっつってもいい。今回は別のやつに振ってくれ」
「じゃ、説明するわね」
「人の話を聞けよ!」
男の叫びを意に介さず、煙にまみれた受付嬢が気だるげな声で言う。
「内容は犬捜しとその確保。<カサマール家>の犬おばさんは知ってるでしょ? 細かいことは彼女から聞いて。最中に妨害が入るだろうけど、あんたなら問題無いわよね」
「くそっ……当たり前だろ。他には?」
「同じ仕事を請けてるルーキーが居るからそれのお守りもお願い。〝悪竜殺し〟のニルヴァルドの息子を自称してる面白い子供よ。笑えるわよね」
「英雄に憧れる子供なんざ今時珍しくもねえ。注意はもう無いよな? ちゃちゃっと終わらせて休みに戻りてえんだ、おれは」
「そうね。じゃ、新人の(それとあたしの)ケツ拭き、頼んだわよ」
「ケツ拭きだあ!? なんだっておれが……」
細い目を出来る限りに見開き、不満を口にする男だったが、受付嬢のピシャリとした一言に阻まれる。
「ツケ、溜まってんでしょ」
「……ろくな死に方しねえからな……! 夜道に気をつけやがれよ!」




