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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
二章『忘れ得ぬ紅』
30/193

030 世界を変えうる力



「そのまま大人しく寝てろ」


 目覚めると同時に跳ね起きたわたしに掛けられた第一声は、大型の狼が唸るような恐ろしく低い声だった。

 上体を起こしたままで周囲をうかがう。


 白い窓枠、木製の衣装箪笥、空っぽの本棚に木組みの壁。開け放たれた窓から吹き込む風に風鈴が鳴る。もう夏は終わっているのにどうして出しているのだろう。仕舞い忘れかな。

 見覚えのない部屋だった。ログハウス然とした内装は、少なくともわたしの使用する子供部屋ではない。妹と同室のあの部屋はもっと雑然と散らかっている。


 ベッドの上にわたしは居た。そばには木目の丸テーブルがあり、テーブルと同様の猫足をした椅子には大きな男が腰を掛けている。

 男の巨大にすぎる体躯を支えきれないのだろう。いかにも高そうな背もたれは軋み、時折ぎしぎしと嫌な予感のする音を立てた。


 大男は壁のように広い背中をこちらへ向けたまま、「横になっていた方が身のためだぜ」と、父性を感じさせる強く深い声音のままに言った。

 

「あなたは……」


 大きく、たくましいこの背中には見覚えがあった。


「忘れちまったか? 薄情なやつだな」 茶化した声だ。自分で面白いのか、肩が揺れている。。

「忘れるわけがありません。……お久しぶりです、ギュスターヴさん」

「おう。何ヶ月振りかは覚えちゃいねえがな」


 こちらを振り向く偉丈夫は笑顔だった。

 狼のように誇り高く、強い野生を感じさせる顔立ち。

 ギュスターヴ・ウルリックが深い目の奥に輝く、気高い眼差しをこちらへと向けた。薄灰色の瞳がわたしを真っ直ぐに捉え、


「うちの王子と王女が世話になったな。わりいな、フレデリックとお前に任せることになっちまってよ。大変だったろ」

「いえ、そんなことは。コール……あの金髪の少年とビヨンという同郷の少女、それに妹や両親は随分と喜んでいましたよ。父さんは『新しい弟子が増えたし、俺もいっちょ前に師範でも名乗るかな』なんて言っていましたし」

「フレッドが師範だあ? ガァハハ、ムリだって。あいつは感覚で動くタイプだから言葉で教えるのに向いてねえよ。お前やアルル、金髪坊主とはたまたま相性が良かったのさ。街で剣術道場を開こうもんなら、すぐに潰れるぜ」


 言われてみれば稽古の時の父は言葉では何かを言うものの、自分でも何を伝えたいのかどうにも掴みかねている様子でいて、結局は『体で覚えろ!』と剣を振り回すのだった。

 ギュスターヴはそんな父フレデリックをよく知っているらしい。

 

「で、お前はどうだった? 振り回されたろ。楽しかったか?」

「はい、とても楽しかったです。かけがえのない時間を経験させていただきました」


 散々ボコにされた記憶がまざまざと蘇る。そういえばわたしもコルネリウスも、結局王女には勝てなかった。いや、コルネリウスはいい線をいっていたか。


「そりゃ何よりだ。第二王女は……アーデルロールはあの通りわがままだからよ。お前らとケンカばっかやって仲違いしちまうんじゃねえかと、旅先では親心ってわけじゃないが心配に思ってたんだ。けどま、心配する必要はなかったみてえだな。あいつがあんなに明るく笑ってるのは本当に久しぶりに見た」

 

 王女の自信にあふれた顏が脳裏に蘇る。わたしの前の彼女は常に太陽のような笑顔を浮かべていて、それは緋色の瞳と相まって大層似合っていた。そんな彼女の顏が曇るところを、わたしは少しも想像が出来なかった。


 ベッドのへりに腰を掛け、過ぎ去った夏の日々に想いを馳せた。

 あらためて思う。

 あの日々こそはまさに鮮烈で、色鮮やかな毎日であったと。

 

「ルヴェルタリアでのあいつら姉弟は孤独だ」


 しんみりとした口調で大男が口を利く。


「血縁は今じゃほとんど居ねえ。……色々あったんだ。祖父である現国王レオニダス陛下に父親の皇太子アルフレッド。それとアリシアム、アーデルロール、ヴィルヘルム。三人の姉弟だけになっちまった。勇者の血族がひどいもんだろ? だが、これがルヴェルタリア王族の現状だ。アルルらが王国に戻った時には『万が一に備えて』なんつう名目で、籠の鳥のように王都に半幽閉される。成人するまでは王都の城壁の外へは決して出れないだろうな」

 

 常々に溜めこんでいたものを吐き出すようにギュスターヴが語る。

 王子と王女の二人と親睦を深めた今、彼の独白とルヴェルタリアの事情は深く聞こえた。


「チビの頃からずっとそうだった。堅っ苦しい生活の中、アルルが心を向けていたのは勇者の伝説に古今東西の冒険や英雄の逸話。聖剣を継ぎ、玉座に座ることは決して出来ないと自覚をしてから、アルルは自分が強い騎士になり、国を守る剣と盾になることを将来の夢に据えたのさ」

 

 言ってギュスターヴがことり、とペンを置いた。

 まるで気が付かなかったが、彼は何か書き物をしていたらしい。

 

「あいつ、お前への態度がでたらめに悪かったよな? ぶは……いや、本当あそこまで突き放すことないだろと思ったんだがな。アルルが冒険譚が好きなのは話したろ? 中でも悪竜イグヴァラーン討伐の話がとりわけて大っ好きでな! 適当に仕立て上げられた架空の英雄じゃない、本当の〝悪竜殺し〟の存在を知ってからは、『いつか会いたい』『会ったら戦ってみたい』なんて口癖みたいに言ってたぜ。その上、あこがれのフレデリックの息子が自分と同い年なんて知った時はもう! ライバル心やら闘争心が砂漠の太陽みてえにぎらぎらと燃えてたぜ。それがお前ときたら、自分よりも弱く、しかもへたれてぼけーっとしていたもんだから頭に来ちまったんじゃねえかな」

 

 ギュスターヴが笑いながらに言う。

 へたれていたつもりもだらけていたつもりもわたしには無かったのだが、しかし、アーデルロール本人にはそう見えていたのだろう。

 出会った当初の彼女の刺々しい態度にもこれで幾分か納得がいった。

 あくまでも理性の面では、だが。


「色々言ったが、アルルはああ見えて悪い奴じゃない。血がのぼった頭も次の朝には冷えてたし、言い放っちまった自分の言葉を思い返してベッドの中で頭を抱えて悶えてたらしいぜ」

「どうして知っているんですか?」

「本人から聞いた」

「そ、そうですか……」

 

 初めて彼女の目を覗いた時のこと。

 中々打ち解けてくれなかった彼女の顏が思い起こされる。

 目の前に座る高名な戦士の言葉を聞き、そういえば、とわたしは大事なことに気が付いた。

 

「あの、僕以外の人はどこに? 友人と王女と一緒に居たはずなんです」

「二人ならとっくの昔に目を覚ましてる。……驚くなよ、三日も前にだ」


 彼の言葉を聞き、背筋におぞ気が走る。

 

「三日とは?」 わたしは震える右手を背中に隠し、訊いた。

「言葉の通りだ。ユリウス、お前は三日のあいだ意識不明だった。朝も夜もそのベッドでぐっすりさ」

「信じられない……。まさか、そんな」


「洞窟でぶっ倒れてたお前を俺が助けたんだぜ? どうやって見つけたのかってのは口外出来ねえが、俺のこの二本の腕で我が国の王女に金髪の坊主。それとお前の三人組を拾ったのは嘘偽りない事実だ。二人は洞窟を出た途端にけろりと目を覚ましたが、お前の方はだめだったな。横っ面を張ろうが水をぶっかけようが、しまいには電気を流したりもしたんだが目が覚めねえ。よくよく調べてみれば魔力の枯渇現象だった。放っとけば気付くんだろうとは思ったが、だからって野原に捨ててくわけにもいかず、仕方がないからここまで連れてきたってわけよ」


「家に運ぶのではまずかったのですか?」 わたしは訊いた。

「お前の家は……今は修羅場だ」 ギュスターヴが気まずそうに顏を背ける。

 

 その横顔にわたしは嫌な予感を感じたが、偉丈夫の彼がぽつぽつと語る言葉の端からフォンクラッドの家の惨状を察するのはあまりにも容易なことだった。



 まず、わたしたちを野草の洞窟へ向かうように促した店主の男は一切何も覚えていなかった。


 彼の供述によれば。

 自分はふと気が付くと店の会計台に立っていて、何が起こったのかと不思議がる自身の態度に、むしろ客の側が不審を覚えたという。実際医者に行くか行かないかで口論になったらしい。


 さて。陽が傾く時頃になっても子供らの姿が村のどこにも見えないことに、コルネリウスのたったひとりきりの母とわたしの家族の心配は段々と募っていった。両親らは人々の証言を集めると道具屋へと足を運び、何も知らぬ店主を強い威圧をもって問い詰めたのだ。

 

「王女の護衛の影……おっと、まあ居るんだよ。危険な目に遭わないようにぎろりと目を光らせてるヤツらが。そいつらはアルルの動向を掴んではいたんだが、洞窟をいくら歩いてもお前らのもとへは辿りつけなかったと報告にある。大して深くもねえ横穴だってのに、ヘボ共が言うにはまるで迷宮のように複雑怪奇だったらしいぜ」


 ギュスターヴはいつの間にかこちらに全身を向けていた。座っていてもなお彼の屈強な肉体は巨大に見え、野生の黒熊と正対しているような心境になる。

 彼は言う。そろそろ本題な、と。

 

「お前にいくつか質問がある。知りたいことを教えてやったんだから、礼は貰わねえとな? なに、難しいことじゃない。覚えてること、知ってることだけを話してくれ」


 いたわるようにも聞こえるがしかし、拒否を許さない口調だ。

 わたしは彼の態度とその言葉に対し、首を横に振ることが出来なかった。

 

「体に倦怠感は無いか?」 ひとつめの質問。

「腕や足が重いです。筋肉痛でしょうか、動かすと痛みます」

「気絶、目覚めの倦怠感、極度の疲労。これらは精神エネルギーを源とする魔力が底をついた時特有の症状だ。放っときゃ治る、心配すんな」


 続けてふたつめ。


「洞窟で妙なもんを目にしなかったか?」

「妙なもの……獣人を、ゴブリンとオークを見た……ような気がします。すみません、はっきりとは覚えていなくて。ただ、いえ、ゴブリンは確かに見ました。そうだ、人間味を見せるゴブリンを手にかけた。……僕は、殺しを……」

「連中は獣と変わらない蛮族だ。敵対者を殺したことを気にするのはこれ以上ない時間の無駄だぜ。他には?」

 

 わたしの心に射した暗い影と罪悪の感情を、彼は言葉で軽々と一蹴する。

 記憶を振り返ろうと意識する。すると当初は暗かった過去が徐々に鮮明になっていく。わたしは首の無い死体を見たことを思い出した。


「……間違いない。僕はやはりオークを確かに見ました。現われたと思えば、次の瞬間には死体になっていましたが……。ギュスターヴさんが倒したのですか?」

 

 あの場に屈強な剣士は誰も居なかった。

 獣人と相対することが出来たのは、わたしひとりだったはずだ。

 

「ノーコメントだ。もう無いか?」 彼は質問には答えてはくれない。

「あとは……影を見ました。不気味な影。洞窟の奥から真っ暗な夜を引きずるみたいにして現われて……。あれが近付くと、アーデルロールとコルネリウスは気絶するように眠った」


 左右に揺れながらゆっくりと、着実に歩み寄る影。

 影はその吐息がかかる距離にまで闇色の顏を近づけ、両の瞳に灯る二つの夕焼けの色をわたしにまざまざと見せつけた。

 

「影だぁ?」 眉根をあげてギュスターヴが繰り返した。

「とても不気味な影でした。異様な様子で、魔物とは違うような……。よく分かりません。でもあれの中に夕焼けの色を見ました。アーデルロール王女の瞳の色に似ていた気がします」


「……そうか。目に違和感は無いか? お前の目の話だ」


 そう言われて初めて、自分の目に違和感があることに気付く。


「目? そういえば……少しだけあるような。ずきずきと痛むこめかみの方が気になりますけど」

「分かった。ありがとよ、質問は終わりだ」


 言うとギュスターヴが椅子より立ち上がり、彼にとっては背の低い棚の一段を引くと、中から手鏡を取り出した。「ほらよ」とわたしへ向けて放り渡す。

 

「自分の目を見てみな、面白いことになってるぜ」


 彼の薦めに従い、シーツの上に落ちている手鏡を拾って自分の顏を覗いた。


 癖っ毛の黒髪はあちこちに跳ねている。

 顏は初めて認識をしたあの日よりも、少しだけ逞しくなっただろうか。

 傷だらけだろうと思っていた肌は何事も無いように綺麗だった。

 誰かがわたしへ向けて掛けてくれた回復魔法の効果だろう。


 鏡の中には父とそっくりの顏がある。

 けれど、ひとつだけ。瞳の色だけがいつもと違っていた。

 

「夕焼けの色……?」 わたしは驚きをそのまま口にした。

 

 自分の瞳が、鮮やかな青から夕焼けの赤へと交互に色を変えていく。

 明滅をする度に入れ替わる瞳の色は、鏡の表面に映る顏を眺めているあいだ、ずっと落ち着くことはなかった。

 

「そいつは〝紋章〟だ」


 食い入るように鏡に見入っているわたしに向けてギュスターヴが言う。


「〝紋章〟……? 聞いたことが無い。一体何ですか?」

「太古の遺産。強い力を持つ魔法の類。〝霧払い〟の時代よりも遙かに古代の技術で創造された呪いみたいなもんだって話だ。正確な由来は誰にも分からん。とにかくお前の目にはそいつが宿ったのさ。……〝紋章〟ってのは、今じゃあその数は決して多くない。人知れず継がれているか、歴史の闇に埋もれて消えていったか。オレは二百年以上は生きてるが、〝紋章〟の所有者は十と見ちゃいない。ただ、その効果は単刀直入に言って絶大そのものだ。どれもこれもが使い方次第で国ひとつを滅ぼせる。冗談で言ってないからな?」

 

 わたしは鏡に映る自分の瞳に指で触れた。

 鏡面の中の瞳の青が赤へと変わる。


「〝紋章〟は体のどこかに象徴する文様が現れる。オレの知ってる限りでは手の甲、胸、額、舌」

「僕の場合はどこだったのでしょうか」

「見当たらなかった」

「見当たらない?」

「ああ。聞いたことはねえが、内蔵だとか体の内側かも知れねえな。眼に宿ったなら眼底とかか? えぐって調べたりしねえから安心しろよ」


 そら恐ろしいことを言ってギュスターヴが笑う。


「これが〝紋章〟だとどうしてお分かりになったんですか?」

「どう考えてもまともな魔力と気配じゃねえからさ。平常時は普通の人間と同じだが、一度その眼を使えば、魔力感知に優れたヤツはどれだけ離れていようと必ずお前とその眼の存在に気が付くぜ。人間の群の中に飛び抜けて背の高い巨人が居たら目立つだろ? そういうことだ」


 厄介なものを手に入れてしまったのかな、などと不安が首をもたげた。

 眼の痛みは相変わらずうずくようでいて、頭部を手のひらで抑えようともやわらぐことはなかった。


「〝紋章〟ってのはそれぞれによって宿る力が違う。お前の眼に宿ったソイツの使い方も由来もオレには分からねえが……。忠告しておく。その眼は使わねえ方がいい。強い力は間違いなく災いを呼ぶ。お前の二十倍は生きてるおっさんの言葉だが、だからこそ聞いておいた方が身の為だぜ。いいな?」

 

 真摯な顔でそう語る槍の英雄に対し、わたしは「分かりました」と一言を返した。他に口にするべき言葉は無かっただろう。わたしの返事に満足をしたのか、ギュスターヴは納得をするように何度かうなずくと書き物の続きに戻った。



 窓辺に視線をやると空はどこまでも青かった。いつか見た気がする白い鳥の群が大空をわたっていく。

 つい昨日の朝まではいつもと変わらない平坦な毎日であったはずだった。


 けれど今この体には得体のしれない、黒くねばつく不快なものが混ざり込んだような感覚がまとわりついていて、周囲の世界と自身がなにか決定的な変化を迎えた確信があった。

 

〝はじまるぞ〟


 胸のあたりでそんな幻が聞こえた。

 

 

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