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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
二章『忘れ得ぬ紅』
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028 剣の疼き


 雨の降りしきる廃墟の街を歩く人影がある。

 男だ。彼以外には誰の姿も見当たらない。仲間はおらず、男はたったひとりで廃都を訪れていた。


 男はレインコートを着こみ、滝のような雨にただただ打たれている。しかし男は些細なことだとして気にとめておらず、遅々として進まない自分の仕事に苛立ちを感じていた。


 この都から人間が立ち去ってもう十五年が経つ。

 人の管理を離れた自然は際限なく膨らんだ。かつては神経質なまでに精密な区画整理のされていた街路はゆがみ、太い幹と青々とした葉は都の大半を飲み込んでしまっていた。

 廃都ゴルディン。かつて栄華を誇った亡国<ハインセル>の首都。

 黄金の時の面影は消え失せ、今や朽ちるのを待つばかりの文明の跡。


 男がこの地で探索を始めてからもう二週間になる。滞在中、この気の滅入る大雨はその七割近くの時間ずっと降り続けていたものだから、男は湿気た匂いもジメジメとした不快な感触にもすっかり慣れていた。

 

「見つからねえ。泥みてえに濃い魔力の痕跡は確かにあるんだが」


 男の背丈は一般の人間に比べるとずば抜けて高い。

 幅広の肩。引き締まった肉体。狼を思わせる野性的かつ獰猛な顔立ち。


 男は懐中時計に似た道具を大きな手の平に載せていた。時計盤の上を何本もの針がぐるぐると目まぐるしく回っている。

 

「感知を誤ったわけじゃねえはずだ。このリブルス大陸で最大の魔力の乱れっつったら、この王国跡地ぐらい……いったいどこに隠れてやがる」

 

 目を細め、打ち捨てられた廃墟を見回す。どしゃ降りの雨はカーテンのように厚く、数メートル先もはっきりと見通すことは出来なかったが、男の目にはかつて栄華を極めた王国の在りし日の姿が見えていた。

 崩れ落ちた商店、宿屋への案内看板、みずみずしい果実を並べていた馬車、赤々とした火が揺れていた鍛冶屋、古代に失われた叡智えいちが再び目覚めようとしていた神学院。

 今やその全てが打ち捨てられている。この街にもはや人間は住んではいない。


「十五年ぶりだが……ひでえもんだな。絶頂を極めんとした国が一瞬で潰されるとは思いもよらなかった」

 

 男は小さく舌打ちをし、ひとつの廃屋に身を隠した。

 視界が悪い中での探索はやはり捗らない。雨の勢いが弱まるまで待とうと踏んだのだ。曇り空、ましてや轟々と降りしきる雨の中にあってその建物の内部は夜闇のように暗い。

 だが男はそこを知り尽くしていた。そう遠くない昔、この廃屋に通い詰めた過去が彼にはあった。


 背負ったリュックからランプを取り出し、自身の魔力を通すと心の芯が暖まるような暖色の明かりが灯った。ろうそくの火に似た光は暗い室内を照らす。

 酒瓶が無数に並んだ棚。埃の積もったグラス。灰皿には野鳥が持ち込んだらしい巣材があり、中にはとっくの昔に割れた卵の殻が収まっていた。カウンターの前には丸椅子が整然と並んでいる。


 この都が滅びたなど、実際に自分の足で歩いた彼であってもにわかには信じがたいことだった。酒場の内部を見れば本当に直前まで営業をしていてもおかしくない様相なのだ。しかし降り積もった埃が現実をまざまざと見せつける。すべては過去なのだと。霧に堕ちた都に好んで戻る人間など、およそまともではない。


 男は自分がよく腰を掛けていた、カウンターテーブルの端の席をちらりと見る。

 驚いたことに先客の姿がそこにはあった。

 

「やれやれ、本当に神出鬼没だな、お前は」 巨躯の男が呆れ顔で言う。レインコートのフードを脱ぐと足元に雨水がこぼれ落ち、ひび割れた床がぐっしょりと濡れる。

「驚かそうと思ったのだがそう上手くいかないものだな。世に名高き〝王狼〟相手では無茶というものか。なあ、ギュスターヴ・ウルリックよ?」


 ギュスターヴがかつて愛した席には今、ひとりの女の姿があった。

 首の襟からその足の裾までを純白の色のローブで隠していて、彼女は琥珀色の液体が注がれた美しいグラスを回している。氷が崩れ、からり、と冷たい音が静かに鳴る。

 酒を軽く煽り、憂鬱でありながらもどこか艶のある目つきをする白衣の女がギュスターヴへと粘着質な視線を向けた。

 

「時間も空間も歪んでしまった廃都へ足を運ぶとはお前も奇妙な趣味をもったな、ギュスターヴ」

「変わり者を地でいくお前にゃ言われたくねえ」


 一杯もらえるか、と言うギュスターヴは言うが白衣の魔女は「これが最後の一杯だ」と首を横に振る。


「この土地は霧に汚染されてしまっている。その魔力盤、もうまともに動作していないんだろう?」


 女がギュスターヴのレインコートの右ポケットを見る。その中には懐中時計に酷似した形状を持つ、魔力探知の道具が収まっていた。


「霧に汚れたこの廃墟は歪み、人に幻を見せる。お前の場合は先だった妻エリナか、亡骸の無い墓前へと花をやった先代か、生死不明のままに消えたお前の息子か。……悪かった、もう言わないよ。だからそう怖い顔をするな。本題に入ろう。ギュスターヴ、一刻も早くここを出ろ。――長居をすると飲まれるぞ」


「そういうわけにもいかねえんだ。仕事でな。そういうお前は本物か?」

「さあ、どうだろうね。酒場の面影が残る廃墟にひとりで座り、酒をやっている女を幻と見るか本物と見るか。その判断はお前に任せるよ」

「けっ……面倒くせえ女だな」

「まあそう言うな。……ところで、お前の捜しものはここには居ないよ」


 前振りのない、唐突な一言だった。当然ギュスターヴがいぶかしむ。


「なんだと?」

「私は捜しものの行方を知っている。ここに私が居たこと、それと何故、お前の捜しものをこの私が知っているかを問わないのであらば、喜んでその所在を教えよう」


 ギュスターヴは女を視線でねめつけた。

 女の名はイルミナ・クラドリン。神出鬼没の白の魔女。

 この女は昔からギュスターヴの前に姿を現しては、見透かしたようなことを彼に言い残していく。若い日のギュスターヴはイルミナの遠巻きな言葉を真に受けてうんうんと考え悩み、結局自分がからかわれていたことに気付いて憤慨した経験が何度もあった。


 だが後々になって考えてみれば、そのすべてが虚言では決してなかった。

 イルミナはギュスターヴの身に起こる未来の出来事に関連した言葉を投げかけていたのだ。言葉の意味に気付いたのは彼が齢百八十を超えたころのことで、以降の彼はイルミナの言葉を真剣に聞き入るようにしていた。

 とりわけ、彼女がこういった神妙な顔をしていて、なおかつ二人だけの場では、特に。

 

「分かった。……聞こう」

 

 捜しものはいずれは見つかるだろう。だが、このリブルス大陸は広い。

 ギュスターヴの仕事には期限が設定されており、時計に残された砂は残りわずかだった。刻限が迫りつつある今、それを素早く見つけ出さなければならなかった。それこそが彼が忠誠を捧げた北の王、ルヴェルタリアの老王からの密命であるのだから。

 

「今すぐに<リムルの村>へと戻れ」 白い帽子をかぶったイルミナが言う。

「街道に沿って南方へ歩いていくと小山が見える。目印は……塔の遺跡が埋もれているよ。すぐに分かるはずだ。小山の裾には野草の採れる洞窟がある。そこにお前の、そして北の老王の求めるものがある。いや……居る《・・》、が正しいのかな」

「お前……どこまで知っている?」 ギュスターヴが凄む。遠くないうちにこの女を拘束しなければならない未来があるかも知れない。

 

 威圧を伴った睨みを、白衣の魔女はおどけたように肩をすくめていなしてみせる。飄々とした彼女の態度はいつも不変で、風のようだった。この女に脅しは効かない。

 

「これまでのことは知っているが、これから先のことは何も知らないよ。本当の未来は誰も知らないのさ。さあ、そうとなれば急ぐがいい。ルヴェルタリアの誇る迅雷の槍手、気高き大狼よ。あれはそう長くは留まらない、この機会を逃せばおそらく次は無い。あれは間違いなく世界から消滅するだろう。もう保たないのだ」


 断固とした声で魔女が言った。

 これ以上の言葉は交わさない。そんな具合の語気だった。


〝王狼〟は内心で唸っていた。まずいことにイルミナは知りすぎている。

 ルヴェルタリアや聖王国、そして〝五神教〟がひた隠しにし、また探し求めているものをこの女は間違いなく知っている。


 ギュスターヴ・ウルリックは主の命を遵守する騎士だ。が、同時にひとりの男であり、イルミナは数少ない友人だった。

 頼むから口をつぐんで大人しくしていてほしい。

『この女を手に掛けたくはない』、それがギュスターヴの口に出来ない望みであった。例え相手が王であろうと、この心の内は決して口にしてはならない。

 

「……信じよう。イルミナ、礼を言う」

 

 大男がきびすを返し、雨の降りしきる街路へと再びその身を晒した。今やレインコートを羽織ってはおらず、後ろへ流した豊かな髪と革鎧が瞬く間に雨に濡れていく。

 ギュスターヴは片手に黄金の槍を握っていた。巨体にふさわしい大きな手で握り込むと途端に槍が稲光を発し、二度三度と雷鳴に似た光を放つとその場に落雷の轟音が木霊した。


 眩い閃光が生じ、巨大な魔力の吹き飛ばされた雨が再び大地に落ちる。その時にはもう、ギュスターヴの姿はどこにも無い。大空に横たわる雨雲の中で雷鳴がドロドロと繰り返し鳴り響いている。


 かつての酒場には誰の姿も無かった。

 ギュスターヴの置き去りにした携帯式の照明が、直前まで酒が注がれていたらしい埃まみれのグラスを照らしていた。

 

 

 

 

 どれだけの時間そうしていたのだろう。

 わたしは湿っぽい土の上に身を投げ出し倒れていた。

 胸のうずきに顏をしかめる。わたしを眠りから呼び起こしたのは、この胸の鈍い痛みだった。


 胸のどの辺りがズキズキとうずくのか、それは見ずとも分かっていた。霞がかかった頭でシャツをまくりあげ、視線を下向けると胸を横一文字に走るむごい傷跡がある。傷を自覚してからおよそ一年が経とうとしていたが、うっすらと血がにじんでいるような状態になるのは初めてのことだった。

 随分と前に塞がっていたはずの傷がどうして今になって血を流すのか。

 その理由はやはり分からなかったが、何か決定的な裏切りや失敗を犯したような焦りと不安が胸の中で重々しく渦巻いていた。

 

 力の入らぬ膝で立ち上がり、辺りを見回すと二人の子供が倒れている。

 コルネリウスとアーデルロールだ、彼らをわたしが見間違えるはずもない。二人はまるでベッドの中にでも居るように眠りこけている。わたしも彼らと同様に眠っていたのだろう。


 一時間か、二時間か。

 頭の一部がまだ夢の中に居残っているかのようにぼんやりとしていた。

 

「薬草の詰まったリュックはそのまま……二人を起こして早く帰ろう」


 太陽光のまるで射さない洞窟の中に居たものだから、時間の感覚はとっくに失われていた。

 今がまだ昼なのか、それとも帰るべき時間を遙かに超えて夜になってしまったか。気絶をしているあいだに日付を跨いでしまったという考えは持ちたくなかった。

 

「起きて、コール」

 

 友の体に手を添え、左右に揺さぶる。コルネリウスはムニャムニャとした声も呻きもあげずにされるがままだ。幸せそうな寝顔がにくい。


 そういえば、と。

 眠りに落ちる寸前、何か恐ろしいものを見た記憶があった。だがその部分の記憶が損傷でもしているかのように判然としない。恐ろしい何かの姿を思いだそうとしても像を結べないのだ。

 眉間に指をやり、記憶を掘り起こそうと自身の心に気をやった。嵐の日の湖面のように激しく波立っていてやはり思い出せない。と、誰かの話し声をわたしの耳が拾った。


「……誰だ?」

 

 勢いよくかぶりを振って、話し声のする方向をわたしは見た。洞窟の入り口へと続く横穴だ。柔らかな明かりの照明が等間隔に設置された洞窟の奥から、ひそひそとした声が聞こえる。


 聞き間違いではなく、繰り返しに聞こえる音の正体はどうやら風でもない。試しに地面に耳を当てると足音が聞こえた。聞こえるその声はわたしの知らぬ言葉だ。

 

 背筋にぞっと寒気が走った。最悪の可能性がいくつも脳裏をよぎる。

 異邦人の盗賊か。魔物か。人さらいか。

 どれにせよ、良いものはひとつとして無い。


 わたしは未だに眠り続けている二人の体を引きずり、小屋へと運び込むと物資として保管されていた毛布で彼らの姿を隠した。

 

「守らなきゃ、守らなきゃ、守らなきゃ……」

 

 眠り込む二人を見下ろしたままにわたしは腰に差していた鉄剣を抜いた。

 少しも手は震えなかった。


 小屋を出ると話し声と足音がさっきよりも随分と近付いている。

 音から察するに相手は二人、あるいは二匹。

『僕なら大丈夫だ、僕ならやれる』。勇気の火を灯すように口の中で何度も呟いた。


 わたしはこの広間へ足を踏み入れた場合、入口からは丁度よく死角になる場所で息を潜めた。

相手が何者かは知らない。ただ薬草の採取に訪れた、周辺に住む善良な人間の可能性だってある。

 誤って危害を加えないよう、注意深く相手を見る必要があった。

 姿が見え次第にこの剣で切りつけようと考えてしまうのは、わたしが若く、気が逸っているからに違いない。

 

 胸が緊張に張り裂けそうだった。

 わたしは傷跡の残る胸を手で抑え、息を整えながら、今より現われる相手の正体を見定めようと焦りを殺した。


 手の平が汗ばんでいる。

 この手で握っているのは木を削り作られた模造の剣ではない。

 振れば相手に傷を与え、その気になれば命を奪うことすらも容易な鉄の剣だ。


 使用者が若かろうが老いていようが関係は無い。

 振るいさえすれば殺せる。それが武器だ。


 わたしは瞳をきつく閉じ、頭の中でいざ戦闘に陥った場合に相手をどう殺すかという想像を何度も繰り返した。吐く息が震えた。生々しいイメージに腹の底からどす黒い塊がこみ上げてくるようだった。

 

 無遠慮な足音が近付く。もう十秒と経たずに、乱入者はその姿を現すだろう。


 頭痛は相変わらずわたしの中にあって痛みの間隔が徐々に重く、長くなっていく。

 それはまるで鐘の音のように。

 

 父、フレデリックよ。

〝霧払い〟の英雄、ガリアン・ルヴェルタリアよ。


 どうかわたしに、守る勇気を。

  

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