022 王女の剣
右手に長剣、左手に短剣。わたしが普段扱う模擬用の武器と同様、アーデルロールの手にした得物もまた木製だが、どうしてだろうか。彼女のまとう気迫は、真正の刃を持つ剣士のようではないか。
盾に裏面に取り付けた革製のベルトに腕を通したまま、わたしは目を細めた。
気迫の正体はおそらく、彼女の独特の構えに由来するものだ。
二刀流となれば二対のショートソードや、破壊力だけを求めて両手にそれぞれ斧を握るなどの構えを聞き、または英雄譚などで知り存じてはいた。二刀流の使い手を目にしたこと自体がわたしにとっては初めてのことであり、その上にまるで知識に無い構えをさも当然といった顔でとるアーデルロールの存在はわたしを大いに揺さぶった。
「……ねえ、コールが王女と戦ったらどう? 僕よりもコールとアーデルロール王女のカードの方が盛り上がるし、本人も燃えるよ」
「安心しろ。俺には最高の考え、もとい、アイデアがある」
コルネリウスはまるで最優秀のアドバイザーを気取るようにし、握り拳から人差し指をつい、と立てると神妙な面持ちのままで武器を構えるわたしへと顏を寄せた。
「いいか? これはな、あいつの実力を見るためだ。王女サマは確かにかなりの自信があるみてえだ、オーク顔負けの迫力でこっちを見ていやがる」
「視線で人を殺せるなら僕たちは五回は死んでそうだよ」
「へたるなって! ユリウス、このままお前が勝てば万々歳。もしもお前が叩きのめされてこの芝生の上に沈んだら、俺があいつの弱点を見極めた上で王女サマの鼻っ柱をへし折ってやるから安心しろよな」
「そんなことが現実になったら村ごと火の海に飲み込まれそうだからやめてよね」
白い歯をのぞかせて眩い笑顔を向けるコルネリウス。その一方でわたしの脳裏には炎に飲まれて沈む<リムルの村>が見えた。
「大丈夫だって! お前の底力、いや! 眠れる本気を見せつけてやれ!
…………
……
…
〝霧払い〟の血縁の証明である鮮やかな夕焼け色の瞳がわたしを見つめている。
力強い目元。好奇心旺盛な眉。嬉しそうにやや吊り上った口元。
つやのある唇が開く。
「黒髪」
「僕の名前はユリウスです」
どうでもいいわよ、と王女がひとつ。
「魔物を倒したことがあるって、ほんと?」
「……合ってます」
森の中で出会った牛頭の暴力的な怪物をどう打ち倒したかと問われると微妙なところだった。わたしはほんの少しだけ口ごもる。きっと言葉尻はすぼんでいただろう。
一方で王女が不敵な笑みを強め、笑う。
「ふーん……。ねえ、そっちが勝ったならあんたの名前を憶えてあげる。勇者の末裔が無礼な木っ端の名前を覚えんのよ? すごいでしょ」
「ありがとうございます」
「ただしあたしが勝ったら、当分『あんた』って呼ぶわ。期間は未定。死ぬまで名前は呼ばないかもね。で、準備はいい?」
「本意じゃないですが僕はいつでも動けますよ」
「フレデリックさんの息子だっていうんなら、もっと胸張って堂々としなさいよ」
……また父か。〝悪竜殺し〟と呼ばれた父の顏が意識の裏をちらついた。
父は確かに強い。わたしやコルネリウスは当然として、フレデリック個人の剣技は相当に卓越したものであるのは、わたし自身が彼の動きを見た評価と、村や隣街でフレデリックを知る人間たちからの話で聞き知っている。
だが、現実問題として竜を倒せるような存在はそう多くない。
眼前に立つアーデルロール王女の住まう霧払いの国、<ルヴェルタリア王国>の騎士たちや、この<マールウィンド連邦>北西部に広がる<ファイデン竜王国>の竜騎士たちであれば、人類の脅威とも呼べる竜や龍と切り結ぶことも出来るであろうが……。
自身の父であるというのに、わたしにはフレデリックが竜を倒しうる男とは思えなかった。まして、一国を滅ぼす災厄を招いた悪竜を倒すなどと――。
竜の鱗には祝福があると伝えられている。
人類種族にはおよそ考えも及ばない時を生きる彼らの鱗はさながら不死の象徴。
生半可な剣や槍では傷さえつかず、精神を振り絞る上等の魔法でなければ貫けない。
信奉者の言うところの『知神ドーンヴァールに祝福をされた』竜種族を殺すのであれば、特別な神秘の祝福を受けた武具や力をなくしては立ち向かうことさえもできない。
英雄譚に憧れを見るわたしは竜種族の一般的な概要を知っていた。
「わたしの知る父と……アーデルロール王女殿下、あなたの知る父は随分と違うようです。もし、この戦いにわたしが勝ち得たならば、わたしが知らぬ話を教えて頂けませんか?」
「何をかっこつけて落ち着いた言葉を使ってんの? 『勝ったら教えろ』でいいじゃん。じゃ、決まりね。そこの金髪馬鹿のっぽ。カウント」
二刀を構え、足をにじる王女へコルネリウスがおう、とうなずく。
「いくぜ。三、二、一……」
はじめ、と短い言葉がわたしの耳に届き、眼前の少女が姿を消した。
焦りが一挙に胸に湧いた。
落ち着け。高鳴りをこらえながらに視線を落とすと王女の姿があった。
瞬時に低姿勢をとったアーデルロールはまるで地を這う蛇のようだ。彼女は相手の注意を外し、動揺させる技術を知っている。
アーデルロールは相当に素早い。父から『よく見えている』と称された目では彼女の姿を追えているが、迎え撃つために剣を振るうにはタイミングを失している。
燃えるような瞳がわたしを睨んでいる。彼女の右手は既に剣を力強く握っている――。
「ふっ!」
下段からの高速の切り上げ。腕に固定した木盾で受け止め、決して軽くない衝撃が身を襲う。この盾で父やコルネリウスの無数の攻撃を防いできたが、真に敵意を持たれている相手の攻撃は重かった。
アーデルロールの判断は挙動と同様に早い。攻撃を防がれたと見るや、彼女は横へ飛び、わたしの視界から離脱をした。首を回せば彼女の若草色の髪は風になびいて視界外へと消えていく。
尋常ではない身のこなしだ。何かがおかしい、とさえ思うほどに。
それというのも彼女があまりにも速すぎたからだ。人間離れをしていると言ってもいい。
充分に距離をとったと判断をしたらしいアーデルロールが丈の長い革ブーツの底で芝生を蹴り、一直線に突撃をかける。
わずかに身を屈め、アーデルロール自身が感覚的に理解をしている最大最速のタイミングで、右手に握った長剣を真横に薙ぐ。
攻撃の軌道は目に捉えている。アーデルロールの視線さえもだ。彼女が狙うはわたしの側頭部。ならばと、左手に掲げた丸盾を突き出し攻撃を阻む。
鉄と鉄が打ち合う音こそしなかったが、これが生温い覚悟のもとでの戦いでないことは一撃を防いだ感触で分かった。
アーデルロールはわたしと白黒をつけたがっている。
正確にはどちらが上か、下なのかを。
防いだ動きから連続し、カウンターを繰りだそうとするわたしの行動に先んじるようにして、王女の左手の短剣がわたしの腕を打った。
籠手が無い今に遠慮のない打撃は相当に響く。
が、痛みに呻く余裕はまるで無い。
長剣と短剣の舞うような攻撃の嵐を受け、反撃をする機会を得ようとする前にはわたしのスタミナが明らかに目減りをしていく。このままではじり貧になるのは明確だった。
彼女がスピンをしながら後方へ跳ぶ。地を離れたわずかの隙。それはわたしの行動を可能とする戦いの間。
「お……おおぉおっ!」
アーデルロールが着地と同時に残像さえ見えるのではないかという程の高速のステップで突撃を掛けてくるのは、繰り返される攻撃の中で薄らと予感をしていた。
どんぴしゃ。
片足の底が芝生に降り立つと同時に、彼女は体重をかけ、素早い一歩を踏み出している。が、それはわたしも同様で、前のめりになるようにして盾を突きだしていた。
「う――っそ!」
アーデルロールが驚くのが一瞬だが見えた。突きだした盾で短剣の刺突を受け、勢いのままに彼女の体を殴りつける。躊躇はあったが、彼女も散々にこちらを殴りつけたのだからあいこというものだろう。
強烈な殴打に、倒れ込むとはいかないまでも彼女が大きく怯む。
彼女もまた剣の稽古を受けている身。怯みはしているが、一瞬後には持ち直し、火勢を強めた攻撃の嵐を打ち込んでくるだろう。
一瞬。
そう、わたしには……一瞬の間で十分だ――。
「――瞬影剣」
右手に握った木剣を腰の位置で溜め、居合の抜刀術に似た動作で振り抜く。
力任せではない。精密に動きをイメージし、心に描いた図のままに肉体を動作させる、フレデリック・フォンクラッド直伝の高速の斬撃――《瞬影剣》。
かつて父が振るい、わたしに授けた剣技。その出来は完成には程遠いが、一瞬の虚を突かれ、体勢を崩したアーデルロールの腹を強く打ち、わたしは剣を振り切った。
…………
……
…
地に伏したアーデルロールはぴくりともしない。
肩で息をしながらに彼女の細い背中を見下ろし、『やりすぎた』と思い、一歩を踏み出すとアーデルロールはむくりと起き上がった。
無言のままに二本の木剣を握りしめた彼女は無表情でわたしを見ている。
冷たい目。引き結んだ唇。だが強い闘志がそこにはあった。
「…………」
アーデルロールがぼそぼそと何事かを呟く。と、
消えた。周囲に風の音が響く。
その正体は自然のものか、アーデルロールの発する音か。
芝生の中に肌色と赤い瞳の筋を見つけた時には既に遅かった。
それはわたしの足元に迫っていたからで……。
去年の夏、父はわたしによく言った。『お前の目は俺に似て、相手の挙動をよく捉え、先を見ることが出来る可能性のある良い眼』であると。
なるほど、確かにわたしの目は振り上げられるアーデルロールの剣をしっかりと捉えている。
鋭く振るわれる右手の直剣の切っ先が迫り、直後に頭部全体を揺さぶる衝撃が重々しく響き渡った。
◆
あごに思い切りに殴打され、意識を失わない者はそう多くないだろう。
わたしは気付けば庭先の芝生の上にうつ伏せに倒れており、目の前をゆっくりと歩く二匹のありに視線を注いだ。
新緑の芝の葉の向こうで二人の少年少女が声をあげて武器を振るっている。
木製の槍を握り、一振りごとに気合いの声をあげて相手へと突撃を仕掛ける金髪の男の名はコルネリウス。身体強化の魔法さえも掛けない彼は(正確に言えば、コルネリウスは戦士の基礎とも呼べる身体強化の魔法を知ってはいるが、魔法の扱いがひどく不得手な彼は素の身体能力で戦い抜こうと考えている)生来に持った俊敏性を十分に生かし、さながら野生の狼のような身のこなしをもって、アーデルロール王女へと肉薄をしていた。
「鬱陶しい! って! のおっ!」
アーデルロールが目にも止まらぬ素早さで二刀を振るい、肉薄するコルネリウスの攻撃を阻止せんと試みる。彼女の端正な顔は闘志に溢れていた。
友人の仇討か、それとも闘争心に煽られての戦士の猛りか。どちらにせよ、唸りをあげながらに自身へと突撃を掛ける男へ対し、アーデルロールは真っ当に対峙をしていたのだ。
コルネリウスという男の戦いを分析すれば、攻撃と防御・回避の比率はおよそ八対二といった具合だろう。彼は戦場の最前線に立つ歴戦の将兵のように勇猛果敢だが、身を守る術には相当に疎い。
師であるフレデリックには幾度も注意をされており、彼自身も直そうと考えてはいるようだが、いざ戦いが始まれば彼の体と意識は攻めて攻めて攻めまくれという思考に支配をされるのだとは彼の弁だ。
「いっ……たく……ねえ!」
「あんた馬鹿!? 散々ぶっ叩かれてなんでまだ向かってくんのよ!」
実際、わたしの目の前で繰り広げられている戦いは、アーデルロールが巧みな防御でコルネリウスの攻撃を防ぐ一方、攻め手のコルネリウスはカウンターで繰り出される刺突や殴打を思い切りに何発も喰らっていた。間違いなく今夜の入浴は痛烈なものになるだろうと思うと同情を禁じ得ない。
アーデルロールが直剣を盾にしてコルネリウスの刺突の軌道を大きく反らし、剥きだしの彼の腹を靴裏で思い切りに蹴りつけ、勢いを利用して後ろへと距離を取る。
「鬱陶しいわね、さっさと終わらせるわ」
若草色の髪を揺らす王女の唇が何事かをぶつぶつと呟いた。
途端に彼女の足元に風が湧く。そして次の瞬間には姿が消えるかのような素早い挙動。
わたしが感じた違和感の正体はあれに違いない。――身体強化の魔法の一種。
形勢が逆転し、アーデルロールの直剣と短剣の猛攻がコルネリウスへ迫る。回避をしようと横へ跳べば、王女は瞬時に反応し、超人じみた身体能力をもって追随する。
粗末な防御しか持たないコルネリウスが濃密な攻撃の嵐をその身に受ける。
間もなくして彼が芝生の上に倒れ伏すだろうと思ったその時、彼はわたしの予想を上回った。
「痛く……ねえ……っ! おらあ! 食らえ!」
攻撃の嵐にさらされる中、コルネリウスが勢いよく右腕を突きだした。狙ってのことか幸運が味方をしたのかは分からないが風のように素早いアーデルロールのシャツの首根っこを彼は確かに引っ掴んだのだ。
わたし以上に驚いたのはアーデルロールだろう。彼女の俊敏な動きは確実に止まり、長身のコルネリウスに足を払われて彼女の体がわずかのあいだ宙に浮く。
「大人しくしてろ!」
そのままに投げ技をコルネリウスはかました。仰向けに倒れた王女にマウントを取る姿はまさに子供たちの猿山の王とも呼べる勇壮さであったが、相手は一国の王女だということを忘れてはならない。
この場で手を挙げるようなことがあれば、コルネリウスは必ず近くに居るであろう王女の護衛から見えざる一撃をもらい、その若い命を――、
乾いた音。
コルネリウスがアーデルロールの横っ面を思い切りに張ったのだ。
他人事だというのに心臓が締められる思いだ。
コルネリウスはまだ生きている。乾いた音も連続している。何度も彼女の面を張っているのだ。
「コール! それ以上はやめよう!」
「邪魔すんな!」 コルネリウスが叫び、
「邪魔すんじゃないわよ!」 アーデルロールが凄む。
「邪魔してすみません!」
引っ込む以外にわたしにとれる行動は無かった。
幾度かビンタの音が響いたあと、鈍い打撃音がした後にコルネリウスが大地に伏せた。鼻血を噴いているところを見るにアーデルロールのカウンターを喰らったらしい。
荒い息を吐きながらにアーデルロールが立ちあがる。頬は赤く腫れていて衣服は滅茶苦茶に乱れている。不敬を承知で口にするが、今の彼女は王族の一員にはとても見えず年頃の街娘だと紹介をされれば何の疑いもなく信じられた。
「やったわね……馬鹿のっぽ! あんたと遊ぶ時間はこれで終わり。……痛いわよ」
「はっ! いいぜ、またマウント取ってぶっ叩いてやる!」
「……減らず口」
アーデルロールがふっと姿を消す。低姿勢ではない。辺りを見回しても姿は無く、いや、濃密な敵意があった。上を見れば人の影。まさか!
「上だあ!? てめえ、どんな体力だ!」
「黙って倒れなさい、っての!」
上からの猛襲。彼女の跳躍は控えめに見ても四メートルはあり、その予想外な方向からの攻撃はコルネリウスの意表を確かに突き、上段に振りかぶられた直剣の一撃はコルネリウスの脳天を見事に打ちのめした。
◆
負けた。
二人掛かりでわたしたちは敗北し、アーデルロールは腕に自信があると吼えた少年二人を撃破し、肩を大きく上下させるような荒い息を吐きながら、赤く腫れた顏に勝利の笑みを浮かべていた。
わたしは青空へと視線を彷徨わせ、これといった形を持たない雲の中に牛頭の怪物や夜の森で出会った不気味なウサギとの戦いを思い出していた。
危険と対峙をした経験はあったが、どれにも勝利を収めていたのはわたしの中にある自覚をしない自信だったのだろう。心のどこかで「人間相手の、それも女性に負けるわけがない」と慢心を抱いていたことを認めざるを得なかった。
悔しかった。
やり場のないざわめき立った感情を投げる場所を求めたが、このイラつきにも似た感情は誰かにぶつけるものではないことは分かっている。自分の中に捨てねばならない。
わたしは草原の上に立つアーデルロール王女を見た。
彼女に言うべき言葉はひとつ。わたしはその場にすっくと立ち、衣服にまとわりついた芝の葉を払いもせず「負けた。降参だ」と赤い瞳を見据えながらに口にした。
アーデルロールが歯を見せてにっかりと笑う。
強気そうな顔によく似合う快活な笑み。わたしは彼女がこの南方に滞在をするあいだに必ず勝利を掴みたいと、今までになく強く心に願った。
…………
……
…
「ったく、若いってのは羨ましいな」
フォンクラッド家の屋根の下。客間の窓辺に立ち、幼いながらに一端の戦士の矜持をぶつけあった少年たちの戦いの一部始終を見物していたギュスターヴ・ウルリックはそう口にした。
「血は争えないっつうのかね? フレデリックとうちの皇太子が出会った時も、口じゃどっちも退かねえから剣で白黒を付けたがってたよなあ。あれも十五年も前か。いや懐かしいな。しみじみとしちまうぜ」
「その話はやめてくれよ、もう。あの時は若かったんだ。十八歳だぞ?」
血気盛んな青い日を言葉に聞いたフレデリックが後ろ髪を掻き、落ち着きのなさそうな笑みで大男へ言う。たじろぐフレデリックもまた、窓辺から息子とその友人の戦いを眺めていたのだ。如才ない顏とは裏腹に力強く握り締めた拳が時折動くのは、未だにくすぶり続けている剣士としての熱か、強い感情移入からか。
「お前、十五年前の災厄の話をどうして黙ってたんだ? 世間にはカバーストーリーを張っちゃいるが、息子ぐらいには自分の武勇を語って聞かせてると思ってたぜ」
ギュスターヴの薄灰色の力強い瞳が黒髪の剣士を見下ろした。視線を注がれたフレデリックは青空へ目をやり、「言って聞かせる話じゃない」と枕に置き、
「俺は息子の中で『田舎住まいの騎士にしては剣の腕が立ち、普段は稽古に付き合うばかりのぼんくら親父』に思われていれば十分だと思ったんだ」
「勿体ねえ。ルヴェルタリアの脳筋共なら、週に三度は自慢げに語るだろうによ」
それも末代まで延々とだ。とギュスターヴがにやりと言う。
「誰にも口外をしないのが正しいさ、ギュスターヴよ」
ソファに我が物顔で深々と座り、大きな白い帽子を目深にかぶったイルミナが言う。紅葉色の紅茶をすする彼女の顔は物憂げだった。つばの広い帽子のせいで彼女の表情は他の誰からも見えはしない。
「人の言語を解し、霧を自ら招く竜を討ったのだ。その勇名が広がれば人か、竜か、大きな災禍をいずれ招くだろう。……私は近年の歴史書に記された〝悪竜殺し〟の名が全くの架空の人物で確かに安堵をしたよ。――〝王狼〟ギュスターヴ閣下。少し尋ねたいことがあるのだが」
「っは。大魔道士イルミナ・クラドリン殿、この俺に訊きたいこととは?」
イルミナの表情はうかがえない。ギュスターヴの目には白い帽子が口をきいているようにさえ見える。
「北の王が所有をする、〝霧払い〟の遺した聖剣に変わりはなかったか?」
「……さあな。あんまりに突っ込んだことを知るとお前をどうにかしなきゃいけねえからな。その質問はパスだ」
まぶたを閉じ、肩を一度竦めるとギュスターヴは以降黙りこくった。居心地に悪そうな衣擦れの音が数度聞こえ、イルミナが最後に口をきく。
「では助言をひとつ。――迅速に行動を起こすことを薦めるよ、ギュスターヴ。風はすぐそこまで確かに来ている」
カップに立つ湯気が揺れる。
窓の外では若草色の少女が勝どきの声をあげていた。




