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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
十章『滅紫の八塔』
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187. 風精王のことづて

 沈思黙考を尊ぶといった趣きをもつ静かな玉座にあって、夏の日差しがごとき元気さで声を張り上げたアーデルロールの活力はちょっと場違いなほどに爆弾的だった。

 瞳の色もあいまってまるで太陽の化身みたいなエネルギーの強さだ。ちょっとと言ったが本当に場違いかもしれない。


 今しがたアーデルロールは『風の精王に会いに行くぞ』と叫んだ。

 となれば彼らと〝聖剣〟の再契約に向かう話がはじまるに違いない。

 そう意識をすると身体が次の冒険を期待して心が浮つくのが分かった。


 しかし心が熱をもちだした一方で肝心の精王の所在地はどこなのだろう? とも思考する。

 これまでの旅で〝聖剣〟との契約を結び直した水と火の二人の精王。


 どちらも古代の王国の遺跡に用意されていた転移の仕掛けによって彼らと対面することができたが、果たして今回も同じなのだろうか?

 今まで通じたからといって今回もそうとは限らないよな……わずかの間だけそう考えていると「まあ落ち着いて」と言葉が聞こえた。


「まだ私は精王の所在も試練も何も語っていないよ」


 ケースル王がアーデルロールを場を冷静にさせる静かな声音をもって嗜めた。


「……そうでしたっけ?」


 北の姫がキョトンとした顔で言う。

 ケースル王は自身の顔を手で覆うとシワをいくつか伸ばすようにして目元を撫で、


「そうだよ。私は『風精王はすぐそばに居る』と口にしただけだ。〝霧払い〟殿」


 王が指の隙間からくつくつと笑い、おさまる頃に丁度わたしたちが玉座に歩き着いた。

 遠目では分からなかったが、玉座は天井から逆さに立つ巨大な女に抱かれた椅子という奇妙なデザインをしていた。


 女性……女神像だろうか?

 ファイデンは五神の一柱、愛神ルピスと縁深い逸話を多く持つというからそれらを汲んでいるのかも知れない。


 物珍しそうに周囲の彫像や調度品に視線を向けているわたしたちに向けて、「揃ったようだね」と王が言う。


「では話を始めようか。風精王の所在だけれど、かの王はこの塔に……、」

「居るの!?」

「……居るとも居ないとも言える。かの王はこの土地、ファイデンそのものに居ると伝えられているんだ」


 気持ちが逸る馬を制するようにビヨンがアーデルロールをどうどうと落ち着かせる様子をほくそ笑みながら見たケースル王陛下は次のように語った。


「かつて霧の大魔があらわれる以前、もう滅んでしまったけれど太古のこの地にはフィッツランドという王国があった。

 詩歌と聖風の国フィッツランド。冠を戴いた王の名はウィンフェルニア。

 ウィンフェルニア王は過ぎゆく日々の中、ふと風や空気に溶けて消えてしまった。

 それこそ、そよ風が肌を撫でて吹き抜けるように。あっという間のことだったらしい。

 以来、消えてしまったかの王は姿こそ見えぬものの王国を流れる風となってこの地を見守り続けている、というのがファイデンに伝わる伝承だ」


「滅んだ……水と火、どちらの王国も滅びてたわね……」

「時代の流れだよ。優れた王が去れば国は衰退し、死ぬ。

 栄枯盛衰。昔も今も変わらない不変の摂理というものだ。

 ガリアンが大魔を討ったあとも実のところ、国同士による戦いは大小の程度はあれど絶えることはなかったと歴史は伝えている。

 フィッツランドは際立った大国だったようだがそうした人の営みと時間の間にすり潰されてしまったのだろう。

 我が国もいくつかの勝利の上にこうして立っているからね」


 建国以来、人ではなく〝大穴〟からあらわれ続ける霧の魔物と戦い続けていたルヴェルタリアという騎士や戦士の国に産まれたアーデルロールからすれば、人と人が長きにわたって殺しあい滅びるという結果はどこか腑に落ちないものだったのかもしれない。


 視線を横向かせながら一拍だけ間を置くとアーデルロールは「精王に出会うにはガリアン王へ向けた碑文を見つける必要がおそらくある……のだけれど、ケースル王はご存じですか?」と問いかけた。


 質問に王は「わからない。フィッツランドの遺跡は数多く存在するが、これまでの調査でそういった碑文はまだ見つかっていないね」と答えた。姫の顔が失望で陰る前に「だが」と彼は言い加え、


「精王に拝謁をする方法は知っているよ。

 きっと王に会うことさえ叶えば、君が果たすべき責務……契約は叶うのではないかな?」


 耳にした途端、我が意を得たりという笑みでアーデルロールは「はい!」と声を上げた。

 エルフ種からすれば10代半ばの子供など元気の良い赤子のようなものなのだろうか、ケースル王は父性を感じさせる笑みのまま言葉を続ける。


「方法だが……ウィンフェルニア王は隠れてしまうしばらく前に家臣へ言葉を遺していてね。

 我が国においては『風のことづて』と呼ばれている。内容は秘匿されていない。

 その言葉は文官だけでなく民間にも広まり、いくつかの物語の土台になることもしばしばあるほどに有名だ。

 さて、肝心の『ことづて』だが……」


 息を少しだけ切るとケースル王は玉座を立った。

 わたしたちを一瞥するとたおやかな手つきで手招き、「ついておいで」と言って玉座の裏に隠れていた扉を開き、歩き出した。


「……なかなか焦らすわね」

「同感だぜ」

「エルフの人たちは大体こんな感じがする」


 わたし以外の3人は三者三様、互いに顔を見合わせると王の背を追った。


「『今より先の世、多くの風が流れた明日の者よ。

  星から賜った輝ける虹。翼が焦がれ、空へと奪い去った輪を我らがもとへ。

  塔に色彩が満ちたらば、颶風の王は黄金をもって祝福す』


 空と雲、龍と騎士の描かれた壁画が彩る回廊を歩きながら話が再開した。


「『ことづて』とはつまり、ウィンフェルニア王からの頼み事だよ。

 君たちはファイデンの国宝について耳にしたことがあるだろうか?」

「虹の貝殻のことですか?」


 たしか<ラビール>が口にしていた気がした。女神が王に授けた首飾りなのだと。


「ああ。それだ。

 かつて……ウィンフェルニア王やガリアンの時代よりずっと古い時代のことだが、この塔群には本当に五神の一柱である愛神ルピスが降臨されたと伝えられている。

 その時に女神(ルピス)は交信を果たした古代の人々へと、自身を呼び出したことへの報奨か無償の愛の証かは分からないが贈り物をしたのだと。それがファイデン竜王国の国宝、〝ルピスの首飾り〟だ。

 虹色の貝殻を7つ繋げたその首飾りはあまりに眩く、女神の降臨に居合わせた全員の視力を三日三晩にわたって奪ったらしい。それに見えざる者やあり得ざる者にも色彩が届いたとも。以来、この地には悪霊の類があらわれなくなったという話もある」


 回廊の最奥には毛色の違う扉があった。

 陶器色ののっぺりとした扉。その材質は塔の低階層で見たものにそっくりだった。

 ケースル王が扉に顔を近づけると甲高いが静かな音がひと呼吸分だけピッと鳴り、扉は左右へとひとりでに素早く開いた。


「これは……!」


 中のそれを目にした瞬間、思わず感嘆と驚きの声が漏れた。

 小さな樹木が生えた石造りの台座の上に鎮座していたものはまさしく虹色の貝殻だった。

 外壁が砕けてぽっかりと開いた穴から射し込む陽光を受けた貝殻のきらめきは眩しかったがしかし、伝承にあるような失明を懸念するほどのものではなかった。

 と、いうか心配に心をやっている余裕はなかった。それほどの驚きだったのだ。わたしはその大きさに目を奪われていた。


「でっか~~い!」


 ビヨンが声をあげる。そう、それはとにかく巨大だった。

 横幅もさることながらその高さは樹木ほどもあったからだ。

 これが7つも連なった首飾りともなれば、製作よりも身に着けることができるのは真性の大巨人か神々ぐらいのものだろうと思える。


「む……数が足らないわね」

「本当だ。3つしか無いな。7つ揃っての首飾りじゃなかったか?」

「金色の髪をした君の言うとおり。これは7つの貝殻でつくる輪でなければ〝ルピスの首飾り〟とはなり得ない」


 見てごらん、と視線を誘導された先に千切れた縄らしき(・・・)物体が見えた。

 らしき(・・・)というのも、それは破断したらしい末端から雪のような白い粒が浮き出して宙を舞っては消えていき、時折白い稲妻に似た光がぱちりぱちりと明滅していたからだ。

 かろうじて縄やヒモに見えるだけ。わたしが知っているそれらとは間違いなく別物だとひと目でわかる。


「ファイデンが建国される以前の話だが、大昔に飛竜の上位種である龍が塔を襲ったことがあってね。

 その時に首飾りを奪われてしまったんだ。

 龍は途方もなく力強い生き物だ、ましてや乗り込んできた相手はその皇帝。

 今この場にはこうして3つの貝殻が並んでいるが、取り戻すことは至難だったと書にはある。

 それこそ神々が与えた試練だと解釈するほどに過酷だったと。

 龍が首飾りを持ち去ってしまった場所、彼らの本拠地は雲上宮殿と呼ばれる場所でね。

 ファイデンには雲を突き抜け、星の海にさえ届くといわれる<帝龍山>という霊峰がある。

 雲上宮殿はその山頂にそびえる大宮殿だ。現代において見た者はほとんど居ない、辿り着くだけでも厳しい絶界の地だよ。

 長い歴史の中、幾人もの勇者や夢追い人の類が宮殿を目指して旅立ったがひとりを除いて誰一人として、この塔群へ生きて帰ってはこれなかった。

 傑出した英雄も精鋭が居並んだ軍も、誰も。

 戻ってこれたのはただひとり。初代のバレンドールだけだ」


 名を聞いて玉座の間の入り口に立っていた彫像を思い出す。初代バレンドール。

 わたしが知る<ラビール>のバレンドールは彼の血の直系か、あるいは名を継いだだけかは分からなかった。


「『ことづて』では貝殻をこのファイデンの塔群に戻せ、とある。

 つまり君たちが風の精王とまみえるには雲上宮殿に赴き、残る4つの貝殻をここまで運ぶ必要があるということだ。

 千年前から時を超えてウィンフェルニア王から〝霧払い〟に託される依頼(クエスト)になる。

 できるかね?」


 貝殻に反射する虹色の光を受けるファイデン国王に問われ、アーデルロールは胸を張ってこう答えた。


「もちろんっ!」と。


 背後でコルネリウスとわたしが小さく「大丈夫か……?」と呟いたが、パーティを導く旗手にして勇者でありリーダーであるアーデルロールが言うのならば進むしかないし、旅の目的から見てわたしたちに『はい』と答える以外の選択肢は存在しないのである。やるしかない。

 やるしかないが、本当に樹木ほどもあるおおきさの貝殻をどう運べばいいのか、その見当はつかなかった。

 飛竜を呼び込んで運ぶ? それとも水や火の精王に相談をして手を探すか? 問題が多すぎた。


 おそらくどうにかなると考えているアーデルロールの気合の入った声を聞き、「よろしい」と受諾を確認する王の声が続く。


「さすがはルヴェルタリアの。素晴らしい。

 雲上宮殿にたどり着いたものは歴史を見ても本当に数えるほどしかいない。

 前提である<帝龍山>自体が生きては戻れぬと伝えられる峻険だからね。

 そうだ、飛竜を駆って空から行こうと考えているのならやめておいた方がいい。十中八九、撃ち落されて死んでしまうから」


「……飛竜で飛べば楽勝じゃないって言い出すところだったわ」

「となるとうちらは陸路で行くしかないってことになる……よね?」


「その通りだ。初代バレンドールも歩いて山へと向かったと古い記録にある。

 きっと君たちの旅は彼の足跡をなぞるものになるだろうね。

 とはいえファイデンの地上は難所だらけだ。

 山や谷が多く迷いやすい上、昨今は霧が頻出している。

 ルヴェルタリアの騎士らが対処に協力してくれているとはいえ危険な地は多い。

 道中における案内が間違いなく必要だろうから、事前に案内となる者を呼んでおいた。

 紹介しよう。シフ、こちらに来たまえ」


 呼ばれ、貝殻が鎮座する間の入り口にあらわれたのはハープを背負ったひとりの男だった。

 鳥の尾羽根で飾った三角棒を被り、色褪せた緑色のコートを着込んでいる。

 巻きの癖が強いらしい長髪を左右に揺らして近づいてきた男はアーデルロールを前にするとうやうやしく頭を下げ、「はじめまして、姫殿。ファイデンを風として歩き、歌を広めることを生業としております私、シフと申します」とそう言った。


「彼は民の間で人気のある吟遊詩人の一族でね。シフはその三代目にあたる。

 飛竜ではなくその足でこの国を巡っていて、何度か<帝龍山>のふもと付近までは行ったらしい。

 そうだったね?」

「ええ、これまでに5回ほど。道はすっかり心得ております。ケースル王」

「よろしい。では彼と共に行きたまえ、〝霧払い〟よ。

 さて……私は広間に顔を出さねばならん。君らも話が終わったら来るといい。

 ではね。長々とありがとう」

「はい! ありがとうございました、王」


 構わないよ、と言葉を置いて王が立ち去り、威厳のある後ろ姿と足音が消えると目の前の吟遊詩人はわたしたちを順繰りに見て、


「姫が〝霧払い〟とくれば、君たちが次の〝四騎士〟になるのかな?」


 耳に痛い部分をいきなり口にした。


「広間の人たちがわいわいと賑やかに話していたよ。

 なるほど。ま、確かにあんまり〝四騎士〟って気はしないね。

 たとえば君と君と君、というよりアーデルロール姫以外の3人は……そうだなあ」

「なんだぁ……?」

「コール君! ダメダメ! 喧嘩じゃないんだから睨まないで!」


 血の気の多い犬が威嚇するようにうなるコルネリウスを無視して吟遊詩人シフは、


「いいとこ売り出し中の冒険者とでも言った方がらしいかな? ははは」


 優男らしいおだやかな目を緩めて軽やかに笑った。

 この発言によって喧嘩っ早いアーデルロールさえもが闘争に目覚めてしまい、シフはたじろいだのか両手をあげて「待て待て待ってくれ」と降参の意を表明した。


「気を悪くしないでほしい! そういうつもりじゃないんだ」

「じゃあどういうつもりなのよ?」

「下手に答えたら旅の最中後ろから槍でつつくぞ」


「チンピラだなこれは。やれやれ。あ! 待ってくれ! 槍はしまってくれ!」

「つつくなんてぬるいわ。グサッといきなさいコール」

「おう。リブルスをなめるなと一発いこう」


「グサッといかれたら死んでしまうよ君たち!?

 意地悪を言ったつもりじゃないんだよ。本当だ!

 ほ、ほら……水は器に沿って形を変えるだろう? 人も同じだ。

 広間の連中は皮肉っぽく言っていたが次代の〝四騎士〟呼ばわり、大いに結構じゃないか」

「ほう?」

「今が見合わないというのならこの先成長し放題の伸びしろだらけということだろう?……ね?」


 それを聞くとコルネリウスとアーデルロールの二人は乗り出していた身を戻し、照れくさそうに頬を掻いて「まあな……」とそろって言った。単純で良かった、と安堵の域をわたしは吐いたが、表情を見る限りではシフもそうだったらしい。


「ところで姫よ。出発はいつにするつもりなんだい?」

「明日かしらね。ちんたらしていられないから、一晩休んだらもう発つつもりよ」

「了解。しかし小馬の朝駆けにならないか心配だね。

 最初に頑張りすぎると後が続かないんじゃないかい?

 まあ私の方で歩くペースは決めさせてもらおうかな。では明日からよろしく頼むよ」


………………

…………

……


 それからわたしたちは大広間に戻って緊張を解消するかのように大いに飲み食いをした。

 途中ケースル王の招きで壇上に立ち、大勢の前で紹介をされたがコルネリウスらの声もあって胸を張り続けられたと思う。


 ルヴェルタリア騎士やファイデンの竜騎士らとも挨拶を交わした。中でもルヴェルタリア騎士らと握手をした際に伝えられた『姫を頼む』という言葉の熱は特に印象深かった。

 樹木のように居並ぶ<トールエルフ>や<ラビール>たち、それらの合間を縫うように視線を彷徨わせてみたがイルミナ・クラドリンの姿は見つけられなかった。

 城に招喚されたと言っていたが一体どこで何をしているのだろうか。たまには少し……少しだけ話をしてみたいと思っていたのだが。


 一息つけた、と実感できたのは案内された客間のベッドに横になった時だった。

 こんなにしっかりとしたベッドに横たわったのは本当に久しぶりかもしれない。そう思うと背中に感じるやわらかさが骨身に沁みた。


「明日は……もう出発か……」


 道具と装備、それから防具もすべて王宮の使用人らが預かることになっていたので、今のわたしは丸腰だった。

 明日の朝にはすべて新調ないしは手入れをされた状態で手渡されるらしい。

 

 民間ではなく王宮の、それも友好的な組織が準備をしてくれるとなれば心配することはそうないだろう。

 嬉しい話ではあったが武器が手元にないというのはなにやら落ち着かない。


 そうムズムズしていると次第にまぶたが重たくなってきた。

 酒が回ったのもあるからか、抗うのがむずかしい眠気がどっしりと押し寄せてくる感覚がある。


 このまま眠ってしまおうか。両手足が重たく感じはじめ、意識がベッドシーツに沈もうとすると宙に浮く感じがした。

 眠りに落ちる瞬間に感じるあれかな? と、そう納得しかけたが……どうやら違う。髪と肌に風の流れを感じたからだ。

 密室のはずなのに何故? 薄目を開けるとずるり、と部屋がズレて(・・・)いた。


「……え?」


 緊張と当惑が頭を埋め尽くした。夢かな。そんなバカな。目だけは状況を瞬時に観察・把握した。

 天井と壁、床がズレている。これは……、


「切断されてる……!? 部屋ごとか!?」


 ここはファイデンの塔、それも王宮だぞ!? 驚くと同時、反射的にベッドから飛び出そうとしたが遅かった。

 わたしのベッドは何者か、あるいは何かに部屋ごと両断されて外へと落下していった。

 夜闇の中、塔群の高空の風を切って。


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