186. 貴種と侮り
視界いっぱいに極彩色を叩きつけられた。
らせん状に燃え上がる青白い炎、深みのある群青色の床。
銀の食卓の上に並んで宝石のようにかがやく、冷えを知らぬ料理の数々と宴席を楽しむ大勢の着飾った人々。
これまで多くの国賓が訪れ、多くの王侯が立ったであろう歴史あるファイデン王宮、その大ホールへつづく両扉が開いた途端、わたしたちはその場違いな世界……言ってしまえば上流の世界に圧倒され、立ち尽くした。
「アーデルロール・ロイアラート姫殿下より伺っております。
ようこそ、王城館コル・モスターク宮へ」
昇降機で別れたイルミナと入れ違いの形で登場し、以降の案内をしてくれた使用人が深々と頭を下げてそう言った。
ぱちぱちと小さな星の光がまたたく不思議な敷物の上を、料理がしこたま載ったおおきな銀皿を一人ひとつ掲げた<ラビール>たちが行列を作ってパーティ会場へ入っていく。絶え間なく料理が前へ前へと進むその様はさながら料理の川だ。
「す、すっごぉ……!」
「豪華って言葉はこの場所のためにあるんじゃないかと思えるな」
「ほんとにねって、あ~! 馬鹿! 運んでるご飯をつまんじゃダメだよ!」
「ひとつふたつ減ったってバレねえよ。立食なんだろ? おしゃべりに夢中で料理の数を気にするような連中はいねえって」
大声を上げて揉めるビヨンとコルネリウスを迷惑そうに見上げながら<ラビール>たちはよいしょ、よいしょと足を止めずに歩いていく。
「恐れ入りますが……ケースル王陛下がお待ちです。
会場を横切りますので私の後に皆様は続いてください」
使用人は白髪の混ざったヒゲの生えた口元に指を添え、そっと言う。「ではご同行を」
会場の中でも区分けというべきか、客層ごとにエリアが存在するようだった。
見たところ、入口奥から最も遠いいわゆる上座は竜王国の貴種である<トールエルフ>らが占有しており、逆に入口そばの賑やかな区画はその他の種族があてられているようだった。
宮殿のパーティにふさわしいであろう音色を楽団が奏でている。同じ音だが、手前の集団には賑やかな音に聞こえる一方、エルフら貴種の区画では厳かな音に聞こえた。
妙な緊張のある会場の隅を行くようにして歩を進めていると「おや」と声が聞こえた。
「これが次の〝四騎士〟かい? へえ」
夜空を思わせる濃紺色のローブが振り返った目の前で揺れていた。金の糸で編まれた文様は名家の家紋だろうか。声の出どころは頭上。その身なりから一目で位が高いと知れる<トールエルフ>の若い男だった。
「ずいぶんと華奢な。〝四騎士〟は騎士国の顔じゃなかったか?
それがこんな……子供とは。ましてや人間の。
ふはっ、騎士国は声を大きくして喧伝していたがその程度の看板なのかね。
詐欺にあった気分だ。こんな身なりで大層な二つ名をいただく君らも可哀想に」
「む……」
……彼らは背高な種族だ。子供でも180cm程度はあり、大人はそれよりもずっと大きい。
ギュスターヴ相手では平気だし感じもしなかったが、頭ひとつかふたつ分高い位置からエルフらに見下ろされる気分は居心地が悪かった。
「ラケテア殿。そう言いなさるな」
「北は霧に飲まれましたからな。急ぎ面子を立てねばいかんのですよ」
「ははは! 難儀だなそれは」
「身命を賭して〝大穴〟から世を護ると大言を吐いていたが所詮は……ふふ」
彼らは笑うがその目はわたしたちを向いてはいたがしかし見てはいなかった。
視線はこちらの装備の質や体つき。身なりや歩きから透ける品性、外見を品定めしては仲間内の話題の種として笑いに変えていく。
「華がないわね。所詮は人間ですし、こんなものなのかしら」
「分不相応。期待できんね」
「霧を打ち倒す剣がこれに名乗れるものかよ。見ろよあの細腕を。やはり力が無くてはならん。ワシはパステルナーク卿の言こそ正しいと思うが」
ざわざわと最初は小さな、すぐさまに場をはばからない大きな声で耳障りな言葉が聞こえた。
値踏みの視線と言葉を浴びせられている。わたしとわたしの仲間の話だ。
否が応でも関心が向く、耳が彼らの言葉を拾おうとして嫌でも鋭敏になる。
短命種族の中でも子供じゃないか。
パステルナークに負けたらしい。
アーデルロールの選択の誤ち。
嵐の夜に森の枝葉が擦れ合って立てる不快な音のようだった。音の嵐を抜けようと歩調を強めると同時、音の群れを厳粛な声が制した。
「諸兄姉」
<ラビール>の竜騎士。老練なるバレンドール・デュランが足元に居た。
パーティの席であっても竜騎士らしく羽飾りのついた鉄兜を被っている。
小さな<ラビール>の彼は<オランピア>の戦場で共に立った時とおなじくその胸を堂々と張り、自分よりも何倍もおおきな背丈の竜王国の貴種らへ言葉をかけた。
「彼らは世界の剣ですぞ。
心には熱が灯り、まなざしには勇気がきらりと光る。
そして両の足には戦地におもむく勇気がある」
エルフらのざわめきがわずかに止まった。
ある者は目を細め、またある者は嫌悪あるいは苛立ちか、口元を手に持つ扇かグラスで隠して眉をひそめている。
「バレンドール君。すまないね。いや、戦う彼らを悪く言うつもりではないのだ。
我らはガリアンの伝説をよく知っているだろう? 者によってはあの時代を生きた人物とておる。
かの〝四騎士〟と同じ名をもつ彼らを見て色めきだってしまったのだ」
この年齢になると滅多に心に興奮というものが起こらないからね、と、立っているのも不思議に見える古木のような<トールエルフ>が冗談めかして言う。対してバレンドールは背を反らして笑った。
「フレジャスビル老! 久しいですな。老と向かうと自分がジジイであることを忘れてしまいますよ。
それにしてもその話はわかる、わかりますとも! ま、彼らは良くも悪くもとにかく若い。
伸びしろだらけで羨ましい限りです! がははは!
では我らは王が喚んでおります故、失礼を!」
いつの間にか二つに割れていたエルフたちの人垣の合間を抜ける竜騎士の後に続いてわたしたちもその場を立ち去った。
好奇の視線は相変わらず背中に刺さったが、それよりも去り際に聞こえた『動物ごときが生意気な……』という言葉が妙に耳に残って離れなかった。
◆
「じゃ、わしはここまでだから」
大広間を抜けてしばらく歩き、『書庫』と記された部屋にさしかかったあたりでバレンドールはそう言った。
「さっきみたいな場面は俯くんじゃなく胸をばしっと張っときな。
身体と心どっちも鍛えてんだぞって見せりゃああいう手合いは黙る。
じゃあな。王と他のお偉方によろしく言っといてくれ」
それだけ言い残すと、どこからともなく現れた時と同様にふらっと消えてしまった。
途中、巻きタバコに手を伸ばそうとしたのを『卿、いけません。禁煙ですよ』と、わたし達に同行する使用人に注意されてバツが悪かったのだろうか。……自分の欲は自分で満たす、他人は知らん。我が道を行くのだというタイプの人物に見えるからそんなことは無い気がするのだが。
ともかく助かった。ホールに先に居たのだろう彼があの場に割り入ってくれなかったら気持ちが下向いたままだったと思う。
ぴょこぴょこと歩いて立ち去ったバレンドールの背を見送り、足音が立たない奇妙な仕様の長い長い通路を歩いていく。
柔毛に似た感触を返す床を踏んでいると『この消音性は暗殺に向いている気がするな』と考えが巡った。イルミナのにやついた警告を思い出すと自然と視界内に犬を探してしまった。
通り過ぎる扉とたまたま部屋の中──魔法で動いているのか、ひとりでに動いて掃き掃除をするホウキを見た時は驚いた──、コルネリウスとビヨンが「はあ~こいつはまた」「大したものですな」と価値が分かった風で感心している調度品、あらゆる物をつい警戒の目で見てしまう。
暗がりに妙な物がないか、とかそんな具合だ。そうしてそわそわしていると背中をばしっと叩かれた。
「ノッポの王様の話が終わったらよ」
相当緊張した顔をしていたのだろうか。眉間がすっとやわらぐのがわかった。
コルネリウスの夏のような爽やかな声。だが語調はどこか真剣で、おもわず喉が鳴った。
「確か……晩飯だったよな?」
「え? ああ……うん、多分そうなんじゃないかな」
答えると真横で良かった~! と元気な声があがった。
「いやあ、もう腹減りすぎてどうにかなりそうなんだ、俺。
後でホールにダッシュで乗り込んでさ。運ばれてくるのが間に合わないぐらいの勢いで料理を食ってやろうぜ。宮廷料理の食い倒れなんてめったに出来ねえからな!」
「冴えてるね! あ~うちは食糧庫を空にしちゃおうかな~」
「自分たちの食費が痛まないってなると途端に良いこと言うな。やっちまうか! タダ飯だ!」
「やろうやろう!」
二人のわたしを元気付けようとしてくれる声が嬉しかった。
ホールで聞いた嫌な言葉が薄れて消えていくのが心でわかる。
「……ありがとう。でもあの人達をノッポって呼んだら社会的に終わりそうだから止めようね」
絨毯の色味が変わった。真紅から藍色へ、そして焼けて色褪せたような紫色に変わると通路の雰囲気もまた一変した。
途端に高くなった天井には真っ暗な夜空を下地にして星・月・虹が描かれた天井画があり、塗料のかすれが見える星々の間を縫って蛇行する龍が虹の付け根を飲みこんでいた。
「到着しました。私はここまでです」
辿り着いた先は竜騎士と飛竜の巨大な青銅像が左右に堂々と立つ古めかしい大扉だった。
わたしを縦に3人並べたよりもなお背の高い騎士像の台座には『初代バレンドール・デュラン』と刻まれた金属製のプレートが打ち込んである。
槍を持ち、拳を掲げる姿は<トールエルフ>の特徴を備えているように見えた。
無数の年輪が見える木製の扉に取り付けられた真鍮の鐘を使用人ががらんがらんと鳴らした。ややあって重々しく扉が開き、開いた隙間から漏れ出た匂いが鼻腔をくすぐる。甘いが落ち着く、妙な匂いの香。
使用人は語らなかったがここが王の居る間……つまりファイデンの心臓、中枢だと直感した。
踏み入った先は回廊と見紛うほどの奥行きをもつ広間だ。部屋の大きさに対して窓は小さく、そのガラス部分が樹木で覆われているので薄暗い。霊廟にも似た空間で頼りになる光は天井から釣り下がった淡く輝く樹の鉢ぐらいのものだった。
光源が弱く、玉座の位置が認識できないがぼそぼそと聞こえる会話の声から、数人の人間が居るだろうことは分かった。目を凝らしているとふと奥から「承服できません!」と轟いた怒声がぐわんぐわんと何度も部屋中に反響した。
それを切っ掛けにしたのか、天井自体が暖色の光を発して部屋中が明るくなった。
怒声の主は黒コートの大男……〝四騎士〟に名を並べ損ねた北の強者、パステルナークだ。衣服の上からでも屈強だとわかる両の肩を上下させてひどく激昂している様子の彼は玉座のそばでギュスターヴとおぼしき長身を睨んでいたが、当の相手に肩を叩かれると連れ立って部屋から退出していくのが見えた。
パステルナークの怒りと不満がいくらか残っているのではと思うほどに室内にはひりつくような緊張が残されていた。文字通り嵐のような一幕があったのだろうと思う。
それが証拠に玉座に残された数人のうちのひとり、ケースル王が椅子に深々と座って息を吐いていた。
ほかに見える人物は見慣れない帽子を被った男とそれから……、
「遅いっっ!」と響く大声。
「ようやく来たわね! よし、じゃあ出発! 風精王と契約しに行くわよ!!」
先の怒声に負けず劣らず。爆弾みたいに大きい声をあげる我らが姫、アーデルロールが目をかがやかせて冒険開始の号令をわたしたちに向けて言い放った。




