184. 白々
八つある塔の内の一塔。国の心臓にして冠をもつ頭である王宮塔、その壁面にぽっかりと口を開けたおおきな横穴へとわたしたちを載せたゴンドラは入り込んだ。
金具がロープを掴んで前進をする度に鉄の箱は左右に揺れて、穴の壁面でてらてらと輝く火のあかりに乗客たちが照らされていた。
ファイデン竜王国の塔は居住施設であると同時に世界有数の古代遺跡でもあった。
ビヨンが好奇心の目を向ける塔内部の壁面にはいくつもの文様や歴史を描いたとおぼしき壁画、先人たちの碑文が残されており、これらは〝霧払い〟ガリアンが生きて剣をふるった千年前よりもずっと古い、想像も及ばないような遠くの時代のものだという。
その手の話が好きな者、あるいは学者の類であればファイデンの塔はたまらないに違いないだろうが、塔に暮らす<ラビール>達にとっては日常そのもの。どころか生活の土台だ。すっかり見慣れたものらしい。
ある者はゴンドラの乗り合い所の売店で購入した新聞に目を落とし、またある者はさっきの霧での被害を語り、ルヴェルタリア騎士の連中よりも自国の飛竜騎士の方が優れているだのといった世間話に興じたり、また別の者はミトンを編む針を操る手に意識を向けていた。
不意に。数人の<ラビール>が「おっと」と声をあげて小さく飛び上がった。ゴンドラが強い軋みと震えをあげておおきく揺れたのだ。
木編みの籠から飛び出したリンゴを踏まないようつま先立ちになったコルネリウスは「なんだ!?」と驚き、それに「なんだろうねえ」と年配の乗客が微笑を浮かべて言う。
「見ててごらん」と続いた言葉に合わせたように色とりどりの宝石の水晶が姿を見せた。壁面から鋭く突き出したそれらは剣山のようだった。
わたしたちが感嘆の声をあげて七色の光の反射を眺めていると、横に……正しくは足元に居た<ラビール>がくるりと巻いたひげの先を指で撫でながら言った。
「宝石好きの王様が居たんだ。大昔のファイデンにはね。
手足20本の指全部に目玉みたいに大きな宝石のついた指輪をしてたんだと。
足の宝石を見せたいからって一年中裸足かサンダルだったらしい。
体がそれならローブやマント、それから王冠なんてなおさらさ。全身ギラギラだよ」
「宝飾王サミエザ。絵本にもなったんだぜ」
飛竜の賭けレース表を睨んでいる別の<ラビール>がそう言い加えた。
間もなく管理局前に到着します、と案内の声が聞こえてきたのは虹色水晶の回廊をようやく抜けた時だった。
<ラビール>達は頃合いとばかりにいそいそと荷物を仕舞い、やがてホームにゴンドラが乗り上がって扉が開くと我先にと飛び出していった。
放牧を待ちかねていた羊たちが戸を外した途端に飛び出していく光景を思い出しながら、彼らに続いてわたしたちも降り立った。
たくさんの靴底が床を打つ。これまでの長い歴史で数え切れないぐらいの人々が歩いたはずなのに、凹凸の無い床はまるで摩耗していなかった。
疑問の芽がでると自然とわたしの視線は周囲の壁へと向いた。やっぱりだ、と思う。壁もまた床と同じようにのっぺりとしている、とでも表現したくなるような清潔さだった。傷ひとつ無い。あたかも昨日出来上がったような表面だ。
記憶の引き出しあたりがくすぐられた気がした。この無機質な内装はどこかで見た気がする……え〜っと……、
「なんつーか……どこだっけ……ああ! 思い出した、夕見の塔に似てるよなここ」
こめかみに拳をあててしばらく唸り、はっとそう呟いたのはコルネリウスだった。
「あ~! コール君さっきも小さい声で言ってたよね」ビヨンが続く。
「お耳がよろしいね。
とんでもない高さの空に放り出されて『お帰りください』をされた思い出だぞ?
強烈すぎる。そうそう忘れらねえって。
確かあそこも古代の遺跡って話だったろ?
ここの壁とか床を見ろよ。いや~なぐらいにキレイだ。
新品みたいに整ってるこの感じがなんだか似てると思わねえか」
「僕もそう思う。あっちの塔もこっちの塔も似てるよね。どうしてだろう?」
男二人の話を聞いたビヨンはあご先に指を添えて「う~ん」と唸り、それからパッと目を見開いてから、
「この作りが一番作りやすかったからだったりして!
ほら、模型みたいに部品をくっつけるだけで塔が出来上がり、みたいなさ。ガッチャンって」
空想の部品を両手に持ってくっつけるジェスチャーをするビヨンの考えはどうしてか真に迫っているような気がした。
にへらとした顔で笑う彼女は昔から時折こうした鋭い意見を言う。
「そんなわけがない」と咄嗟に切り捨てられないのはどこか真実味を帯びているからに違いない。
そういえばイルミナも『この手の人間の言うことを『はいはい』と流さないほうがいい』なんて言っていたっけ。
確かにあり得る線かも、と口にしかけると何かがうなじにつん、と触れる感触があった。
「よろしいですか?」の声をかけられたのはわたしがとんでもない大声をあげて驚いた後のこと。
「アーデルロール姫殿下のお連れの方でよろしいでしょうか?」
燕尾服を着た<トールエルフ>種の男性がそこに居た。
彼は枯れ枝のように節だった細長い指先を申し訳なさそうに胸元へ寄せて、
「失礼しました。私は王宮仕えの使用人、バーゼムと申します。
アーデルロール姫殿下よりお連れの方が中央に見えましたら会場へ案内するよう承っておりました」
「会場?」
乱れた襟首を正しながらわたしは訊き返した。目はまだ白黒していたと思う。
「はい。中央……王宮塔の上層にそびえ、我らが王がおわすファイデン王宮では、アーデルロール姫殿下の来国と〝霧払い〟の再来を祝して立食パーティが催されております。
おお、〝霧払い〟。霧のたゆたう時代にあってまたも人を救う剣があらわれるとは。
私ずいぶんと長く生きておりますがこれほどの感動は数えるほどしかなく、老いた身が震えております。愛神に感謝と信仰を。
おっと、そうでした。殿下は――」
はっと我を取り戻した彼は一瞬口ごもり、
「……ご友人方が同席することを強く望んでおりまして、私が迎えに参りました次第にございます」
彼は任務を確実に遂行する意思の持ち主で、わたしたちに『参加されますか?』と了解を取るどころか質問をすることさえしなかった。
長くしなやかな腕と指を指揮棒、あるいは風に吹かれる枝さながらに揺らして振り、とある壁を示すと「あちらへどうぞ」とわたしたちに移動を静かに促した。
ぞろぞろと足を運び、何もない壁の前に立つ。「……オレたち(うちら)かつがれてない?」コルネリウスとビヨンの二人がぼそりとつぶやいたのを聞いたのか。味気のない壁が突然、パズルを崩したかのようにばらばらと砕けて最後には小さな光になってほどけてしまった。
おお、だの、すげえ、だのとそれぞれが驚きの声を漏らして見守ること数秒。小部屋ほどの空洞が壁に開いた。
「どうぞお乗りください」
「えーと……これは……?」
「上層への昇降機です。すぐに着いてしまいますが、見事な絶景が見れますので目に楽しいですよ」
と、言われて踏み入った小部屋だが窓が無かった。
これでどうやって絶景を見るんだろう? と考えると小部屋の壁面に亀裂が走り、白い壁はあっという間に崩れ去って白い小部屋はガラス張りの部屋に変わった。これは……ちょっと展望が良いどころの話ではない。
「おいおいおいおい!? 怖すぎるんだが!?」
「ははは」一笑に付される。
「慣れないと驚かれますよね。では参りましょう」
使用人の指先がガラスをこつこつと叩くと扉が閉まり、いよいよ部屋が全面ガラス張りになる。
ちょっと怖いな、と足がすくんだその時「待ったァ!」と大声が割り入った。
声の主はおもむろに閉まりゆく扉に勢いよく足を突っ込んできた。
白いスカートとその裾からすらりと伸びる純白のタイツ。
その乱入者――おそらく女だ――は雪色のブーツを履いた足に渾身の力を込めて扉を開こうとしている。
一方で王宮の従者は「おやめください!」と叫びながら口元に手をあてて慌て、わたしたちは嫌な予感を胸にしてただ呆然と事の行く末を見守った。というか面食らってしまってそれ以外にできなかった。
混沌を生み出した女は閉まりゆく扉をとうとう手で掴み、足と手とかなりの気合でついに開き切った。
女は気持ちの良い笑顔を浮かべていた。
白いローブと帽子。絹のようにきらめく金の髪と深い知性を感じさせる美しいアーモンド形の目。
「し……」
「し?」
「師匠~~~っっ!?」
鼓膜が爆発した。わたしの耳元でビヨンが叫んだからだ。
突如現れたこの女は今更言うでもないことだが、よくよく知っている。イルミナ・クラドリン。
わたしとビヨン、そしてわたしの母の魔法の師。あらわれる度に普段はおだやかな運命という水面を予想のつかない手で波立たせる女。
「また会ったな我が弟子その一、その二。実に奇遇だ」
「……そのにやつき顔。知っていて来たんでしょう、イルミナ」




