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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
十章『滅紫の八塔』
187/193

182. 残照

 銃弾が大気を灼く。

 敵対者であるわたしの命を奪おうと、豪雨のごとき勢いと密度で絶え間なく迫っていた。


 正直言えば遠間の攻撃への対処は得意ではない。

 それでも半端な技術で放たれる弓矢ならば剣で落とせる自信はある。そういう訓練を積んだし対処の経験もあったからだ。


 だが魔導の機構から放たれるこの脅威に対処することは不可能だと理解できた。


 第一にこの銃弾に実体はどうやら無く、相手が冷静になる暇を与えない継続的な攻撃は剣ひとつでは対処のしようが無かった。


「このまま、じゃ、駄目だ……っ!」


 パステルナークの背中を追って戦いの場に着くなりに拾い、握っていた盾を突き出し、足を踏ん張っていくらか耐えてみせたが、盾のふちが一度抉られるとヤスリをかけられた木材のように盾はその輪郭を失い、使い物にならなくなるまでは一瞬だった。


 以降はビヨンに流れ弾が向かないよう回避に徹し、一瞬一瞬を生き長らえていく。


 わたしが注意を引く間にコルネリウスが攻撃を仕掛けたが結果はふるわない。


 死角から刺突を放ったが素手で槍の穂先をいなされ、流れるように柄を掴まれた。


「うおっ!? ま、じかよ!」


 驚愕の表情には攻撃を止められたこと、それから柄を引かれて重心を崩されたことの二つの意味が込められていた。

 体に強烈な蹴りを喰らったコルネリウスは、広間の隅で埃をかぶった備品の山に叩き込まれた。

 半ば反射で防御姿勢をとってはいたがあの一撃は相当に重たかったはずだ。復帰までは少しかかるだろう。


 と――、


「……、は!?」


 目の前に居たはずのパステルナークの立ち位置が変わっている。

 確かに真正面に捉えていた黒コートの騎士は視界の端へ移っていた。

 

 気のせいではない、と意識した途端におぞ気が首筋を冷たく這う。


「(速過ぎる! 一体何をしたんだ!?

  いや今はそうじゃない、それよりも、この男、くそっ――!)」


 状況の違和感に気が付くのに一瞬遅れ、続けて当惑、そして腹の底に感情の衝動が爆発のように沸き起こった。


「お前! その手を離せっ!」


 老騎士の片手がビヨン・オルトーの細首にかかり、握り締められていた。

 ビヨンの手足に力は無く、地に向けてだらりと垂れ下がっている。


 落ち着いて観察すれば致命のそれでは無いと分かったかも知れなかったが、彼女の指から杖が離れ、硬質な反響音を立てて地に落ちるのを目にした途端にわたしは『戦場で失ってはいけない』と父から散々教えられていた冷静さを欠いた。


「お前たちは戦闘開始と同時に私を殺しにかかるべきだった」


 数メートル離れた場所に立つ老人がビヨンの細い体を壁へ向けて軽々と投げ捨て、ぽつりとそうつぶやく。


 彼の一挙手一投足、コートの黒色までもがわたしの神経を逆撫でする。

 パステルナークに肉薄し、あの頑健な体へ刃を叩き込むのにどれだけの時間が必要だ?

 2秒、あるいは3秒。


 戦いの趨勢を分け、生死の結果に深く関わる数秒間を始めてやろうと、そう手足に意思が走った途端、天が落ちたような重圧が背中を打ち据えた。


 パステルナークが何かをしたのか? 無意識に喉が鳴った。


 攻撃の動作を継続しながら彼を睨むが、彼は妙なこと――魔法の詠唱や何かしらの仕掛けの開始だ――は一切していない。ただ手斧を掲げただけだ。


 あまりにも自然な所作だった。

 例えば呼吸による胸の上下、あるいは手指を曲げる。


 肉体が生来に持ち得、稼働するだろうと誰しもが認識している動作と同じだ。

 その動きが当たり前のように見えすぎていて、わたしは一切の違和感を抱けなかった。


 修練場に射す陽光を背負い、パステルナークの黒い輪郭が掲げた腕を打ち下ろす。


 わたしと再起しつつあるコルネリウスまでには長槍でさえ届かないほどの距離があり、当然その刃は空を切る。

 そのはずだった。


 大木の束を一息で切り裂くような不快だが死に直結する不穏な音が聞こえた直後、右肩がおおきく裂かれた。


 一切の回避・防御行動をおこなえなかった二人の血液が宙に散り、何もできなかった結果をありありと示している。


「っ゛!?」

(うっそ)だろオイ!」


 この傷は深いと直感で理解できた。

 まだ一撃も報いていないのに戦闘行動に支障をきたす負傷を受けてしまった。


 ひどいショックだった。

 わたしの激情を冷やし、攻撃の熱を静めさせられたその原因は心に走った強い衝撃、パステルナークという男の正体の知れなさだ。


 戦闘中においては意識が鋭敏となり、一瞬の間にいくつもの思考が湧いては消える。

 実時間にしてまばたき程度しかない時間の中で『何をされたんだ?』と頭を回す。


「(……この男の実力が測れない。

  ルヴェルタリア十三騎士団のひとつの長だ、技術や筋力が常人離れしているのは分かる。僕はそこじゃない部分が知りたい。彼が持つ能力はなんだ?)」


 戦いの舞台に真新しい斬撃痕が無数に刻まれているのを認識し、脂汗が肌ににじむ。

 この痕跡はつい一瞬まで存在していなかったはずだ。


「(視認できない移動速度に加えて不可視の多重斬撃。

  参ったな。〝四騎士〟に入るはずだったって話が嫌になるぐらい重く思えてくる)」


 パステルナークを挟んだ視線の先、コルネリウスは胸から腹にかけて傷を負い、衣服が出血に汚れていた。しかし交差した視線には当惑の色こそあるが闘志が宿っている。


 呼吸をするだけで相当苦しいだろうが彼はやる気だ。その不屈さを見て、不思議とギュスターヴ・ウルリックの勇姿を連想した。


「(ここで合わせられないなんてことは無いよな、ユリウス・フォンクラッド!)」


 そう念じたわたしと彼が駆け出すのはほとんど同時だった。


 一撃放つだけでこれだけ有利を取れるんだ。

 この黒コートのルヴェルタリア騎士は必ずまたやる、この不可視の攻撃を仕掛けてくる。


 攻撃の正体は知れない、予想もつかない。

 山勘に命を預けるのは避けたかったが……やるしかない。そう腹を決めた。


 あの手斧にタネがあるのだろうと意識を研ぎ、脅威を除外しようと深い集中の中に潜る。


「――振らせなければこっちのものだ」


 やはりパステルナークの手斧がふたたび上がる。

 斧がたたえる鉄色を睨み、自分がなぞるべき剣の軌道の案を脳裏に描いた。


 腕を切り飛ばすのが最善手。

 だが間に合わない。ならば次点――あの斧を狙う。

 振り下ろされる刃を下から弾くように切り上げれば攻撃を中断できる。


 斧を振る工程の一体いつ、どのタイミングであの斬撃が発生するかは未知だ。

 未知だが、やってのけなければ今度こそ戦闘不能に陥ってしまう可能性が極めて高い。


 コルネリウスとわたし、どちらも傷は深い。

 無理をすれば傷がさらに裂けて今後使い物にならなくなるかも知れない。


 痛みと懸念は戦いの興奮が消してくれた。

 強者を前に怯える心はまだ起き上がらないビヨンを思うと吹き消えた。


「(〝金獅子〟の長だろうが知ったことじゃない、仲間を……ビヨンを傷つけた報いは受けてもらう!)」


 わたしの剣はパステルナークの正面を、コルネリウスの槍は老騎士の背を狙う。

 挟撃に晒される直前であってもろくに防御姿勢を取ろうともしないこの男が憎たらしく、同時に恐ろしく思えた。


 身を低くし、より一層強く踏み込むと足元を蹴って騎士の懐へ素早く潜り込む。

 肉体の芯を引き締め、肺の空気を空っぽにするつもりの強い呼吸で全身に力をこめると渾身の力で切り上げた。


 北騎士の剛力で握られた斧とドルゲルバドルが手ずから鍛えた剣とが衝突する。

 起こる火花を挟んで狩人の視線がわたしを射抜く。無感情な目だ。


 と、衝突の直後に指が剣のグリップから浮いた。

 背筋をなぞられ、引き抜かれるようなぞっとする感触――『力負けした』、その負の一念が脳裏を埋める。立て直すアイデアが泡となっていくつも浮かぶが所詮は閃きだ。行動には移せない。


 手首が曲がってはいけない角度へ曲がり、指から木の枝を手折った音が聞こえた。


 苦痛に呻く間もなく、あの斬撃が肉体と広場を引き裂いた。

 新たに傷を負ったわたしの腹をパステルナークの鉄靴のつま先が的確に捉え、壁を割り砕く勢いで蹴り飛ばす。


 痛みが炸裂し、視界が白む中で聞こえた戦いの音の正体を見定めようと眉間に力をこめると、コルネリウスが立っているのが見えた。

 彼は見えざる攻撃を受け、凌いでいたのだ。


 目を凝らしているのに像が揺らぐのが苛立たしかった。

 なかなか回復しない視界とは真逆で、機能している聴覚はコルネリウスの叫びを拾ってくれた。


「てめえ、好き放題やりやがって! ぜってえに頭下げさせてやる!」


 もやのかかる視界に紫色の光がまたたき、どうやら紫電らしいそれは空中を光の筋で彩っていく。その瞬間に起こった驚きの声は二人分だった。


「あ!? 雷は返したはずだぞ!?」

「ウルリックの雷!

 見間違えるはずもない――ギュスターヴが分けたのか? お前のような男に……!?」


 張りのある叫びが耳を叩くと視界が戻った。パステルナークは片手に斧を、片手に魔導銃の銃口をそれぞれ握ってコルネリウスを仕留めにかかっている。


 左右の得物の攻守が目まぐるしく変わり、攻めの苛烈さは加速度的に上昇していく。

 卓越した技巧で繰り出される鉄の暴風がごとき攻撃の前に、コルネリウスの守りはそう長くはもたなかった。


 相手に敗北を叩きつけ、己の勝利を確定させる瞬間――決着には特有の空気がある。

 それは吹き荒れていた風がピタリと止まるような違和感、激しい戦いの間隙、呼吸の間。


 老人の手斧が水平に握られた槍の柄を、激烈に殴りつけたのがトドメだった。

 炎の〝精王〟から賜った槍は折れこそしなかった。しかし所有者に伝わる衝撃と重さは尋常ではなく、両の足を地面に押し付け、耐えようとしたコルネリウスは問答無用で叩き伏せられた。


「コールッ!」


 地面に爪と指を立てて立ち上がろうともがくコルネリウスの口元からは赤い血がこぼれている。

 まずい箇所を切断されたのか全身に力が入らない。肉体の不自由を思い知れば知るほど、この男をどうにかしてやりたいという怒りが血とともに全身を巡っていく気さえした。


「さっきの剣もそうだったがこの槍……頑丈だな。

 人間ごと叩き切るつもりで斧を落としたが折れるどころか欠けてさえいない。

 この世の物とは思えん。お前たちの手には余る代物だ」


 その汚れた髪をパステルナークは無感情に掴み、青年の顔を上げさせた。


「お前が護衛ごっこの頭か?」

「あ゛……?」


 顔を血と土で塗った顔は苦しいがやはり目は死んでいない。

 明確な敵意を視線に宿すコルネリウスの頬を張ると老騎士は質問を続けた。


「三人の中でお前がもっとも強いのか? と訊いている」

「い゛ってえな……! 悔しいが、そりゃ俺じゃなくて相棒だな。ユリウスだよ」


「あそこに落ちているボロ雑巾が腕が立つ(・・・・)

 お前はあれを『強い』と捉えるのか?

 なんだ、それは。失望を過ぎて怒りさえ覚える。

 力を隠したまま戦いに臨み、勝利を得ようとする人間を戦士として二度と見るな。不愉快だ」


 吐き捨てるように言うとパステルナークはコルネリウスの髪を離した。

 黒コートの裾を風にはためかせ、三角棒のつばを撫で、深く被ると彼は表情を消した。


「――たかが呼吸を一時潰された程度で死ぬ気で立ち上がろうとしない女。

 怒りこそあれど人間相手となれば決死で挑もうとしない優男。

 そして〝王狼〟が雷を分け与えた意味をよく考えもしない木偶。

 お前たちのような人間が、姫を……霧払いを……私は……」


 死ぬほど不快だ、と。

 その一言が戦いの幕切れだった。


 目にも止まらぬ速度で斧が振るわれた――らしい。

 壁面が大きく裂け、陽光が新たに射して埃がもうもうと舞い上がるのを認識すると同時に後頭部に強い衝撃を受けてわたしの意識は途絶した。


………………

…………

……


 慌ただしい声で目が覚めた。

 柔らかなシーツの香りと枕の感触。ズキズキとした痛みはあるが、ここが戦闘の場でなくベッドの上であることはすぐに分かった。


霧の探知機(ミストベル)が鳴っているのが聞こえているでしょう!

 医療術師の支度を急いで!」

「分かってる! 居住塔にも人を送るんだ!」


 どこか懐かしい、涼しくも恐ろしい鈴の音が響くここは病室だ。

 彷徨わせた視線は何人もの<ラビール>の耳が揺れる様や人間たちの姿を捉え、開け放たれた扉から運び出されるベッドの上に寝転がされたビヨンとコルネリウスも確かに見た。


 ちょっと待ってくれ、と言いたかったが声に発する前に視界の外からあらわれた男に組み伏せられた。


「お目覚めかい! 最初にお伝えしておくが君は一番重体なんだよね。

 大きな裂傷がふたつ、いやみっつだったかな。とにかくまともには動けないね。

 ひどい傷を見るのが私は好きだから嬉しいけど君は嬉しくないよな。ははは!」


「あの、一体何が」


 初対面の男がなんとも嬉しそうに口角を上げて笑う。

 医療者の白衣を着用し、胸元にはデーベルと書かれた名札とペンがいくつも収まったポケットがある。


「ああ! 霧だよ霧!」


 彼が指さした方向には窓があった。ガラスの向こうには灰色のもや――霧が横たわっている。


「ルヴェルタリアが沈んでからはいつもこうなんだ。

 まったく、慌てなくってもいいのにな。

 放っておいたって高給取りの騎士どもが倒してくれるんだから私たちは茶でもしばいてればいいんだよ。今はルヴェルタリアの騎士だって居るしね」


 言いながら男はベッド脇の棚から薬品や書類の類を取り出し始めた。

 周りは慌ただしいというのに彼だけはマイペースを貫いている。


「しかし君の身体は難儀だね。

 回復魔法が効果をほとんど効果を発揮しないというのは驚いたよ!

 どこかで呪いでも受けたかい? 西大陸(ローレリア)の冒険都市じゃ妙な身体に変えられちまうってのは珍しい話じゃないらしいが」


 それから乱暴にシーツをめくり、傷の具合を確かめようとわたしの体に触れた。


「経験はあんまり無かったが、切って縫って縛っておいたよ。

 まあ上手くいってればすぐに治るんじゃない?

 見たトコ君は若いしね――と、おや? おやおやおや?」


 男の指が血のにじむ包帯の上から右肩に負った傷をなぞったが、わたしの神経を鋭い痛みが走ることはなかった。せいぜいが鈍痛といった程度だ。


 心臓という炉に火がともり、熱と活力が全身を伝わっていく実感がある。

 この感覚は知っている。霧の戦場に立った時のあの高揚と万能感だ。


「こりゃ驚いた。傷が快方に向かっている。君の身体はどうなってんだ?」

「それが……自分でもよく分かりません。

 あの。もうベッドからは出れますし、病室を出てもいいですか?」

「構わないが……まあ世の中いろんな人間が居るか」


 ずり落ちた眼鏡を鼻先に戻しながら男が目を丸くしてそう言った。

 処置を施してくれた礼を口にするわたしを見送ろうとする間際、彼は思い出したように声をあげた。


「そうだ。王宮塔の使いから君たち三人を呼べ、と伝言を受けていたのを思い出した」

「伝言?」

「詳細は知らないが金髪のお仲間二人を捕まえて王宮塔に行けばどうにかなるだろう。

 あの二人には回復魔法がよく効いた。もう立って走ってが出来るから、後はご自由に」




 二人が運ばれたベッドの行き先を通りすがりの人間に聞き、合流しようと霧がたゆたう塔を足早に歩く。


 途中、何人もの銀騎士とすれ違った。窓枠の向こうに横たわる霧の中を飛竜が駆けるのを目撃したし、魔法の光がまたたくのも横目で見た。


 パステルナーク。〝金獅子〟のジョシュア・パステルナーク!

 完膚なきまでに負けた。力を出さなかった後悔で喉元が気持ち悪い。


 どうして〝紋章〟を使わなかった? と、そう自問した。

 答えはすぐに見つかる。相手が人間だからだ。


「……覚悟が足らなかった。

 コールが傷を負った時――違う、ビヨンを戦闘不能にされた時に決めるべきだった」


 そのせいで仲間を危険に晒した。

 血がにじむほどに拳を握り締めてわたしは廊下を進む。


 ああすれば良かった、こうすれば違った結果だった。

 たらればの想像と、掴めたかも知れなかった未来の妄想がわたしの意識を現実から遠ざける。それは二人の無事を目にし、三人で抱擁を交わしても後悔の念が静まることはなかった。


投稿後にちょこっと直しました。(はれま)

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