181. 北騎士の矜持
男たちは互いの手を破壊せんばかりの力を込めた強すぎる握手を交わした。
十三騎士団のひとつを預かる猛将と〝王狼〟の力強い挨拶、その様子を見守るルヴェルタリア騎士たちは、ある者は目を見開き、ある者は背伸びをして「おお……」だの「凄まじい」「ウルリック閣下はお変わりないようだ」などと感嘆の声が上げた。
なんなら声に混ざる興奮の感情はアーデルロールを目にした時の動揺を上回るものがあったように思う。
挨拶はたったの数秒だったが、白髪の大男はそれで満足したらしい。
彼はアーデルロールへ向き直ると厳かに跪いた。釣られ、彼が率いる銀騎士の群れもまたその場に素早く跪く。
『厳格』という言葉が人の身を得たような厳しい面構えの男だった。
腹を抱えて笑ったことなんて一度もないんじゃないか、そう思ってしまうぐらいに彼の顔は強張っていた。
高い眉根が落とす影の中に見える目は細く、鋭い。さながら獲物の弱点や隙を探り、仕留めようと狙う狩人のようだ。
「ご壮健で何よりです、姫殿下」
冷徹な視線とは裏腹に、声には喜びの震えがあった。
「パステルナーク!」
アーデルロールの顔に笑顔が咲いた。彼女は血管が浮いた大男のおおきな手を両手で握り、上下にぶんぶんと振って再会の喜びを全身で表現している。
「王都からは離脱出来たってエイリスから聞いていたけど、目で見て安心したわ。
無事で良かった、本当に。まああんたが死ぬとは思ってなかったけどね。
ん、団の皆も相変わらず元気良さそうね! あんたら調子はどう!?」
笑顔とともに向けられた言葉を受けると「絶好調です!」と銀騎士たちが声をあげた。
「ところであなたたちはファイデンで何をしているの?」
破顔する部下を冷たい視線で黙らせたパステルナークが答える。
「総団長のやつから指示を受け、ファイデンに湧く霧の魔物と人民を狙う飛竜の類を粛々と討っております。
この場にはおりませんが〝影蛇〟の隊も同様です。
また別の命も受けていますが……」
男の視線が思わせぶりに広間を舐めた。
「外の者の耳がある場で話すことではございません故、場所を変えてお伝えします。
申し訳ありませんがご容赦を」
「この場で言えないってことは随分重大な話なんだな」
「ふっ。その通りだ、ギュスターヴ。
まあ楽しみにしておけ。お前は特に喜ぶ話だからな。
ところで姫様。私からもひとつ質問をしてもよろしいでしょうか」
「構わないわよ?」
「感謝します。そちらの人間は何者でしょう」
パステルナークの鋭い視線がいよいよ真剣にこちらを向いた。
貴き血のアーデルロールとは違ってわたしたちは正真正銘、辺境出身の一般人だ。
旅を振り返ってみれば値踏みの視線を受けたことは何度もあったが、ここまで粗を探したり気に喰わない意思を隠しもしない視線を受けたのは初めてかも知れない。居心地が悪い。
「彼らはあたしの仲間よ。
子供の頃にリブルスで出会った友達」
「は、お仲間。そして大事なご友人ですか」
「そう、大事な――大事な!? そうね……だい、大事なとととも、友達よ。
みんな! 自己紹介してあげて!」
春風の笑顔を顔に浮かべてアーデルロールが答える。あたしの自慢よ、とでも言いたげな本当に良い顔だった。
流れのままに各人が順々に挨拶を口にしたが、アーデルロールのそばに立つ男はわたしたちにはかなり冷たかった。
その冷たさたるや、冷水で濡れた体で感じる北風である。
アーデルロールとギュスターヴと接する時には声を弾ませていたのにえらい違いだ。
具体的には以下。
「初めまして。ユリウス・フォンクラッドです」
「ああ」
「コルネリウス・ヴィッケバイン」
「そうか」
「うちはビヨン・オルトーという者です」
「ん」
誇張も何もなく以上である。
たまらず、いや反射的にコルネリウスは「このおっさん聞いてるのか?」とこぼしてしまっていた。
「私はジョシュア・パステルナーク。
我が剣の主であるレオニダス王陛下より〝金獅子〟の一団を預かっている。
お前たちの自己紹介は……ハッキリ言ってやる。まるで聞いていない。
せめて形だけでもと思っただけだ。初対面だが私は既にお前たちが嫌いだ」
清々しいほどに正直な男だった。
そしてこちらの正直者であるビヨンは目を細めた上に舌を出して『なんだこいつ』なんて顔をしている。
初対面の相手に対してはとんでもない無礼だと思うが、まあここまで言われたのならこのぐらいやったっていい気がしなくもない。
しかしパステルナークという男はド田舎から出てきた小娘の悪態など歯牙にもかけなかった。彼は王家の娘へと視線を向け、
「姫殿下。この先の旅も彼らを連れて進むおつもりですか?」
『失礼ですがあなたは正気ですか?』とでも言いたげな声と態度、それから神妙な面持ちで問いかけた。
問われたアーデルロールはといえば、のんきにきょとんとしている。
首を少しだけ傾けて「そうだけど?」と悪気なく口から放った答えは、この男にとって望ましいものでは決して無かったらしい。
〝金獅子〟騎士団の長はほとんど間を置かずに「認められませんな」と厳粛な声で言った。
「どことも知れない田舎の出の人間など〝霧払い〟の道連れに相応しくない」
「どこともじゃなくって、<リルム>っつう村だよ」
「いえ、ギュスターヴ・ウルリックは例外です。
この男の実力は確かな上に王家の刃。忠節の騎士にして〝王狼〟ですから」
当然のように言葉を無視されたコルネリウスもビヨンに倣って『こいつ気に入らねえ』といった顔をする。ここまで蔑ろにされては流石に面白くなかったが、わたしは話の行く末を見守ることに決めた。
「道連れは十三騎士団の内より見繕うか、各国の有力な者を今からでも抜擢するべきでしょう。
帝国の七戦士や、連邦の筆頭剣士あたりは貸しを返せと迫れば徴用できます」
「おいおいおい。俺たちだって『有力な者』だぜ、白髪のおっさん。
なんてったって〝精王〟の試練を二つも越えたんだ。
これは帝国のなんとかや筆頭なんとかじゃ越えてない修羅場だろ?
そこんとこは加味して判断して欲しいね」
「……確かに」
懲りずに挟まれたコルネリウスの言葉を今度こそこの老騎士は聞いた。
主に具申する声とは違い、唸る猛獣のような恐ろしい音だったが会話は成立した。
「確かに私はその試練の厳しさを知らない。他の者もそうだ。
姫殿下が健在のお姿のままでここにおられる。これはお前たちが殿下の一助となって試練を越えた何よりの証だ。
非情に口惜しいことだが……見事だ。
認めよう。貴公らの武勇は称賛に価する」
言葉とは裏腹に声には怒気が滲んでいた。
彼は同じ調子でもう一度「見事だ」と呟いてから、
「だが道中に現れる怪物や怪異の対処、そしてルヴェルタリアの裏切り者……〝四騎士〟との戦闘は手の内を知り、戦いの場数を多く踏んだ我ら十三騎士や他国、野にある英雄・強者が勝る。
〝精王〟と戦うほどの心得がある貴公らにならその理屈は分かるはずだが?」
「……っ」
「ちょっと、パステルナーク――」
「失礼」
身を乗り出すアーデルロールを白髪の男はおおきな手を突き出して制止した。
「姫殿下と貴公らは幼少からの仲だ。
……ならば姫殿下を身近に感じるということを理解できなくはない。
だが、自覚しろ。
アーデルロール・ロイアラート姫殿下はこの世界において唯一無二の御方だ。
ガリアン王の血に連なり、〝霧払い〟を成せる人物は姫殿下以外に存在しない。
その身に万が一があっては断じてならんのだ。
これは警告であり助言だ。
お前たちは身を引け。これまでの貢献に見合うだけの報奨金は出す。
連邦へ戻り、アーデルロール姫殿下が霧を払うその日を待て」
「ちょ――ちょっとちょっと! 勝手に話を――、」
アーデルロールの物言いが入るがこれもパステルナークの迫力に阻止された。
この男……以前に出会った十三騎士団の団長、〝鉄羊〟のエイリスとは随分と違う。
自分の発言を中断させない腰の据わった物言いと強い発声、そしてそれに見合うだけの覇気は政治に深く携わる人間のようにも思えた。
彼はわたしたちから視線を外さないままで言葉を繰る。
「だがここまで姫殿下と道を同じくした連中だ。
初見の相手に下がれと言われて『そうですか』と素直に従いはしないだろう。
そら、やはりな。いっぱしに闘争心を燃やした目をする」
「あっ当たり前です。
うちらはアルルちゃんに付いてくって決めてるんです!
でっかい身体で脅かしたってギュスターヴさんで慣れてるから効果無いですよ!」
杖を両手で握り、気合を入れたビヨンの言葉がパステルナークの身体を叩いた。
「……ふん。
ルヴェルタリアには古来より『言葉を繰る者は弁舌で、剣を繰る者は剣にて語れ』という言葉が伝えられている」
「文句があるんなら腕っぷしで納得させろってことか?」
「理解が早いな。
そういうことだ。私に勝れば姫殿下の供に相応しいと認めてやる。
ファイデンの竜騎士ども! バレンドール、おい、バレンドール!」
雄叫びがごとき声を発するパステルナークに対して、<ラビール>の竜騎士は皆が耳に手を当てていた。
うんざりした顔で竜騎士の長は大男を見上げ、唇を尖らせて応答する。
「デカい声出さなくったってさっきっから聞こえてるよ」
「修練場を借りるぞ!」
「ご自由に」
話が通ったのを確認するとパステルナークは「副長。委細は任せる」と兜を角で飾った騎士へ向けて言い残し、
「ついてこい。話の続きは闘技場だ」
言うが否やに競歩がごとき速度で歩きだしてしまった。
今にも通路へ入り、道を曲がろうとする彼の背中を見てからわたしたちは互いの顔を見合わせた。
「どうする?」
「当然認めさせるだろ。あのおっさんは気に入らねえ」
「やってやろう、やってやろう!」
「待って待って、待ちなさいってあんたたち。ちょっとあたしの話を――」
「失礼。アーデルロール姫とギュスターヴには別件でお時間をいただきたい」
話に横入ったバレンドールがそう口にした。
アーデルロールはあからさまに話を後回しにしたそうだったが、「レオニダス王に関わることです」と言葉を添えられると観念し、彼の言葉を飲んだ。
「じゃあ僕たちは行くよ。パステルナークさんを見失っちゃいそうだ」
「あんな野郎に『さん』なんて付けなくていいだろ」
「いやいや、一応はさ」
「……ビヨン、コール、ユリウス」
神妙な声だった。アーデルロールにしては珍しい声に思わず三人の注意が向く。
「挑むなら少しも気を抜かず、本気でやるのよ」
「ルヴェルタリア騎士相手に手を抜くつもりなんかないぜ」
「思ってる以上に気合を入れろって話よ。
それこそドルゲルバドル王との戦闘と同じぐらいに。
彼は〝四騎士〟に入るはずだった男なの。相当強いわよ」
「そうなの!?」
「メルグリッドに席を奪われてしまったから〝四騎士〟入りは成らなかったけどね。
本当に強いわよ。
ただルヴェルタリアの騎士らしく、力が十分なものだと判断されたらきっと認めてくれるから……死なないように」
………………
…………
……
人気の無い円形状の広間で相対する男、ジョシュア・パステルナークは霧討ちの勇者である。
ルヴェルタリア騎士の主戦場だったイリルの大穴における戦いは、わたしが経験した<オランピア>平原の戦いに勝るものだと聞いている。
彼の地にあらわれる敵は強力にして強靭であり、霧がほとんど尽きることなく横たわっているが為に怪物が発生し続けている終わりなき戦場だ。
今にも溢れようとする混沌を人の身でせき止め続ける存在がルヴェルタリアの十三騎士団であり、すべての戦いを生き抜き、勝利した豪傑がパステルナークという男だった。
彼は銀鎧の上から黒の革コートを着用し、頭には同じ闇色の三角帽を冠っている。
鍔が落とした影の中に浮かぶ鋭い視線、そして帯びた気配と身てくれは騎士というよりも狩人に近い。
「〝四騎士〟とは」
コートの内から魔導銃を引き抜き、弾倉を回転させながら狩人が言う。
「現世において最強の4人に与えられる称号、世界の剣だ。
彼らは時にルヴェルタリアの騎士の内から、時に他国や野より選出される。
〝四騎士〟の選出基準はただ一点、無双の強さのみだ。人間性は考慮されない」
つづけて片手で扱うようサイズを調整された片刃の斧が取り出された。
無数の血を吸ったであろう鉛色の斧頭を地に向け、言葉を繰る彼が放つ殺気は濃密だ。
アーデルロールの『気を抜かないで』という警告の言葉がよみがえる。
なるほど、パステルナークが放つこの強烈な威圧感は〝巨人公女〟や〝ウル〟と対峙した時に感じたものに似ていた。
「〝四騎士〟は……その名は古くはガリアン王と共にあり、人界に危機が迫るこの時代においてはアーデルロール姫殿下と共に霧を払う勇者を指す」
「ってことはメルグリッドやドラセナは違うんだな。連中はアルルと共に居ないからな」
ドルゲルバドル王に鍛えられた槍を握ったコルネリウスが放った言葉を受け、パステルナークの怒気がさらに強まった。
「当然、論外だ。以前は勇者ではあったが今は違う。
メルグリッド、ドラセナ、そして〝ウル〟。
ドガ卿の行方は知れないが、奴ら三人は裏切り者だ。
塵どもめ。機会さえあれば私が全員仕留めてやる」
斧を握る手に相当の力が加えられているらしく、ぎしぎしと不気味な音が少し離れたこちらにまで聞こえてくる。
「お前たちは姫殿下に付いていくと決めていると、そう言ったな。
つまりは自らを〝四騎士〟か、あるいは同等の者であると自負しているわけだ。
ならば力をもって私に示せ。
自分たちの実力は帝国の七戦士やギルド――いや連盟の特等を上回り、我ら北の騎士よりも強く、姫殿下の身命を守護し、共に霧を払うに足る英雄であるのだと」
途端、両肩に重石を乗せられたような重圧が全身を襲った。
強烈な敵意を伴った視線がこちらを射貫く。
「殺す気で来い。私はそうする」
「殺す!? そんな必要あるんですか? 手合わせぐらいで十分――」
「この場でそれを決めるのはお前ではなく私だ。始めよう」
垂直に持ち上げられた魔導銃の銃口が迷いなく、ピタリとビヨンを向いた。
魔法使いを初手で狙うのは対人戦の常套手段。
この男は――この男は躊躇なく引き金を引く。
そう直感すると同時、わたしはビヨンを弾き飛ばそうと真横へ跳んだ。
正体の知れない熱が首や肩、背中を焼いた感覚が上半身を走った。
痛みはあるが堪えられる。
そう自覚すると押し倒したビヨンの身体から身を起こし、全身の意識を平時から戦いのそれに素早く切り替えた。
相手は〝四騎士〟に入り損ねた男だ。霧の中に居る時ほどわたしの身体の調子は良くはないが、よく動きを見て、よく身体を動かせば彼を黙らせる展開には持っていけるだろう。
青い瞳でわたしはパステルナークを睨む。彼は魔導銃の銃身下部を掴み、前後にスライドさせていた。
ガチャリ、と無機質な音がわたしたち以外に誰も居ない広間に響き、銃口がふたたびこちらを向く。
「この男、本当にそのつもりなのか……!」
「そう言った」
「力を合わせるべき時にこんな馬鹿なこと、する必要ないでしょう!」
パステルナークは言葉では答えず、魔導銃の引き金を無感情に引くと射撃の閃光を閃かせた。




