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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
十章『滅紫の八塔』
185/193

180. 枯木の君


 光の筋を追い、飛竜の一団が雲を切り裂くようにして下降していく。

 苦しくなる呼吸と耳鳴りを耐え、ようやく雲を抜けたわたしの目の前に飛び込んだのは尋常ならざる威容を放つ、八つの長大な塔から成る塔群だった。


「これは……すごいな。連邦とはまるで違う土地だ」


 八つの塔の長さは不揃いだが、一方で遠目に見る限りでは幅は均一のようだ。

 祖国へ辿り着いて安堵の息を吐く竜騎士の小さな背中へ「この塔はどの程度の規模なんですか?」と訊くと、


「塔一本あたり、おおきめの街がひとつかふたつはそっくりそのまま収まるぐらいはあるんじゃないか」


 と返ってきた。そんな規模の塔が八つも寄り集まっている、と。

 なるほど、ものすごい規模だ。


 ふと、目指す塔の方面から数匹の飛竜が翼端で風を裂きながらこちらへ向かって飛んでくるのが見えた。


 内の一体を駆る竜騎士が何やら緑色に光る棒を振り回し、わたしたちのグループのひとりも同じ棒を振って呼応するように中空に光の筋を描いている。

 それは『8』の字を横に倒したような軌跡だった。


「ありゃ塔を守る哨戒の隊だよ。襲ってくるわけじゃないから警戒しなくていい」


 竜騎士同士が飛竜の鞍の上で規定に則ったやり取りと少しの世間話をしているあいだ、わたしはファイデンの塔群に視線を向け続けていた。


 塔の壮大さにばかり注意がいっていたが、よくよく見てみれば壁面の輪郭がなんだか妙にでこぼことしている。

 何だろうと思い、眉間に力を入れて凝視すると、それらは建物や通路といった街であることが分かった。


 意識せずに漏れていたわたしの感嘆の声を聞いた竜騎士はおかしそうに軽く笑い、「ファイデンの人間は塔の壁に足場を作り、そこに街を築いているんだよ」と教えてくれた。


「いい機会だ、塔の根の辺りを見てみろ」


 言われるままに視線を壁面から塔の根元へと移す。

 すると自分が無意識に抱いていた『これはこうあるべきだ』という常識が揺さぶられる奇妙な感覚に陥った。


「真っ暗で……おかしいな。

 何も見えないです、文字通りに暗黒だ。

 塔群を囲う山肌は見えるのに、塔の根本だけが何も見えない」


「驚いたか? 塔の根っこは大昔から誰にも、どんなものにも観測できないんだ。

 学者先生なんかは『不完領域』だのと格好つけて言っているね。

 神殿の連中は『ルピスの寝所』と言っていたかな」


「ルピス?」


 わたしは耳に不思議と残る、どこか親しみのある音を復唱した。


「五神の一柱だよ。豊穣と愛情の神、愛神ルピス。知ってるだろ?

 ファイデンは愛神と縁深い土地だからそういった名前を付けがちだ。

 飯屋に居酒屋、宿屋に商業施設。酒やタバコの銘柄にもあったかな」


「……あの、もしもの話なのですが。

 もし塔から足を滑らせてあの暗闇に落っこちてしまったらどうなるんですか?」


「死ぬのは間違いないよ。多分(・・)ね。

 答えが曖昧なのは、今まで死体が上がってきたことが一度もないからなんだ。

 壁を設けようが、転落防止の網を敷いたり跳ね返りの魔法を仕掛けようが、塔からは毎年何人かが落っこちる。

 が、死体は出てこない。塔の根本にある暗闇に一度入った者は二度と出て来られないから救助や探索も出せない。

 だから多分(・・)なんだ。

 落ちた人間が実際どうなるのかは……うん」


 正体は神のみぞ知る、とでも言いたげに<ラビール>の騎士は短い首をすくめた。


 ちょうどタイミングを見計らったように哨戒の隊は騎乗した飛竜ごと振り返り、そのまま縦列に並ぶと塔を目指して飛び始めた。


 すると空中にぽつりぽつりと不思議な赤い光が灯った。

 もはや説明が楽しくなってきたと言う竜騎士が語るところによれば、これは誘導灯なのだという。


 飛竜を導くこの光を辿って空を往けば、彼ら竜騎士と飛竜の根城である飛竜塔なる施設に辿り着けるらしい。


「自由に飛んで向かっても辿り着けそうですが、そういうわけにはいかないんですか?」


「アタリ。そういうわけにはいかないのさ。

 上が定めたルールってのがあってな。

 規定のルートを通らないと不審な存在として捕まっちまうんだよ。

 まあ飛竜で乗り込んでくる敵国なんて居ないから、だいたいは山から突っ込んでくる飛竜を見分けるためにしか機能してないがね」


 巨大な塔がぐんぐんと近付くほどに塔の壁面の様子がよく見えてきた。


 国章が描かれた巨大な垂れ幕が風にはためき、そばを多くの飛竜が飛び回っている。


 壁面には木材や鉄、あるいはレンガで組まれた床に壁、それから家屋が山ほど立ち並んでいて、通りを行き交う人々や景観の良い席で食事を楽しむ者、こちらへ向けて手を振る<ラビール>の親子といった様々な姿が目に入った。


 ややあって飛竜は塔の側面に穿たれたおおきな横穴へと入っていった。

 横穴に入る瞬間には奇妙な感覚があった。見えざるおおきな手に撫でられた……というべきか、あるいは体の表面から内側まで余さず撫でられ、確かめられたというべきか。


 なんにせよ好んで何度も味わいたいとは思えない感覚だ。


 最奥には相当におおきな広間と止まり木がいくつもあり、まるでどこかの林を切り取ってきたような飛竜の拠点へと、哨戒の飛竜隊、それからバレンドールが率いるファーレンハイト飛行隊が順々にとまっていく。


「長旅ご苦労だったな! さ、降りた降りた」


 景気の良い勢いで背中を何度か叩かれ、わたしは飛竜の背から止まり木に立てられたハシゴに足をかけると素早く広間へ降りようとし、


「――そうだ」


 降り際に「ありがとう」と飛竜と竜騎士へ礼を述べると飛竜は喉を鳴らして唸り、<ラビール>の方は「大したこっちゃない」とウィンクをひとつ返してくれた。


 広間の床に足をつけ、かじかんだ手を擦っているとギュスターヴの巨体が落とした影がわたしをすっぽり覆った。「大丈夫か?」と彼が言う。


 わたしやビヨンたちは<オランピア>を発つ際に適当に見繕った防寒用のコートを着込んでいたが、ギュスターヴはその手の装備は一切身に着けていない。

 どころか右腕の防具は失われたままなので、わたしたちよりも多くの肌を高空の冷たい空気にさらしていたことになる。


「僕は大丈夫です。どうにかって感じですが。

 ギュスターヴさんの方こそ、その、大丈夫なんですか?」


 ちょっと人間離れしている気がする、とは言わなかった。

 彼は鼻水をすすることも腕を擦ることもなく、ただ得意げな顔のまま、


「オレやアルルみたいな北方大陸(イリル)育ちにとっちゃ大したこたないぜ」

 なあ、アルル! 楽勝だったろ!」


 そうのたまった。

 その自信は同じ険しい北国育ちのアーデルロールへと向いたが、向けられた本人の顔は青ざめている上に歯をガチガチ鳴らしていた。


「ばっばばば、ばば馬鹿言うんじゃないわよ!

 激寒かったっての! あー寒寒寒(さむさむさむ)……」

「……らしいです」


「ハハハ! おかしいな。

 お前の姉のアリシアムは……いや、すまん、忘れてくれ。

 おっと――アルル。脇に挟んで温めてるその手は抜いとけ」

「? どうして?」

「ファイデンのお偉方がいらっしゃったんだよ」


 楽し気に歩き、あるいは賑やかに話していた<ラビール>の竜騎士たちだったが、奥からやってくる複数の人影に気付いたバレンドールが「敬礼!」とおおきな声をあげると全員が途端にその場で背筋を正し、額に手をあてての敬礼姿勢をとった。


――彼らは一見すると枯れ枝のようだった。

 スラリと長い手足と肉の薄い身体。肌は青白く、鼻梁が落とす影が際立って見える。


「彼らは<トールエルフ>という種族だ。ファイデン王家だよ」


 樹木の王冠を頭に冠り、長いまつげの下に輝く瞳をもつ彼らを見据えながらギュスターヴが小声で素早くささやいた。


西方大陸(ローレリア)のエルフとは違うの?」

「源は同じらしい。

 彼らの父祖はガリアン王の時代よりも古くにこちらへ来ていたって話だ。

 西の連中よりははるかに会話ができる。冗談が通じるって言えば分かるか?

 外見は厳格だがあまり緊張しなくていい。

 それでも相手は国を統べる立場にある人物だ。羽目は外すなよ」


「分かったわ。ところであんたの知り合いだったりするの?」

「年長の彼とは面識がある。左右の男女は記憶にないな」

「……(目を細めて<トールエルフ>を観察するアーデルロール)……年長?

 いや、差が分からないわ……エルフって顔に年齢がほとんど出ないから判断つかないのよね」


<トールエルフ>が絹のようなやわらかいローブの裾を引きずる度にサラサラと静かな音が耳に届いた。

 彼らは圧迫感を感じるほどに近くはなく、かといって遠すぎない程良い距離に立つとわたしたちを順々に見まわし、まずファーレンハイト飛行隊を率いたバレンドールを見下ろすと白い顔に微笑みをたたえた。


「無茶なお願いをしてすまなかった、デュラン。

 霧との戦いはご苦労だったね。生きて戻ってくれて嬉しいよ」


「あの程度は朝飯前! 造作もありませんな。

<帝龍山>から襲ってくる飛竜に比べればなんてことはないです」


「そうなのかい? みんなもそう? ああ、敬礼は崩して構わないよ」


 笑顔が向けられた途端、広間に声が弾けた。

 全員の敬礼がほどけ、続けて「そうだそうだ」「龍の方が冗談じゃないやな」と元気な音が広間に戻ってきた。

 大量の<ラビール>が楽しげにたくさん動いて喋っている様子はどうしてこんなにも視界に楽しいのだろう。不思議だ。


 賑わいの音を<トールエルフ>はしばらく楽しみ、「さすがはファイデンの槍。ファーレンハイト飛行隊だね。君たちに任せて良かった」と賛辞を送った。


 一拍の間があった。

 穏やかな視線がすっとアーデルロールを向く。

 広間の明かりを背中に受けた<トールエルフ>はわたしたちに影を落とさないよう立ち位置をずらし、


「ファイデン竜王国、国王。

 ケースル・アド・ファイデンと申します」


 腰を曲げ、長い上体をわずかに前傾させながら彼は竜王国の長を名乗った。

 それからアーデルロールは緊張した面持ちのまま、自らがルヴェルタリア古王国の第二王女だと名乗りを返した。


 今度の紹介には「〝霧払い〟を成すために契約の旅の最中です」と加えられていた。

 さて、アーデルロールの耳が赤らんでいたことに気付いたのはわたしの他に居ただろうか。


 聞き届けるとケースル王は口元に手を当て、小さく笑った。


「どうされました?」


 ほんの少し上ずった声でアーデルロールが訊き返す。

 ケースル王は「いや、すまない」と前置いてから、


「いや君の祖父のレオニダスや父のアルフレッドとは随分違うと思ってね。

 無礼を許しておくれ」

「二人を知っているのですか?」


「僕と彼らは個人的にも親交があるんだ。

 ルヴェルタリアの顛末については聞いているよ。父や姉弟についてもね。

 人さえ無事なら国は死なず。霧討ちのため、微力だがファイデンも力になるよ」


 血を分けた姉弟と父に触れられ、アーデルロールがあからさまに狼狽した。

 次の言葉が彼女の喉から出てこない。


 居心地が悪くなる直前の絶妙な間を突くように、ケースル王のそばに立つ男性の<トールエルフ>が一歩前へと踏み出す。

 彼は王に断りを入れ、了承を得ると自己紹介を口にした。


 煌びやかな甲冑を身に着け、二本の突撃槍を背負った冷たい視線を持つ男性はセウ。

 ドレスを纏い、極端な垂れ目と光をよく取り込む瞳の持ち主……気弱そうな女性はシルメリル。


 二人はともにケースル王の子を名乗った。

 なるほど、と思う。

 身を飾る装飾品もそうだが、二人がたたえる気品や仕草には王侯らしい優雅なそれがあった。


 アーデルロールもその立場なのだが場数が足りないのか何なのか、どうしても元気の良い町娘だとか冒険生活の駆け出しとかそんな雰囲気からいまいち脱却できていない気がする。


……そう思うのはわたしが彼女の素顔というか、子供の頃に原っぱの上で棒を振り回して遊ぶような幼年時代を知っているからかも知れない。

 もしそんな過去も知らずに今の彼女を他人が見れば、ルヴェルタリアの姫らしく見えるのだろうか。


 ギュスターヴからビヨン、コルネリウスからわたしへと順々に名乗りながらそんなことを考えていた。


 貴い人間らしからぬほどに挨拶ひとつひとつに愛想良く頭を下げるケースル王やシルメリルとは対照的に、市井の人間の挨拶なんてものはどうでも良いらしいセウはあからさまに興味無さげに聞き流していた。


 ひとしきり儀礼らしい挨拶を終えるとケースル王は「ありがとう」と礼を置いた。


「長く話をしたいがそうもいかなくてね。

 申し訳ないのだが夜の食事の席でまたお話をしましょう、〝霧払い〟と道連れの皆様」


 そう続けると身をひるがえして来た道を戻ろうとし――、


「おっと。ひとつ言い忘れていた」

「?」

「君と会うのを心底願っている人達が居るんだ。

 が、僕が話さなくっても大丈夫そうかな」


 言葉の直後にどやどやとした音と大勢の足音が別の通路から響いてきた。

 壁に反響し、いくつも連なるのは鎧の金属が擦れ、打ち合う特有の音だ。


「ではまた」、と言い残したケースル王を含めた三人の王侯が去ると入れ替わりに広間へやってきたのは銀鎧の集団――ルヴェルタリア騎士たちだった。


………………

…………

……


「ルヴェルタリア騎士!?」

「すごい数だな。壮観だぜ」


 音を振り返ったアーデルロールは飛び上がらんばかりに驚き、コルネリウスは今にも口笛を吹きそうな感心した顔で北騎士の集団を見ながら言った。


 顔に傷を持つ者、眼帯で両目を覆う者、片腕を失った者。種族は多種多様なれど全員が戦いの嵐を糧として生きる者の気配を帯びていた。


<オランピア>で出会ったルヴェルタリア騎士――剛力無双のエイリス・キングヒルが率いた〝鉄羊〟と目の前の騎士とでは何かが違う。


 エイリスの旗下からは人間味を感じたが、今広間に集まりつつある彼らには相手に有無を言わせぬ威圧感というか、常に獲物を求めている戦いへの飢餓というか、ざっくり言ってしまえば戦士の気配が色濃くあった。


「そういえばファイデンには〝金獅子〟と〝影狼〟の二団が駐屯していると聞いたっけ。

 彼らはどっちなんだろう」

「なんであんたがそんなこと知ってるのよ!?」


 思わずこぼしたわたしの呟きを聞いたアーデルロールが素早くこちらを振り向いた。

 彼女は若草色の前髪の下で目を見開いたまま、


「いやそれより誰から聞いたの!?」

「僕を乗せてくれていた竜騎士から聞いたんだ」

「そういうのは早く……ふん、まあいいわ。

 彼らは〝金獅子〟よ」


 興奮冷めやらぬ中でも、どうにか息を整えてアーデルロールが答えてくれる。


 説明を聞き、わたしが視線を送る先。

 そしてアーデルロールが手を小さくひらひらと振る先。


 冷徹な戦闘生物のような雰囲気のルヴェルタリア騎士の集団の中に、いくらかの動揺が広がった。

 彼らは統制された組織の一部だ。好き勝手にふるまう傭兵のように手を挙げて歓声を上げたり、口笛を吹くような人物は居なかったが、それでもどよめきがさざ波のように聞こえてくる。


「元気そうで良かった……」

「アルル?」


 ほっとした横顔へ向け、わたしは名を呼んだ。

 帰ってきたのは「ん゛!?」と動揺の声だ。


「あ、そうね。そう。えーとね。見分け方を説明するわ。

〝影蛇〟ってのは軽装の人間が多いのよ。それにもう少し陰気な感じ。

 それに団長を見ればすぐに分かるわ。『影蛇』って感じとは程遠いんだから」


 ずらりと並んだ一団の奥からひときわ強烈な存在感を放つ高齢……でいいのだろうか、若者のように肌の張りは無いが老人のように体が萎びてはいない白髪の大男が、ぬっと歩み出てきた。


「姫殿下ァアッ! そして! ギュスターヴ・ウルリックッ!」


 爆弾のごとき強烈な声量が男の喉から炸裂する。

 名乗りは広間に反響し、耳鳴りがまだ治まらない中でギュスターヴが応答した。彼が張る声もまたおおきいので発声の衝撃で文字通りによろけそうだ。


「お前――おおっ! パステルナークじゃねえかぁ!」

「ギュスターヴ! 我が好敵手(ライバル)よ! 私を確かめてくれっ!」


 本当に一挙手一投足がおおきい男は互いに肉薄するほどに接近し、ほとんど殴りかかるような勢いで握手を交わして再会を喜んだ。

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