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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
十章『滅紫の八塔』
184/193

179. 青を尽くす


「ファイデンって海の向こうなんだろ。どう行くんだよ?」


 わたしたちがまだ知らない風が吹く土地……竜王国へ行くぞ、と方針を定めてしばらく経ち、酒がすっかり抜けた頃にコルネリウスがそう言った。


 同じ南方大陸(リブルス)に在る竜王国はマールウィンド連邦の隣国であり、一応だが地続きではある。

 あるのだが、その場合は内海をぐるりと回って徒歩で行くルートを歩むことになる。

 平時であれば旅人や行商はその道を進むらしいが、今このご時世においては正直選びたくない道だった。


 これについて、わたしとギュスターヴの意見は重なった。

 彼は近くを通った注文取り(ウェイター)を手招きながら「悪いがペンと紙を貸してくれ」と声をかけると、紙面に図を引きながら解説をしてくれた。


 北方に竜王国、南方に連邦を描き、あいだには内海が存在する地形。この辺りの地図だ。

 か細い陸路をペン先で何度か叩くとギュスターヴがわたしたちの顔をそれぞれ見まわし、


「地上ルートは今は避けよう。

 理由は『道中でどれだけの霧が出てくるか分からず、ファイデンの地上門から都市部へ至る道は相当厳しい』からだ。

 それに装備も不十分。武器はドルゲルバドル王のおかげで上物を手に入れられたが、食料や薬品といった物資の補充はちょっとな……。戦闘直後でこの荒れ様の<オランピア>では補充も見込めない。

 この状態でひっきりなしに飛んでくる飛竜の類と戦い続けるのはうまくない。

 行くなら海路だが、周りの連中に訊く限りじゃ船を呑む渦巻がやたらに出るらしいから、これもダメそうだ」


 つまり行くとは決めたが八方ふさがりということだろうか。

 腕を組み、眉間にしわを寄せるとアーデルロールは「むむむ」と唸った。


「……どうすりゃいいのかしら。

 ファイデンから来てる竜騎士の飛竜に乗せてもらって空から行く?」


 これを聞いたギュスターヴの笑顔は、まさに我が意を得たりという言葉を表情で表現したらこうなるんだろうな、というほどの喜び具合だった。

 太い指でバチンとおおきな音を鳴らし、「アルフレッドの娘だ。良い勘してるぜ」と前置いて、


「アルルの言うとおりに空路で行く。

 ファイデンの竜騎士が駆る飛竜は頑強・頑丈・根性アリの三つが揃ったタフな生き物だ。

 アルルやビヨンが乗ったところで楽々運べるだろう。

 まあ、オレを運ぶのは骨が折れるだろうからこれは交渉しないといけねえが」

「よっしゃ! そうと決まれば話を持っていくしかないわね!」


 止める間もなくアーデルロールは<ラビール>族のウサギ耳が騒ぐテーブルへとすっ飛んでいった。「なんだこいつは!」「ルヴェルタリアの女だ!」「耳を掴むな!」と騒々しい声がすぐさまに上がり、下手をすれば国家問題になるんじゃないかと青ざめたわたしたちは足早に彼女の背を追った。


「責任者は誰かしら!」

「随分気合の入った姉ちゃんだ」


 羽飾りのついた兜を被り直した<ラビール>が椅子の上にしゃっきりと立ち、自らが責任者であると出来るだけ人間に視線を合わせるようにして言った。


「バレンドール・デュランだ。ファイデン竜王国よりファーレンハイト飛行隊を預かってる。

 って、今更言うことじゃねえやな。うちの部下が命を拾ったって言ってたぜ。礼を言う」


 平原の戦闘ではわたしの方こそ彼に助けられていた。

〝紋章〟を宿した彼は飛竜を駆って空中を自在に飛び、巧みな槍の扱いと熱を持つ光をもって大量の魔物を討ち倒していた。


「あたしたちの方こそ助けられたわ。偉大なる竜騎士たちに感謝を」


「ありがたく頂戴するぜ。フッフッハハハ!

 それで? ぞろぞろとやってくるからにゃあ話があるんだろ? 聞かせてくれよ。

 おっと! よお! 懐かしのギュスターヴ、てめえの口からでもいいぜ!」


 話を向けられた大男は肩をすくめて辞退した。

 せっかくだからと、アーデルロールの口から交渉させたいらしい。


「ファイデン竜王国までの足が必要なの。

 あなたたち、王国へ戻るなら一緒に乗せてくれないかしら。

……不躾でごめんだけど、お願い。急ぎなの。正式な手続きが必要ならちゃんと踏むわ」


 背の低い<ラビール>に自分のつむじを見せるぐらいにアーデルロールは深々と頭を下げた。

 さてどうなるか、とわたしは展開をいくつか想像したが、結局どれも当たらなかった。


 まず小さな竜騎士たちは目を白黒させると「頭は下げないで良い!」と飛び跳ねて慌てた。

 彼らの意思は会話をせずとも統一されていたようで、「いいとも!〝霧払い〟を乗せて飛ぶなんて光栄だ!」と誰からともなく声が色めき立った。


「男は運べそうだな?」

「〝王狼〟以外は誰のでも大丈夫だろ。しかしデッケェなぁ」

「女は? 見たところ女はどっちも軽そうだから誰の飛竜でもいいかな?」

「いいけど雌の飛竜にしないとだぞ」

「そうだな。しかし軽そうだなぁ」

「背が低い。ウルリックの半分ぐらいしかないぞ」

「胸も無いし尻も小さい。そりゃ軽いよ」

「ハハハ!」

「あんですってえ!? 今言ったウサギは誰よ!?」


 薄っぺらいがそれでも慇懃であろうとしたアーデルロールの仮初の顔は崩壊した。

 両手の篭手を外し、拳を鳴らしながら迫る背中には怒気が浮かび見える。


「あたしもビヨンも普通程度にはあるっつうのよ!」

「なんでうちのことまで言うの!?」


 あわや乱闘となりかねず、羽交い絞めにしてどうにか狂犬が飛び出さないようにその場に留めた。これがアーデルロール流の冗談なのだと竜騎士たちは思っているようだがとんでもない。

 彼女が手を出すまでの沸点は割合低いのだ。下手をしたら竜騎士に拳を叩き込んで国の関係を最悪にしかねない。


 様子を見ていた飛行隊の長、バレンドールは紫煙を吐きながらカラカラと笑っていた。


「まあまあまあ。若者は誰だろうと運べるよ。

 問題はギュスターヴだな。お前、今体重いくつなんだ?」

「最後に覚えてる数字は280kgだな」


「デカッ!?」

「何喰ったらそんなに育つのよ……」

「そんでもって身長は260程度だったか。うぅむ」


 数字を聞いてバレンドールが唸る。

 彼は自分の駆る飛竜に無理をさせるか、複数の飛竜の足にくくったロープに捕まるかの選択をギュスターヴに迫り、彼は即座に「バレンドールの飛竜に乗せてくれ」と返答した。


 話が決まると竜騎士たちは酒宴を終えて、飛竜を停めた集合地を目指して足早に走っていく。

 前進するたびにウサギ耳が左右に揺れ、がっしゃがっしゃと金属音を立てる彼らを追いかけながら、ふと、アーデルロールがギュスターヴに訊いた。


「そういやあんたは雷になって長距離移動が出来るんじゃなかったっけ。

 先にファイデンに行っても良かったんじゃない?」


「一人旅ならそうしてるが、今はお前のお付きだ。

 目を離したすきにお前に何かあったら悔やんでも悔やみきれん。

 きっちり付いてくよ。飛竜には面倒かけちまうがな」


 すると並びの良い歯を見せ、目を細めながらアーデルロールは楽しそうに笑った。


………………

…………

……


 高空の風が頬を撫で、吐く息は白み、後方の空へと流れていく。

 またがる飛竜の皮膚は硬く分厚い。手で触れても体温らしい体温はほとんど感じられず、なんだか壁を触っているような感覚が余計に寒さを増長させた。


 わたしたちは今、上空……何メートルだろう、とにかく高空を飛んでいる。

 結構な高さがあると思っていた連邦の山々は遥かな下に置き去りとなり、さらに言えば進行方向には白い雲があるばかり。


 他に見えるものは眼下の地上とアーデルロールたちがそれぞれ乗った個体を含めた飛竜群。

 それから目の前ではためく<ラビール>族のうさぎ耳ぐらいのものだ。


「坊主! 寒かないかぁ!?」


 振り返る竜騎士は目におおきなゴーグルを掛けていた。

 端に小さなヒビが走ったレンズの奥に見える目は少年のようにきらきらと輝いているように見える。


 ごうごうと吹く風の音に負けないように「大丈夫です!」と声を張って言い返すが聞こえただろうか?

 しかし……寒い。本当に寒い。

 手渡された防寒コートを着込んでいなければ今頃飛竜の背中で凍死をしていたかもしれない、と思うとどうにも笑えなかった。


「そうかあ! まあ若えから大丈夫だろ!

 ファイデンに着いたら飛竜の肝臓スープでも飲め、あったまっからよお!」


「それは――」


 わたしはわたしと竜騎士を運ぶ飛竜がグルルと唸ったのを確かに聞いてから、


「彼の前で名前を出していい料理なんですか!?」

「あぁ? ハハハハ! 捌いて食ってるのは山から来た飛竜だから大丈夫だァ!

 卵から孵してるこいつらとは違うのさ!

 それよか地上を見てみろ、霧がねえだろお!」


 ゴーグルの無いわたしは強烈に風が吹く中でとても目を開けてられず、手を目の上にかざして庇いながらどうにか眼下へと今一度視線を向けた。


 緑色の平原や森、名も知らぬ村や街が時々見え、街道として敷かれた黄色や灰色の筋が血管のように地上でのたくっている。


「綺麗なもんだろお!

 これが往路じゃ霧だらけだったんだぜ?

 綺麗さっぱりと大したもんだ。これも〝霧払い〟の御業ってやつかね!」

「……」


 わたしは真下から視線を外し、前方を凝視していた。

 見覚えのある白が遠くに見える。飛竜がその地点を越えるのをわたしはただじっと待った。


「……霧だ」


 ある地点を境にして、霧がふたたび地表を満たした。

 黒く、重たい濃霧だ。地表に近ければ近いほどドロリと淀んだ気配が濃く、気のせいだとは思うが内臓のような生暖かささえ感じられるように思えた。


 子供の頃に触れた霧は不気味だが爽やかな冷たさを帯びていたな、と幼少の感覚を思い出しながら背後を振り返るが視界のすべては霧に閉ざされている。

 通り過ぎたあの正常な地上を目にすることは叶わない。


 濃霧の中を飛竜は力強く飛び続ける。

 視界は極めて悪く、周囲に他の飛竜の姿は見えなかった。

 このまま飛び続けた結果、変なコースへと入り、みんなとはぐれてしまわないだろうか?

 そう思うとほとんど同時、ウサギ耳の下で竜騎士が唸った。


「しつけえ霧だな。いっちょやるか」


 竜騎士は手元のコンパス――ぐるぐると針が回りっぱなしだが頼りにしていいのか?――にゴーグルの視線を落とし、それから腰に吊っていた弓矢を取り出し、弦を小さな腕で力いっぱいに引くと前方へ向けて矢を放った。


 ひん、と鋭い音をあげて霧を裂いた矢は光の帯を引き、不思議な曲線を描きながら黒灰色の中へと沈み、消えた。


 その光筋を見送った竜騎士は調子の戻ったコンパスを満足そうに見てからこう続ける。


「霧中を飛ぶ時はこうするのさ。

 この筒に納まった矢束はファイデン竜王国の座標を記録しているんだ。

 だからどこへ撃っても国の方角へ真っすぐに飛ぶ。道しるべになるのさ。

 お? 物珍し気な声を出すじゃねえか。マールウィンドには無いのかい?」


「はい、連邦にはありません。

 しかしこれは……便利ですね」


「かなり便利だ。ただその分、値は張るがね。

 少し高度を上げよう。霧がどの程度の高さまで出ているかはまちまちだが、隊長らと合流しなきゃいかんからな」


 手綱を打つと飛竜の首が上へと向く。翼が力強く空気を掴み、おおきな身体がより高空へと上昇する。


 重苦しい霧を抜けるとそこは真っ青な世界だった。

 わたしたちが霧を飛び出すと続くように他の飛竜たちも霧を抜け、アーデルロールやコルネリウスがこちらに向けて手を振るのが見えた。


 風の音で声は聞こえなかったが、身振り手振りから「おーい」だの「寒いぜ」なんて叫んでいるのかも知れない。


「あんまり手ぇ振るとバランスが崩れるからできればご遠慮願いたいね」


 飛竜の爪先が雲に触れ、まるで波を裂くようにして雲に軌跡を描いていく。


「ファイデンまではもう少しだ。

 いやしかし参ったね。ファイデンじゃあ霧は滅多に出ないんだよ」

「そうなんですか?」

「ああ。いや語弊があったな。

 正しくは低地にしか出ないんだ。耳が暇ならファイデンについて話そうか?」

「お願いします」


 いわく。


 ファイデン竜王国は南方大陸(リブルス)の北西部を領土とする国である。

 国土の半分以上は青い岩肌をした山々に覆われ、一部の山は雲よりも高くにそびえる霊峰だ。


 国は海に面した臨海地域、肥沃な土壌や森が広がる『低地』と、彼らが険しい山々の中に築き上げた『都市部』の二つのエリアで構成されている。


 王宮や神殿、飛竜の営巣地などを擁する国家の心臓、都市部には霧は出ず、たまにあらわれる白く冷たい脅威にさらされるのは低地ばかりなのだという。


(イリル)が潰れてからは、たまにどころじゃないがね。

 近頃は頻繁に出て来るもんで、結構参ってるよ。

 ルヴェルタリアの騎士連中が駐屯してくれていなかったら面倒だったな」


「ルヴェルタリアの騎士が居るんですか?」


「何の用だかは知らされていないが、〝金獅子〟と〝影蛇〟の二団が居る。

〝金獅子〟といったら音に聞こえしパステルナーク卿が率いる精鋭さ。

 あのヒゲ面は知ってるだろ?〝四騎士〟に入り損ねた限界者だよ。

 ま、とにかくファイデンの塔群はだだっ広い上に入り組んでるからな、地に足つけた戦いに長けた連中の手を借りられるのはありがたい」


 ファイデンとは塔の国だ。

 王侯が住まう王宮塔、神殿施設が残る交信塔、それから飛竜塔に居住塔……。


 都市部に存在するこれら施設はすべて、ファイデンの地に古くからそびえ立つ八つの塔の遺跡を土台にしている。

 彼らは塔の外壁や頂上部を囲うようにして足場を築き、人家を建て、国を興した。


 塔と竜は彼らの象徴であり、国章に長大な尾で塔を巻く竜が描かれることからもその重要性がうかがい知れる。


 話し込んでいるうちに城のようにおおきな雲の塊を飛竜が突き抜けた。

 すると突如としてあらわれた岩塊……青空を背景にした灰色の山がわたしの視界の大半と注意、そして興味・関心を奪った。


「でっか……!」


 まるで島が浮いているかのような巨大さに思わず目を見開いた。

 あまりのおおきさに距離感がハッキリと掴めない。岩の周囲を飛ぶ白い生物は鳥か、あるいは竜の類か、それさえも分からなかった。


「ありゃ<帝龍山>って霊峰だ。あれが見えればファイデンまでもうすぐだ。

 あんた、話を聞くのが好きそうだからあの山の伝説も教えてやるよ。

 今こうして見る<帝龍山>はただの山に見えるだろ?

 だがあれは偽りの姿で、本当はもう少し違う姿なんだとよ」


「偽り……?」


 これだけの威容を誇る山の何が偽りなのだろう。

<帝龍山>が雲海に落とす、濃く、長い影から山頂までを見上げながらわたしはそう呟いた。


「本当はあの上には大昔の宮殿があるんだ。

 かつては人間が暮らしていたが、いつからか竜の上位種である龍が根城にしちまったって伝説が残ってる」


 驚きながら今一度山頂部あたりへと視線を向けた。

 槍の穂先がごとき鋭利な先端が藍色の空へと反り立つばかりで、人工物の類は一切見えなかった。

 その宮殿は小さな建物なのかと思って質問をしてみたが、伝説に語られるそれはこの巨大な山の横幅に負けず劣らずの大宮殿なのだという。

 

「そのものすごい宮殿に辿り着いた人はいるんですか?」

「今話した伝説の発端になったって竜騎士以外は誰も居ないよ。

 実際に飛竜を駆って飛んだ奴は何人も居たが、あの空域には何も無かったと口を揃えてる。

 おっと、行くのはやめておけよ? 手練れの竜騎士でも九割は死んじまう危険地帯だからな」


 考えを見抜かれている。

 飛竜をあやつる技術はわたしには無いから――……、


「直に山を登っていくのはどうでしょう?」


 と訊いたが竜騎士は軽く笑うと「やめとけやめとけ」と顔を左右に振った。


「それは飛竜を駆って向かう以上に無理な話だぜ。

 さっき伝えた通り、ファイデンの低地は霧が出やすい。

 そのうえ霧とは関係なくこの国に昔から巣食っている飛竜や地竜が襲ってくるから、まず山までたどり着けないよ。

 もしたどり着けたとしても<帝龍山>は世界有数の峻険だ。

〝霧払い〟の旅に必要なら行くしかなかろうが、それでも熟達した竜騎士に運んでもらう方がいい。命がけだがね」


 飛竜の喉がぐるぐると鳴り、一行を導くように飛んでいた先行の竜騎士が不意に下方へと光の矢を放った。


「さあ、もうすぐ我らがファイデン竜王国だ。

 竜の危険と常に隣り合わせだが、気持ちの良い風が吹く我らの故郷へようこそ」


■参照地図

挿絵(By みてみん)


右下辺りをご覧ください。


===============

■編集しました('21-10-31)

・ユリウスに向かって手を振る人間をビヨン→アーデルロールに変更しました。

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