178. 心の根
「エイリスから伝言だ」
喉を潤し、たっぷり間をおいてからギュスターヴがこぼした言葉を聞いた途端にわたしとアーデルロールは身を乗り出した。
「! 無事なの!?」
「ピンピンしてるよ。立派な角は片方無くなったけどな。
ついでに包帯で全身るぐる巻きだ。
両腕使えねえからって部下に飯を食わせてもらってたよ」
「あれはすごい光景だったぞ、アルル、相棒。
騎士連中もボロボロだってのに大鍋かきまぜて肉を焼いて野菜を切ってさ。
皿に盛った料理を角女のベッドに運ぶんだ。
想像してみ。健気だろ?
けどあの女は吸い込むみたいに料理を平らげちまうんだ。悲しかったぜ」
ぞろぞろと料理を運ぶ騎士の群れを想像した。
回復力を促進させるというルヴェルタリアの騎士料理だ。味良し栄養良しの三ツ星料理。
それをエイリスは『どんどん口に運べ!』と号令を出し、部下たちに食事を手伝わせるのである。
確かにすさまじい光景だ。
「あいつは色々言ってたが……要約すると〝霧払い〟としての道は大変だろうけど姫様なら出来ると信じてる、ってことだ」
「……うん」
「それから北のファイデン竜王国には、風と空間の〝精王〟が居るって伝承があるから行ってみることを勧めてたぜ」
「これを踏まえて次の目的地はどうするかね」
ここまで聞けばアーデルロールの答えは決まったようなものだ。
にやりと口角を吊り上げるといたずら気に彼女は笑い、
「そりゃとーぜんファイデンよ。
準備が出来次第に出発するわよ。
〝精王〟が二人もいるんなら一気に契約しちゃいたいわ。一石二鳥!」
「了解だ、我が姫よ。
その噂がどんなもんかは<ラビール>の竜騎士どもに訊いておこう。
あいつらは酒に強いから酒樽に沈めたって話を聞き出せる」
それからわたしたちは丸卓を囲んでしばらく笑い声を交えて話し込んだ。
<オランピア>という街が平和だった頃の話、ヴィントゴアでの戦いの話、それからずっと子供の頃の話まで。
こんなに笑ったのはいつ振りだったか、ちょっと思い出せないぐらいだ。
生きてて良かったな、と言葉にはせずに口元をほころばせる頃にアーデルロールがぽつりと、いつになく小さい声音で言った。
「あの……みんなには言っておきたいんだけど」
「?」
「あたしは〝霧払い〟として進む覚悟を肚に決めたわ。
何があっても絶対に十三人の〝精王〟と契約して、〝霧の大魔〟をやっつける。
だからね。あの、その旅ってすごく危ないじゃない」
「そりゃそうだな。
ドルゲルバドルみてえな戦いが毎回だと命がいくつあっても足りねえ」
「つまり……ユリウス。コルネリウス。ビヨン、ギュスターヴ」
真摯な目線がわたしたちをそれぞれ射抜いた。
唇を何度かぱくぱくと開き、最後に酒の力を借りようとジョッキを持ち上げたがしかし何らかの意思をもって止め、
「あらためてお願いするわ。
あたしの旅にどうか付き、付き、付き! 付き合ってください!」
「何を言うかと思えばお前……お前、はは! ははははは!」
「ななななな何笑ってんのよ!」
「今更聞くまでもねえ当たり前のことを言うから笑っちまったんだよ。
全員元からついてくつもりだぜ! なあ!」
「うんうん」
「旅の始まりから終わりまでこのみんなで行くつもりだよ」
「……そう。あり、がとう……よろしく」
ぶるぶると両手を震わせ、唇をぎゅっと一文字に引き結んだアーデルロールの目元が潤んでいるのを見た瞬間、わたしはなんとも言えない穏やかな気持ちになった。
そういえば彼女がこうして本音を吐露する時はいつもわたしと二人きりの時だっけ。
わたし以外にも自分の心根を晒せるのだと知ると、不思議な感慨深さというか安堵があった。
「ねえねえ、そういえば知ってる?
うちらのことを〝四騎士〟って言ってる人たちが居るんだって」
「まじか!? 流石の俺もそれは持ち上げ過ぎだと思っちまうぞ。
というか今のご時世ではなんつうか不名誉なところがあるよな。
なにせ〝ウル〟に〝獣王〟。〝巨人公女〟に〝魔導〟の全員が裏切ってんだもんよ」
「まあ……確かに。子供の頃なら飛び上がって喜んだけど複雑だね。
むしろ嬉しくないかも。裏切り者の暗喩にならないといいけど……」
だなあ、とコルネリウスがちびちびと酒を引っ掻けながら言う。
「ところでよ。
ガリアンの時は名乗りを上げた時点でもう四人とも高名だったよな?」
「ああ、そうだね。エルテリシアなんかは〝万魔〟と呼ばれてたっけ」
「な。うちの魔法使いといやあビヨン・オルトーさまだが……」
途端に視線を向けられると金髪の娘があわただしく両手をばたばた振った。
「うちとエルテリシア様を比べるの!?
いやいやいやいや、おかしいよね。おかしいよ。比べちゃダメだよ。
それに〝四騎士〟なんて周りが言ってるだけなんだってば。ね!」
「何が『ね』なんだよ。はああ。気が重いぜ俺は。
勝手に期待された後に実物を見られて『なんだ、実際は大したことないじゃん』って思われたくないぜ」
同じ心配がわたしの内にもあらわれ始めていた。
かつての〝四騎士〟になぞらうなら、わたしの場合はセリス・トラインナーグと比較されるのだろうか。
ガリアンと思わしき記憶の中で見た、気丈で美しい彼女のように。
唐突に〝王狼〟のおおきな手のひらがコルネリウスの背中をばんばんと打った。
それは結構な衝撃のようでコルネリウスは思わずつんのめり、口にいくらか残っていた酒が噴き出した。
「ぎゃあああっ!」とはアーデルロールの悲鳴。
「弱気なこと言ってんな! コルネリウス・ヴィッケバイン!
評判負けしねえぐらいに強くなりゃいいだけの話だろ!」
「ごほっ! ごほっ、オッサンはそう言うだろうと思ったよ。
! 待てアルル、今のは俺じゃ、」
「あんたが噴いたんでしょうが!」
理不尽に張り倒されてコルネリウスの言葉は途切れた。
溜飲が下がり、ぱっぱっと両手を払うと北の王女は偉丈夫を見上げて、
「名前負けしてないのはギュスターヴだけね。
昔も今も〝王狼〟がルヴェルタリアの人間の傍に居るなんて因縁感じるわ」
「そうだな。……ああ、本当に感慨深いもんがある。
けどな、アルル。ユリウスにコール、ビヨンも大したもんなんだぜ?
なにせ〝精王〟の試練を二つも乗り越えたんだ。胸を張れ、胸を!」
あらためて言われると確かに大したことを成し遂げてきたな、という実感がわく。
水を征して炎を越えての大冒険だ。
普通に人生を送っていたら――いやよほどの人生であっても経験できないことをいくつも経験してきた。
あれだけの難事を前にして生き残ったのだから結構な――いや、やっぱりほどほどに自信を持ったってバチはあたらない気がした。
「さて! かつてのガリアン様とそのご一行はどうしたんだか知らないけどよ!
旅を新たにする時だ、ここは一発祝杯といっとこうぜ!」
「お~っ! いいわねギュスターヴ!」
「だよなあ! そんじゃ、アルル! 景気良く頼むぜ!」
「え、え、え!? あたしがやるの!?」
「そりゃまあアルルが旗手だからね。なんてったって僕たちの〝霧払い〟だ」
わたしが向けた視線がどうしてとどめになったのかは分からなかったが、アーデルロールはぐぬぬと顔をゆがめると観念して「仕方ないわね……」と言った。
「ルヴェルタリア式でいくわよ。腕組んで! ほらほらほら!」
がたがたと椅子から立ち上がり、わたしたちは円陣を組んだ。
気付けば周囲にも人だかりができていた。なんとも言えない楽しげな顔をした彼らの背後では楽器の音色の景気が増している。まさに祭りの様相だ。
「この席に集いし我らはルヴェリアの勇者であるっ!
剣を知り名前を知り、友となるべく各々が盃を持った!
さあ名乗りをあげよう! そこの金髪! お前の名は何という!」
両足で軽やかにステップを踏みながらアーデルロールがビヨンに向けて言葉を放った。
調子の良いリズムにつられて思わず足を動かすビヨンだが、その顔はめちゃめちゃに動揺していた。
「うち!?
ビ、ビヨン・オルトーって言いまぁす! この後どうすればいいの!?」
「誰かを呼びゃあいいのよ! あたしでもユリウスでもいいわよ!」
「じゃ、じゃあそこの黒髪! お前の名はなんて言うんだ!」
酒宴を彩る音楽がステップに合わせてくれているような気さえした。
ビヨンには悪いがわたしにはこの祝杯の儀式の勝手が分かってきたぞ。
「ユリウス・フォンクラッドだ! そこの大男、お前の名はなんと言う!」
「ギュスターヴ・ウルリック!
音に聞こえし〝王狼〟とはオレんことだァ!」
ぐるりとわたしたちから周囲までもを見回しながら、ギュスターヴが大袈裟に名乗りをあげると集った酔客が歓声を上げた。
「そこの面はいいがパーの金髪! てめえの名前はなんだ!?」
「コルネリウス・ヴィッケバインだ!
周りのお前ら、俺の顔をよく覚えとけよ!
〝王狼〟よりも強くなって伝説を作りだす男だぜ、俺は!」
火に油を注ぐとはこのことか。コルネリウスの言葉はアルコールで酩酊した連中の興奮を猛々しく煽ったのである。
熱狂が最高潮に達する中でコルネリウスはアーデルロールへ問いかけた。
「そこの生意気ですぐ手ぇあげるが気合の入ったかっけえ女!
お前の名前を言ってやれ!」
「あたしは……あたしの名前はアーデルロール・ロイアラート・ルヴェルタリア!
この4人と旅をして、霧を払う女よ!
ここに集まった連中全員よく聞きなさい!
不安なのは今だけよ!
怖いことなんて全部まるごと綺麗に解決してみせる……絶対にしてみせるんだから!」
言ってアーデルロールはジョッキを高々と掲げ、それにあわせてわたしたちを含めた周囲の人間もジョッキを上げた。
「聞け!
霧の脅威はこれ以上強まることは決してないわ!
何故って? 理由は明白、あたしたちがここで誓いを新たにしたからよ!
全員――乾杯! ルヴェリアに栄光あれッ!」
九章『溶鉄の炎髭王』 了




