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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
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176. 息急いて


 霧の魔物を一掃する戦いの終わりが見えた。

 人類側の士気はおおきく上がる一方で、霧の魔物の抵抗は著しく弱まっている。


 勝利は固い。

 そう判断したわたしはアーデルロールたちに断りを入れると踵を返し、一目散に<オランピア>の市内へと走った。

 全速力だった。今の自分が出せる最高速度でも不足を感じるほどにわたしは急いだ。


 もっとだ。もっと速く。一秒でも早くあの場に戻りたい。

 ガレキを足場に何度も跳び、視線をあちこちへ忙しなく向けるわたしの目的は〝巨人公女〟だ。


 あの女を――メルグリッド・ハールムラングという女を思い出す。

 霧によって狂う以前は世界最強の一角であり、誰しもが認める人界の要のひとつだった。


 だが今の彼女は明確な敵でしかない。

 敵意と剣を向けられ、言葉での解決が難しいとなれば対峙をするより他に道はない。


 ハインセルで相まみえた時、メルグリッドはアーデルロールとその王家を呪いの血筋だと言ってのけた。


〝聖剣〟を持つアーデルロールが〝霧払い〟を名乗り、今後の意思や行動、指針を英雄として確かなものにすれば今まで以上に苛烈な攻勢を仕掛けてくるだろうと、わたしは想像する。


 霧が薄らぐにつれて剣をにぎる握力が弱まるのを感じる一方、憎しみと敵意は鋭利なままだ。

 わたしには言葉による解決はむずかしい。アーデルロールやレオニダス王ならばまだ言葉での解決を探ろうとするかもしれないが、わたしには剣しか無い。

 だから、あの巨人を必ず倒すと心に決めていた。


 彼女は強い。

 強靭な巨人の肉体に加え、〝紋章〟を彼女は所有している。

 これだけで既に文字通りに鬼神の如き脅威だが、霧によって狂うに際して付与された不死性と再生能力がその恐ろしさをより強力なものに変えていた。


 倒す、と心に決めてはいるが……悔しいが今のわたしひとりでは歯が立たない。

 だが今、ここには師であるシラエア・クラースマンと連邦の筆頭剣士が居る。

 そしてルヴェルタリアが誇る十三騎士団のひとつ、〝鉄羊〟も――、


『明日のルヴェリアを託す』


 そう言って満身創痍のわたしを怪力で投げ飛ばし、戦闘から逃がしてくれたルヴェルタリア騎士――エイリス・キングヒルの姿を思い出す。


 そうだった。〝鉄羊〟はあの巨人が振るった暴力に飲み込まれてしまっていた。


 シラエアは無事だろうか?

 彼女の孫であり、わたしの姉弟子という娘の安否も分からない。

 きっと生きているんだと考えていたが実際はどうなのだ? 街の荒れようを見ると胸のあたりで不安が膨らんだ。


 わたしの中に棲む弱気の虫はすぐざわざわと心を揺らす。

 かぶりを振って不安を払い、無事であってくれと願いながら更に走った。


 剣戟の音を拾おうと耳を澄まし、わずかの銀の閃きも逃がすものかと廃墟に目を凝らす。

――居ない。聞こえない。

 メルグリッド・ハールムラングの巨大な姿どころか、街のどこからも戦いの気配が感じられない。


 そうこうしている間に辺り一帯の霧はすべて失われ、同時にわたしの肉体から力が抜けていく実感があった。

 どれだけ走っても疲れを感じなかった身体の息は上がり、走る速度が随分と落ちる。


 気が付くとわたしの足はエイリスとメルグリッドが衝突し、〝ウル〟がわたしに剣技を見せたあの場所に辿り着いていた。


 半ばまで地中に埋まった銀鎧の一部が地上に露出し、誰のものとも知れない武器の類が墓標のようにいくつも突き刺さっている。


 この光景は……強烈だ。

 不思議なことに遺体はひとつとして見えなかったが、だからこそ、ここまで走る中で目にしたどの破壊の光景よりも戦闘の凄絶さを思い知らされる。


「ユリウス!」


 反射的に声の方を振り返った。そこに居たのはシラエアと銀の色をたたえた長髪の若い女だった。


 シラエアの顔色は悪く、苦しげだ。

 若い女に支えられてかろうじて立てている様子を見るに相当に消耗したのだろう。

 わたしの探る視線に気付くと、「足をやられてね」と気丈にも不敵な笑みを浮かべた。


「不死のうえに再生能力持ちを相手にするのは久しぶりだったが厄介だね。

 普通の人間なら怯む一撃を受けても止まりゃしない。

 ああ、そんな心配げな顔はしなくていいよ。

 こう見えて元気なんだ。少し休めば自力で歩けるぐらいには戻る」


 わたしよりもずっと高齢の人間の回復力がそんなに高いものかと訝しんだが、相手は普通は現役を退くような年齢で未だに〝剣聖〟と称されるシラエアだ。


 彼女がそう言うのならそうなのだろう。千切れた腕が夕方にはくっつくと豪語しているわけでもなし、わたしは「そう、ですか」と頷くばかりだった。


「無事で良かったです。本当に」

「そっちこそ。よくやったね」


 再会の言葉を互いに向け、それからわたしはここぞとばかりに本題を放った。


「メルグリッドはどこに?

 姿も気配もありませんが、奴はどうなったんですか?」

「撤退した」


 答えたのは若い女の方だった。

 腰の左右にそれぞれひとつずつ剣を吊り、加えて背中にも大剣をひとつ背負っている。


「シェリル・クラースマンだ。マールウィンド連邦の筆頭剣士を務めている」

「初めまして。ユリウス・フォンクラッドです」

「うん、よろしく。

 メルグリッドは上空に炎の巨人が現れると同時に光の粒になって消失した。

 去り際に抵抗するような声を張り上げていたから奴の意思ではないようだ」


 その消失の背後には堕ちた〝四騎士〟のひとり、〝魔導〟のドラセナの存在を感じた。

 奴とも――ドラセナが操る人形越しではあったがハインセルで出会っている。


 樹木のように枝分かれした不揃いの角と形状が安定しない瞳は人形のそれだが、あの牡丹色の口からほとばしった狂った言動はドラセナ本人のものだとわたしは考えている。


 魔法に魅入られ、狂った魔導の女。

 人の身では第四階位以上の魔法を扱えない。

 種族限界を超えたかったドラセナは自分の肉体に竜の心臓を移植し、人の枠を超えた。


 それほどの女だ。奴ならば巨人を転送させるぐらいはやるだろう。 


「ルヴェルタリア、ファイデン竜王国、連邦ともに被害は甚大だが勝利を拾えて僥倖だ。

 君とアーデルロール王女殿下に感謝を」

「いえ、いえいえいえ。とんでもないです。

 皆さんが居なければ勝利はあり得ませんでした。こちらこそ感謝を」


 自然と交わした握手は力強かった。

 シェリルは未だ落ち着かないわたしの瞳を覗くように視線を向けると、


「何を探しているんだ」


 問われ、わたしは正直にエイリス・キングヒルと〝鉄羊〟の面々を探していると答えた。シラエアの方は聞いているのかいないのか、足の回復の具合を確かめるようにストレッチに精を出している。


「エイリス・キングヒルか。彼女は傷こそ重いが生きてはいる。

 現在は治療師の手当てを受けている。

〝鉄羊〟の死亡率は……低くはない。副長の死亡は確認した」


 言葉が出なかった。

 面識のある人物が失われた。戦いに死や傷はついて回ることは理解しているが、言いようのない喪失感が自然とわたしに剣を納めさせた。


「……何もかも上手くいくなんてこたない。今回はこれで上出来だったんだ。

 あんたたちが〝精王〟との契約を成立させていなかったら、今頃ここは更地だったんだからね」


「……はい」

「先立った人間を悼むのはいい。

 だが戦士であるのなら、あんたが今感じた心の色はすべて前進する熱に変えな。

 止まるな、ユリウス・フォンクラッド。

 アーデルロール王女殿下と仲間とともに成すべきを成せ」


 そう語るシラエアの言葉には心に染み入る響きがあった。


「ところで!」


 シラエアがぱんと手を叩き、場の雰囲気を変える。


「今日は酒が供されるらしいよ」

「酒? 戦いが終わったその日にですか?

 人も死んでいるのにどうして……」


「伝統だとさ。さっき酒樽を転がしてる男どもにそう聞いた。

 なんでも先立った人間を送り出すために派手にやるのが<オランピア>の伝統らしい。

 今回は戦いだったが、それでもやるんだとよ」


「私は不謹慎だと思いますが……」


 そばで聞いていたシェリルは私と同意見だった。

 だがシラエアは呑むつもりらしい。

 腰に吊った刀の柄に腕を置き、ゆったりと戦いの跡を視線でなぞると、


「経験則だけどね、こういう時は伝統はきっちり実行した方が良いのさ。

 酒宴にはあたしたちも遅れて顔を出す。ユリウス、あんたも付き合いな」


 こいつは師匠命令だよ、とシラエアは楽しげに言った。

 隣に立つわたしの姉弟子――シェリルは困った顔をしていたが、師匠命令とは絶対のもののようで「ではまた後で」と言葉を残して二人は立ち去った。


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