173. 聖剣接続
戦闘は極限に達していた。
わたしの片眼はかつてない強力な魔力の使用負荷による出血で真っ赤に染まり、視力を失った。
「〝影呼び〟か!? 貴様やはり……!
いや、それよりもフロリアの小坊主! こんな形で再び出会うとは思わなんだぞ!」
わたしはかつて<白霊泉>で対峙した騎士の王、ウルヴェインの影をこの場に作り出した。
どうして成せたのか? 理屈は分からない。
ただわたしはわたしが出来得ると直感し、それを成立させた。
ギュスターヴを彷彿とさせる巨躯が握りしめる大槍を振るうたびに水流が生まれ、王が生んだ炎をむしばみ食い荒らしていく。
影として呼ばれたこの睡蓮の騎士王は一切の声を上げなかった。
裂帛の気合を込めた咆哮をあげなければ、一撃を受けて苦痛の声を発することもない。
ただ黙したまま槍を握り、剣を振るうわたしと共闘する形でドルゲルバドルと戦闘をおこなった。――いや、おこなわせた、が正しいのかも知れない。
彼はわたしの瞳と言葉によって呼ばれ、今はわたしの意思によって制御されているからだ。
とは言っても右に避けろ、突きを繰り出せ、と具体的な制御は出来ていない。
せいぜいが『攻撃に合わせてくれ』『守ってくれ』と方針を伝えられる程度だ。
影のウルヴェインはその意思を受け、おそらくは彼の思考をもとにして最適な行動をとってくれている。
わたしの速度とウルヴェイン王の膂力をただひとりで相手取るドルゲルバドルは一歩も引かなかった。
どころか彼の技はますます冴え、一撃の威力はさらに増していく。
突き出された槍の刺突を側頭部ぎりぎりでドルゲルバドルが躱し、急速にウルヴェインとの距離を詰めた。
騎士王がその身を引こうとするが、それよりも速くに王の拳が放たれる。
握りしめられた拳骨はウルヴェインの横腹に命中した。堅牢な鎧を王の拳は容易く砕き、内側にまで届くと強烈な熱を拳から放った。
「っ……! ウルヴェイン……!」
致命の一撃を受けて、騎士王の影が薄らいでいく。
彼は長身をぐらりと揺らすと風に吹かれる乾いた砂のように消えてしまった。
次は貴様の番だぞ、とそう鬼気迫る笑みをわたしに見せた王がさらに仕掛けて来る。
灼熱を灯した腕を引き抜くとその身体のひねりを生かし、猛烈な勢いで炎槌が振りかぶられた。
軌道は水平。こちらは攻撃の体勢に入っていて回避しきれない。
とっさに身を倒し、炎槌と自身とのあいだに剣を挟むと炎にあぶられながら攻撃をしのいだ。
脅威を抜けると返す刃で王の腹部に一撃を見舞ったが、代償としてこちらもあの強烈なボディブローを受けた。
ウルヴェインにトドメを刺したあの熱を受けるわけにはいかなかった。
咄嗟に剣を振って切断、あるいは斬撃によって怯ませようとしたが何故かわたしの剣は空を切った。
焦燥感が背筋から脳天へと真っすぐに駆けあがるのを感じた。
わたしの剣は半ばから融け消えていたのだ。
あるはず、と思った剣身は既に無かった。ならば空を切るのは当然だ。
その瞬間だった。
真っ白い光線が視界の中に突然入りこみ、わたしの腹を殴りつける王の腕を吹き飛ばした。
最初はギュスターヴの放った槍かとも思ったがこの場に彼は居ない。
ではこのイレギュラーの正体は誰だ? 答えに辿り着く前にドルゲルバドルの快笑が鼓膜を震わせ、思考を阻害された。
目を見開き、わたしの頭を飲み込めそうなぐらいに大きな口を開いて彼は笑う。
その視線は遠く――、戦闘の外を向いていた。
「成したか貴様ァ!? フハハハハハハハ!
良い、良い、良いぞ! やりゃあ出来るではないか!
では仕上げといこう! 余を下して見せよ! アーデルロール・ロイアラート!」
光線の発端――戦闘の渦の端にアーデルロールは居た。
両足はふらつき、視線は定まらず、肘の高さのガレキに腕をのせた体勢の彼女は息も絶え絶えの有様だった。
先のわたしと同じような、慣れぬ用途での魔力の急激な大量による疲労に思えた。
ずるり、と体が滑り、〝聖剣〟の切っ先を地面に突き立ててどうにか身を支える。
この状態では戦闘などとてもじゃないが不可能だ。
戦の一番槍を務め、背後の軍勢を鼓舞するがごとき雄叫びをあげて迫るドルゲルバドルの一撃を彼女が回避できるとは思えなかった。
考えるよりも先にわたしの身体は動き、走り始めていた。
剣身を半ばから失った剣を後生大事に持つが、こんなもので状況をどうにか出来るわけもない。
どうしてわたしは走った? 聞くまでも無い。
友情故に。忠義故に。
あの日の誓いがこの胸にある限り、わたしはいくらだって走れる。
「ユリウス・フォンクラッド!」
名を呼ばれ、視線を向けた先――声の主は何かを放っていた。
まるで磁石が吸い付くように、正確で淀みの無い動作でわたしの手がそれを掴む。
「かならず勝てっ!」
とどめはあんたに任せた、とその眼が訴えている。
「……!」
手の内におさまるのは〝聖剣〟だった。
心臓がおおきく脈打つ。
自分のものとは思えない、熱した鉛のような血が全身を巡る感覚があった。
剣を握った手のひらに灼熱を感じた。
これは……この熱は以前にもわたしを侵した。
レオニダス王から頼まれ、〝聖剣〟を握り、ひどい熱傷を負ったあの瞬間を思い出す。
感覚が、意識が加速する。
体感する時間が引き延ばされ、刹那が何分にも引き延ばされている。
戦いの場に立つ意識とは別に不思議な意識がわたしの頭の中に浮かんだ。
『承認フローを開始。
接続者を確認……未登録ユーザー。
固有魔力波長……エラー。読込不可対象。
ユーザー権限……エラー。読込不可対象。
不適切なユーザーによる接続です。
本機が汚染される可能性あり。
ただちに右腕の切断・除去をおこなってください』
「お前の力を――……!」
意識の中のわたしの口がひとりでに動く。
どころか両目の奥に熱を感じた。これは……わたしの意思ではない。
一度駆動を停止したはずの〝太陽の瞳〟がひとりでに発動している。
「僕に使わせろ……! 力を貸せッ! ガフ!」
『特級権限を……確認。
機能の限定解放開始。
登録済みユーザーの技能を展開。
状況を考慮……キミサカ ミナトを自動選択。
あなたに勝利を』
………………
…………
……
肉体に覚えは無いが、魂は知っている軽やかな歩法だった。
記憶を参照する。
古い時代。
あって当然の〝戦技〟の才能をもたず生まれ、努力の果てに速度の極致に辿り着いた剣士の頂きのひとつ。
歴史からは失われ、剣の内にのみ残る男の名は君坂ミナト。
星の剣、ガーフィンニールの四番目の所有者。
彼の技術の一部、あるいはすべてがわたしの中に降り、疾走は加速を果たした。
「〝聖剣〟を放るだと!?
(アーデルロールめ、自らの騎士に勝利を託したか。なるほど良かろう!
だがこの男は適合者ではない。
ないはずだが、この男、剣を握った途端に気配が――)」
「主命によって僕はお前を倒すぞ――ドルゲルバドル!」
わたしの自由意思で疾走する身体はセリスを降ろした時よりもなお速く、剣を振れば銀の閃きがまだ宙に残るうちに次の攻撃に移れるほどだった。
下手をすれば自身の残像が視界に映るような速度でわたしは炎の巨人へ向け、自身が持つ技巧を叩き込んだ。
腕、胴体、腿を順に切り裂く<落葉三連>。
その速度は尋常でなく、ほとんど同じタイミングで三つの斬撃が王の身体を抉った。
「冬焔・重ねッ!」
本来であればただ一度だけの強烈な大上段に留まる剣技だったが、今この瞬間……常時の倍以上に加速したわたしの身体と、それをもって繰り出される剣技は二重の斬撃を実現していた。
とっさに盾として突き出した片腕を両断されたがしかし、ドルゲルバドルは好機を得たりと言わんばかりに笑みを浮かべた。
残された腕に握られた切り札。
彼の炎槌が高熱を帯び、炎の色と光の粒子を収束させていく。
「(おそらくこれが最後の衝突になる。
勝つんだ、ユリウス・フォンクラッド。
自分のために、みんなのために、アルルのために!)」
振り落とされる炎槌を視認すると知覚する時間が極端に遅くなった。
一秒が一分に変わり、自分の髪先から滴った汗の滴や、槌から揺れる炎の穂先の形状が明確に視認できる。
「(勝利の形をイメージしろ。
自分が抱く勝利の概念を。必ず勝利する力の姿を)」
沈む。沈む。記憶に沈む。
選べるのはただひとつ。
今この瞬間にも〝聖剣〟の柄を握る指の配置と力の入れ方が最善の剣技に対応しようとひとりでに変わっていく。
燃え盛る故郷に意識が辿り着いた。
丘の上に立ち、腕を斬り飛ばされる父フレデリックの姿を。
そして裏切りの騎士、〝ウル〟。
奴が持ち、放った幾条もの銀の閃きをわたしは凝視した。
「ルヴェルタリア流古剣術――……」
指がついに柄を掴み、脱力と緊張のバランスを確かにする。
足の運びは正確だ。残された眼は猛々しく燃える炎、自分が今から切り裂く切断対象を見据えている。
「直剣の……っ! 第四階位! <ボーパルブレード>!」
濃紺の火花と緋色の星が散る。
一度の斬撃が槌の勢いを止め、二度目が弾き、続く多重の斬撃が炎槌を食い破ろうと目にも止まらぬ速度で繰り出されていく。
「ぐ、うぅぅうう゛う゛う゛う゛ッ……あ゛あ゛あ゛あああっっ!」
わたしの身体には魔力の保護がほとんど無かったはずだが、不思議な守りがあったのだと思う。
そうでなくては力を発揮した全力の炎槌を正面から受け止め、蒸発していないことの説明がつかない。
しかしそれでもわたしの全身はあぶられ、顔面は燃え盛り、意識さえもが融けかかっていた。
「(勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、絶対に勝つ! アーデルロールに勝利を!
鉄と火の法則なんて知ったものか。ガリアンの持つ剣が失われることなんて絶対に無い! この剣なら絶対に勝てる!)」
剣が鉄に深く沈む手ごたえがあった。このまま押せば絶対に勝てる。
わたしは両手で柄を握り、渾身の力を込めた。
聖剣を握り、溶解される手の感覚はもはや痛みではなく温かにさえ感じられる。
「(余の炎槌は生まれ持ったそれを星の核熱にて更に鍛えたもの。
これを凌ぐ物などないと断じていたが――なんたる愚か!
余自ら言ったではないか。聖剣こそは神々が鍛えた刃であると……!)」
炎の向こうでドルゲルバドルがあげた笑い声を、聴力を失いつつある鼓膜がかろうじて拾う。その声は敗北を惜しむものではなく、旅立つものを送る祝福のそれだった。
「なるほどなぁ! 星火では神炎に勝てぬものか!
フハッ! フハハハハハハハ! 余を上回る鉄があろうとはな! 愉快である!
認めよう。貴様らこそは次代の〝霧払い〟である!」
〝聖剣〟が炎槌を両断する。
そして怒号のような笑い声が聞こえる中で視界が白み、わたしは倒れ、意識は途絶した。




