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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
176/193

172. 影を呼び、影を見る


 刃が肉を切り裂き、今度こそ血が舞う。

 今この場に立ち、わたしたちと命のやり取りをおこなうドルゲルバドル王の肉体には炎ではなく確かに血が通っていた。


 彼はもはや不死を頼りにしていない。


 この瞬間のドルゲルバドルという男は王ではなく戦士だった。

 いにしえの戦場を駆け抜け、名を馳せた彼の勇気と技巧がわたしたちの前で閃く。


 紅蓮の暴力を肌身で感じる。

 幾千の将兵を打ち倒した英傑に特有の雰囲気を彼はまとい、わたしたちを威圧した。


「ムゥゥウウンッ!」

「……っ!」


 ごう、と振りかぶられる炎槌は灼熱の火を伴ってはいる。

 視線がそれを見送るとやはり思い浮かぶのは中空にとどまり、王の刃とも盾ともなる厄介なあの炎の脅威だ。しかしこの赤が空中に留まることはない。


 ただ熱い。ただそれだけだ。

 触れれば燃えるが、それだけでも随分楽になったものだと今は思ってしまう。


 わたしたちが斬りこむ剣の勢いは衰えず、こちらを殺そうと振り回される炎槌は地鳴りのようなうなりをあげてこちらへ迫る。


「集中……集中、集中……ッ!」


 自分へとそう言葉を向け続けるアーデルロールの剣の冴えは研ぎ澄まされていく。


 一度目よりも二度目。三度目よりも四度目。

 同じ軌道を切っ先がなぞったとしてもその威力は確実に増幅し、剣士自身の速度も飛躍的に増していく。


 大気を切り裂くその負荷にアーデルロールの短剣は耐えられずに折れた。

 彼女の手中にある〝聖剣〟だけが光線のごとき速度の戦闘に耐え、彼女の思い描く戦闘を実現させている。


 王の腹を浅く切り裂いた直後、自分を頭から潰そうと垂直に打ち下ろされた打撃に対して、彼女は独楽(コマ)のように身を回すと薄皮一枚で攻撃を回避した。


「ぬう! 速すぎ――、」


 つづけて真横に振られた炎槌に対しては跳躍して躱し、腕に〝聖剣〟の切っ先を突き立てると身体ごと回転して切り刻み、風のような速度で斬撃を加えていく。


「――るな、貴様あ……ッ!」


 ドルゲルバドルは折れず、膝さえつかない。

 尋常ならざるタフネスだ。

 肉体に炎は無くとも、心の内に燃える炎が彼の身体を突き動かしているのだろう。


 途端、彼は負傷の一切を意思の力で無視をすると捨て身の行動をとった。


 わたしの剣を炎槌の打面で叩いて弾き、跳んで迫るアーデルロールの身体を素早い裏拳で殴りつけ、息をつく間もなかった高速戦闘に空隙を生む。


「はあっ……! はあ、はあっ、ムッハハハ……。

 かつて……かつて、世界に命をくべた時――……」


 傷に炎で焼き、出血を力づくで止めながら王が笑った。


「もう二度と人としての快楽を得ることはないと、余はそう諦めた。

 だがどうだ。余の肉体は血を流し、敵を打ち据える振動が手を伝わるたびに歓喜が心を満たすではないか!

 アーデルロール、そして〝紋章〟の騎士。

 貴様らに感謝を。

 残り火を燃やすだけの身ではあるが、余は試練に全霊を賭そう」


 王の胸の中央――ちょうど心臓の位置に激しい赤が灯る。

 これは――、


「まさか……! 星炉!? まだ残っていたのか!?」


 とっくに彼が星炉のすべてを失ったと早とちりして挑んだ自分を殴ってやりたい。

 彼の魔力炉がまだ残っていたのなら若干こちらが攻勢で押していた戦況は変わってくる。


 嫌な想像は的中した。それが証拠にドルゲルバドルの肉体が赤熱し、激しい熱を帯び始めたのだ。

 彼が指を振るうと散った炎は空中に留まり、わたしの身体を赤色で照らした。


「否! これは星炉にあらず。

 今この胸に燃え揺れるは、余の魂そのものである!」


 勝負を長引かせてはいけない。もう勝負を決めるしかないと思えた。

 この戦いをこちらの勝利で終わらせるには試練を踏破するしかなく、それはアーデルロールが〝聖剣〟の真価を発揮することにある。


 戦いの中で覚醒は成るかと楽観視していた。

 事実、彼女の剣速は増し、空気を裂く剣の輪郭には尋常ならざる魔力が宿り始めていたように思えたからだ。


 賭けに出よう。

 冷静な判断をくだせるほど落ち着いているわたしであれば却下とするだろうが、今この場には戦いの熱にあてられた戦士としてのわたししか居なかった。


「アルル」

「何?」

「ここは僕が引き受ける。

 君は〝聖剣〟の力を引き出すんだ」


 勇気と言葉を声に乗せてわたしは彼女へ声を向けた。

 アーデルロールは返事を口にしなかった。

 言葉に変わりに目を見開いてうなずいただけだ。


 彼女は風を身に帯びると、炎が及ばぬ遠くへと素早く去った。

 空気が揺らぐたびに薄らいでいく緑色をした光の筋を見送る。

 直後、わたしは両目の奥底に魔力を集中させた。


 熱が全身を満たす。

〝紋章〟が駆動する時に特有のしびれるような高揚感や全能感が指先まで巡っていくのを感じた。


「騎士よ、貴様との対峙を待ち望んでおったぞ。

 貴様が何故その瞳を持つのかを余は知らぬ」

「――……」


「剣と太陽は同じ者の手の内に在らねばならん。

 最初は迷った。何故二つが分かれているのか? と。

 どちらかが簒奪者かとも思うたが、アーデルロールの血統は正統だ。

 ならば……余に挑む胆力を持つ勇者ではあるが貴様が奪いしものなのだろう?」

「いや、僕は――」


「ならば貴様は己こそが継承者だと主張するのか?」


 答えられなかった。

 わたしが〝聖剣〟の継承者? あり得ない。


〝聖剣〟はわたしを拒絶していた。

 握った手のひらをぐずぐずに焼かれ、激痛を脳に直接叩き込まれるような人間を継承者とは到底呼べないだろう。


 わたしの沈黙をどう取ったか、王は炎槌を振り上げ、わたしから〝太陽の瞳の紋章〟を奪い、正統なアーデルロールへ与えると威勢よく声を上げた。


「征くぞ、簒奪者よ!

 名乗りぐらいは聞いてやる!」


「僕は簒奪者じゃないし、名前もちゃんとある。

 ユリウス。

 僕はユリウス・フォンクラッドだ……!」




 王の攻勢は、猛打は止まらない。

 本当に眼を奪うつもりがあるのかと聞いてやりたくなるぐらいの殺意と気迫だ。


 融けずに残った最後の剣を握る指に力を籠めた。

 そうして全身をおおきく捻り、強烈な勢いで振るう。

 渾身の力をもって弾くたびに王が高揚し、勢いを増していくんじゃないかと思ってしまった。


「先ほどもそうだが貴様、よく耐えるなァおい!

 巨人と殴り合った経験でもあるのか?」

「偶然……! 何度か……ッ!」


 言ってから後悔した。

 憎たらしい〝巨人公女〟の威容を思い出したからだ。この領域を出たらあの女はまだあの戦場に居るだろうから、ふたたび一撃をくれてやりたい。


(おもた)……ッ! ッ!」


 頭上から打ち下ろされる槌を剣で受け止めるが重量に耐えきれなかった。

 闘技場の床を凹ませたわたしの足が地中にめり込む。骨が軋み、奥歯が割れるぐらいの力でわたしは食いしばった。


 剣が赤熱する予兆があった。

 もう間もなく最後の剣を失うだろう。そうなる前に手を打つ必要がある。


 必要があるのだが……どうする?

 これを失っては後が無い。自分の経験と予測の中に活路を探した。

 何か手は無いか、何か――……、

 

『影呼び、とでも名付けましょうか』


 強い日差しの中にある女の影を幻視した。

〝紋章〟の使用によって魔力を急速に失い、視界の四方が狭まっていく消耗の中で声はこう続く。


『何って、あなたの力の使い方のことですよ。

 他人を見、憧れ、己もそうなりたいと思い焦がれるあなたらしい力です。

 力とはその人の心の在り方があらわれるもの。ねえ……どうか忘れないで?

 私たちが慕い、好きだと感じているのは誰かを真似て背伸びをしているあなたではなく、自分で自分の道を決めて歩く、ありのままのあなただということを。

 例えそれがあなたにとって認めがたい姿であっても、それこそを私たちは良いと信じたのです』


「い……した……」


 熱せられた汗が額からまぶたを伝う。

 敗北まで幾ばくの猶予もなかったがわたしは希望を確かに見出し、胸の内に勇気が湧くのを感じた。


「フハハハハハハアハハ! 何だ!? 何をぶつぶつ言うておる!?」

「思い出したんだ……この眼の――力の! 使い方って奴を!」


 やるならここしかないと、そう直感した。

 ふたたび全身全霊の力を振り絞って王の炎槌を押し上げる。

手甲が砕け、鉄靴がヒビ割れようと自分の命を一瞬先の未来へ繋ぐために力は緩めなかった。


 大声をあげて一際強く押し上げ、槌と剣のあいだにわずかな隙間を生んだ。

 一瞬の間隙。このまばたきほどの時間があれば、今のわたしは後ろへ跳べる。


 結ぶんだ。

 言葉を、記憶を、この瞳が映す影の中からひとりの英雄の名を言葉に乗せるのだ。

 それだけでいい。それがこの眼の――、


「……払暁(ふつぎょう)の瞳が汝の名を結ぶ。

 白き泉の淵に立つは睡蓮の騎士王。

 不壊にして不朽の剛力をここに――――我が憧憬のもとに顕現せよ……!

 青きフロリアの王っ! ウルヴェイン・オーベルラン!」


………………

…………

……


 アーデルロールは五感を閉じ、心を鎮めていた。

 戦いの熱を彼女は感じず、剣戟の音は届かず、熱せられた塵は彼女の嗅覚を刺激しない。


 今、彼女の意識は自らが握る剣の内に向けられている。

 集中する彼女の心は腕を伝い、五指を過ぎ、柄から〝聖剣〟の芯へと、ある種の幽体離脱のように潜っていく。


 肺を膨らませ、唇から細く長く息を吐く。

 やがてまぶたの裏の光ではなく、瞑想の中にアーデルロールは辿り着いた。


 アーデルロールは白い舞台の上に居た。

 空も、足元も、地平の果てまでも何もかもが雪のごとくに白い場に自分は居る。


 舞台の上には無数の影たちが居た。

 姿形は大小さまざま。集団というよりも軍勢と呼ぶべき影たちだ。


 彼らは全員がアーデルロールに対して背を向けていた。

 無視をしている冷たさや、威圧を感じる空気の重さは感じられない。

 影たちの背から感じるのは忠義や忠節といった気配だった。


 懐かしい記憶を思い出した。

 幼い日、自分はルヴェルタリアの王城の大テラスに立つ父に抱かれ、式典に集った北騎士の軍勢を見下ろしたことがある。


 寒空の下、雲間からのぞく陽光を受けて煌く無数の銀鎧の光、そして騎士たちの全員がこちらへ向けていた忠義の視線を思い出す。


 不変かつ不朽の忠義。目の前の影たちはその気配を確かに帯びていた。


 ふと、彼らの一部が身じろぎをすると影色の壁が割れた。

 影が作り出した谷の先……最奥には男がひとり立っている。


 すべての影の視線は彼に向いていたのだと周囲の様子からアーデルロールは悟った。


 彼は異質だ。

 他の影とは違い、どこか神性さえ感じられる超然とした気配を放っている。


 白いマントを羽織ったその背中がゆっくりと振り向いた。

 顔立ちや表情、髪の色は強い逆光の中に立つように黒く塗りつぶされていて観察ができなかった。


 唯一確認が出来た身体的特徴は――目だ。

 男の両目には緋色があった。


 どうしてか、この影から黒髪の友を連想した。


「(ユリウス……? いや、違う。

  違う、のだけど……〝紋章〟を使った彼によく似ていると思うのは、何故?)」


 魔眼がごとき強烈な視線を受けたアーデルロールは指先ひとつとて動かせなかった。


 焦るアーデルロールをよそに、緋色の瞳をもつ男は影たちが身を引いた道を辿り、アーデルロールへ一歩、また一歩と白い舞台を踏みしめ歩み寄ってくる。


 特に言葉は交わされない。

 ただ互いの緋色の視線だけが向き合う中、そっと男の指が〝聖剣〟の柄に触れた。


「起きてくれ、ガーフィンニール。彼女に力を貸してやってくれ」


 つむがれた声音は思いのほか柔らかかった。

 慈愛に満ち、他人を労わり、愛することが出来る人物なのだと想像する声。


 アーデルロールは目の前の男こそが自らの血の源流。原初の緋。

 ガリアン・ルヴェルタリアその人だと悟った。


 途端に男の姿が、影の軍勢が遠のいていく。


「待って!」


 声が喉をほとばしるが、過ぎ去った影たちにその音は届かなかった。

 どうしてか涙がこぼれる。寂しさが胸を打つ。

 寂寥感が染みのようにゆっくりと、色濃く広がっていく。


 そんな意識を上書くようにして聞きなれない声が頭の内側で響いた。


『接続』


 当惑をよそに音は続く。


『調停剣 駆動開始。

 システム・ガーフィンニール 起動。

 疑似人格読み込み……エラー。データ破損。

 接続者を確認……未登録ユーザー。

 固有魔力波長……モデル:ガリアンに一部類似。

 ユーザー権限……緊急時ユーザーとして仮登録。第二種まで解放。


 エピオン粒子放射線射出……使用可能。

 内臓恒星炉による溶断ブレード生成……使用可能。

 ニドモデルの鎧化転送・キミサカモデルの行動加速・エーレンバール断界陣・その他機能は使用不可。

 使用可能機能のマニュアルをユーザーの記憶野にアップロード……完了。


 機能の全開放をおこなうには一等以上の交信地点にて登録申請をおこなってください。

 案内を終了。あなたの道行きに色彩のあらんことを』

 

………………

…………

……


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