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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
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171. 緋の祈り


 朝感じた時もそうだったが、城内の気配はまたおおきく一変していた。

 相変わらず暑くはある。

 しかしどうしたことか、その暑さは天候のそれではなく、まだ生きている生き物の腹の中に居るような生々しい熱に感じられた。


 気にはなったがその正体を探る時間はなく、三人の人間を担いだギュスターヴとわたしはひたすらに走った。

 道は知らなかったが今この時に限ってその心配はない。


 城内はあちこちが崩れていたから、蹴り破るなり切り崩すなりで突き進めばいいのだ。

 目指すべきは崩壊の影響を受けてあちこち崩れていく壁の先に見えるか細い外界、ヴィントゴアの城下町。


 両手を動かせないギュスターヴに代わり、わたしは先導する形で道を文字通りに居合の要領で切り開いていく。


「ギュスターヴさん! もうすぐ外です!」

「(くそっ、目が霞む……)おう! 分かった!」


 抜けた先は予想のとおりに市街地だった。

 およそ地上五階程度の高さから飛び出したまま、わたしは城下に視線を注いだ。


 王城とは違い、ここにはまだ人々が人の姿として存在していた。

 路上にあるドワーフはその全員が城を見上げ、家屋にある人々はドアや窓から驚いた顔を見せている。


 と、人々の姿が揺れると炎に変わり、城の中へと吸い込まれていった。

 その現象は目の前の城下どころか、ヴィントゴア王国――〝精王〟領域のすべてで起こり、無数の緋色の筋が大空を彩っていく。


 自由落下をするわたしは屋台にぶつかるようにして地面に落ち、ギュスターヴは両足からズシン、と着地をした。


 二人ともがダメージを無視して、無人の目抜き通りを前へ前へと走っていく。


「あの野郎、城どころか王国中の炎を取り込んでるのか!

 めちゃくちゃしやがる、こりゃ相当とんでもねえことになるぞ」


 首を横向けて後ろで起こっている異常を視認したギュスターヴがそう唸った。


「あの王様は……なんというか自分の気持ちをとにかく優先していますね。

 享楽的というか。そんな印象を受けます。いや無礼だとは思うのですが」

「そんな性格ならあたしたちが万全に回復して再戦する、とか認めてくれないかしら」

「さすがにそれはないんじゃないかな……!」


 抱えられたままのアーデルロールのそばに水流が起こり、女王の声が聞こえた。


『享楽的、か。ドルゲルバドルという男の一面として、間違いなくそれはある。

 出自をたどれば一介の鉄打ち。

 自分で鍛えた武器を持ち、戦で成り上がってきた戦士だ。

 鍛冶の腕は至上のものだが頭の方は良くはない。

 治世については妾を含め、よその王から何かにつけて痛烈な指摘を受けていた。

 それでどうして国を保つことが出来たかといえば、家臣が巧かったのだ。

 周囲の諫言や制止が無ければ、見よ、あの通りである』

「あの通り?……!?」


 振り返ったわたしとギュスターヴは思わずその足を止めた。とんでもないものを見た。

 すっかり崩れた王城のがれきの山が中央方向に集うようにひしゃげたのだ。


 そして一瞬後。

 がれきの隙間に落ちていた影を吹き飛ばす眩い光が内側から起こり、驚きの仕上げと言わんばかりに炎が嵐のごとくに噴き出した。


「すごい音ねあたしにも見せなさい~!」

「痛え! 暴れんなこら! 怪我人が運んでるってことお前忘れてねえだろうな!?」

「…………(ぐったりしたまま無言のコルネリウスとビヨン)」


 噴出した炎は見る見るうちに柱に変わり、最後には腕へと変わった。

 その大きさたるや凄まじく、元の王城の全高ほどだ。


 巨大な五指が地面を掴み、身を支えるように力を籠めると地中に埋まっていた頭部ともう片方の肩、上体が露出する。


 予想はついていたというべきか、あるいは当然だというべきか、その正体はドルゲルバドル王だった。

 巨大化した肉体の胸にはギラギラと輝く太陽の輝きがあり、どうやらそれは彼が飲み込んだ星炉だと見受けられる。


 とうとう毛髪どころか顔全体を炎と変えた〝精王〟の声にはもはや地鳴りのごとき威力があった。


「グゥハハハハハハ! これぞ余の真体である!

 アーデルロールと騎士ども! 貴様らの位置は知れておるぞぉ!?

 なにせこのヴィントゴアは余の肚の内。

 いずこに隠れようとも余には貴様らが見えておるわ! ガッハハハハハァハハ!」


「くそったれ……ユリウス!」

「! はい!」


 疾走しながらギュスターヴがわたしを呼び、つづけて進行方向にあるアパルトメントにあご先を向けた。

 扉を蹴り破り、階段に足をかけると全力で駆けあがって屋上へ飛び出す。


 洗濯の途中なのだろう。物干し竿にかかり、風が吹くままに揺れる白いシーツや色とりどりのシャツが映る視界の彼方、あまりにも非日常な存在である炎の大巨人が空を背景に仁王立ちをし、歩を進めようとしていた。


「さあ準備を整えたならば余がそちらへ行くぞ……! 身を整えておけ!」


 炎の両目とこちらの視線がまたも交わる。

 距離感がバカになるぐらいの巨体をそれぞれが見上げているうちに、息も絶え絶えのコルネリウスが声で白旗を上げた。


「無茶だろこれは……。

 まともにやりあえないぜ。さすがに人間が対応できる範疇を越えてる。

 戦うどころか近づくだけで燃え尽きちまいそうだ」

「確かにこれは……」


 創作・実話を問わずに巨大な怪物には弱点があり、そこを突けば倒せるというある種のルールや定則がある。


 この状況でいえばドルゲルバドル王の胸で燃えるあの星炉が弱点に該当するだろう。

 あれを吹き飛ばせば、倒せはせずとも弱らせることはできるとは思うのだが、そんな手段は……。


 わたしの視線は自然とギュスターヴに向いた。

 彼がさっき放ったあの投げ槍であれば勝ちの目はある。だが彼の全身は重い熱傷を負い、右腕にいたっては万全とは程遠い。


〝王狼〟の名を持つ彼が常人とはかけ離れた体力を持つことは知ってはいたし、目の当たりにしてきた。

 一行の中で最強の男、最高の戦力なのだと誰しもが認めるだろう。


 だが、それでも。

 それでも、この状態で全力の攻撃を実行すれば命に危険が及んでしまうと、そう思えてならない。


「オレがやる」


 槍と腕の具合を確かめていたギュスターヴが静かに言った。

 これほどに雄弁に覚悟と意志を物語る背中を、わたしは父のそれ以外に知らない。


「槍の大投擲をもう一度やる。

 星炉を狙えばいいんだろ? 

 出力をさっきよりも倍以上に上げれば確実にやれる。任せろ、自信ありだ」


 革鎧は燃え尽き、顔や首は焼けただれ、全身から焦げ付いた匂いをくゆらせている。

 常人ならとっくに死んでいる状態で彼はみずからの役割を遂行しようとしていた。


 こちらを見ずに「言っておくが」とギュスターヴは前置きし、


「これが嘘偽りなく、この戦いでオレが打てる最後の手だ。

 次に〝遠吠え〟を放ったらオレは当分のあいだ再起不能になる。

 コルネリウスはもう走れねえ。

 ビヨンの嬢ちゃんは〝精王〟と繋がって魔法を使った反動で衰弱が進行している」


「……それってあんたがビヨンの補助無しでさっきよりも強烈な投げ槍をするってことよね。できるの? つまり……それやって死なないわよね、あんた」


「忘れたのか? オレは〝王狼〟だぜ。

 ルヴェルタリア王家の懐刀、建国からの忠騎士、ウルリック家の当主だ。

 こんなところじゃくたばらねえよ」


 表情を見せないものの、少しだけ振り向くようにしてギュスターヴは笑みの色を混ぜた声でそう言った。が、その声は直後に厳しいものに変わる。


「アルル。ユリウス。

 この先に行けるのはお前たち二人だけだ。

 二人で王と向き合い、試練を越えられるな?

 あいつの強さを気にしてるだろうが、それはひとまず無視をしろ。

 恐らくどうにかなる」


 さっき対面したドルゲルバドルの強さを思い出すとギュスターヴが奇妙なことを口にした。


「今のドルゲルバドルは膨らんだ風船だ。

 あれだけ魔力を注いだ身体だ。

 奴が魔力の源にしている星炉を吹き飛ばしちまえばさすがに力は相当弱まる」


 わたしとアーデルロールはほとんど同時に頷いた。

 言葉には出していない了解だが、ギュスターヴには伝わっていた。


「アルル。勝利条件を復唱しろ」


「……あたしが〝聖剣〟の真価を発揮する。

 光波を使うなり、剣に魔討ちの熱線をまとわせるなりしてね。

 王にあたしが継承者として十分な人間だって認めさせることが試練を越える条件よ」


「そうだ。王にお前が継承者に相応しいと見せつけてこい。

 一発ぶちかましてきてやれ」

「う……ん。任せて」


「んな不安そうな顔すんな。

 ガキの頃からお前が変に気をもんで良くなったことはあんまりねえだろ?」

「そうだけど……」


「オレは付き合えないが、お前にはお前が選んだ騎士が居る。

 そうだな? ユリウス・フォンクラッド。お前が主の自信になれ」


 話を向けられ、わたしは最後の剣を握りしめてアーデルロールを向いた。

 彼女の緋色の瞳とわたしの青い目とが互いを見る。


「アルル。一緒に行こう」

「ユリウス――……分かった、行くわよ!

 コルネリウス、ビヨン。あんたらはここで吉報を待ってなさい。

 それから……頼んだわよ。ギュスターヴ」


………………

…………

……


 アーデルロールとユリウスの二人は試練の場にふたたび立つために走り去った。


 この場に残されたのは戦闘不能のコルネリウスに、衰弱したビヨン。

 それから自分。ギュスターヴ・ウルリックの三人だけだ。


 息をするだけでも相当につらい。

 取り込んだ酸素が焼けた喉や鼻孔を通るたびにざらついた痛みが走り、血を吐きそうになる。


 それでも自分は自分の仕事を果たす。

 左足を前へと運び、右半身を後ろへ捻りながら槍を持つ右腕を引くと槍投げの体勢に入った。


 これだけで身体のあちこちが激しく痛む。少し強い風が吹けば身体が崩れてしまうと想像するほどだった。


 この身を支えるのは幾人もの王との誓い。先立った妻と息子との約束。雷との契約。過ぎ去った多くの思い出と未来の輝き。


 手の内で紫電が弾ける。苦痛の一切は無視をした。

 炎の巨人を見据えながらただ一心に自分の身のうちに雷を鮮明にイメージしていく。


 最大の出力で槍を放つにはやや力が不足している。

 そして、放った後に自分は死にはしないだろうが片腕は持っていかれるだろう、という予感が彼にはあった。


「オッサン、もう限界なんだろ。槍もほんとは投げられねえはずだ」


 ふと、コルネリウスが背後からそう言った。しわがれたか細い声だ。

 目はもうほとんど開いておらず、顔を俯かせたまま彼は気力を振り絞っている。


 背を向けたままでギュスターヴは雷を分け与えた青年の声に耳を傾けた。


「そりゃ一体どんな推理だ? 根拠を教えてくれよ」

「俺とあんたは雷で繋がってる。だから分かるぜ。

 最初に雷を分けてもらった時よりオッサンの気配が弱くなってるのがさ」


「参ったな。体調不良がバレちまうんじゃ今後は仮病でサボれないか」

「そうだぜ。

 無理を通して槍をぶん投げた後、本当にくたばって永遠にサボられたら全員困る。

 もらったばかりでわりいけど、この雷は返すよ」

「けどお前、それを返しちまうとどうにか保ってる身体と意識が――、」


 コルネリウスは既に気絶しており、彼に分け与えていた雷は既にギュスターヴのもとに戻って来ていた。


 樹木の一枝を分けていたようなものだったが、いくらか欠けていた一部が戻るだけでも自分が想像していたよりもおおきな力の上昇を感じた。


 無茶しやがって、と自分を棚上げにして狼は思う。

 コルネリウスは勘が良い。

 自分の肉体が雷の力でどうにか保たれていたことを知っていたはずだ。そして雷を返上すれば自分が本当に危機的状態に陥ることも理解していただろう。


「……いい仲間をもったな、アルル。

 こうなりゃ何が何でも我が身をもって主の道を切り開かなくちゃいけねえな。

 一日に二度も投げたことはねえが……まあ死ぬほど痛いだけだ。死にゃしない。

 さて――やるぜ!」


………………

…………

……


 来た道を引き返し、疾走するわたしとアーデルロールのはるか上をまばゆい白線が一直線に横切った。


 それは前進しようと足を上げていた巨人の胸元に届くと文字通りに炸裂した。

 強烈な光を浴びたわたしたちの影が街路に色濃く落ちる中、とっさにわたしはアーデルロールを庇った。


「ギュスターヴの〝遠吠え〟……! さっきよりも強い、あいつほんとに……!」


 王の胸に燃えていた星炉どころか、その胴体の大部分――首と両腕を繋いでいた炎の肉体をギュスターヴの投げ放った槍は吹き飛ばした。

 成功だ。あの狼は自分の役割を果たしたのだ。


「ッッ! 貴様……! ウルリックめ、やってくれたなあああ!」


 王の肉体が揺らぐと構成していた炎がほどけ、虚空に消え去っていく。

 巨体はみるみるうちに収縮し、王国全体に落ちていた熱い威圧感までもが冷えていくのを肌で感じた。


「ユリウス! もうすぐ城に着くわ!」


 目抜き通りの先に崩壊した王城が見える。

 わたしとアーデルロール以外の仲間は全力を出し、わたしたちに戦いの先を託した。

 みんなの気持ちに応えなくてはならない。そう思うと走る足が速まり、肉体に力がみなぎるのを感じた。


 崩れきった城内に二人で並んで入り込む。

 すると間もなくして、輪の形にがれきの山が積み重なった開けた空間に出た。


 意図したものか偶然かは分からなかったが、戦いの場として成立したそこには身をかがめ、苦しそうに息を吐く王がただひとりで居た。


「あれは……」

「ドルゲルバドル王」


 散々にわたしたちを追い詰めた火勢は既に失われていた。

 巨体は依然として維持されているものの剣や鎧は無く、身体のあちこちから炎を噴出してはいない。


 彼が持つ武装は炎槌、ただそれひとつだけだ。


「余がここまで追い込まれたことは……フハ、生前から数えても一度として無かったぞ。

 これがただ余を倒す試練であったならば貴様、文句なしで合格だったのだがな」


 ゆらりと身を起こし、鍛え上げた胸を張ってドルゲルバドルは王の威厳を示した。

 そしてアーデルロールが王の前に仁王立ちをし、緋色の視線をきっと向ける。


「自分で決めた言葉は曲げずにやり通すわ。

〝聖剣〟をちゃんと使えるってことを証明して、あんたと契約を結んでみせる」

「よくぞ言った。

 ガリアンの娘。そして〝紋章〟の騎士……」


 炎の視線がわたしを正面から見据える。

 瞳を通り、脳を過ぎ、魂の色を見定める深い視線だった。


 わたしは視線を逸らさず、真っすぐに王と視線を交わす。

 言葉は不要。この眼こそが彼の望む答えだという予感があった。


「覚悟を決めたならば剣を抜け。

 黒山の鉄打ちから始まり、ヴィントゴアを統べ、炎を掌握したこのドルゲルバドルが見定めてやろう」






 祈る。祈る。祈る。


 アーデルロールが古い剣に思いを馳せた。

 名と伝説のみが残る自身の血の始まり。魔討ちにして霧を払った勇者。

 ガリアン・ルヴェルタリア。そしてそれに連なる己の父祖たち。


〝聖剣〟の柄を掴む五指に意識を集めた。

 これまで握ってきた幾人もの継承者たちに思いを馳せる。


 沈思する。一体幾人がこの剣の真価を知り、今は失われた銘を呼んだのだろう。


 やがて次代の〝霧払い〟は見た。

 まぶたの裏にたたえた闇の中に浮かぶ、先達たちのいくつもの緋色を。


 己の宿命はここに。アーデルロール・ロイアラートが今ここに命を賭す。


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