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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
174/193

170. 星炉を呑む


 頭の先からつま先までを震わせる轟音がおさまると炎の巨人は消え失せていた。


 心の底から目の前の状況を楽しむ、あの豪快な笑い声は聞こえない。厄介極まりない炎はその一部さえ存在していない。


 彼は〝王狼〟の手から放たれた雷を受け、消滅したのだ。


「はあっ……! はあっ、はあ……!」


 身体を立たせていた気力がどっと底をついて、身をかがめると息を整えた。

 噴き出した汗が下向けた顔を伝い、あごの先からぼたりぼたりと垂れていく。


 タイミングをほとんど同じくして、アーデルロールとコルネリウスの二人が大の字になって闘技場の上に横たわった。

 両手両足を投げ出したまま「ぜえはあ、ぜえはあ」と息を吐く二人の呼吸は面白いぐらいに揃っている。


『あの炎髭王との戦いを生き抜くとは流石だな。見事だ』


 後頭部が突然濡れた。

 水のたまったバケツを思い切りぶちまけられたような水気の正体は、セレナディアが作り出した水球だった。


 それは回復の促進・失った魔力を補うという癒しの作用を持っていたようで、二人の友人が負った熱傷や切り傷といった外傷が立ちどころに回復していく。


 一方、わたしへの効果はいまいちだった。

 裂けた傷口はじゅくじゅくと疼き、熱で変色した皮膚の色はなかなか戻らない。


 ドルゲルバドルの王国の外――〝精王〟領域で剣を振るった霧との戦いではすぐに傷がふさがったのだけども。随分な違いだ。


 まあ……予想はついている。

 わたしの身体はおそらく霧に最適化しているのだ。


 霧中にあっては傷はたちどころに治り、身体能力は著しく向上する。

 これは()しくもも幻視したガリアンが口にしていたのと同じ性質だ。


「見たところここに霧は無い。……だからか」

「? 何か言った?」

「傷の治りが少し遅いんだ。でも少し休めばきっと大丈夫」


 実際、遅くはあるが効果は出ている。


「それよりも王様の気配がないね」

「ギュスターヴがぶっ飛ばしたんでしょ」


 水球に顔の下半分を突っ込むと水を直接がぶ飲みにし、両手ですくった水で顔を豪快に洗いながらアーデルロールが言った。


「あれでほんとに倒せたんならいいんだけどね」

「(? なんだっけ。なにか忘れていないか?)

 そう……だね。こんな戦いを続けてこなすのは避けたいよ」


 胸に小骨がつっかえたわたしの内心を映したんじゃないか? と。そんな具合に丁度よくセレナディアの顔が曇る。

 大事なことを言いかねているのか、ガッカリしているのかは分からないが、何にせよ残念そうな色の表情だ。


 気のせいかもしれない。

 流水で構成された彼女の表情はわかりづらいので、わたしがそう勝手に感じたことにする方が多分正しいだろう。


「よう! よく生き残ったなお前ら、やるじゃねえか!」

「みんな~っ」


 のしのしと重たい足音を立ててギュスターヴがやってきた。

 その左腕にはビヨンが抱えられている。手足をぶらぶらとさせて運ばれるその様子は運搬される荷物かなにかのようである。


 ギュスターヴの右腕はボロボロだった。

 腕を保護していた革鎧は腕の半ばで焼けて消え、篭手は肘の辺りに一部が残るだけでほとんど鉄くず同然の有様だ。


 注目するべきは手首から指先にかけてだ。

 雷の熱で焼けたのかあちこちが黒ずみ、彼の意思に反してびくびくと指が痙攣するさまはダメージの重さを否応なく感じさせた。


 彼はセレナディアの水球にざぷっと手を突っ込むと安心した息を吐き、


「ふう、こいつは良いや。

 ところで、なあ? セレナディアとの試練の時はどうやって終わったんだったか」

『我が兄にして睡蓮の守護者、ウルヴェイン王の打倒をもって妾が試練を止めた。


「お、おう……。そうか、ご本人がいらっしゃったんだな……。

 これは失礼した。

 ん。あれ? おい。ドルゲルバドル王の話の内容ってのは確か……」


『気付いたか? 初代よりは頭が回るな、ギュスターヴ。

 立て、アーデルロール。王の試練はまだ終わってはおらぬぞ』


 セレナディアの言葉は青天の霹靂だったらしい。


「え゛っ」


 と、王女は目を丸くしたダミ声でそう言った。


『忘れたのか? ドルゲルバドルと交わした〝聖剣〟の真価についての会話を。

 光波の扱い、熱剣の発動。

 これらをお前は『戦いの中で使えると証明する』と豪語した。

 ならば、内のいずれかを見せねばやつの試練は終わらぬ。やつはお前を認めぬぞ』

「うげげ……」


 わたしの青にビヨンのエメラルドグリーンに始まり、ギュスターヴの薄灰色からセレナディアの水の瞳まであらゆる視線がたじろぐアーデルロールに注がれる。


「おいお前……忘れてたんじゃ……」

「だってみんな殺されそうだったじゃないのよ!

 助けるのに必死だったんだからしょうがないわ。

 あんた達だって忘れてたでしょ!?

 コール! ユリウス! どうなのよ、そこんとこ!」


「なんで狙い撃ちにするんだよ!

 俺の記憶力が一番下だと当然のように思い込むのマジでやめろよな!」

「僕は戦うのに――、」


「誰よりも朝飯をそれこそ山ほど食べたのに昼になって『そういや朝飯まだだったよなあ。腹減ったぜえ』ってあたしの携帯食料を奪おうとするやつが悪いんでしょ!

 普段の態度が悪いのよ、普段の! なめられたくなかったらちゃんとしなさいよ!」

「――必死ですっかり――、」


「なんだと!? モノマネ似てねえよ!」

「何よ!?」

「――忘れてたよ」


「ったく終わった途端にこれだ。

 ルヴェルタリアの王家ファンクラブが普段はすました面ばかりしてるアルルのこの姿を見たら妙な特集を組んでたろうな。

 おい、アルル」


 防御を失ったものの傷だけは癒えた右腕の具合を確かめてからギュスターヴが不毛な言い合いをつづけるアーデルロールを呼んだ。

 何よ、と元々吊り目がちな目尻をぎゅっと上げる臨戦態勢の彼女へ向けて、


「見たとこ先代継承者のレオニダス王陛下と同じだけの力を引き出せてはいたぞ。

 契約した〝精王〟の力を剣に付与させての魔法剣。そして身体能力の飛躍的な向上。

〝聖剣〟の真価がどんなもんかは分からねえが、力が眠っている扉のノブに指をかけてはいるはずだ」


 力強い語調でルヴェルタリア王家の懐刀は言った。

 250年以上の生涯。歴史に名を刻んだ幾人もの騎士に戦いを教え、導いた男の言葉を受けてアーデルロールが喉を鳴らす。


「もっと意識を研ぎ澄ませ」

「意識を……」


「深く、深く、深く。

 自分が触れたいと思う対象の中に深く潜るんだ。

 そうすりゃきっと届く。お前には素質がある。自分が信じられなきゃオレを信じろ」

「分かった。ありがとう、ギュスターヴ」

「普段はじゃじゃ馬なのにこういう時はちゃんと聞くよな、お前は」


 小首をかしげながら親のような穏やかな顔で微笑みを浮かべるギュスターヴだが、その表情は直後に消え失せた。

 ほころんでいた眉間には深いしわが刻まれ、雷鳴とともに黄金槍をふたたび手の内に出現させた〝王狼〟は頭上を睨んだ。


「感じたか?」

「?」


 感度の高い魔力感知の素養がなければ気が付けなかったのだろう。

 問いに応えられたのはビヨンだけだった。


「……上です。あの燃える火の球――星炉だっけ。それからあの王様の気配がする」


 球体の表面を流れる水滴は、球体の最下部に到達するとやや間をおいてからぽとりと落ちる。

 わたしたちの頭上で輝く星炉から炎がこぼれ落ちるのはまさにそんな光景だった。


 闘技場の舞台からは離れた場所……客席のあたりに落ちた炎からは、あの炎の王の気配を感じた。

 自然と剣を手に取り、グリップを握る指に力が籠る。


「おいおいおいおいおい。まじか。槍ねえぞ俺。

 ついさっきお前らを助ける時に燃え尽きちまった」

「あの時はああしてなきゃ死んでたかもしれないんだから良いのよ。

 ありがと、コール。ナイスだったわ。

 ふん……試練をちゃんと越えなきゃ終わりじゃない、か。

 そりゃそうよね。それが〝精王〟が敷いたルールだもの、道理だわ」


 人の姿として顕現していたセレナディアはその維持を止め、水色の粒子に姿を変えるとアーデルロールの握る剣へと戻った。

『王が再生するぞ』と残した言葉のとおり、直後、客席に起こった炎の柱が天へ向けて伸び、渦を巻き始める。


 やはり現れたのは毛髪の先に炎を燃やし、強靭な体格と3メートルを超える身の丈をもつドルゲルバドル王だった。

 彼は血管が幾筋も浮かんだ剛腕を振り、快笑に喉を震わせた。


「見事な絆。見事な剣技! 見事な連携である!

 一朝一夕の互いの理解ではこうはいかんだろう。

 貴様ら、なかなか良い縁の中に居るな? ムッハハハハハハ! 良い良い!」


「ど、どうも……?」

「それだけに惜しい!

〝聖剣〟の真価さえ知っておれば貴様、ガリアンに劣らぬどころか凌ぐかも知れんぞ。

 なあ、アーデルロール――北の娘よぉ!」


 炎の巨人が客席から闘技場を目掛けて跳んだ。

 再生した彼に鎧の守りは無かったが、元より傷が致命の原因にならないのだから見栄え以上の価値はきっと無いのだろう。


 そして炎をまき散らす厄介な特大剣も彼の手中には無い。

 ドルゲルバドルが持つのは炎槌だけだった。


 空中にあるうちに彼の槌には力が集い、白と緋色が互いに混ざり合うまばゆい輝きを放っている。


「(あれが来る!)――全員散開!」


 アーデルロールの決断は速かった。

 口角を上げたまま槌を振りかぶって迫る脅威から全員が即座に距離をとろうと離脱する。


 が、星の核さえ揺らすと王が豪語する一撃は逃げるアーデルロールを正確に狙った。

 直視するだけで目に痛みを感じるほどの熱と光がアーデルロールを襲う。


 顔を横向け、自分に迫る一撃を視認した彼女の焦りは想像に難くない。

 今から四肢に風を纏わせることは難しく、かといって全力疾走では到底逃げ切れない。


 万が一の覚醒にかけて〝聖剣〟を握る手に力を籠めたが、〝霧払い〟から脈々と受け継がれる古い剣は何の反応も返してはくれなかった。


「……!(やばい、これは死――)」


 その瞬間、入れ替わるように炎に対して狼が立ちはだかった。


「ぐ、お、おおおおお……ッ!」


 ギュスターヴはアーデルロールを体当たりで弾き飛ばすと黄金槍の柄を両手で握り、炎槌の平――その打面に槍ごと自身の手を押し付け、力ずくで受け止めたのだ。


「ギュスターヴッ!」


 悲痛な叫びがアーデルロールの喉から迸った。

 だがギュスターヴには聞こえていない。

 彼とドルゲルバドル、それぞれが持つ紫電と炎の魔力が衝突し、発生する魔力のうねりがあまりにやかましくて王女の声は届いていないのだ。


 一方で魔力で接している炎の王の声はよく聞こえていた。

 むさ苦しく、熱量のある愉快げな笑い声が数回響くと、


「ルーヴランスの末めぇ……。さっきのは中々に効いたぞ。

 やるな貴様。野から生えたあやつよりも、貴様こそを余は気に入った!」


「お褒めにあずかり……っ! グ、ウ、オオア……光栄だぜ、王様よぉ……!」


「槍術の冴えは素晴らしいが貴様、守りはどうだ?

 魔力の循環と発露による防御、強靭な肉体で耐えておるようだがどれだけ保つ!?」


 ぐりぐりと王が炎槌を〝王狼〟へ押し付け、その火勢を増す。

 両手の指先から腕のみならず、ギュスターヴの肉体は炎であぶられた。


 一撃を受け止めてからそう長い時間は経っていなかったが、既に彼の身体の前面は炎上し、焼けただれていた。


「うああああああああ!」


 若草色の光線が王の剛腕を切り裂くが切断は叶わない。

 ついでわたしの剣閃も加えたが結果は変わらなかった。


 だが炎槌による一撃の重さは確かに緩み、命からがらにギュスターヴが死地から脱出する。


「――睡蓮の祈りをもって我はここに渦動を招来する。

 いざ天へ逆巻け。水の第四階位、」


 水魔法の一撃で王を怯ませようとビヨンが狙うがそれは実現されなかった。


 第一にギュスターヴの槍投げに際して魔力の調律をした影響で自身の感覚をまだ取り戻せておらず、第二に遠距離攻撃をきらったドルゲルバドルが指先から振るい、撒かれた火炎が彼女を襲ったからだ。


「――余はその魔法を好かん。水の小娘の加護などけったくそ悪い」

「ビヨンッ!」


 コルネリウスが弾丸のように跳んだ。

 その腕はビヨンを突き飛ばし、代わりに彼の背中には大量の炎が振り落ちる。

 とっさに彼は革製のベストを脱いだがいくらかの炎は身体に留まり、重い熱傷を負った。

 

全員(ぜんい゛ん)撤退(でっだい)だ! 退け!」


 ざらついた声を張り上げてギュスターヴが撤退の号令をかける。

 彼は既に自身の両脚で立ち上がり、戦闘意欲を見せるアーデルロールを抱きかかえて走り始めている。


「ヌハハハハハァハハ! どこへ行くというのだ!? 逃がさんぞ貴様らァ!

 城の外へ出るか? 良かろう、許す!

 余は玉座を離れられぬが、何、ならば余が城となり自ら動けば良いだけのことよ!」


 不穏な言葉に恐怖を覚えるわたしの意識をしゃんとさせようとギュスターヴがまたも声を張った。


「ユリウス! お前はひとりで走れるな?」


 全身熱傷の彼は左右の腕にコルネリウスとアーデルロールをそれぞれ抱え、ぐったりとしたビヨンを肩から首にかけてかついでいた。


「任せてください!」


 そう答えるしかなかった。

 闘技場の背後にいつの間にか現れていた扉を目掛けてわたしたちは走る。

 途中で剣をひとつ拾っての離脱の瞬間、わたしは見てしまった。


 王が炎の肉体をさらに肥大化させ、城の上空で燃える星炉を掴み、呑みこむ光景を。


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