168. 光輝の炎槌
王の首を斬り付けた二本の剣のうち、長剣の方は切っ先を失い、剣身の半ばからどろりと融け崩れていたが〝聖剣〟は無事だった。
刃の先から根元にかけては鋭い光をたたえており、嵌められた十三個の宝玉も美しいままに残っている。
ショックが強すぎたのか、咄嗟に体勢を持ち直すことができなかったアーデルロールに追いついたわたしは彼女の手を取り、王の放つ熱から離れようといくらか遠くを目指して走った。
「〝聖剣〟は無事だよ、アルル」
「そ、そうね……良かった。めちゃくちゃ焦ったわ」
そう言うや否や、ごうっと命を脅かす炎が放たれる気配と、鉄と鉄が衝突する戦いの音がわたしの背中を打った。
短剣を取り出し、握るアーデルロールからドルゲルバドル王へと視線を移すと、ギュスターヴとコルネリウスの二人が敢然と槍を振るい、炎の巨人に立ち向かっていた。
「う、お、お、おおおおおっ!」
「――……ッ! くそっ! 手ごたえがねえ!」
黄金槍が中空に幾条もの金色の残光を残す一方、コルネリウスの槍の軌跡には紫電の光線が迸っている。
「あれは……魔力で刃を伸長したのか!
なるほど、あれなら炎に斬りかかっても武器は融けない」
考えたな、と思いながらわたしは抱えていた剣を足元に突き立て、それからつま先に力を籠めると力強く走り出した。
新調されたコルネリウスの槍が優れた逸品であろうことは確かだが、しかしおそらくは尋常の槍だ。
〝聖剣〟のような逸話はきっと無い。
王がもつ炎の肉体にその穂先を突き立てれば、アーデルロールの長剣と同じ末路を迎えてあっさりとダメになっていただろう。
だが、彼がもつ槍の先端には紫色をした半透明の刃が存在している。
王の鎧を斬り付けて火花を散らし、コルネリウスが走り、躱すにあわせてパチパチと稲光を立てるそれは、紫電の魔力で形成された仮初ではあるものの強力な槍だ。
「ちょっとドジったけど失態は成果で取り戻すわ! 行くわよユリウス!」
「了解!」
「行動加速――雪の疾風よ、我が四肢に宿りたまえ……!」
わたしより遅れて走り出したアーデルロールは二歩、三歩と地面を蹴りだすたびに足に付与した風の魔力を爆発させ、先行していたわたしをあっという間に置き去りにした。
ちらと見えたその明確には昂った闘志の色があった。
勇猛で知られる北騎士の心にきっと火が点いたのだろう。
彼女は既に王の背中に迫り、不意打ちの形で斬りかからんとしている。その左手にはさっき握りこんだ短剣があった。
その意匠は遠目には分からないが、本来短い剣身は魔力で構成された刃で長剣並みに伸ばされている。
「ルヴェルタリア流古剣術――!」
〝霧払い〟を継ぐ姫が重心を低く取り、巨大な背中を見上げながら熱気ごと大量の酸素を取り込むと〝聖剣〟と短剣の刃、その両方を輝かせた。
「レーゲンッッ! シュトラァァァアルッ!」
二刀流の扱いに卓越したアーデルロールがつむじ風のように、あるいは踊るように素早く切り込む。
幾重にも重ねられた高速の剣閃はさながら網目のようにドルゲルバドル王の背中を切り裂いた。
「手ごたえ薄すぎるわね……! 全くもう、いやんなる!」
血液が通っていないらしいドルゲルバドル王はその肉体から血しぶきの代わりに炎をまき散らし、攻撃者であるアーデルロールを振り返る。
「やりおるわ! 貴様、先もそうだが風のような俊敏さだな!」
鈍重な動きだった。
これでは疾風のような速度で多重の斬撃を繰り出すアーデルロールには到底追いつけまい。
アーデルロールはこの好機を逃してはならない、と更なる攻勢をかけた。
特殊な足さばきと風を吹かして実現される変則的だが目にも止まらないアーデルロールの剣術により、ドルゲルバドル王はその四肢を切り刻まれ、首を裂かれたがしかし、その体勢は崩れていない。
どころか膝をついてさえおらず、悠然と仁王立ちのままだ。
嫌な予感がした。
攻撃に加わろうとしたわたしは足を止め、束の間だが様子を探る。
「〝紋章〟を使うのはきっと今じゃない。
ドルゲルバドルは何か手を打ってくる。
……!? コールたちは仕掛けるのか!?」
「コルネリウス! オレに合わせろ!」
「合点承知だ! 一番でけえ雷を叩き込んでやる!」
二人の槍手が息を合わせて互いの得物を炎の肉体に突き立てると、小規模な稲妻の爆発が起こり、既に重傷の――人間でならだが――王にさらなる深手を負わせた。
だが、王は動じない。
彼は肉体のバランスを失い、攻撃の嵐に晒される中で厳かに右手を掲げた。
その所作は洗練されており、どこか儀式じみた神秘の印象を見る者に抱かせた。
「フッハハハハハ……ハハハ……ガッハハハハハハァハアアハハ!
良い! 良い良い良い良いぞォ! これだから余は戦いが好きなのだ!
己が身が血を流し! 勝利を目指さんと魂を高揚させるこの感覚を!
余は長く――長く待ち望んでいたぞ!」
丸太のように太い腕の先には、白に赤、オレンジが混ざり合った煌々とした輝きで燃え盛る炎槌が力強い気配を放っている。
まずい一撃が来る。
ギュスターヴをはじめとした他の三人も同時に悟ったらしい。
炎の王は掲げた腕の先で槌を握り直した。
興奮と情熱を込めて。己の望むのをわずかのブレなく実現するために。
指をわずかに動かし、得物を握る。
ただそれだけのはずなのに、あらゆる妨害が意味を成さない、致命的な何かが起こるのだと思えてならなかった。
ギュスターヴたちは素早くその場を飛び退いて距離を取った。
一方でわたしはビヨンの方向へと向きを変え、長い文言の詠唱途中だった魔法使いの幼馴染に「ごめん!」と短く叫ぶとその腕を引っつかみ、乱暴に抱きかかえると急速離脱を敢行した。
「ユーリくん!」
「変なとこ掴んでたらごめん! 後で殴ってくれ!」
帽子を手で押さえて目を丸くしたビヨンが「違う違う違う!」と叫ぶ。
「そんなことじゃなくって後ろ! 王様のハンマーが大変なことになってる!」
「――~~! ビヨン! 魔力防御だ! 今すぐ全力で!
「えっえっえっえっ!?」
ドルゲルバドルはこれから自身が放つ一撃の威力とその結果をよく分かっていたのだろう。でなければ、次に聞こえたこの声にこれだけの嗜虐的な色は混ざらないだろうと思えた。
「この程度でくたばってくれるなよ……!?
星の核さえ揺らす古今無双のこの鉄打ちをようく聴け!
そして魂に刻み込むがいい! 余の――――!〝地殻鳴動〟をォォオ!」
何が起こったのか後ろを振り返る勇気はなかった。
背中の方向……ドルゲルバドルから発される光はきわめて強く、闘技場全体を白く照らし、わたしの進行方向にわたしとビヨンの二人分の影をくっきりとうつすほどだった。
白と黒のコントラストがあまりにハッキリし過ぎている。
それはある過日、照り付ける夏の日差しと建物が落とす影に視線を落とした時のことを思い出させた。
強烈な爆風で二人とも身体がその場に浮き、踏ん張りが効かないまま遠くへ吹き飛ばされていく。
空中のただ中でわたしは顔を腕でかばいながら地面に視線を向けると、闘技場に無数の亀裂が走っていた。
「ビヨン、掴まって!」
「~~~~~!」
魔法使いを抱え、守りながらわたしは背中から地面に落下した。
亀裂のとがった面に衝突して重傷を負ってしまわないかは正直賭けだったが、着地の衝撃の痺れがほどけても痛みを感じないから無事なのだろうと思いたい。
「相棒! アルルにビヨン! 無事だよなあ!?」
立ち上がりながらビヨンともども大声でコルネリウスの呼びかけに「無事だよ」と声を張り上げた。
戦いの気配は無い。
ギュスターヴたちは様子見をし、ドルゲルバドル王もまた一撃の余韻に浸っているのだろうか。
「しかし、これは……デタラメだな」
この闘技場がどれだけ頑丈かわたしは知らなかったが、ガリアン王の決戦のひとつの舞台だったというのなら相当の耐久があったのかもしれない。
ドルゲルバドル王はたったの一撃でそれを破砕した。
あの炎の肉体には一体どれだけの膂力が秘められているんだと考え、戦慄した。
王が立つ闘技場の中央には……夜空のきらめきが満ちていた。
急に何を、と思うだろうがそう表現するしかない。
槌を打ち込んだと思しき箇所はイリル大陸の〝大穴〟のように風穴が空いている。
炎の代わりに濃紺色のもやがもうもうと噴き上がり、暗い青の中に白や黄色の小さい輝きが湧いては消え、弾けている。
その様はまるでよく晴れた夜に見える宇宙の色だった。
「ごほっ! 喉ががらがらする……。
戦いを長引かせるのはだめだねえ」
喉をおさえてビヨンがそう言った。
魔法を扱う以上、詠唱の工程はほぼ必須でついて回り、場合によっては行使者の喉に負担を強いる。
杖を抱く一方で帽子のつばを引っ張り、目深に被ったビヨンは強い意思を視線に籠めてわたしに言った。
「普通の鉄じゃ確か融けちゃうんだよね……。
ユーリくんは魔力で刃を作れなかったはず。
ちょっと待ってて。今すぐうちが――、」
「大丈夫」
ビヨンにはわたしの補助よりももっと別の役割がある。
どうやら物理的だったりチマチマとした攻撃はドルゲルバドル王の痛打にはならないようだった。
唯一効いたと言えるのは、先ほどの雷の爆発ぐらいか。
ビヨンは強力な魔法の使い手だ。〝水精王〟が顕現している今なら、あの水の女王の力を借りてより威力の強い魔法を放てるかもしれない。
「魔法の細かい技術は僕には無いけど、代わりに剣の扱いには自信があるんだ」
ついさっき地面に突き刺した予備の4本の剣は幸いにして無事のようだ。
戦闘中にあれらのすべてをダメにしてしまう可能性は……無くは無い。
手が尽きるその前に勝負を決めなくては。
装備し続けていた剣のグリップに彫りこまれた凹凸を握り直し、指先に力を籠めた。つづけて熱い空気を取り込むと細く、長く息を吐く。
「融けるよりも早く剣を振ればいい。
〝ウル〟ならきっとそうするし、あいつなら難なくやってのける。
ビヨンにはありったけの威力で魔法を撃ってほしい。
ここは僕たちの決戦の場だ。絶対に乗り越えよう」
「――うん!」
宙の色をたたえたもやが唐突に噴き消えた。
代わりに紫電がばちばちと大気を灼き、わずかに遅れてギュスターヴの咆哮が聞こえた。
彼の突き立てた黄金槍から放たれた紫電の波動がその熱の正体だった。
対してドルゲルバドル王は左手に握った、無尽蔵の炎で燃え上がるいびつな形の特大剣を振り上げ、力強く振り回した。
厄介なことに剣がたどった軌跡には炎がしぶとく残っている。
空中に残された炎は王の刃にも盾にもなり、こちらの攻勢を阻んだ。
随分遅れたがわたしもあの炎の中に飛び込む時が来た。
ビヨンに今しがた言ったことだが、わたしは魔力の刃を構成するような技術を持たない。
集中すれば出来るかもしれなかったが、今この場で即興は不可能だ。
「……王に対して物理はあまり有効じゃない。
痛打になる攻撃を持たないのは僕だけか。
なら、僕に出来ることはみんなの援護だな」
足を肩幅に開き、軸足を前に。
荒れ狂う炎の嵐と熱狂の戦いを見据えながら身体を半身に向け、腰の辺りで剣を静かに溜めた。
鞘に触れ、利き手を柄へ。
狙いは王が振るうあの厄介極まりない特大剣。
あの炎の剣を弾き、いなし、わたしが厄介な相手だと王に印象付けて注意をこちらに向けさせる。
「さあやるぞ、ユリウス・フォンクラッド。
いざ走れ……瞬影剣――……!」
父に教わった最速最大の剣技の名を口にし、影さえ残さぬ素早さで戦いのど真ん中へ突っ込んだ。
空中に残る炎が髪や皮膚を焼くがわたしは意に介さない。
自身に課した役割を果たす。
どれだけ傷を追おうとも、ただそれだけに己のすべてを集中していた。
王が力いっぱいに振り下ろす一撃に対し、真下から放った剣の閃きを放つ。
痛烈な金属音がその場の全員の耳を打ち、散った火花は王の鎧に光を映した。
二合、三合と剣を弾く内はさして気に留めていなかったのかも知れない。
だが十合目ともなると王がわたしに向ける注意の質が変わった気がした。
「貴様、面白いぞ! 余の剣と炎によくぞ耐える! 名を聞かせよ!」
直感は正しく、王がそう猛々しく吠えた。
この瞬間にも雷撃を加えられ、疾風が身体をえぐるが王の快笑と気の高揚は留まるところを知らない。
この巨人の注意をこちらに向けさせ続け、仲間の攻撃の機会を出来るだけ多く作り出す。それがわたしの仕事だ。
覚悟を言葉にし、より強固にするつもりでわたしは王へと名乗った。
「ユリウス……げほっ、ユリウス・フォンクラッド。
〝霧払い〟を継ぐ北の姫、アーデルロール・ロイアラートの近衛だ……!」




