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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
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167. 挑むは灼熱の渦


 王のはからいで設けられた宴席は豪勢なものだった。


 わたしが横に寝転んでも手足が端には届かないぐらいに幅の広いテーブルの上を、肉料理から魚料理、果実、デザートといったいくつもの料理が乗った皿が埋め尽くしていた。


 料理が多種多様なら飲み物もまた同様で、果実酒に麦酒、ワインに始まり匂いだけで喉がスッとする清涼感をもつ飲み物が並んでいる。


 上座にあたる一際煌びやかな椅子に、ドルゲルバドル王の姿は無かった。

 名代を務める人物の説明では別室にて明日の戦いに備えているらしい。


「えー……皆様におかれましては云々かんぬん……」と、ありがちな簡単な挨拶を口にした名代はそのまま杯を掲げ、食事の開始を告げた。

 そういえば挨拶の中で言っていたことだが、名代いわく、このテーブルにはヴィントゴアに古来より伝わる精力の強まる料理だけをありったけ用意したのだという。


 黄金色の身をもったカニの脚や白くでろっとした肉をつけた果実を初めて目にするわたしは『そんなことを言われても、そもそもこれは本当に食べていいものなのだろうか? ドワーフ専用の食事で、純人間の胃は受け付けないんじゃないか?』と訝しんだが、わたしの同行者たちは迷わずに手をつけた。


「見た目はアレだがやたらにうめえなぁ」

「ホントにね! うち手が止まらないよ!」

「あんあら、おういほうたえなああいお(あんたら、行儀よく食べなさいよ)」


 一番に行儀よくしなければならないのはアーデルロール本人だった。

 最初こそ――わたしたちの中ではだが――静かに進んだ食事も、コルネリウスとビヨン、それにアーデルロールたちが作り出す賑やかな雰囲気の前では容易く吹き飛んでしまう。


 景気の良い音を鳴らし、食滞を盛り上げる演奏の中で各々が盛大に笑い声をあげ、いずれ宴席が終わるとそれぞれに用意された客室へと入っていった。


「めちゃくちゃに豪華な部屋だ。

 普通に泊まったら稼ぎも貯金も吹き飛びそうだな……」


 天蓋付きのベッドにおおきな窓。

 どれだけの値がつくかも分からない調度品が備えられた部屋はどうしてか落ち着かなかった。


 気を紛らわせようと窓辺に立ち、景色に目をやる。

 奇妙な世界だった。


 遠い将来には<オランピア>の街が生まれる平原は確かに見える。

 だが遥か彼方の山々とその空はもやで覆われ、その先が見通せなかった。


〝精王〟の領域は隔絶された空間。いわば切り取られた時間と世界だ。

 領域の広さを誰がどう定めるかをわたしは知らなかったが、もしドルゲルバドル王が定めたのなら、彼は『我が王国はこの範囲のみで良い』と考えたのかもしれない。


 今は明かりのひとつさえない平原に視線を落とし、今この瞬間にも未来で戦っている戦士たちに思いを馳せた。


 一帯を囲んだ濃霧を晴らすには、その霧を呼んだ主……棄てられた王国ハインセルからわたしたちを追ってきた大巨人を倒すしかない。


 それにはドルゲルバドル王がもつ炎槌が必要不可欠だった。

 必殺のそれを手に入れるには――、


「王の試練に勝つしかない。

 ああ、絶対に勝つとも。

 炎の力を持ち帰り、シラエアやバレンドール、エイリスたち……みんなに勝利をもたらすんだ」


 片手の人差し指を立てると胸の辺りで小さな円を描き、それからぎゅっと拳を作ると握り込んだ。


………………

…………

……


 翌朝を迎え、廊下へ出ると真夏もかくやという熱気がわたしを出迎えた。


「あっつ~!!

 なによこりゃあ、昨日はヒンヤリしてたってのに……別世界に来たみたいね」


 全身の装備を正しく着用したアーデルロールが対面の部屋から出てくるなり、げんなりした顔でそう言った。

 両脚の腿部分に巻いたベルトには多数の投げナイフが仕込まれ、腰に吊った短剣と長剣は新調されている。


「おはよう、アルル。

〝聖剣〟と長剣、それから短剣に投げナイフ……重そうだね」

「あんたこそ剣を五本も持ち込むなんて気合入ってるわね。

 使い切れるの?」


 小首をかしげ、からかうような視線を向ける彼女が見るわたしは腰に吊った直剣二つに加えて、三つの剣を抱えている。


 これらはすべてドルゲルバドル王の炎に触れれば剣が融けてしまうのだと教え、伝えてくれたドワーフが朝方に運び込んでくれたものだった。


 どれもわたしの指に合い、素振りをする限りでは扱いやすい品だ。


「ちゃんと使うさ。もしもの時の備えだよ。

 使えるものを使い切り、全力を出し切って僕らは勝つ」

「そう! 分かってんじゃない。

 ビヨンたちもぞろぞろ出てきたわね。

 じゃあみんな! 王様んとこに行くわよ!」




 ドルゲルバドル王が待つ炉の間へ近づくほどに熱気が増していく。

 昨日見た時には水をたたえていた城内の小川はすっかり干上がり、代わりに燭台は火炎放射の魔法もかくやというほどの勢いで炎を噴き出していた。


「どうなっとんじゃこりゃ……」


 噴き出す汗を腕で拭いながらコルネリウスが言った。その視線は今この瞬間にも黒く焦げ付きつつある天井を向いている。


 ビヨンにいたってはどこから手に入れたのか知らないうちわを手に持ち、ローブの襟もとを大きく開くと豪快に風を入れこんでいた。


「ついでにってわけじゃないが、城ん中に誰も居ねえな。

 昨日は大勢があっちこっち歩き回ってたってのに。一体どうしたんだ?」

「あぢぢ~……んー、もしかしたら、だけど」


 うちわの風で涼みながらビヨンが憶測を口にする。


「王様が消しちゃったのかも。

 ほら、昨日も王様の前で鍛冶仕事をしてたドワーフたちが火になって消えちゃったでしょ?

 多分あれと同じことを城中を対象にしたんじゃないかな」


「それは……何か良いことあんのか?」

「これも想像だけど、王様は自分の魔力で臣下や国民を作り出してたんだと思う。

 これからアルルちゃんやうちらと戦うから、自分がもつ魔力のありったけをきっと集めたんだよ。

 だからこの暑さは王様が発してる熱なんじゃないかな。

 はあ、氷でもかじりたい……」


 ビヨンが言い終わるのと王の間へ続く扉が目に入ったのは同時だった。


 槌・戦士・炎が彫りこまれた、黒くおおきいあの鉄の扉だ。

 扉に並んでそびえ立つ像は既に溶解し、上半身を失っている。


「さて、どうやって入ったもんかしらね。

 黙って入っちゃうのは……なんか無礼よね?」

「今更だろそりゃあ」


 コルネリウスがげんなりした顔で言った。


 さて、とわたしも考える。

 昨日はわたしたちを連れた兵士が腰に吊った金槌で扉を打ち、王へ声を掛けていたが今はその手の道具は無い。


 アーデルロールとコルネリウスの腹の底から吐き出す地響きのような「あっちいなあ」という声を嫌そうに聞きながらギュスターヴが握りこぶしを作り、ゴンゴンと力強く鉄扉を殴りつけた。


「うおぉい! ドルゲルバドル王! アーデルロールが来たぜ!」

「ん゛な゛っ゛!? あんた度胸あるわね!?」

「このまま体力を消耗しちゃかなわねえ。

 話はぱっぱと進めておきたい。それに一声かけたんだからいいだろ」


 ややあって廊下中の燭台が一層激しく炎を噴き出した。

 そして地面を引きずるようにして扉が重たげにゆっくりと開かれていく。


 内側から吐き出された熱気は息が詰まるほどに熱く、たまらず鼻と喉を腕で覆って呼吸を確保する。

 扉の内側の光景はどうしてか見えなかった。

 こちらと向こうとの間には光の膜があり、内側の様子を外から見ることを禁じている。


「ガハハハハァハハ!

 ようやく来たな、待っておったぞ挑戦者ども! そのまま踏み入れ!」


 わたしたちは互いに顔を見合わせ、意思確認をおこなった。

 わたしの青い瞳を皆が見つめ、次にはアーデルロールの緋色の瞳を見ると王の間へつづく扉をくぐる。


 そこにあったのは昨日見た鍛冶場ではなく、まったく違う場所――円形の闘技場、いわゆるコロセウムであった。

 5階層程度の観客席がわたしたちを取り囲み、人間の代わりに燃え盛る炎がこちらを見下ろしている。


「んだこりゃ……俺らは見世物じゃないぜ」

「無論承知しておるわ!

 貴様らは見世物ではなく、余の客人にして〝霧払い〟である!」


 闘技場の中央にドルゲルバドル王は居た。

 既にその全身から炎を噴き出しており、背丈は3メートルに達するほどだ。


「これなるはヴィントゴアでおこなわれる決闘の舞台!

 王座の簒奪、最強を決する場、ガリアンどもと成した地虫討ちの最終局面!

 偉大なる戦いはすべてこの舞台の上で起こったのだ!

〝霧払い〟と戦うとあっては、これ以上無いほどに相応しい舞台であろうがあ!?

 ガッハハハァハハハ!」


 彼は武装していなかった。

 彼の両手は空であり、革鎧さえ着用していない。


 だがそれでも王は猛々しい笑みを口元にたたえていた。

 わたしの胴体ほどもある両腕を組むと、


「余の家臣どもによる歓待は満足のいくものであったろう?

 貴様らの肌の艶、筋肉の張りを見ればよく分かる。

 さて! 肉体良し、武装良しとなれば次は戦いだよなぁ!?

 準備は良いか? 良いよな!? 余はもう滾って滾って仕方がないのだ!」


 頭上の大火球、ヴィントゴアを支える星炉がごうっと熱波を放つ。

 わたしたちにとっては身を苦しめる熱でしかないが、ドルゲルバドル王にしてみれば炉に火を入れるような自らを高揚させる切っ掛けだった。


「さあ()ろう、今すぐ()ろう!

 既に余は1日を待ったぞアーデルロール!」


 ばきり、とドルゲルバドル王の肉体から金属音が鳴った。

 それはひとつ、ふたつと連なっていくと王の肉体の内側から鉄の板が現れた。


 鉄は王の四肢を覆い、胴を守り、最後には炎を象った顔無しの面をもつ兜として形成された。

 関節部分からは炎が絶え間なく噴き出す彼の左手には鈍色の大剣があり、右手にはめらめらと燃える炎の槌が握られている。


 まるで火山が人の姿をとり顕現したかのような威容だった。


「貴様は言った!

 戦いの中で〝聖剣〟を正しく使って見せるとな! ならば見せてくれ!

〝霧払い〟に相応しき資質は多くあれど、そもそも己が生き、明日へと進むには貴様自身に力が無くてはならん。

 アーデルロール・ロイアラート・ルヴェルタリア!

 緋色の瞳を宿した若い風よ!」


 王が一歩を踏み出すと観客席に並んでいた炎が強烈に噴き上がった。

 その勢いに負けてたまるかと顔を庇いながら、アーデルロールは小さく「相変わらず馬鹿でかい声ね……!」と口にした。


「世のあまねく火を束ねし王、ドルゲルバドル・ダンゴリエンザ・サ・ライアンが今ここに〝精王〟の試練を賜す! さあ余が往くぞォオオ!」


 炎を噴く鉄塊のような姿の王がコロセウムの舞台を踏み、駆けだす。

 アーデルロールは〝聖剣〟を抜き放ち、迫る熱波へ向けて猛々しく吠えた。


「偉大なる炎の王よ!

 ガリアン・ルヴェルタリアの血の果てである我が身、アーデルロール・ロイアラートと四の騎士が御身に挑む!

――セレナディア! お願い!」


 旗頭であるアーデルロールの叫びの直後にわたしを含めた全員が武器を手に取ると、それにあわせて全身を襲う熱気がおおきく緩和された。


 既に走り出しているアーデルロールを見ると、右手に握った〝聖剣〟の剣身が青く輝いており、その光から〝水精王〟の気配を感じた。


「セレナディアの加護……! アルル、考えたね!」

「頭が良けりゃ――!」


 走り向かってくるドルゲルバドル王に正面切ってぶつかる軌道で全力疾走をするアーデルロールの四肢を覆うように風が起こった。

 両脚に纏わりついた風は瞬時に弾け、その勢いに乗ってアーデルロールが飛翔する。


「剣の腕も立つってとこを見せてやるわ! ウオリャァァアアアッ!!」

「バ、バカ!」


 アーデルロールは右手の〝聖剣〟と左手の長剣を振りかぶり、王の首を狙う攻撃体勢に入っていた。


 この瞬間、わたしの脳裏には走馬灯のように昨日聞いた鉄と火の法則という話がよみがえった。

 鉄と火の法則とは、『鉄は自らを産んだ炎より強い炎の前には融けてしまう』というものだ。


 ドルゲルバドル王の肉体はこの世で最も熱い炎、星炉と一体化している。

 だからほとんどの武器は彼の身体に触れた途端に融けてしまう……らしい。


 彼女に説明をしておくべきだった。それこそ朝会った時にでも。

 アーデルロールが左手に持っている長剣はまず間違いなく融ける。それは間違いない。


 しかし〝聖剣〟はどうだ。どうなんだ。

 神々が鍛えた剣というのだから法則にあてはまらない例外だとは思うのだが。


 頼む。どうか無事であってくれ。攻撃後のアーデルロールのカバーに入ろうと疾走しつつわたしは必死でそう祈った。


 疾風の剣閃が王の炎をくぐり、巨大化したその首を通過する。

 そうしてアーデルロールは首元をおさえて狼狽える王の背後にすたりと着地を果たし、


「で、ど、どであああああああ!?

 剣が融けてる! ちょっとどうすんのよこれえ!?」


 張り裂けるぐらいに喉を震わせて絶叫した。


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