166. 一方その頃 二人の狼と二人の娘
ユリウスが盾や剣を手に持ち、案内役のドワーフと武器について語らったり素振りをしている頃、ギュスターヴとコルネリウスの二人は城の大浴場に備え付けられた浴槽にまだ浸かっていた。
いや、浸かっていたという表現は適切ではない。
二人とも――特に2メートル半もの背丈をもつギュスターヴは――平均身長よりもずっと背が高いものだから、ドワーフ用の浅い浴槽では上手く浸かれていなかったからだ。せいぜいが半身浴である。
これではいけないと思った付き人のドワーフたちはバケツを持つとせっせと湯を汲み、二人の男の背中に中身を掛けていく。
溶け込んだ薬品や薬草の類がかもし出す清涼感のある匂いがひたすら香る。
そんな中でコルネリウスは「はあ~……もったいねえことしたなあ~……」と、湯に浮かぶ波紋に向けてつぶやいた。
声音もそうだが、水中で拳を握る様は心底残念そうだ。
「そんなにドワーフの女を見たかったのか?
多分お前の趣味じゃねえと思うぞ」
金色の短髪と青年のつむじを見下ろしながらギュスターヴは言った。
ドワーフに差し出された酒を手に取り、ぐっと飲んで喉を潤す。
ややあって気持ちよさげに息を吐く大男をコルネリウスは恨めしげに見上げた。
「趣味だのなんだのは別として、チャンスを遠ざけられたのが落ち込むんだよ。
王様がきっと気ぃ配って用意してくれたんだろうな。
だってのに……『お前にはまだ早い』ってなんなんだ!?」
「言葉通りだ。
後3年ぐらいしたら楽しめるかもな。とにかくお前にゃ早いんだよ。
きっとオレに感謝するぜ?
あの時止めといてくれてありがとう、ギュスターヴさんってな」
「感謝ぁ? いやいや、ぜってえしないって……」
「ははは! ま、そういうもんだよな。
オレも親父にダメ出しされた時には『分かってねえなこいつ』と思ったよ。
忠言ってのは時間が経った後に胸に響くもんなんだ」
「は~ん……」
いまいち分かっていなさそうな声を出しながらコルネリウスはだらりと身を崩し、浴槽に脚をおおきく投げ出しながら湯に沈んだ。
頭の位置が突然下がったものだから、ドワーフたちがかける湯が頭頂部に思い切りぶっかけられていく。
そんな彼へとギュスターヴは楽しげな視線を向けた。
ドワーフたちが立てる声や音を背中で聞きながら、彼は自分が分けた雷の話題を口にした。
「オレの雷はちゃんと使えたか?」
この話題は気落ちした男の気分を高揚させるのに最適だったらしい。
コルネリウスは水しぶきを上げながら勢いよく浴槽から立ち上がると、目を輝かせながら「おうっ!」と返事をすると、
「ばっちりだ! なんてったってアルルたちのピンチを救ったんだぜ!」
「そりゃ何よりだ。
〝王狼〟の血を血縁でもない人間に注ぐってのは……どれだけぶりだったかな。
前例は無いでも無いが拒否反応が出て死んだ事例があったんだよ。
それからは避けてたんだが――」
「俺ならピンピンしてるぜ!」
「――ま、その様子なら大丈夫そうだな。
雷を出せる仕組みについては理解してるか?」
「いや全然!」
「だろうな。とりあえず座れ。
いいか?
お前は血を受け入れたことで雷を扱う力を手に入れたが、その雷はお前の身体で作られるもんじゃない。
発生元はこのオレ、ギュスターヴ・ウルリックだ。
お前が雷を使おうと意識し、力を発揮するとオレの身体で雷が生成され、遠く離れたお前の中に雷が移る」
「……なるほど?」
「てめえ、コルネリウス。ホントに分かってんのかぁ?
アルルじゃねえんだから適当な返事はすんなよ。
話を半端に済ませて後悔すんのはお前なんだからな」
「いやいや分かってるって!
つまり力の源はオッサンなんだろ?」
「まあそうだ」
すると「なるほどなぁ」と腕を組んでコルネリウスは沈思した。
ややあって彼は大男をまた見上げ、
「俺が雷を使いすぎるとどうなる?
オッサンは疲れて雷を出せなくなるのか?」
「いや、そんなことはねえな。オレの……というか〝王狼〟の身体は何もしていなくても無尽蔵に雷を生成するんだ。
だから気にしないで好きなだけ雷を使え」
「よっしゃ! 了解だぜ!」
快活に返事をするコルネリウスはそれからもいくつか質問を挙げ、ギュスターヴは酒を煽りながらそれに答えた。
一問一答。どんな無茶で見当違いな質問であってもギュスターヴは身振り手振りを交えて丁寧に答えつづけた。
「ふう! ありがとよ、めっちゃ質問したぜ」
「槍と雷、どっちの扱いもオレの方が200年ばかり先輩やってんだ。
好きなだけ質問してくれ」
「じゃあもう一個」
「おう」
「がんばりゃ俺もオッサンみたいに強くなれっかな?
例えば次の〝王狼〟になったりとかさ」
これまで淀みなく応えていたギュスターヴの声が止まった。
とは言っても1分も2分も止まったわけではなく、ほんの一瞬のこと。
ギュスターヴは『ウルリックの家の人間じゃなけりゃ〝王狼〟にはなれないが、努力次第でその域には来れるかもな』と答えればよかった。
それを口に出来なかったのは、彼の脳裏に遠い昔の会話がよみがえったからだ。
そしてその会話に触れる言葉をコルネリウスはバツが悪そうに頭を掻きながら口にした。
「あー……悪い。
オッサンぐらい生きてるなら子供が居るか。
ならそいつが〝王狼〟を継ぐだろうから俺じゃ無理だったな。
アホなこと言ったぜ。アルルが居たら叩かれてるな」
「いや……いや、子供は居ない」
ギュスターヴは酒の注がれた杯をドワーフに預けた。
この話を彼は滅多にしない。彼の中でケジメがついたようでいて、その実はまだ心に血がにじんでしまう治りきっていない傷だった。
「そうなのか?」
「お前どころかお前の祖父ちゃん祖母ちゃんが産まれるずっと前に死んだんだ。
ヒュンケルって名前の息子だ」
薄灰色の瞳の奥。
過去を想うギュスターヴの頭には、灰色の髪を短く刈り込んだ快活な背高の青年の姿が浮かんでいた。
長槍と長剣をそれぞれ一振りずつを持ち、世界のあちこちを駆けた彼は風のような気持ちの良い男だった。
「南にあるドーベルガント大陸にまだ帝国が無い頃の紛争に介入をしたり、ルヴェルタリアの騎士どもと〝大穴〟で派手に武功をあげたりしたんだがな。
任務で西のローレリア大陸に行った時に死んだ」
「それは……あー……そりゃ……。
すまん! 変な話振っちまった!」
またもや浴槽からコルネリウスは立ち上がり、大男へ頭を下げたが、当のギュスターヴは「いいんだ」と軽く笑うだけだった。
「もう何十年も前のことだからな。そんなにショックじゃねえ」
「実際のところは?」
即座にそう言う彼をギュスターヴは「良い勘してやがる」と内心で笑った。
「ショックだ。
だが『やっちまった』って凹んだ顔してるお前を見たらそんなでもねえな」
「なんだよそれ!? はあ、珍しく落ち込んだってのによ」
「ははは! 悪かったな。
いや優しい若者だよ、お前は。
アルルのサンドバッグを黙ってこなしてるだけはある」
「褒めてんのかそれは?」
「褒めてるさ。
笑わせてもらった礼にひとつ良いこと教えてやるよ。
ウルリックの家の人間はな、例え肉体が死んでもその魂は稲妻となって黄金槍に戻ってくるんだ。
今の槍の中には初代・二代目・三代目の狼たち、そして息子が息づいている。
だから寂しいとかって気持ちはないんだ。
話は出来ねえが傍に居るって安心があるからな」
そう語る偉大なる槍手に対し、コルネリウスは自然と敬愛の心を抱いていた。
と、同時に彼が命を落とさないようにとも強く思う。
この偉丈夫は強壮そのものだが、どうしてか時折、ふとしたことで命を落としそうに思えてならないのだ。
「……オッサンは死なないでくれよ」
コルネリウスに父は居ない。
だから父を想う心がどういう色をしているかは分からなかったが、この無事を願う気持ちはそれに近いのではないかと思った。
自分の半分も生きていない青年の言葉を受け、ギュスターヴは眉を少しだけ上げながら目を開き、それから柔らかく笑うと、
「オレが死ぬように見えるか?
最近じゃ〝大魔〟に乗っ取られた男とやり合い、〝ウル〟とも鍔迫り合って生き延びた天下の大ギュスターヴ様だぜ?
ま……こいつらにゃ勝っちゃいねえが……。
明日は安心しとけ。かならずお前らに勝利を運んでやるよ」
………………
…………
……
場面は女風呂へと移る。
時系列としてはまだユリウスは素振りを続けており――食事の準備がそろそろ出来ますが、と伝えられてもだ――、ギュスターヴとコルネリウスは「ぼちぼち出るか」と湯を上がろうという場面であった。
ビヨンは浴槽に鼻先までしっかり浸かり、ぶくぶくと泡を吹いていた。
「明日勝てるかなあ……」
タコのように水面を広がるビヨンの綺麗な金髪を見ていたアーデルロールが、自分の胸をしっかり叩いて声を張る。
「あたしたちは勝つわ! 心配無用よ、ビヨン!」
その声量たるや大したもので、心底弱気になっている人間が聞けばちょっとは元気が湧くような威勢の良さだった。
「すごい自信だねえ」
「ビヨンも北騎士魂を燃やせばあたしと同じだけの自信がつくわよ」
「う、うちはリブルス出身だからそういうのは無いんだよねえ」
言ってまた湯に潜ったビヨンに視線を注ぎつつアーデルロールは唸った。
戦いに勝ってやる! という気持ちは誰よりも強いと自分では思う。
思うのだが……、
「いくら気持ちが強くっても対策は立てなきゃいけないのよね。
ドルゲルバドル王。あのめちゃくちゃな熱はどうにかしなきゃなあ」
気分の高揚にあわせて轟々と噴き上がった炎と、王自身の肉体が尋常ではない熱を放ち、燃え上がっていたあの光景をアーデルロールは思い出す。
自分たちのパーティは近接で戦う人間が多い。
ユリウスやコルネリウスは特にそうだし、自分自身もそうである。
魔法を主に扱うのは今も飽きずに水中で泡を吹いているビヨンだけだ。
ギュスターヴも魔法は得意ではあるが、彼には戦闘の主軸になってもらいたいので前に出て戦って欲しい。
あの力強い背中と黄金槍を振るう彼の姿は見る者を鼓舞させるからだ。
「むむむ……」
あの燃える髭の王に対して接近戦を臨むということは、あの熱気に苛まれるということである。
息を吸えば気管が熱せられ、呼吸と運動におおきな支障が出る。
防ぐ手立てが必要だ。
「何か鼻と口を守るもの……守る……そうだ!」
「ぶわっ!? 急におおきい声出してどうしたの!?
風呂場中に響いてるよ。ほら、まだ聞こえる……(耳を澄ますビヨン)」
「熱対策を考え付いたのよ!」
「(目を見開いて驚くビヨン)えっ! ほんとに?」
「マジも大マジ。
〝精王〟には〝精王〟をぶつけりゃいいのよ!
アーデルロール・ロイアラート・ルヴェルタリアが緋の瞳によって命ず!
十三の冠、四の剣、一の願いに従い、我がもとに顕現せよ。
あまねく水の盟主、睡蓮の王――〝水精王〟セレナディア!」
言い終わると同時に湯舟の水面が渦を巻き、浴場の気配ががらりと変わったことにドワーフたちがどよめいた。
一体何が起こるのか?
事情を知る者も知らぬ者も、誰しもが渦へと視線を向け――……、
「……? あれ? 出てこないね?」
「おかしいわね、前はすぐ出てきたけど……。
セレナディア! セレナディアー! おーい!」
ばしゃばしゃとアーデルロールが渦を手でかき混ぜた。
〝精王〟の特異さと偉大さを知っている研究者や賢人たちが見れば、卒倒するか激昂するかの二択しかなさそうな行動を、〝霧払い〟を継ぐ娘はやってのける。
言っておくがすごいことではある。あるが、悪い例だ。それもとびきりに。
ややあって水は天井を目指すように上へと登り、蔦が絡むように水流がつどうと球体を象った。
やがてそれはおおきな花に変わり、やわらかな匂いと共に花弁がそっと開いた。
『アーデルロール。まみえるのはこれで三度目だが随分と遠慮がないのだな』
流れる水のドレスを纏い、青い女王が姿をあらわした。
直前のでたらめな動きを知っていた女王は愉快そうに契約を新たにしたアーデルロールを見下ろし、口元に微笑をたたえている。
「うっ。ま、前に楽にしていいって言ってたからね……」
『ふ。まあ良い。
ここはあの髭男……ドルゲルバドル王の領域だな?
出現するのに手間取った。
本来、〝精王〟は他の王の領域に顕現が出来ぬのだ』
「そうなの? でも――」
『契約者によって呼び出された場合は異なるらしい。
妾は貴様を縁としてここに現れることが出来たが、そうでなければ顕現は出来なかったであろうな』
ドワーフたちにセレナディアの姿は見えていないようだった。
彼らには水の花弁だけが見えており、これは何なのだろうと首を傾げている。
『して、何用か……と問いたいところだが、肌を晒した姿というのは少し、な。
せめて湯に浸り、隠してはくれぬか?』
「あっ! ごめんね。気持ちが昂り過ぎちゃったわ。
実を言うとドルゲルバドル王との戦いであなたの力を借りたいのよ」
ほう、と顎を持ち上げながらセレナディアが言う。
ガリアンの後継であるこの契約者はどうやら自分を飽きさせることは無さそうだ。
『炎髭王との対峙か。
なるほど。奴の熱から守るために妾の水を使おうという考えか?』
「ご明察!」
アーデルロールが立てた指先を水の女王へと向け、ついでにウィンクをかます。
ビヨンは口を挟むことはなく、静かに手の中に水を溜めるとぴゅっと水鉄砲を作っていた。
「あの王様の熱と炎はちょっと厳しくってね。
あなたの水でなら防げないかと思ったけど、どう? 出来るかしら?」
『問題ない。だが貴様ひとりならともかく、全員をというのはな。
まず魔力がもたんだろう。狙うのなら短期決戦だな』
「分かったわ! よし、これで勝負はもらったわよ!」
ざぱっ! とアーデルロールはその場に勢いよく立ち上がった。
一番に目を見開いたのはビヨンである。
彼女は「前は隠して~~!!!」とどうしてか自分の身を挺してアーデルロールを隠すつもりが激しくぶつかり、二人はもつれあって湯船に倒れ込んで水しぶきを柱のごとくに打ち上げた。
その後もぎゃいぎゃいと喚く二人の姿をセレナディアは水の瞳で見つめ、次いで苦笑する。
『……ガリアンとはまるで違うな。
あの無機質な男にこんな笑顔はあったのだろうか。
ふ、勝てよ。アーデルロール。霧の世に必ずや色をもたらすのだぞ』




