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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
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164. 炎の時へ


 恐れを知らぬコルネリウスの言葉を受けた炎の王は快笑した。

 背を仰け反らせて大きく息を吸い、吐き出された笑い声はわたしたちの身体をびりびりと打つほどに力強い。


「ガァハハハァハハ!

 貴様、面白いことを言うな! 余をケチとは! フハ、フアハハハハ!

 いや約束をたがえるつもりはないのだ。

 すまんな。〝精王〟ともあろうものが面を喰らったわ」


 王がひとしきり笑い終える頃にビヨンがコルネリウスの背中をちょんと小突いて彼の注意を引いて、


「なんだよ?」

「ちょ、ちょ、ちょっと!?

 兵士さんに言葉に気を付けるようにって言われてたじゃん!

 怒られて燃やされでもしたらどうすんの!?」


「アルルもオッサンもタメ口で話してるじゃねえか……って……二人とも結構な家の出だし、ガリアンと繋がりがあるな。一方で俺は……」

「自覚してくれて嬉しいよ。

 巻き添えはイヤだから静かにしてようね」


 ひそひそ声に王は興味を持たなかったらしい。

 ぬうっと身を乗り出すと彼はルビー色の瞳をまたもや輝かせ、

 

「■■■■■■■■の性能を余が知る限りのものではあるが、語ってやろう。

 先にも触れたが、それは地上で鍛えられた刃ではない。

 星の外にて五神が手ずから鍛え、ガリアンに与えた神剣なのだ。

 通常においてはただの剣。世に広くある鉄剣と何ら変わらぬ。


 しかし霧中で振るえば話は違う。

 熱を持つ光を帯びた刃は触れるものを溶断し、一切ことごとくを分解する光波を放ちさえする。

 まさに救世の剣だ。〝霧払い〟が所有するに相応しい」


「そうなの?……光波の話は聞いたことがなかったわね……。

 先代の所有者だったおじい様は〝霧の大魔〟との戦いで特別な力を使ったそうだけど……」


 聖剣の真価を伝えられるアーデルロールが口ごもるようにして言った。

 あごに指をかけ、眉間にしわを寄せる仕草は過去をさぐっているのだろう。


「先の戦いでは光波は放たれておらん。

 何しろその先代も銘を知らなかったのだろうからな。

 あの場で用いられたのは魔力の放出だ。

〝精王〟との結びつきをほどき、長く蓄えてきた魔力のすべてを放ったんだよ。

 アーデルロール。

 貴様が〝霧払い〟を果たすのならばな、剣を知って主にならねばならん。

 だが今の貴様はその域に達しておらぬ。

 そのような状態で余の『〝聖剣〟を真に扱えているか?』という問いに対し、どう応え、どう対応するべきと考える?」


「あたしがあんたの前で〝聖剣〟の真価を見せて、扱えることを証明するわ」


 答えは速かった。

 彼女の思考は方向が定まればだいたいにおいて迅速果断である。 


「良い答えだ。だがどうする?

 ヴィントゴアに留まり、剣と対話をするなりして扱いを知るつもりか?

 おそらく一朝一夕ではいかんぞ。下手を打てば十年以上を要すやも知れん」

「十年以上!? ちょ、ちょっと長すぎるわね……」


「王国は時流が違う故、外では多くの時は経たんが貴様は相応に加齢する。

 まあ今は胸がなけりゃ身体は細く、他者を釘付けにする気品も無し。

 風格を得るためと考えれば長く居てもいいかもしれんがな」


「そんなのごめんよ! 決めた。あたしは戦いの中で自分を証明するわ」


 鎖を巻いたままの剣を手に取ると切っ先を床上に突き立て、アーデルロールは吠えた。

 彼女が生まれながらにもつ風の魔力が暴発的に起こると、外套と若草色の髪がたなびいた。


 その姿は勇者ないしは王者のそれでいて、炎の統率者を前にして一歩も引かない勇気を示していた。


「思い出した。あたしは身体を動かした方が頭も心も冴えるのよ。

 それにセレナディアのことがあったから、〝精王〟はそれぞれ試練をあたしに課すんだろうなって考えてた。

 だから戦いの覚悟はしてきたわ。

 あたしはあんたと契約するに相応しい人物であると証明してみせる。

 ええ、〝聖剣〟を正しく使ってみせてね。

 だから、あんたがあたしを認めたらさっさと契約を結びなさいよね、王様」


 床へ突き立てた剣の柄頭に両手を置き、首を少しだけ傾けながら口角を上げるアーデルロールの顔は挑戦的だった。

 その大胆不敵の笑みを向けられて、ドルゲルバドルはふたたび地鳴りをともなう笑い声で喉を震わせた。


「これは痛快だ! ハハハハァハハ! 良くぞ言った!

 貴様はガリアンとは違うな! 気に入ったわ!」


 途端、王の身体が何か目に見えない波動を放った。

 それは笑い声があがる度に放たれ、わたしたちの全員がその異常に気付く。


 いや、気付いたのは外に控えていた兵士もだった。

 扉を勢い良く開き、どやどやと10人近い兵士が転がるように入り込んでくる。


「王よ! なりません! 気をお静め下さい!」


 全員が揃いの慌て顔をしたまま王へ向けて声を張り上げた。

 だがドルゲルバドル王の異変は止まず、どころかその身体が次第に膨れ上がっていく。


 王の衣服は火の色に染まり、両の瞳はめらめらと燃え盛った。

 こうして観察している今この瞬間にも王の肉体はギュスターヴの倍ほどに巨大化していた。


「お、おいおいおいやばくねえか!?」

「玉座だってのに炎の柱がばんばん噴き出てやがる。

 もう試練は始まってるってことか?」


 コルネリウスとギュスターヴの二人が槍を握り、互いに背を合わせながらに状況の変容を睨んだ。


「さすがに暑いな……この状況で戦闘はまずい……」


 汗を拭い頭上を見上げれば、城の上空に据えられた火球は王の変化に連動するように激しく強く燃え盛っていた。

 立っているだけで熱気が体力を奪っていく。


 戦闘。戦闘か。

 今のわたしの腰には折れた剣があるばかりだ。


 泣き言は言いたくなかったが、このままでは満足な戦闘はできそうにない。

 可能なら武装を整えるだけの時間が欲しい。


「ムッハハハハハ! 滾ってくるぁオイ!

 この高揚、地虫討ちに加わった時を思い出すぞ!

 戦いの覚悟と言ったな、アーデルロール!

 余は今すぐに貴様に挑みたい! 挑みたいが、貴様ら準備は万全か!?」


 王はまさにわたしの不安を的確に言葉にした。


「先に言っておくが余は手心を加えるつもりは一切無い。

 そうさな……ガリアンの血であるアーデルロールは生かしてやる。だが連れの命は気に留めんぞ」


 ドルゲルバドルは玉座から勢いよく立ち上がった。

 一挙手一投足に炎がまとわりつき、呼吸のたびに鼻孔から火の粉が舞う様相はまさしく炎の王。火を統べる者に相応しい。


 階段を降りた彼と対峙するとあまりの熱に喉が焼け、腕で顔を庇わないととてもじゃないが耐えられなかった。

 こちらの苦悶の顔は見えているはずだ。

 しかし王は楽しげに首を傾げ、実に上機嫌な声でこう問いかける。


「今すぐ()るか? それとも一時退くか?

 どちらでも良い。好きな方を選べ。余はアーデルロールの考えを尊重する。

 もし装備が不足しているのならば余の城の武具を貸し与えよう。

 道具が欠けているのならば城の備品をくれてやろうぞ」

「一度退く」


 アーデルロールは再び迅速に決断を下した。


「お言葉に甘えるわ。

 このまま戦ったらまず勝てないもの。

 装備を提供してくれるってんならそれにも甘える。

 全員の装備を改めさせてちょうだい。戦いは明日にしましょう」

「おう! 承知した、明日だな!

 では今宵に限っては貴様らを特級の客として遇しよう!」


 そう叫んだ途端、王の全身が急速にしぼんだ。

 全身から噴き上がっていた炎はなりを潜めて元の日焼けした肌を取り戻し、頭上の火球は鎮まり、部屋の火柱も勢いを失って消えた。


「兵ども! 我が臣下よ聞けぃ!

 城にある特級の武具をこやつらに貸し与えよ!」

「王!? 正気ですか!?」

「無論正気よ。ガリアンどもに見繕った品と同等の品を用意せよ。

 こやつらが知らぬ顔だからとて手を抜くなよ?

 繰り返すが炎の主たるドルゲルバドル王の客だ。ようくもてなせ」

「はっ!」


 王がそう言い切ると兵は口を挟まず、胸を拳で打って礼を見せた。


「食事に風呂を支度しろ! 男には女も付けてやれ!」

「ちょっ!? いやいやいや!?」


 思わず目を見開いてわたしは驚いた。

 もてなしといえば食事や治療といった休息が主かと思っていたから、女性を用意するなんて話に向くとは予想外だった。


 とっさにわたしは片手を振って『それは要らない』と主張する。

 コルネリウスとギュスターヴは信じられないといった目でわたしを見、女子2名は汚らわしいものを見る目をこちらへ向けていた。断ったのになぜ。


「不要か? ははぁん?

 女を抱けば闘志が鈍ると考えている類の戦士であったか。

 なるほど。いやすまん、余が逸ったな!

 だが悪いことは言わん。一度は味わっておいた方が良いぞ。

 何故ならヴィントゴアの男が鉄打ちの達人なら、女は勝利を与える女神であるからなぁ! ガハハハハァハハ!」


「は、はあ……(要らないんだけどな……)」

「ささ。ではお客人はこちらへ」


 さっきまでは罪人として扱われていたのがウソのように兵士たちは慇懃な調子でわたしたちに接し、間の外へと連れ出していった。


 この後の予定は軽く伝えられただけでも武具の選定に調整、食事に風呂にマッサージ……。

 高級宿屋が特上の客を迎え入れるようなサービスが並んでいる。


「話がどう転ぶかハラハラしてたがまさかの好待遇だな。

 いやこいつは幸運だ。折角だから楽しもうぜ」

「ギュスターヴ……あんたねえ。明日死ぬかも知んないのよ」

「死なねえ死なねえ。誰も欠けねえさ。

 旅が終わるまでお前らは全員無事だよ。〝王狼〟の名に誓うぜ」


………………

…………

……


 星炉の間でドルゲルバドル王はただひとりきりだった。

 溶けた玉座に深く座り込んだ彼は腕を組んだまま炎の息を吐き、沈思する。


 彼が知るガリアン・ルヴェルタリアは〝太陽の瞳の紋章〟を両目に宿す勇者であると同時に、神の鍛えた剣の担い手だった。


 他の十二人の王たちと共に〝精王〟の契りを結んだ際には〝紋章〟と剣を別つ話などちらとも出ていなかった

 それはそうだろう。

 二つは離れるべきではないからだ。


 しかし現実はどうだ。

 彼が隠れた後に続いていた歴史の最新の結果は予想とはまるで違っていた。


 剣を持ち、次代の〝霧払い〟とならんとする娘の瞳はあの象徴的な色を持つだけだった。


 あのままでは剣は輝かない。

 影写しを持つあの緋色の眼こそが〝聖剣〟の鍵なのだ。


 鍵無くしては扉は閉じられたままだ。神剣の性能は三割も発揮できはしまい。


 ならば〝紋章〟はどこにあるのか。誰が持つのかと思えばあの正体のつかめない男だ。奴が持つ異質な気配。嗅いだだけで王には分かった。


 アーデルロールと対面した際、セレナディアは密かにドルゲルバドルへと語りかけていた。

『この黒髪の男に気を付けろ』、と。


「水の女王め。久方ぶりに会っても挨拶ひとつせんとはな。

 そのうえ肝心なことは言わんときた。

 ムハハハ……まあ良い。

 奴の正体など余の火であぶればすぐに知れるわ」


 起こした炎を握りつぶし、不敵な笑みを浮かべて王が言う。


「それに……」と王は言葉をつづけ、

「男の眼を奪い、剣しか持たぬアーデルロールに〝紋章〟を与えれば完全な継承者に変えてやれる。

〝聖剣〟を正しく扱えるのなら旅の道連れなど要らんからな。

 余があやつを正しい〝霧払い〟へと昇華させてやろうではないか」

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