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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
165/193

161. 火の食堂

 ぼんやりと見えた数人の人影は旅の一行だった。

 霧が立ち込める森の中で彼らは焚き火を起こし、それぞれが荷の点検や傷の確認をおこなっている。


 世界の大半を飲んだ霧によって王国は没し、人よりも怪物が跋扈する領域がずっと広かった魔の時代。

 まだガリアンが北の王として冠をその頭にいただいておらず、四人の勇者とともに十三の国を巡っていた頃の風景がそこにあった。


「ガリアン」


 と、興味深げな声音で勇者の名を呼んだ。

 声の主は筋骨隆々とした肉体でやたらと肩幅の広い獅子頭の男だった。


「お前は傷の治りが早いな。胸に受けた傷の出血がもう止まっている。

 食っている物は同じはずなのに不思議だ。

 昔からの体質なのか?」


 豊かなたてがみを蓄えた猫科の顔をした男。

 初見では威圧感を感じる風体だが、どこか人懐っこい声の調子で話す彼の名前にわたしは心当たりがあった。


 おそらく、ドガだ。

 ガリアンの旅の始まりから終わるまで共にあり、〝獣王〟の名で呼ばれた勇士。


 ガリアン本人が隠れ、セリス・トラインナーグや〝万魔(エルテリシア)〟、

王狼(ルーヴランス)〟ら他の四騎士が世を去った後にも、彼――ドガ・ヴァンデミオンという男は北騎士の国に在り続けた。


 以前に故郷で出会ったアーデルロールの祖父、レオニダス王はよみがえった〝霧の大魔〟との戦いでドガ本人と共闘したとも語っていた。まさに生ける伝説だ。


「ああ。初めから僕はこうだよ」


 胸の切り傷を自分で縫いつつ、ガリアンと呼ばれた黒髪の男はドガへ答えた。


「僕の性能は霧の中で発揮される。

 だからセリスの剣についていけるんだ。

 きっと霧が無い世界では僕はこうは動けないね。

 きっと常人にも劣るような気がするよ」


「お前についてこれるようでは、私もまだ修行不足ということだな」


 黒髪の男をセリス・トラインナーグがからかった。

 そこにギュスターヴほどの上背のある長身の女――おそらく初代の〝王狼〟、ルーヴランス・ウルリックだ――が会話に加わり話が盛り上がっていく。


 わたしはその光景を遠くから眺めていた。

 エルフの魔法使い、エルテリシアが困った顔でたしなめても二言三言の先に笑いが起こるやわらかい歓談の場。


 驚きと懐かしさ、それから少しの羨ましさが混ざった不思議な感情に浸っているとふと、ひとりの人間の男が物陰にたたずんでいることに気が付いた。


 一行の仲間だと判別できるギリギリの間合いに男は居た。

 樹に背を預けて立ち、腕を組んだまま足元に視線を注いでいる男の腰には一振りの直剣が下がっている。


 髪は白にほど近い灰色に染まっている。

 どこか疲れ切った雰囲気を感じさせる男は会話に加わるでもなく、身じろぎもせずにじっとしていた。


 何かを待っているのだろうか?

 そう思うと黒髪の男……きっと勇者ガリアンだろう。彼は白髪の男に向けて声を掛け、手招きをした。


 だが白髪の男は片手を振ってそれを断った。


「いつまで喋っているつもりだ?

 立ち話がお前の使命ではないだろう、ガリアン」

「ちょっとぐらい良いじゃんかよ。

 化石野郎め。郷に入っては郷に従えって言葉を知らねえのかぁ?」


 ルーヴランスがそうからかい、男は「お前の口から吐かれた場合は知らん」と冷たく返す。


「ヴィントゴアはもう目の前だぞ。

 冷え固められた星炉に火をともすのが僕たちの仕事だ。

 悪いが僕は一人で先に行く。

 お前たちはせいぜい国喰いの地虫に呑まれないよう気を付けるんだな」


 男がわたしの視界から消えるとガリアンは慌てて荷を背負い、彼を追いかけて走り去った。間もなく他の4人も同じように消えていく。


 そして誰も居なくなった。

 風の吹かない夢の中でわたしは白髪の男の正体に思いを巡らせる。


 ガリアンの道連れは〝四騎士〟の他にもうひとり居た。

 通説を覆す話だが、わたしはこれと似た光景を過去に一度見ており、さほど大きな衝撃を覚えていなかった。


 あれは確か……アーデルロールと合流する直前。

 コルネリウスとビヨンとわたしの3人で旅をしていた頃。

〝夕見の塔〟で垣間見た幻の中にも〝四騎士〟の他にもうひとりが居たはずだ。


 ふと、記憶の振り返りに連鎖して、塔の仕事で出会ったダークエルフの女剣士、シエールの姿とその目的を思い出した。


『四騎士殺しを追っている』と、彼女は口にしていた。

 その犯人は〝霧払い〟の時代に現れ、今なお生きている――とも。


「……今の男がそうなのか?」


 シエールの話とわたしの見た光景、巡らせた考えが符号し、背筋が冷えた。

 四騎士殺しは実在したのだ。


 軽々に口にし、言いまわることではない。

 それでもわたしはわたしの胸の内において、この男が存在することには留意を払わねばならないという漠然とした予感があった。


 誰も居なくなった光景が揺らぎ、吹き消えていく。

 代わりに彼方に夕焼けの陽が浮かび、わたしを呼ぶ威勢の良い声が遠く聞こえた。


 どうやら目覚めが近いらしい。


………………

…………

……


「――ウス。ユリウス!」

「ん……」


 両手を腰にやり、わたしを下からねめつけるように身を乗り出していたアーデルロールと真っすぐ視線が合った。

 今しがた見た夕陽は彼女の瞳だったのかも、なんてことを思ってしまう。


「立ったまま眠るなんて器用ね。具合悪かったの?」

「具合の悪さはズタボロの装備と体を見ればお察しだろ。

 その割に顔は溌溂(はつらつ)としてるのが妙だがな」


 上背のあるギュスターヴがわたしを見下ろしながらそう言った。

 彼に『ルーヴランスを見た』と伝えたらどんな顔をするだろうか?

 いずれ機会があればそんな話を振ってみよう。


 ちょっとした立ちくらみを覚えながら彼と仲間へ「大丈夫、問題ないです」と返答すると、どこからか漂ってきたかぐわしいスパイスの香りが鼻孔をくすぐった。


「一体なんだ?」

「お客さん、うちで食べんのかい? どうすんだい」


 聞き覚えのない男の声がわたしたちを呼んだ。

 それから耳に雑多な音がいくつも飛び込んでくる。


 食器が皿を打つ音。

 喉を鳴らして水を飲み干す音。

 熱した鍋やフライパンの上で油が弾け、食材が調理されていく音。

 それから多くの話し声、店員を呼ぶ大きな声、店員が厨房へかける気合の入ったよく通る声。


 ここは……食堂の入口だった。

 どうして急に、という考えしか浮かばないがそうとしか言えない。

 大勢が席に座って食事に臨む、混雑真っ最中の食堂にわたしたちは居た。


「冷やかしなら帰ってくれ。

 昼時なんだ、これから忙しくなる。面倒な相手はしていられない」


 先ほどわたしたちを呼んだのはドワーフの男だった。

 彼はいらついた様子でこのようにわたしたちの意思を確認する。


 するとアーデルロールは毛むくじゃらの顔へ向けて、


「ごめんごめん! 食べてくわ」


 と、右手の指を5本とも立てて返事をした。

 その言葉を待ちかねていたのであろう。応対していたドワーフはテーブル席を空けるよう声を張ってわたしたちを席へと導いた。


 柑橘系のさわやかな香りが立つ水がコップに注がれ、続けざまにあらわれたウェイターに注文を確認される。


 状況が飲み込めていない頭はそこでパンクした。

 わたしは救いを求めるように周囲を見回し、視線を合わせないように露骨に下を向いたビヨンの頭越しに見えた席を彩っていた料理を指さすと、


「あれと同じものをお願いします」


 とウェイターへ伝えた。

 ギュスターヴを初めとした4人は「俺も(あたしも)同じものを」と続く。

 くそっ、皆『助かった~』なんてホッとした顔をしているな……。


「どうやらここはヴィントゴア王国みたいだねぇ」


 馴染みのない名称の料理が並ぶメニュー表を見ながらビヨンがそう言った。


「雑誌の棚にはヴィントゴア関連の本がどっさり並び、壁には観光地のテナントが掛けられている、か。

 耳を澄ませば窓の外から金槌が鉄を打つ音がひっきりなしに聞こえてくる。

 確かにこりゃ、いにしえの王国のようだな」


 ギュスターヴがビヨンの言葉を補強する。


「セレナディアのフロリア王国とは随分違うわね。

 あっちは静謐な遺跡って感じだったわ。

 王国は水中に没していて、生きてる人間は居なかった」


「一方でヴィントゴアは……言っちゃなんだが普通に都だよなぁ。

 朝起きて、昼に働き、夜に眠るって暮らしが当然って感じだぜ。

 試しにこのドワーフたちに今何年か聞いてみるのはどうだ?」


「やめとけ」


 コルネリウスの提案をギュスターヴが制止する。

 彼は水で喉を潤すと、


「〝精王〟の領域は普通の世界じゃねえんだ。

 何か妙なことをしてとんでもないことになっちまったら対処が出来ねえ」

「妙なことって例えばなんだよ?」

「そりゃお前。

 今お前が言ったように外とは違う空間に住んでる連中に今の年代を聞いたり、

その世界の物を飲み食いしたり、生活に干渉したりだ」

「お待たせしました~! 王冠定食五つお持ちしましたよ!」


 威勢の良い声が会話に割って入り、慣れた手つきで配膳が素早く完了される。

 まさに出来立てのフライや目玉焼き、ハンバーグの匂いが強烈に鼻孔を突き刺す

中でコルネリウスが、


「……こいつを食ったらまずいってオッサンは今言ったよな……」

「ああ……言ったが……」


 気まずい沈黙が起こったがアーデルロールはそれを打ち破った。


「我慢できないわ……。

 あたしは腹が減ってんの、みんなごめんね!

 この香り! 何よこれ、犯罪!?

 空腹の人間の前に脂を置いたらどうなるか考えなくても分かるわよね!

 いただきます!」


 その勢いたるや嵐の如し。

 艶を帯びたハンバーグを口に運び、続けて米を食べ、悶絶するようにうなりながら食を進めるアーデルロールの姿は、目の前の料理以上に食欲をそそるものがあった。


 やがて観念したようにギュスターヴらも耐えきれずに食事へ手を付けていく。


 手を付けていないのはわたしだけだった。

 これを口にして異界に飲み込まれて脱出不能になってしまう、などとは思っていない。

 ただこの状況をうまく飲み込めず、頭が混乱しているのが原因で食事にとりかかれていないだけだった。


「なんだこの状況は……」

「ユリウス、あんたも食べときなさい。

 ギュスターヴはああして脅かすけどね、何か起こったら起こったで気合入れてみんなで対処すりゃ何とかなるわよ。

 あたしの剣として頑張ってくれるんでしょ?

 なら身体に燃料入れとかなきゃ。

 しっかり食ってしっかり動いてしっかり寝たやつが一番強くなるって理屈の一部をきちんと実践すんのよ」


 頬に米粒をつけながらアーデルロールがそう言った。

 言葉の合間に咀嚼をするのはマナーとして最低だったが、彼女の眼はやたらに生き生きと輝いていた。

 ついさっき弱音を吐いていた少女と同一人物には見えない、というのはわたしの心の内にだけ留めておこう。

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