159. 出会う四人
長いようでいて束の間の気絶から目を覚ました。
わたしを背負ったままでシラエアは乱れきった廃墟を跳ぶ。
家屋の壁や頭を失った銅像の首を足場にして器用に跳ね、必要であれば障害物を手に握った剣でバターのように切り裂きながらわたしの師は市街を進んだ。
時間にして5分もない意識の途絶だったが気力は不思議と回復していた。
老婆に背負われたまま首を横向け、背後を振り返る。
視線の先には騎士国の英雄が居るはずだった。
『明日の世界と姫を託す』とわたしを力いっぱいに放り投げ、命を救った女が率いる〝鉄羊〟の騎士らが。
剣戟と咆哮はわたしの耳を打たない。
聞こえてくるのは少し離れた戦場のものだけだ。
わたしの脚をシラエアの篭手が数度叩いた。
「アーデルロール姫ご一行と合流したらそのままあんたは〝精王〟の領域行きだ。
そこに立つまで剣を抜く必要はない」
言葉と同時におおきな音が上がり、さっきまでわたしが居た辺りで粉塵がもうもうと舞い上がる。
続けて破壊の音が連続しておこる。灰色の廃墟をさらに砕きながら進むそれは間違いなくこちらに向かっていた。
いくつあるか分からないが多くのガレキ越しに強烈な敵意がわたしに突き刺さるのを感じる。
今この時。この戦場でわたしを睨むのは〝巨人公女〟ただひとりだ。
「メルグリッド・ハールムラング……!」
「剣を抜く必要はないと言ったよ」
半ばから折れている剣に指を伸ばしたわたしを叱る声でシラエアは言った。
危機感から聞き分けの無いことを口にしようとした。
その瞬間にも音と気配は迫っている。まばたきの後にも現れても――いや、巨人は現れた。
真横にそびえたつレンガの壁がたわみ、白銀の手甲が塵の幕の中に覗く。
獲物を目にしたメルグリッドが咆哮をあげんとしたがそれは叶わなかった。
目にも止まらぬ速度で飛来した何かが巨人の脚を痛烈に打ち据え、その姿勢を崩したからだ。
抜刀する素振りを見せずに走り続けていたシラエアの足は止まらない。
「あれは……」
乱入者は〝巨人公女〟に敵と認識されていた。
家屋ほどもある巨剣で繰り出される斬撃が暴風のように吹き荒れる中を両手にそれぞれ持つ双剣で防ぐ剣士は女だった。
銀の長髪と連邦の国章をあしらった外套をまとう彼女はただ一人で巨人の足止めに入っていた。
「連邦の筆頭剣士。あたしの孫だ」
「無茶な!〝鉄羊〟でさえメルグリッドには――」
「戦場はそういう場所だろう、ユリウス・フォンクラッド。
無茶も無謀も承知の上。
あたしもあいつも理解してこの時を走ってる。
「……」
「あれは大国の筆頭剣士。
そのうえ〝迅閃〟を修めているんだ。
元・英雄を討てずとも足止めぐらいはこなしてもらう」
黒光りする魔力の波が街を抉った直後に女剣士がいくつもの壁をぶち抜いてこちらにまで吹っ飛んでくる。
一瞬、視線が交わった気がして彼女はまた嵐の渦中へと飛び込んでいった。
彼女はわたしの姉弟子に当たるのだろうか。
シラエアの修練は厳しいものだった。あの中にわたしよりもずっと長い期間浸っていたのなら、なるほど確かに連邦剣士の頂点になりえるだろう。
「死んでもおかしくないんですよ!? メルグリッドは危険すぎる!」
「いいからこっちのことは任せておきな。
メルグリッドも含めたバケモノ連中はあたしらが止めておく。
代わりにしっかり仕事を果たせ。
じゃなけりゃあ人間も亜人も含めて全滅だ。肝に銘じておきな」
それからシラエアは「もう着くよ」と短く言った。
するとどうしてか懐かしい香りを嗅いだ気がした。
「こんな戦いで香るわけもないのに、どうして…… 」
とうに過ぎた夏の匂い。
山の稜線に陽が落ち、散々に焼かれた地面が夕闇に冷やされようとする匂い。
不思議なことにささくれだっていた心が自然と凪いだ。
………………
…………
……
「ユリウス!」
開けた場所に仲間たちは居た。
戦場に立ってからの時間があまりに濃密でもう何日も離れていた気さえする。
ビヨンとアーデルロールの二人は心配げな(と、きっと決意を胸に秘めた)顔でわたしに駆け寄ると、
「メルグリッドと〝鉄羊〟のことは聞いた。
そっちも状況は分かってるわね?」
「ギュスターヴさんが祠を見つけたところまでは」
「なら良し。かいつまんで言うわ。
あたしたちはこの地の〝精王〟の空間に乗り込んで、契約し、今襲ってきている軍勢をどうにかする」
久しぶりに見るコルネリウスが『雑な説明だな』と言いたげな呆れた顔でこちらを見ていた。片手をあげて挨拶をする彼は一回り大きく成長したように思える。
「出来る出来ないじゃなくて、必ずやり遂げる。
あんたの剣が必要よ、ユリウス。
世界を救うためにあたしたちがここで一発かますわよ」
「仰せのままに……折れてるからどこかで調達しないといけないな」
師の小さな背から降りつつそう言った。
よろめいたがしかし、しゃんと立つ。それでもビヨンの心配げな顔は変わらなかった。
「じゃ、確かに弟子は届けたよ。
あたしは〝四騎士〟を止めに入る」
屈伸運動を何度かシラエアは繰り返し、それから剣を抜くとわたしたちに背を向けた。
老いながらも未だ剣聖の名を欲しいままにする彼女へ対し、頭を下げた。
「師匠。ここまでありがとうございました」
一笑が返ってくる。
「なかなか重くて大変だった。
終わったら何かご馳走しな。
ちなみにあたしは常人の倍は食べ、三倍は呑むよ」
そうして彼女は突風のような速さで戦場へと駆け戻った。
未だに粉塵が舞い上がり、メルグリッドの宝剣からほとばしる魔力の熱線が大気を焼くあの場所へ。
「さっ! あたしたちも行くわよ」
アーデルロールがぱんぱんと平手を打って道連れの注意をひく。
この場にはわたしとアーデルロール、ビヨン、コルネリウスの4人。それから翼竜とその乗り手が居た。
二足歩行のウサギの亜人、<ラビール>族の彼は騎士兜の面をあげるとヒクヒクと鼻を震わせ、
「やあ! ワガハイはハインドルフ。こいつはリブドゥイン。
ともにバレンドール隊長が率いるファーレンハイト飛行隊の所属です。
山腹にある祠まで運ぶ脚をよこせ、と〝王狼〟閣下にせっつかれた隊長に命じられましてな。あなたたちの助けに参じた次第です。
いやルヴェルタリアの姫君を乗せることになるとは全く光栄ですな。
さあ、皆さま我が翼竜の背へどうぞ。
鞍にまたがりましたら内腿をぎゅっと締め、ハンドルを握っていてくだされ」
やたらに早口な飛行隊員に言われるがままに大きな背に各人がまたがる。
もたついたビヨンの手をコルネリウスが掴み、引っ張り上げるのを見た後に周囲に視線をやるが、ギュスターヴの大柄な姿はどこにも無い。
「あいつには先行してもらってるわ。
祠は見つけたものの魔物が寄ってきているらしくてね。
現地の安全確保を頼んでるのよ」
なるほど。
言われてからこの街、オランピアを見下ろす活火山――<イヴニル連山>の山腹に稲光がいくつも起こっているのが見えた。
あそこにギュスターヴが居る。この地に古来より存在した偉大なる王が待つ空間へ繋がる祠があるのだ。
竜の翼が上がり、広い翼膜が風を掴む。
すると装備を着込んだ人間を数人載せていることなどまるで問題でないかのように巨体が浮き上がった。
「ちょちょちょちょちょ! 浮いてる! 竜が浮いてる!」
「翼竜だからそりゃ浮くだろうが。
こないだの飛空艇を思い出してちっと鬱だがそこは我慢だな」
ビヨンの悲鳴にコルネリウスがそう軽口を返すのを背中で聞く。
地上を離れるにつれて視界がどんどん俯瞰したものになっていく。
オランピアを取り巻く壁は崩れ、平原で起こった火と遠い山の向こうから迫る巨体……街を容易く踏みつぶすハインセルの巨人の姿さえが目に映った。
「時間が無い」
「ええ、そうよ。あたしたちは仕事を速攻で片付ける」
不意にあの黒い魔力光が進行方向の空間を引き裂いた。
メルグリッド・ハールムラングの巨体が廃墟にそびえたち、こちらを仰ぎ見ている。
「眠り翁の娘か! くそったれめ、この裏切りもんがぁ!」
飛行隊の騎士が手綱を波打たせると竜は合図に機敏に反応した。
狙いを絞らせないためか、空中を上下左右にくねりながらも山腹を目指して矢のように走っていく。
他の三人はどうか分からないが、わたしは地上から――あの巨人から視線を外せなかった。
シラエアとその孫、わたしの姉弟子がメルグリッドの遠距離狙撃を座して見守っているはずなどない。
事実、彼女たちは攻撃を加えているようだったが当の巨人は熱線の放出を繰り返していた。
尋常の命を逸脱した再生能力を十全に活用し、自身に加えられる斬撃を無視しているのだろうとわたしは想像した。
どれだけの痛みを与えられようとも意に介さず、今この瞬間はアーデルロールとその一行を潰す。その信念と決意をもってあれは戦場に立っている。
メルグリッドの宝剣から熱線がふたたび放たれた。
狙いは鋭いがぎりぎりで外している。だが状況に変化が起こった。
「っ!? くそっ! 鳥のバケモノがぶつかってきやがった!」
翼竜ががくりと揺れた。
一直線だったはずの軌道がおおきくズレる。体勢こそ空中で持ち直したが熱線が真横に迫っていた。
山腹は近いが地上は随分と下だ。
あの夕見の塔からの脱出とは違い、ここから落ちればただ潰れて死ぬことは想像に難くない。
背後でコルネリウスが「俺の出番だな!」と大きく吠えた。
彼は手に握った槍に力を籠め、それから魔力をみなぎらせた。
魔力を扱う才能が無いと断じられた、あのコルネリウス・ヴィッケバインが。
幼少のころからの事情を知っていたビヨンもまた目を剥いて「うそぉ!?」と驚きを露にした。
一方でアーデルロールは「何かできるんならさっさとやりなさいよヤバイってのヤバイヤバイヤバイ!」と絶叫する。
コルネリウスの腕に湧いた紫電はそのまま握る槍へと伸び、穂先を伸長するように刃を象ると、
「っしゃあ! 任せとけ!
このコルネリウスの超絶魔力がお前ら全員救ってやるからよぉ!」
雷がメルグリッドの熱線に触れる。
異なる性質の魔力が衝突し、混ざり、ややあって衝撃とともに霧散した。
「マジか!?」
とはわたしの声だ。続く「すごいけどどうなってんの!?」はビヨンの声。
コルネリウスは「ギュスターヴのおっさんと出掛けてる時に色々あってな」と得意げに鼻をこすりながら言うばかりだった。
全滅の危機は脱した。
側面から襲い来る怪物を飛行隊の騎士と翼竜は器用に回避しながら徐々に下降していく。
祠は視認できないがギュスターヴの雷は既に近い。
ここからが正念場だ。わたしはまだ鼻孔に残っていた夏の香りから冷静さを獲得し、自分がアーデルロールの望む状況を叶える剣となる覚悟を新たにした。
2年ほどでしょうか、随分お待たせしてしまいました。申し訳なかったです。
続きをどう書くべきか迷って一文字も書けていなかったのですが、ユリウスたちの物語をちゃんと書き切らないと可哀想だなと思って書き進め、4人が再開するとキーを打つ指が止まらなくなったのはなんとも不思議です。(それまでは死ぬほど重かったのに)
更新していないあいだもチェックしてくれた方やメッセージをお送りいただいた方、本当にありがとうございました。




