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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
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158. 「貴公に託す」

 場に飛び込んだ男――ユリウス・フォンクラッドの放つ一刀に大勢の視線が向けられた。

 驚嘆、期待、羨望、憎悪。

 さまざまな色の感情が目に見えぬ波として集まる中、リブルスの男が右腕と剣をしなやかに振るう。


 巨人の右こめかみに刃が沈む。

 満身創痍とは思えぬ流麗で鮮やかな太刀筋だ。肉を裂き、眼球に達し、そこで止まった。


 剣が折れたのだ。

 彼の斬撃はメルグリッドの視力をつかの間――反則としか思えない再生能力のせいだ――奪うだけに終わったが、これが幸と出たか不幸と出たかは今時点では分からない。


 ただ、この一撃でメルグリッドの巨体の内でが強い敵意が燃え上がったことは確かだ。

 激情の激しさからか、再生の始まっている傷口の血が燃え立つようにさえ思えた。


 剣身は折れたがユリウス・フォンクラッドは武器を手放すことはしなかった。

 彼の右手はグリップを強く握り続けている。万全とは程遠かろうが彼は戦いを続行することを選択した。


 重力に引かれてユリウスが落ちていく。

 無防備な落下の最中、地上から突き出した黒い魔力刃が獲物を襲う蛇のような鋭さで彼へと迫った。

 数は3つ。絶命の危機だ。

――余人にとっては少なくともそう思うしかない窮地をしかしユリウス・フォンクラッドはかいくぐる。


 彼は空中で身を大きく丸め、頭から落ちる姿勢へと変えると大きく、そして素早く全身を捻った。

 その動作に移行するまで一瞬の迷いさえ無い。


 全身をバネにして繰り出した斬撃は魔力の刃を両断し、霧散させた。

 半ばほどしか残っていない剣身で成したとは思えぬ――ありがちな言葉だが、まさに神業だ。それこそ吟遊詩人が竪琴で歌うような。

 ユリウス・フォンクラッドに対するルヴェルタリア騎士たちの認識が正しく変わったのはこの瞬間だった。


 霧の戦の前から一端の剣士として認められてはいた。

 副団長のウェインを下した、南方生まれにしては根性のある剣士として。

 そう、あくまで群れの外の人間としてだ。

 ルヴェルタリアの騎士は仲間意識がこれで極めて強い。彼らの集団に属してない以上、ユリウスと彼らが真に結びつくことは多くの場合においてないことなのだ。


 だが今は違う。

 折れた剣で巨人とやり合い、エイリス・キングヒルと共闘を果たすこの若者は正しくルヴェルタリアの――ルヴェリア(世界)の剣として認められる。


 思えばこの場においてユリウス・フォンクラッドの剣の鋭さ、そして最も強い武器であるしぶとさを正しく認識していた人物はメルグリッド・ハールムラングただ一人だった。

 この強者はなによりもユリウスの命を優先して奪ろうとしている。

 今もそうだ。

 エイリスとともに地を駆け、振り下ろされる巨剣を躱し、反撃の手を加える彼をメルグリッドは執拗に狙っている。


 とっくに再生を終えた両眼でユリウスを睨む視線は強い殺意を孕んでいる。

 それこそ場が震えるほどの怒気も伴ってだ。

 そして戦法までがこれまでと違う。

 エイリス・キングヒルと切り結んでいた時には剛を剛で制しながらも流麗な剣だったが――それこそ北天の騎士として正しく武勇を轟かせていた時のような――、ユリウス・フォンクラッドが眼前に立った今は自傷や深手を負おうともそれらを意に介さず、銀鎧や髪、顔を血で汚しながら地形ごと命を叩き潰そうとしている。

 言うなれば狂戦士の戦いだ。


「総員抜刀――〝鉄羊〟の音をこの地に刻むぞ」


 騎士の誰かが一歩を踏み出し、続けて駆けた。

 例の魔力刃が生体に反応して生まれ、襲い掛かるが別の騎士が盾でそれを防ぎ、仲間の命を繋ぐ。


 また一人、そして一人と騎士らが走り出す。

 一度はメルグリッドの攻撃の前に足を止めたが今度は止まらない。

 全員が死を恐れずに走った。

 銀色の波となって進む彼らは、鉄羊の有り様とその起源を我が身で体現していた。

 勇者の導き手にならんとするその姿は間違いなく始まりのそれだ。


 ユリウス・フォンクラッドの命をここで散らすわけにはいかぬ。

 鉄羊の騎士らは認めていた。

 この男ならばアーデルロール・ロイアラート殿下の近衛に足る、希望(アーデルロール)の正しい剣であると。


………………

…………

……


 メルグリッドが戦闘を放棄した。

 そう表現する他ない。彼女は無数の剣と槍、魔法の嵐を前にして剣を投げ捨てたのだ。

 代わりに拳を構えた。

 静かに、しかし世に二つと無い剛力を感じさせる所作で。


 腕をねじり、引いた拳はまるで弓に矢をつがえるかのようだ。

 幾千回と構えてきたのだろう。巨人の姿は恐ろしいほどに力強い。国ごと殴り潰すと言われればにべもなく信じられるほどに。


 彼女の手の甲で紋章が煌々と輝いている。

 全身が穿たれ、斬り刻まれようともメルグリッドは構えを解かなかった。

 獲物を――首級をとると決めた対象、ユリウス(わたし)を睨む視線はかつてないほどに鋭く冷徹だ。

 その気配と迫力は己が決めた道を死ぬ瞬間まで貫き通す戦士のそれでしかない。


「イカれが……惚けやがったぞ! 一気に仕留めろォ!」

「好機。向こうで皆に詫びるがいい……っ」


 一際足の速い亜人の騎士が群を抜けると背中の翼をはためかせて宙を飛んだ。

 稲妻のような素早さだ。彼はメルグリッドの右手を大剣で狙ったが、拳に近付いた途端に鎧と武器が溶解し、苦悶の声をあげて地に堕ちた。


 怒号が絶えず響く中でわたしの足が不意に止まった。

 戦局が変わる予感、いや確信が胸の中を広く満たし、足を止めさせたのだ。

 疑問符が脳裏を舞うわたしと違い、エイリスと古参の騎士らは何が起こるのかを知っていた。


「守護方陣展開ッ!〝拳〟が来るぞ……! 守勢を取れ、今すぐにだ!!」


 聞き覚えのある声があげる咆哮のような号令が耳に届いた。

 焦りを感じているがそれを表に出さぬと腹に決めた声音だ。

 訓練を受けた屈強な北騎士たちが瞬時に盾を構え、集団で壁を作り出そうと身を寄せる。


 何が起こる? 金具が音を連ねる中、身がこわばるのと同時に首根っこを誰かの手に掴まれた。


「……ユリウス・フォンクラッド。

 聞け。〝鉄羊〟は貴公の剣を認める。

 故に貴公には現在(ここ)ではない、明日のルヴェリアを託す」


 エイリス・キングヒルだった。

 角の片方の先が折れ、斧の刃はひび割れている。

 遠目からは見えなかったが片腕は骨折しているのだろう、割れた鎧から覗く肌はどす黒く変色していた。

 頭部からの流血で片目を塞いだまま、鉄羊の団長が言う。


「――姫様を、頼む」

「何を――、」


 ぶん投げられた。

 怪力で鳴らすエイリスの手にかかれば、筋肉のついたわたしの身体でも投石機で放られた石のように素早く遠くまで飛ぶだろうと、耳が風を切る感触でわかってしまった。


 わたしの身体が彼女の手を、傷だらけの指先を離れた途端、メルグリッドが力を溜めていた拳をとうとう振り抜いた。

 音を置き去りにしたに違いない完成された姿勢の正拳突きだった。

 手の甲に灯っていた赤い輝きが空中に存在を残し、紅蓮の軌跡が余韻となって漂うのがわずかに見えた。


 突如起こった純白の光がエイリスと旗下の団員らを飲み込んだ。

 何が起こったのか脳が理解を得られない。

 視覚だけが事象を認識している。

 その中で一瞬後にまたたいた黒い光が白を塗り替え、地と天を穿った。


 エイリスに投げられたわたしは鼻先をかすめる際どさで窮地を逃れた。

 巨人の拳は直線方向に円柱状の破壊を生み、わたしは範囲からぎりぎりで逃れたのだ。

 彼女は……エイリスはメルグリッドの構えから何が繰り出されるのか知っていたのだろう。

 

 自身は逃げず、わたしに後を託した。

 エイリスだけじゃない。戦地に立った〝鉄羊〟の騎士たち。彼らを思うと吐きそうなぐらいの強い怒りが腹の底で煮え立つ。


 巨人の名を口に載せようとすると同時、わたしの水平移動が誰かに受け止められて止まった。

 鼻先を誰かの細い毛髪がくすぐる。

 肌に感じる手は小さな手だった。


「――しゃっきりしな、馬鹿弟子。

 くたばるにはまだ少し早いよ。あんたの細腕にはまだ仕事が残ってるんだ」


 どうしてだか過酷な夏を思い出す声が耳を――。

 いや聞き間違えるはずもない。これはシラエア・クラースマンの声だ。


 何故彼女がここに? シラエアは連邦心臓部の守りの要として置かれていると聞いた。

 疑問を抱くわたしの顔を見もせずに、師は自分よりも重いはずの男の体を背負って走り出した。


 老婆らしい小さな背だったが私を運ぶ彼女の体の軸はどんな悪路を走ろうともブレることはない。

 それでも落ちないように白い外套を掴むと、布地の下に金属の手触りがした。


「〝王狼〟とアーデルロール姫からあんたを呼べと頼まれた。くたばっていたら引きずって来いともね」


 二人らしい物言いだった。

 ギュスターヴが戻って来たと知った途端に安堵を覚え、それから体が弛緩したことで痛みが走った。

 心なしか傷が増えた気さえする。


「〝精王〟の祠を見つけたと言っていた。

 と来りゃ、成すべきは王との契約だろう。あんたの次の戦いはそこだ。

 〝迅閃〟の流れに名を連ねているんだ。

 連戦に耐えられないようなヤワな鍛え方はしてない。やれるね、ユリウス」


 口の中の出血がひどくて一言呟いただけでも血がこぼれそうでわたしは口をつぐんだまま頷く。

 それでもシラエアの白い髪と外套に血が落ち、汚したが彼女は「いい返事だ」と満足げに答えただけだった。

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