154. 暁風が舞う
「貴公の今の避け方だがね。私には到底マネが出来そうにないよ。
10年前ならともかく、今はあんなに素早く動けないからな」
起き上がりざまに肩を貸してくれたバンダルがそう自嘲めいた声音で言った。
そんなことありませんよ、だとか、誰でも出来ます、などとあまり考えていない返事をしながら光の魔物の様子をうかがう。
相変わらず例の第五階位相当の光線をむやみやたらに放っている。
狙いを定めているようには……どうにも見えない。
今しがたのは偶然なのだろうが、いざ自分が死にかけるような攻撃を受けて『偶然』で済ませるには腹の底でむらつく苛立ちは大きい。
「バンダル!」
数歩を歩くと最後の生き残りの6人の内の1人、男性の剣士が駆けつけて声を上げた。
「もう何度もこいつを口にしていい加減飽きたから今回が最後だ。
やはりジリ貧、なぶり殺しだぞ。こうなりゃ白黒をつけようぜ」
「そうだな。だが目を潰す手立ては?」
「あるぜ。なあ、レベッカ」
剣士があごでしゃくったのは弓手の女だ。
レベッカという名前で呼ばれた女は期待を込めた視線をわたしを含む数人に向けられ、しかしそれを裏切るバツの悪い顔をした。
「矢で射抜くっていうならムリよ。
遭遇してから随分狙っていたけれど、目のひとつが守りに徹していて全部落とされたもの」
「普通の矢ならそりゃ無理だ。だが相棒の俺は知ってるぜ。例のとっておきを使えよ」
「はぁ? 2年分の稼ぎをここで使えって言うの!?」
「死ぬよかマシだろうが。今使わねえでどこで使うんだ? 墓の中に持って行ってあの世で使おうってわけじゃねえだろ」
「時間がない、手短に言え。お前は何を持っている」
窮地にも関わらず互いの胸ぐらを掴みあっての言い合いを始めんとした男女の間にバンダルが割り入る。
レベッカの側はなおも物言いたげな顔だが、男の強い視線に射すくめられたのか唇を引き結び、
「……セラス鋼の矢がある。現代のどの工房でも作れない、おそらく最高硬度の矢よ」
「西大陸の遺跡から出土する古代の矢か。それならばあの光に耐えられると?」
「いえ、それはきっと無理。届く前に消されてしまう」
「俺の策はな」剣士が言葉を挟む。「あの野郎の柱状の胴体にセラス鋼の矢を階段状に打ち込み、そいつを駆け上がるってアイデアだ」
絶句した。
矢の上を駆け上がる? そんな発想はわたしの中にはまるで無かった。それこそ欠片も、だ。
そもそも矢が体重と負荷に耐えきれずに折れてしまいそうだったし、彼女は他人が駆け上がることに合わせて矢を打ち込める技量の持ち主なのか?
「レベッカと言ったな。やれるのか?」
「一人分の足場を作るように狙うだけなら十全に」
女は言い切った。その語調に見栄や誇張は無い。
「再三言うけど問題はあのくそったれの光よ。照らされたらもうひとたまりもない。
黒髪のような変態じみた反射速度も無いからあんな回避は無理。
どうすんのよ、ゲーベン。あたしが倒れたらそこで終わりなんでしょ」
「おうとも、魔物の杖に届く階段をお前が矢で描けなかったら、俺たちゃここで冒険終了。来世に期待だ。もしあるんなら、だがな」
「――っ! 全員この場から離れろ!」
どんな危険が迫っているかは問い返さなくても分かっていた。
のたうち回る光のひとつが集合場所に迫り、しかしそれは通り過ぎずにわたしたちが集まっていた場所を執拗に長く照らしていた。
底の知れぬ黒い穴となってしまった元・地面を見送り、
「あ、ああ、あたしがああならない策がほんとにあるわけ!?」
「怒鳴らなくっても聞こえてるわ! いいか? お前と階段を駆け上がる担当以外が全員であの光を引きつける。
野郎、こっちを見てるんだかなんだか分からねえが、今の光を見てる限りじゃあやっぱ人間を狙ってるようじゃねえか。
どのみち死ぬんなら遅くても早くっても関係ねえ。俺ぁ生き残る道が少しでもある方に……囮に命を使うぜ」
「無理に死にたくはないが、概ね同感だよ」
バンダルが肯定する。<ヴァーリン>のデラーズ、そしてスタンもそれに続いて頷いた。
「俺に出来ることは囮以外に無さそうですんで、それに乗りますよ。命をひとつ上乗せだ」
「さて、矢の階段を駆け上がって魔物を仕留めるヒーローの役は黒髪で決まりだろう。異論がある奴は居るか?」
作戦の提案者、ゲーベンの声に異を唱える声はなかった。もし声をあげる可能性があるとしたら、それはわたしだろう。
「――おい、なんだその面は。一度失敗したから無理です、なんて抜かしたらはっ倒すぞ。
失敗なんざ何度でもすりゃいいんだよ。死んじまったらそれまでだが、そりゃその時の失敗のツケが死だったってだけだ。
俺たちゃあ冒険者だ。命を張る仕事をしてんだ。しくじったところで文句はねえよ。……少なくとも俺はな。他の奴は知らん」
「ゲーベン。若手に偉ぶっているところを悪いんだがな、そろそろタイムリミットだ。
奴の光がこの辺りに集まってきてやがるぜ。アタリをつけたのかも知れねえ」
デラーズが大柄な体を緊張させて相談を終わらせた。彼は大斧を持ってはいなかった。
先ほどに魔物の足に切り込んだ際に失ったのかも知れない。
だが今の彼から闘志は失われたようにはとても見えなかった。この作戦での彼の武器は足と勘、そして度胸になる。
彼とスタン、バンダルにゲーベン。彼らが命を賭して光を引きつけ、わたしはレベッカの放つ矢が描く階段を駆け上がって魔物を討つ。
「上まで飛び上がるのは無理だろうな。デラーズ、お前が黒髪をぶん投げてやってくれ」
「おう」
「レベッカ……信じてるぜ」
「結局あんたとは最初っから一蓮托生だったわね。任せなさいよ、ここで死ぬつもりはないから」
「んじゃあ行こうか! 霧をぶちのめすぞ!」
ゲーベンの声を皮切りに全員が走り出す。わたしとスタンの視線がつかの間だけ合い、突き出された拳に向けてわたしも拳をぶつけた。
その瞬間、彼と他の面々の命を確かに預かった実感が強く胸の中に湧いた。
………………
…………
……
スタン、バンダル、ゲーベンの3人が光へと向けて走っていく。
自殺行為に近い行動ではあったが、その背中は力強い。明日を求める活力にみなぎっているようにさえ見える。
「――この手にはもう仇を討つ手段が残っちゃいねえ。だからよ、お前に賭けたぜ。黒髪。準備はいいな」
「これで二度目です。今度は必ずあれを滅ぼします」
「ああ。それじゃあ――いくぞぉおおっ!」
大きな手がわたしの体を鷲づかみ、軽々と持ち上げる。デラーズはその腕を後方へと大きく振りかぶり、そして放り投げた。
弓で引き絞られた矢のような気持ちを得ながら宙を舞い、円柱状の体を持つ魔物を睨む。
杖先の目はこちらを――わたしを向いてはいない。すべてが地上を狙っている。スタンたちが囮を果たしているのだ。
魔物の体におそらく激突するであろう箇所に1本の矢が突き立っていた。
陶器のように白く、長い矢だ。矢羽は無く、代わりに虫食いのような穴が終端部にいくつか空いている。
「ドンピシャだ……!」
鉛色の魔物の体表を蹴りつけるようにぶつかり、足を矢の上に乗せる。
装備の分を加算した体重が矢全体にかかったが、この矢はしなることさえ無かった。
続けざまにカツ、カツ、と矢が打ち込まれていく。それは確かに階段状に描かれており、魔物を中心とした矢による螺旋階段を登れという表現だった。
わたしは迷わずに次の矢に足をかけ、疾走とは言わずとも早足で登る。
光は未だにわたしの元へは落ちてこず、レベッカのとっておきの――2年分の稼ぎといっていたか――セラス鋼の矢は行く道に先置くようにして飛来する。
視界の端、下方にはこの凄腕の弓手の姿が見えていた。
わたしより少し先んじるようにして彼女も円状に走り、矢筒から取り出した矢を次々に射っている。
そこには1本の無駄撃ちもない。レベッカの狙いは鷹の目のように非常に正確だった。
魔物の腕を越えた。頂上までもう10歩も無い。
そのタイミングで白い矢による階段の生成が一瞬遅れた。思いっ切り跳んだとしても頂上へは届かない高さ。
足踏みは出来ない。立ち止まったこの瞬き程度の時間が仲間の命取りになる。
土による足場を作り出そうと瞬時に考え、意識をしたが手の中で魔力が上手くまとまらず作り出せない。
強い焦燥感。体感時間を非常に遅く感じる中、レベッカを見ると光が彼女の背後に迫っていた。
彼女もまた光に気付いている。回避か、射るか。瞬間の迷いが指の中に矢を留まらせていた。
「――死んでも構わない! この矢は明日に繋げる一矢だ!」
背中に光が届く間際に彼女がそう叫び切った。
だがわたしが見落としていた影がレベッカを突き飛ばす。ゲーベンだ。
「ゲーベンッ!」
「俺が惚れた女だ。お前は最高だぜ」
ゲーベンが背負った盾が光に照らされる。わたしは視線を前へと戻す。この間は長く感じたが実際には一瞬のことだった。
レベッカの声は聞こえなかった。もし彼女がゲーベンの末路を目にして叫ぶとしたら、その感情はすべて今飛来したセラス鋼の矢に乗っていたはずだ。
わたしは駆ける。魔物の頭上にたどり着き、今度こそ無防備な杖先の目の数々を視界に捉える。
父フレデリックのような居合じみた速度で剣を抜けたのが分かった。刃で両断するという欲求が満ち満ちているのを自覚する。
「黒髪! 明日を繋げろ――頼むっっ!」
霧の中から誰かがそう叫ぶのが聞こえた。刃が風を切る。平たい頭頂部を2、3歩を走り、わたしは思い切り良く跳んだ。
自然と喉の底から咆哮をあげていた。薔薇の蔓が重なり合ったようなレンズの付け根を視界に捉え、間合いに入ったと確信を得る。
空中で上半身を大きく捻り、すべての力を連動させる。この身、この命をひとつの刃として鋭く振るい、薙ぐ。
技の名は自然と口をついて出ていた。遠いいつか、わたし自身が振るったことがある剣の筋だ。
「――〝暁風〟っ!」
刃が肉を切り、すべてのレンズの根を両断する。振った、と思った時には血が舞っていた。
レンズに収束していた光が消えていく。死に際のレンズ――その中の瞳がすべてわたしを向くが、既に魔物はわたしに攻撃を加えることは出来なかった。ただ恨めしげな視線がこの体を刺すだけだ。
宙に飛び出し、落ちるばかりのわたしの体を抱きとめたのはデラーズだった。
自慢の大角と防具は泥や土に汚れていて、右手の小指が失われているのが分かってしまった。
だが彼は破顔の笑顔を浮かべていた。
「よおおっしゃあ! よくやってくれた! 兄者! 仇を討ったぞ!」
高らかに吠えるデラーズの声に合わせてか、魔物の体が倒れ、崩れていく。
胴などが頑健な代わりにあの目が急所だったのだろう。致命傷を負った魔物は倒れ、びくとも動かなかった。
「黒髪!」
「ユリウスッ! やっぱりな、君はやる奴だ!」
バンダルとスタンも走り、駆けつけた。装備こそ破損してはいたが外傷は見当たらない。
無事に幸運を拾ってくれたらしい。安堵の声こそ漏れなかったが、笑みはこぼれた。
レベッカも遅れて現れた。一人ではなく、ゲーベンを連れて二人で。
「流石ね。あんたに賭けて良かったわ」
「レベッカさん! ありがとうございます。あなたの矢と腕がなければ到底届きませんでした」
「でしょう? こう見えてもあたしもこいつも――」
「おう、一等だからな。やる時はやるのさ。だがあそこまで正確な狙いは初めて見たがな。
おそらくこいつの生涯最高の矢だろうよ。死ぬまで自慢話をされそうだ」
貸されていた肩を放され、地べたに倒れこむゲーベンに外傷はなかった。
照らされていた背中は無事だ。だが背負っていた盾は消えている。
「お前の技を盗ませてもらったのさ、黒髪。
光が盾を照らした瞬間に体ごと離脱しただろ? あれさ。
お前みたいに咄嗟にはできねえが、来る瞬間とやり方を見てりゃ……この通りさ」
大したやつだ、とバンダルが賞賛をすると周囲の霧が薄らいだ。
どこからか強風が訪れたかのように霧が散り、消えていく。
「主力戦隊が統率者を討ったのでしょうか?」わたしは剣を納め、言った。
「そうだろう。……いや、そうであって欲しいね」
「ああ。せめて次をやるんなら酒を入れなきゃ俺は動けねえぞ」
「ゲーベンに同じだ。今夜は派手にやろうぜ。弔いを兼ねてな!」
「なら、今夜は私が奢ろう。老賢者から金は貰っている。死んでいたなら返す必要もなし、生きていても盗まれたとでも言えばいい」
バンダルの言葉を受けて全員が笑い、そして拳を付き合わせた。
この場をともに生き延びた彼らの顔がわたしの記憶に焼き付いていく実感がある。
このまま街に戻り、祝杯の酒を飲み干したい気持ちは大いにあったがわたしには……わたしたちにはまだやるべき事がある。
そもそもの旅の目的。この地に住まう火の精王との契約を果たさねばならない。
そして、迫る巨人の打破だ。霧は消えこそすれ、街ごと踏み潰さんとしている脅威は未だ消えていない。
……残念ではあったが、この足裏に感じる振動はハインセルから訪れたあの巨人のものだろう。
急ぎアーデルロールのもとに合流しなくては。ギュスターヴとコルネリウスが戻っているかは分からないが、最悪の場合はわたしとビヨン、アーデルロールの3人で精王に挑まねばならない。
「黒髪。そういやあお前の名前を聞いていなかった」ゲーベンが煙草を咥えた口で流暢に言葉を繰る。
「差し支えなけりゃあヒーローの名前を教えて欲しいね。酒場で言いふらすからよ」
「言い回るのはやめてくださいね。僕の名前はユリウス――、」
ひときわ強烈な振動が起こった。
地面が揺らぎ、思わず膝を突きかける衝撃。
巨人がこの地に踏み込んだのか? いや――きっと違う。喉元を裂くような殺気をすぐ背後に感じる。
振り返る。剣は無意識で抜き放っている。
見えたのは凄まじい巨体。その身の丈はおよそ5メートル。
身を覆う白銀の鎧には十三の星と大樹の紋章――ルヴェルタリアの国章。
殺意に満ちた手に握るは身の丈に等しい巨剣。
氷の宝玉のような冷ややかな目がわたしを見据える。
こいつは、この女を見間違えようはずもない。
ルヴェルタリア騎士が誇る〝四騎士〟の四。
アーデルロールを裏切り、その命と剣を狙う狂乱の強者。
〝巨人公女〟メルグリッド――、
「ハールムラング……ッッ!」
舞い上がる石片を挟んで見える巨体から言葉は返っては来ない。
赤い稲妻を帯びた重宝剣ダインスレイヴの刃のみがただ迫り、死を与えんとしていた。




