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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
157/193

153. 第五階位


 巨体の掲げた杖先がふたたび輝きを帯びる。

 耳鳴りのような甲高い音――イィィ……ンと余韻が残るような音だ――を立てると異形の杖が光を発した。

 直線上に放射された光は霧を貫き、少しもおぼろげになることなくわたしたちをめがけて進んでくる。


 光が舐めるように通り過ぎた地面がわずかに抉れている。

 また、一拍を置くほどの時間程度の差ではあるが、光が長く照らしていた箇所は大の大人がすっぽり入れそうな縦穴のように深く抉れていた。


 どうやら照射時間の差で破壊の程度が大きく変わるらしい。

 一瞬通り過ぎるぐらいなら受けても問題ない、という考えをわたしはすぐに捨てた。


 この光線が一瞬通り過ぎただけでも足のくるぶしから足裏程度の深さを抉られるのだ。

 これを背中で受けでもしたら内臓が破損してしまう。戦闘不能……いや、死亡だ。


「なら絶対に避けていなきゃいけないんだけど、もっ――!」


 ちかりと杖先が光ったのを視認し、光の走る向きを捉え、すぐさまに直線軌道から離脱する。

 あの地面に突き立った杭のような異形までの距離はおよそ100メートル余り。全力で走って10秒かかるか否か。


「光の数は合計8つだ! 杖の先端から突き出ている装飾の数と同じってことだな」


 回避を繰り返しながら敵のどこを攻撃したものかと観察をしていると、並走していた男が不意に言った。

 若い男だ。短い金髪の髪型がコルネリウスを思い出させたが、彼に比べるとこの男の顔は柔らかく、分かりやすく言うなら少年的だ。


「8つか。多いですね。あれさえ切り落とせば光の放射は止まると予想をしているんですが、あなたはどう思います?」

「おれも同じ意見さ。さっきの<ヴァーリン>のようになりたくなかったらやるしかないね。

 けど、あれに近づけるか?」


 距離は詰まっている。さっきよりは近くに奴は居る。走ればまず肉薄は出来る。

 が、問題がいくつかある。

 離れている今なら光が走ってくる軌道を確認できるが、奴の根元に立ってしまうとおそらく回避が出来ない。

 そして最大の問題点、あの杖の先に剣が届かない。


 根元にたどり着いてからあの背高の樹木のような怪物をどう登る? いいアイデアはとっさに浮かびはしない。


「近づくだけなら何とか。ただそこからの手が浮かびません」

「そうか。君は相変わらず豪胆なんだな。おれは辿り着くまでにやられてしまいそうだよ」

「相変わらず……? どこかでお会いしましたっけ……?」


 面を食らった表情を浮かべる短髪の男の横顔をちらと見たが心当たりはなかった。


「――光った。左に跳んで」

「――! ありがとう!」


 回避し、光が過ぎると同時に男が叫ぶように名乗った。


「おれはスタンだ! 連邦で受けたおかしな依頼で一緒だったぞ、あの塔のことだ! 覚えてるだろ!?」


 思い出した。<夕見の塔>の話で合っているはずだ。

 アギルとメルウェンと合流した冒険者の一団にこの青年――スタンは居た。確か連れの魔法使いの女とビヨンが会話をしていたような気がする。

 見たところ彼女はバンダルが誘ったというこのパーティの中には居ない。

 別れたか、あるいは街に居るのか。倒れたという考えを持とうとは何故だか思えなかった。


「今思い出しました。積もる話もあるでしょうが、とりあえずはここを生き残るのを最優先にしましょう」

「そうだな……! っ、見ろ! 他の連中が先に仕掛けたぞ!」


 スタンの視線を追うと霧を突き抜け、光を回避した3人の戦士が〝大穴〟の魔物に肉薄をする場面だった。

 大剣持ちが2人と手斧が1人。

 

 上半身を後ろへ捻るように大剣を振りかぶり、裂帛の気合を込めた一閃が魔物の足を捉えた。

 重く深い斬撃だ。重心は低く、もっとも勢いが乗ったタイミングで切り込んでいる。

 剣圧でわずかに散った霧の隙間に目を凝らして相手を見た。


 表面は鉛色。奇妙な模様がその表面に縦横無尽に走っている。確か幾何学模様というのだったか。


 剣士の見事な斬撃を受けた箇所がうごめいた。

 粘液を引きながら肉が剥がれていく。それを見てどこからか歓声が上がったが、それもすぐに消えた。


 肉は剥がれはしたが、分離することはなかった。それはどうやら胴体を支える脚だったらしい。

 同様に剥がれた部位は4つ。それぞれが地面に先端をつけ、自重を支えてずしりと揺れた。


「光ったぞ! 逃げろおおお!」


 どこかの誰かが叫ぶが、攻撃者の剣士の回避は間に合わなかった。

 根元に射した光が男を照らし、最初の<ヴァーリン>のようにその体を跡形もなく消し去ってしまった。


 生き残った2人のうち1人は逃げずに勇猛を見せ――無謀にも思えたが、何もせずに死ぬのは戦士の恥だと考えたのかもしれない――踏みとどまっていた。逃げる仲間の背を彼は振り返りもせず、先に逝った剣士が遺した大剣へ向かった。


 大剣は魔物の足に深々と切り込んだままだ。手斧を握った男は剣の幅広の柄に飛び乗り、足をかけると手斧を高々と構え、


「どうせ逃げられやしねえ! だったらこいつに傷ひとつ残してくたばってやる!

 オレぁ<大公国>のガルスだ! てめえら目ぇかっぽじって! ブランダリアに召し上げられる一投をよく見とけよコラアァアッ!」


 ガルスの腕が振られ、厳つい指先から手斧が放たれた。相当に扱いに慣れていたのだろう。その軌道は弧ではなくほとんど直線だ。

 狙いはやはり杖先の目。よく研がれていただろう刃は吸い込まれるように狙いへ進んでいく。

 急ぎ、光が収束していたが迎撃には遅すぎた。光線が放つ前に斧は目のひとつを潰し、その攻撃性を摘んだのだ。


「ハーッハハハハアッハハッ! 見たか!? このオレの」


 勇者の全身を光が照らす。まるで絵画のような美しさがその一瞬にはあったが、彼はやはり例のごとくに消滅して消えた。

 ガルスの死に様を見ていた数名の戦士が口笛を鳴らす。その中には真面目な顔のバンダルの姿があった。


「最高のタイミングで逝きやがったな、あの野郎。賭けてもいいが絶頂だったぜ」

「だろうな。これで光は7本に減った。目を潰すぞ。でなければジリ貧で終わる」

「ンなこた分かってんだよ。だが実際どうする? 剣は届きやしねえし……剣を投げるだなんてアホ抜かすんじゃねえぞ」

「体勢を崩せばいい。そのための<ヴァーリン>だ。デラーズ! やれるだろう!?」


 一団の中で最も背の高い男がグンと前へ飛び出した。

 額の大角が槍のように突き出た男は両手持ちの大斧を握り、全身から闘志を発露するように猛った疾走を見せた。


「当たり前だ! 兄の仇はこの俺が必ず殺る!」

「任せたぞ。黒髪、追撃は頼む! お前が最もこの場で鋭い!」


 わたしの視線にいつ気づいたのか。バンダルは顔を向けこそしないが、意識を明確にこちらへ向けて声をあげる。

 返答の代わりに鍔を鳴らし、先行する<ヴァーリン>の背後についた。斧の先端が地面に接触し、激しい摩擦から火花をいくつも撒き散らしている。

 激しい息遣いが後ろから聞こえる。「おれも行くぞ!」と叫ぶ声の主はスタンだ。

 ついてこれるのか、と心配に近い感情を抱いたが口にするのはやめた。それは勇気を振り絞った彼の行動に対する侮辱になるからだ。


「黒髪! 分かっているだろうが光は受けるなよ、魔力膜ももはやアテにならん!」


 根元に近づけば近づくほどに危険は増していく。一度だけ頭上にそびえる巨大な杖の先を仰ぐと、残る7本のうち6本は外へ向いていた。

 他の戦士が自らを囮に立ち回ってくれているのだろう。生き残るための連携だ。必ずこの魔物を――、


「――殺す」

「斧の間合いだ! やるぞ小僧どもオオオォ!」


 後ろへふりかぶられた大斧がわたしの頭上を遮る。幅の広く、厚い斧の刃が一瞬ピタリと止まり、そして剛力に操られて前方へ向け全力で振られた。

 腹にひびく轟音が間近で起こった。デラーズという名の<ヴァーリン>が続けて叫ぶ。「往けぇえええ!」


 足裏で地面を蹴り、大男の背中に飛び移るとわたしは続けて宙を跳んだ。

 斧は魔物のひざに深々と切り込んでいて、異形の足が逆方向に歪んでいることが視認できる。それに加えて巨体が傾斜している。

 角度は厳しいがこれを駆け抜けなくては勝機はなく、またわたしたち全員の生き延びる目は存在しない。


「だ、めだ! ユリウス! すまないっおれは届かない!」


 巨体の幹に剣先を突き立ててしがみつくとスタンの声が聞こえた。

 人間1人分の高さの下に彼は居る。拾いに行くという選択肢はない。千載一遇の好機は逃せない。


「スタン!」わたしは叫び返した。「剣を投げてくれ! 君の分まで僕がやる!」


 彼は迷わなかった。片手用の直剣をスタンはわたしを目掛けて投げ渡した。

 狙いも正確だ。顔面を狙って放り投げた剣の回転を凝視し、柄を素早く掴んで回転を殺すとその剣先を更に魔物の胴体へ突き刺す。


 血みどろの登山のようだった。ピックの代わりに剣を巨体へ突き刺してしがみつき、頭頂部へ迫る。

 この魔物に頭部は存在しない。ただ平面があるばかりだ。こいつの頭を足場にして杖に向けて跳んでレンズを根こそぎ切断する。それで終わりだ。


 勝利への道筋を脳裏に描きながら魔物の頭頂部に剣を突き刺し、てっぺんに顔を覗かせる。


「ま、さか――!?」


 レンズのひとつがこちらを凝視していた。一瞬だったが、その驚きのために随分長く感じた。それほどの集中だ。

 レンズの中に浮かぶ虹彩と瞳孔。異形の瞳に溜まっていく光の粒子。それぞれが観察できるだけの体感時間だった。


 あらかじめに光を収束していたのだろう。この射出は恐ろしく早かった。

 頭での判断は下せなかった。だから生存本能が剣からわたしの手を離させた。


 爪先を光がかすっていくギリギリの回避だった。

 地上へ向けて落ちはじめる寸前に見えた剣――スタンに借り受けた剣だ――は光に飲まれていたはずだ。少しでも避けるのが遅れていたら今頃走馬灯さえ浮かべられずに死んでいただろう。


 背中から落下をした際に受け身こそしたが強い衝撃が体を突き抜けた。

 魔力膜が失われていることに気がついたのは一瞬遅れてだ。もつれる足を努めて正常へ戻しながら距離を取ろうと体を動かす。


 魔物の放つ光は直線軌道ではなくなっていた。

 杖先の目はいまや怒り狂ったようにのたうちまわっていて、照射される光もまた死の淵の蛇のように縦横無尽に、かつ無軌道に走っている。


 これでは予測しての回避なんて到底のぞめない。見ればパーティも数名やられたらしく、誰のものとも分からない腕や足、武器が辺りに転がっている。


「くそっ……! あの場で逃げてしまった僕の……っ、

 ……ダメだ。まだ止まるな。ここから生きる道を考えろ……! 絶対に殺すんだ。魔物は、必ず……!」

「その通りだ」


 霧からぬっと突き出た手がわたしの腕を掴み、引いた。バンダルだった。

 側には<ヴァーリン>のデラーズ、生き残っていたスタン、他に剣士が1名と弓手が1名。


「生き残ったのは我々6人で全員だ。他は荒れ狂った目に捉えられて死亡だ。残念だが」

「黒髪、てめえ、あの場で離脱して正解だったぜ。無茶してくたばられるより次に繋げてくれた方がありがたい」


 水筒に口をつけていた剣士がそう言った。わたしはどう言葉を出したものか迷い、頭を下げるのが精一杯だった。


「ねえバンダル。ここに集まっていて大丈夫なの? 全員で遺言を残そうってわけじゃないわよね」

「目が暴れ狂って以降、奴は狙いを定められていない。だからすぐに死にはしないだろう。……多分な」

「多分て。あんたねえ……」

「個別に逃げ回って地味に死んでいく選択だけは、ハッキリ言うぞ。無い。

 現在ある情報を共有し、状況を整理し、策を立てる。そうしてわずかでも光明を見出すべきだ」

「情報ったって大したもんもねえだろ。あの光に舐められりゃ終わり。それが肝だろ」


 そうだな、とバンダルが硬い顔に微笑を浮かべて言う。それを見た剣士は「気でも狂ったかよ」と鼻で笑った。


「まず第一の情報として老賢者とは連絡が取れていない。支援魔法の効果が途切れたのを見る辺り、死んだのかもな」

「冷てえな。連れ合いなんじゃなかったのか?」

「そうでもないさ。彼は通信が途切れる直前、この光は第五階位の魔法だと判定していた。

 人間には詠唱できず、竜族にだけ行使されると定義されている上級階位だ。

 驚きは分かる。だが、現実だ。だから老賢者の魔力膜さえも貫いたのだろう。魔法は上位階位からの干渉には極めてもろい。

 そして第二の情報だ。

〝極光〟のバレンドールとエイリス・キングヒル、連邦の筆頭剣士を含む主力戦隊が霧の統率者と戦闘を開始したようだ」


 言葉を言い切ると同時に稲光が頭上を満たし、それから耳元で雷が落ちたような轟音が頭を満たした。

 続けて発生した爆風が霧を散らし、わたしたちの体をも吹き飛ばしていく。


 そして不幸なことに、わたしは光の間近へ転がった。

 でたらめな軌道ではあったが確実にこちらへ迫っている。速度もこれまでよりもずっと早い。


 認識をした直後に背負った盾で体を庇った。刹那を遅れて光が盾の縁に触れる。

 すべてが遅れて見えた。光が触れている部分の盾の構造が薄らいでいく様子さえ見える。


 思考が加速する。生き残る道は何がある。光を浴びた対象はどうなった。消失だ。

 今は盾が光とわたしの間にある。今すぐ腕を抜けば間に合うか? 迷ってる暇はあるか? 無い――やるしかない!


 盾から腕を引き抜き、地上に落ちるまでの間に素早く体を転がした。右の二の腕に強烈な熱を感じた。

 えぐられた想像を描いたが全身を覆われたわけでは無い、死んでいないのならそれでいい。戦えることが重要だ。


 四つん這いで地に伏せ、後方へ流れていく光を視界の端で見送るとどっと汗が噴き出して顔を濡らした。


「この魔物でも統率者じゃないなんて、本当、笑えないな……。

 必ず倒してやる。人を殺した報いだけは必ず受けさせてやる――!」


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