152. 刀剣弾け舞う
魔物の攻め方がこれまでとあからさまに違う。
そう気がついたのは、小鬼の構えたボロの木盾を鉄靴の底で蹴り破り、怯えの見えた顔に剣先を突き立てた時だった。
死に際の息を吐く小鬼の顔面から剣を抜こうとした瞬間に左右から魔物が飛び出した。それぞれ一体ずつで得物は剣と斧。
顔を引き裂きながら力技で剣を引き抜き、剣の軌道を血で描きながら右の異形の喉笛を深く裂く。
が、決死の覚悟か。致命傷を負いながらも渾身の力で振られた縦の一撃がわたしの肩口を狙う。
剣で防ぐには遅い。ならば、とグリップから手を離すと一歩を下り、鼻先を過ぎていく斧を見送った。
鉄の仮面をしているから表情は見えなかったがきっと悔しさと驚きの入り混じる色が彼の顔に差しているに違いない。
左から襲いかかる魔物の刺突を体をひねり躱す。姿勢を正す勢いを利用しての拳を片方の魔物のあごに打ち込み、怯んだ隙に足元に落ちた剣をつま先で蹴り浮かし、柄を握ると同時にもう片方の頭部を深々と割った。
衣服の裾で刃を挟み、付着した血と脂をぬぐいながら息を整え、今しがた殺した3匹の魔物について考える。
この時の思考はやけに冴えるから気に入っていた。片足どころか半身を死に突っ込んでいる状況だからだろうか。
「今の奴らは普通と違う。……誰かが殺されている内に生き残っている個体が相手を殺す。
連携行為だ。これまでとはやっぱり違う。それに隊列もだ。
奴らが横一列に足並み揃えて進んでくるなんて見たことがない。本当に軍か何かみたいだ」
バレンドールは今回の霧には魔物を率いる統率者や指揮官の類が居ると口にしていた。
もし、これらがひとつの意志に従い行動しているのなら……もっと言うなら戦術の上に行動しているのなら――、
「――嫌な音が聞こえた」
ばつん、ばつん、とよく張った何かを引き、離す音が聞こえた。ひとつではなく幾重にも。
相手が軍勢だとして打ってくるであろう手が閃きのようにいくつか浮かんだ。
そして音から連想する。これはおそらく、矢だ。
「身を隠せええェッ! クソどもが矢の雨を降らしやがった!」
誰かの怒号が聞こえる寸前にわたしは目の前に見えた岩を目掛けて全力で走った。
足への魔力強化を行った疾走は素早かったが、緊張からか耳の中で脈を打つ音がよく聞こえ、冷や汗が冷たかった。
飛来する最悪な音が耳をかすめる。
衣服の肩口があっさりと破れ、肘の防具が矢を弾いた。
背中にも当たった感触は間違いなくあったが爆発するような痛みはない。
きっと防具が防いでくれたのに違いない。自分の痛覚が麻痺しているなんて考えたくなかった。
岩陰に届くと見るやに頭から転がり入り、身を隠した。一瞬だったが自分の影を矢が貫くのが見えた。
「傷は無いみたいだ。はっ、はっ……良かった……」
「命あっての物種、とは古人はよく言ったものだ」
「ええ、本当に」
身を隠した先には先客がひとり居た。中年の男だ。
肩を露出した皮鎧。片目には黒い眼帯をしていて、かきあげた前髪と額をまたぐようにして大きな傷跡があった。
足元には何本もの矢が突き刺さった魔物の死体が転がっていた。
わたしの観察する視線に気づいたのか、男は額を撫でると「弾除けだよ。こいつらが人間にとって役立つ数少ない長所さ」と言った。
矢の雨が厚い雨音にも似た気配で振り落ちていくのをわたしと彼は押し黙って待った。
一瞬のことではあったが、矢の雨が纏っていた殺気とそれを指揮する個体の存在が妙に恐ろしく思える。
姿勢を落とし、飛び出す前に周囲の気配を探る。
霧のせいで判然とはしないが魔物はやや遠く思えた。近くでざわめいているのは人間たちの立てる音の数々だ。
「バレンドールとの話は聞かせてもらっていたよ」
足裏に力を溜めると同時に男がわたしの背中へ向けて声とかけた。
「すまないね。高名な人間の会話というと私はつい聞き耳を立ててしまう性質なんだ。
話を聞いた限りでは貴公、先のような大物を獲りに行くのだろう?
見たところ仲間が居るようにも見えない。この岩の向こうへと援護も無しに単身で飛び込むのは無謀が過ぎると思うね。
そもそも場所の見当はついているのか?」
「いえ、どこに居るかも知りません。ただ奥を目指せばいずれ当たるとは思っています」
「つまり無謀無策の手当たり次第ということか。
貴公も気づいているだろうが、今回の敵は人間の冒険者や騎士団のようにパーティを組んでいるかのような振る舞いだ。
先の大物討ちのように乱戦であれば生き残れもしようが、今回ばかりは命がいくつあったところで足りやしないと私は見るよ。
そこでだ。貴公、ここはひとつ、他人に使われてみる気は無いか?」
交渉だった。軽く背後を振り返り、見えた男の顔はやや下向いていて真剣な眼差しをこちらへ注いでいる。
害意は無いという証のつもりなのか、剣は外していた。
「というと?」わたしは剣を外さずに答えた。
「過去に帝国の宮廷魔法使いとして鳴らした老賢者が後方にいる。
内戦初期から終結まで生き抜いた歴戦さ。戦場を見てきた目は頼りになる。彼の下で貴公に剣を振るって貰いたい」
手練れがこちら側に居るとは思わず、少しばかり面を食らった。
帝国の内戦……大陸を染める赤色の由来とも嘯かれる内戦を生き残ったという経歴の持ち主ならば、まず間違いなく本物の強者の類だろう。
人類種の限界とされる第四階位相当の魔法さえ扱うと見て良いはずだ。
協力を口にする前にわたしは彼に訊いた。何故自分なのかと。
「この戦場においては間違いなく貴公の剣がもっとも鋭いからだ。
大物を討ち取った時もそうだが、今回の戦端を切り開く姿を私と彼も見ていた。そして直感した。
我々は貴公なくしては生き残れないだろう、とね。
我々は貴公に大物を討つ好機と支援を約束しよう。
そして貴公は我々に命をつなげる機会を与える。どうだ? この誘い、乗ってはくれまいか?」
わたしは彼の誘いを聞き、すぐさまに頷いた。実力を認められての誘いを受けてこれを断るという選択肢はない。
端的に言えばわたしは嬉しかったのだ。ここが戦場のど真ん中だということを一瞬忘れてしまうほどに。
「もちろん乗ります。僕の方こそ是非よろしくお願いします」
「ありがとう! 助かるよ。
例の老賢者だが、彼は高齢が故に前線へ出向くことはない。
代わりにこれ――、」
彼は自分の両目に指先を向けて、
「視界を共有していてね。彼は私の目を通して戦況を把握し、この耳に付けた装飾宝珠で音声による指示を下すという話だ。
帝国から離脱する時に拝借したという高級品だが、その辺りは今はどうでもいいな。
当面は私の側に付いていてくれ」
「分かりました」
「私の名はバンダルだ。こちら側で腕が立ちそうな連中とは戦いの前に同じような交渉をしていてね。
もうすぐここへ集う手はずでいる。
お互いの細かい詳細は戦いを終えた後の祝杯の席で聞こうじゃないか」
背を預けた岩のすぐ近くに大勢の気配を感じた。荒い吐息に落ち着きのない足音。鎧の音を隠しもしない愚かしさ。魔物だ。
また一方で――おそらくは街のあった方角だ――人間の一団が近づいてきているのも霧越しの影で分かった。
<ラビール>が数人に大角を持つ<ヴァーリン>の男が二人。他は人間が十数名。
「休憩は終わりのようだな。改めてよろしく頼むよ、黒髪の」
………………
…………
……
例の老賢者はわたしの想定をおおきく上回る手練れの魔法使いのようだ。
彼は恐ろしく鋭く尖ったつららを空中に30本近く創出し、それらを寸分の狂いなく魔物の群れの中でも大柄な個体……わたしたちの前方を塞ごうとする挙動を見せた魔物を余さず貫いていく。
魔法のコントロールも非常に冴えたものだが、この術師の特に優れている点は強化魔法の扱いだった。
バンダルが選出――老賢者の意志かも知れないが――した、わたしを含めた十数名の戦士ら全員へと筋力増強や魔力膜の鎧の付与を同時に行なっているだけでも離れ業だと思えたが、彼はさらに前線に立つ戦士それぞれの状況に応じた効果の増幅を行なっている。
例えばわたしが鋼鉄の鎧に狙いを定め、剣を振りかぶった時だ。
通常なら弾かれるか、良くて浅く沈む程度の結果しか無い攻撃だが、この老賢者は攻撃に合わせて強化魔法の効果を剣や腕へと集中させる。
するとわたしの剣はこの硬質な鉄をバターのように切り裂き、中の肉体ごと容易く両断せしめるのだ。
防御においても同様でいて、盾や防具で受けることが出来ない攻撃が迫るとその場所に魔力膜が集中し、不可視の鎧となり戦士の身を守る。
驚愕すべき完全な魔力制御だった。
さらにこの魔法使い……老賢者は前線に立ってさえいない。彼はバンダルの視界を介してわたしたちに支援を送っている。
島ひとつを容易く消失させる〝魔導〟のドラセナとは異なる方向ではあったが、この老人も相当の化け物には違いない。
「黒髪! 例の大物とは違うだろうが、つららを受けても走ってくる気合の入った巨人が居やがる!
お前が一番近い! 始末を頼む!」
視線を向けると何かの骨らしき巨大な棍棒を振り回す大柄な単眼巨人が見えた。
片腕では同胞らしき巨人を抱えている。動かないところを見るに死体か瀕死なのだろう。
「――すぐに2匹とも送ってやる。
了解しました。すぐに斬り伏せます」
短い魔法詠唱を口にし、土を固めた二枚の小さな足場を作り出す。
跳躍するとそれらに足をかけ、仲間の戦士たちや魔物の頭上を飛び越えるようにしてわたしは跳んだ。
わたしの目線と単眼巨人の目線とがぶつかる。彼の目は充血しきり、涙を浮かべているのが見える。
剣を上段から振りかぶるわたしへ向けて巨人が吠えた。風圧をも感じる怒声だ。血まじりの唾液が飛沫となってわたしの体を打つ。
「っ! くそ、振りが早い!」
視界の左下から振り上げられる棍棒が見え、剣の切っ先を巨人の頭から棍棒へと向けた。
鉄が軋む嫌な音を立てながら切っ先が骨に沈む。
体への直撃は避けたが勢いは消えはしなかった。自分が跳んだよりもはるか上へとわたしの体が舞い上がっていく。
「今の打撃に魔力膜の防御が無かったな……。老賢者、どうせ僕は避けると踏んでいたのかな? 期待してると受け取っておこう」
巨人が自身の頭上にあるわたしの姿を睨み据える。
そしてぼっ、と棍棒が突き出された。まともに受ければ即死だろうがやはり魔力膜が操作される様子は無い。
重力に引かれるがままに落下するわたしと棍棒の先端が触れる寸前、自分の体に寄せた剣の刃を棍棒の側面へ立てた。
強い衝撃が体を抜けていく。風圧がわたしの顔面を打ち、髪がかきあげられる。
死を間近に感じながらもわたしは恐れを押し殺した。
剣を棍棒へと押し込み、刃の痕を残しながら下方――巨人の顔を目掛けて落ちていく。
「……これで、終わりだ……っ!」
見開かれた目を目掛けて切っ先を向けた。
臓器はおよそ無防備だ。刃が沈む寸前、巨人と目が合い、感情にあてられたような錯覚があった。
生きたい、だとか、憎いとか。強い感情だ。
自分がやることを客観視したからこう思い込んでしまった、と置き捨ててもいい思いだったかも知れないが。
感情は複雑に入り混じり、走ったことは認めるが現実の結果はひとつだけ。
わたしの剣は巨人の目を貫き、大きな口から絶叫をあげさせると引き抜いた剣を勢いよく振って頭蓋を叩き割った。
老賢者はやはりこの戦闘を見ていたらしく、トドメの剣を振る時には強化魔法の作用を確かに感じた。
「はあっ! はっ! ぜえ……っ、どうだ? 結構深くまで進んだんじゃねえか?」
「そのはずよ。ここまで休みなくずっと前進してきたんだもの。
……後ろにくっついてた他の連中は全員脱落したようね。残ってんのはあたしらだけだわ」
魔物の攻勢が散発的になってきた頃に男女がそう話しているのが聞こえた。
二人の立ち位置とお互いのかばい方。それと声の調子から彼らはどうやら付き合いが長いのだろうと知れた。
「――黒髪」
「なんですか?」
<ヴァーリン>族の大男がぬっとその体を寄せて声をかけてきた。厳つい槍と趣味の悪いドクロの絵を描いた盾を携えている。
負傷らしい負傷は見当たらず、顔に汗もかいていない。
掘りの深い顔を神妙な表示にしながら彼は、
「後どのぐらい動ける見込みだ? あれだけ激しい戦い方をしているんだ。
体力が尽きそうなら一団の中央で少しでも休むべきだろう」
「バンダルさんがそう言っていましたか?
体力なら問題ありません。この程度なら後3時間は動けます」
「ほう……!」
返答が面白かったのか、男は口の端をぎゅっと吊り上げて愉快そうに笑みを浮かべた。
「ならば頼んだぞ。バンダルにはお前の噂話の尾ひれはより大きくするべきだと伝えておこう」
「はい、任されました。……どんな話になってるのか気になるな……」
不意に霧が割れたのはその時だった。
子供ほどの大きさの光が斜め上方向から数本射し込み、そのうちのひとつが大男の背中にあたった。
彼の上半身の大部分が消失するまでに1秒も掛からなかったように思う。
両肩から上が地面に落ちるまで誰も声を出せなかった。
支えを失った下半身が膝をついた時には全員が光から遠ざかろうと素早く距離を開けていた。
「っっ畜生! ンだこれはよぉ!?」
「魔法だろうな」
怒号へ向けてバンダルが抑えた声音で、しかしよく通る声で答える。
「魔物が魔法を使うだと!? この辺りでそれだけのバケモノが出たなんぞ聞いたことねえぞオイ!」
「やはりルヴェルタリアが没して以降、これまでの常識は覆されたということだ。
全員、聞け。
老賢者が指揮官らしき個体を捉えた」
「それは吉報ね。近いの?」
「吉報だとも。目と鼻の先に居るからね」
言葉が切れると同時、前方の霧の中に屹立する巨大な生物が見えた。
一本の細い柱のような姿……およそ人型とは異なる。高さはおよそ3メートル余。
体と同じように細い両腕は奇妙な形の杖を握っていた。
先端部分に虫眼鏡のようなものがいくつか装着されていて、観察している間にも透明なガラスが光を帯びていく。
全員が同時に危機を察知し、直後に射した光から逃げ走った。
ある者は怒号をあげ、ある者は戦闘準備を整え、わたしは剣を抜き、指先で胸の前で円を描くとぎゅっと握りこんだ。
そしてバンダルが言う。
「吉報があれば悪報もある。
すまないが諸君、あれはルヴェルタリアの〝大穴〟で見受けられる種だという話だ。
まず死闘になるだろうが、ひとりも欠けることなく切り抜けよう」




