149. 宙を駆け往くは竜狩りの
霧の怪物が跋扈する大通りに飛び出して剣術を振るって戦い、もう20体以上は潰した。
正確な数は数えていない。体の疲労の度合いからの計算だ。
もともとはただの灰色で。馬車が往き、人々が歩いていた街路はもうほとんどが血の色に染まっている。
それが人間のものか魔物のものかは分からない。ただ、この場が凄まじい戦場であることは確かだった。
戦いの規模ではない。これ以上に苛烈な戦いの場に立った経験は一度ないしは二度以上はあるからだ。
都市内で行われている戦闘という、この状況が凄まじいのだ。
戦うすべを持たない民間人は逃げ惑う。
戦える人間は彼らをかばって魔物と戦い、殺し殺されていく。
魔物は尽きることなく霧の中から現れ続けていく。
本当に無尽蔵にだ。対して人間の数は有限だし、体力の底だって当然ある。
足元に落ちていた布を手に取り――事切れた戦士が羽織っていたマントの切れ端だ――剣身にこびりついた脂と血をぬぐい、周囲の状況を確認する。
霧の中に姿こそ見えないものの確かな殺意をいくつも感じた。
このまま戦い続けていたら100体斬りの大台に届いてしまいそうだ。酒の肴に自慢が出来るな、などと考えてしまう。
「それも全部、生き残れたらの話だけど。
……あれだけ居た冒険者や連邦騎士も段々と姿を減らしてる。このままじゃジリ貧だな」
先日に〝鉄羊〟の拠点で耳にした話は事実だった。
<オランピア>の外壁から侵入し、都市内部にたちこめている濃霧から現れる魔物は、これまで出会ったどの個体とも違う性質を備えていた。
第一に外見だ。
誰かの悪夢からそのまま這い出てきたものだ、と言われれば素直に納得が出来るほどに醜く、おぞましい。
それらは例えば頭部が肥大した盲目の樹人。
丸太のように太く長い鼻を持つ巨大な昆虫の群れ。
背中から樹木を生やした、民家を七巻半もする体長のムカデ。
血錆びの浮いた大鉈を引きずる人間の子供――気配が尋常ではない。間違いなく魔物だ――といった手合いだ。
わたしはこの手の怪物を南方大陸で目にしたことはない。
魔物が醜悪な外見をしていることはザラにあることだが、しかしこれまで見てきた顔ぶれはもう少しマシな面をしていた。
本当に斬れば殺せるのだろうか、と不安になるほどに常識を揺さぶられた瞬間もある。
けれど――、
「……関係無い。生きてるなら殺せるんだ。
甲殻相手には関節を狙う。首を両断すれば片が付く。
いつもと同じだ。
とにかく急所を潰すんだ。急所、急所を……っ」
対峙した経験のない魔物が相手であろうともやる事は変わらない。
人の世界を侵す霧の魔物はひたすらに狩る。ひたすらに潰す。それだけだ。
「ふっ――!」
既に息を引き取った人間の死体を弄んでいた怪物に狙いを定める。
駆けながらも直剣を腰に溜めた構えをとり、間合いに入ったと同時に背骨を両断した。
そのまま片手を返し、絶叫をあげる頭と胴体を続けざまに離別させる。
瞬間、背後に殺気を感じた。首筋に浮いた汗が散る素早さで背後を振り返る。
人型の水晶が真後ろに居た。
一見すると趣味の悪い調度品のようだが、違う。
この水晶はただ直立しているようでいて全身をギチギチと震わせており、一瞬後、目にも留まらぬ速さで指の無い片手をこちらへ向けて突き出した。
剣山のように鋭い凹凸がわたしに迫る。言うなれば槍の穂先だ。
直感する。これはまずい。
姿勢――背中を晒している。
タイミング――振り返りざまに剣を当てれば弾けるか? いやダメだ。判断が遅かった。
とっさに背筋を伸ばして『く』の字の姿勢をとったのとほぼ同時、背中を水晶の槍がかすった。
背中の一部分に火傷のようなひりつく痛みが走る。肉をえぐられた箇所を想像し、失態に歯噛みした。
「危ないな……! っ!?」
右目だけの視界の左端――鼻梁の縁にもうひとつの殺気があった。
また人型の水晶だ。一体目と同様に片手を水晶の槍へと変えてわたしを狙う。
挟撃だ。
状況を認識する。
不意打ちだったなら喰らっていただろう。
だがこれは一度見ている。なら、やれる。少しばかり恐れはあったがやらねば生き残れない。
「喰らってたまるか!」
二体目の刺突はわたしの腰を狙っていた。
明確な殺意を帯びて鋭く伸びてくる水晶槍の穂先に左手で触れた。
一歩間違えれば腕と腰を同時に破壊される賭け――結果は勝った。そのまま左腕に全身全霊の力を込めて体を浮かす。
足元には一体目の伸びきった腕がそのままあった。繰り出すのは速いが戻りは遅いらしい。
わたしはその伸びた腕を蹴りつけ、宙を舞う。
足は天へ、頭は地へ。
天地逆転の体勢のままで右手に握った直剣を素早く二回振るった。
時折虹色の輝きを見せていた水晶の首に刃先が沈み、鮮やかに刎ねる。
それぞれの作り物の頭部がごろりと路上に転がるが神経は研ぎ澄ませたままだ。
二度ある事は三度ある、と言うが……果たして三体目は……、
「無いかな……?」
「ユーリくん! 念には念を入れて!」
後方――通り沿いの家屋に背中を預けていたビヨンが大声をあげた。
わたしとアーデルロールの二人を支援する、と自らの役割を宣言した彼女は魔法使いが使用する両手持ちのスタッフを掲げていて、その先端には水色と紫、それからオレンジ色の閃光がバチバチと弾けていた。まるで三色の小さな蛇が躍りながら互いを喰い合っているようにも見える。
「――伏せて!」
その稲妻が弾け、目にもまばゆい激しい雷光が杖先から放たれた。
路上に転がる複数の魔物の死体を――10から20体程度。だいぶ片付けたと思ったがまだまだ居る――雷光の槍、ないしは鞭は正確に貫き、打ち据えていく。
激しい熱かあるいは魔法的な効果によって真っ黒な墨のように姿を変えていく塊の中には、わたしが討った人型水晶の姿もあった。
「最初っから〝第三階位〟なんてとばしてるね。魔力は保つの?」
「大丈夫だよ。大きい魔法を使って体を慣らしておくと後で調子がいいんだ」
そう言うビヨンだったが、両手持ちの杖を支えにして立つのがやっとのように見えた。
あまり追求するところではないと思い、「分かった。頼りにするよ」と返すとアーデルロールの姿をわたしは探す。
街路に横たわる霧の先に、幾筋かの緑色の軌跡が見えた。
振るわれるたびに緑色の光は淡く残り、それが消えてしまう前に新たな軌跡が生まれていく。
アーデルロールによる風の斬撃だった。彼女は時に跳躍し、時に伏せ、あるいは舞うようにして霧の獣を次々に死体へと変えていく。
「すっごい速さだね。ユーリくんよりずっと速いよ」
「本当、とんでもないね。怪物狩りの本場の技だ」
血の暴風となったアーデルロールは通り一帯の魔物のおよそ半数を単身で始末すると魔力の刃を消し、短剣と長剣をそれぞれの鞘に納めるとわたしたちとの合流を果たした。
「通りはざっとこんなもんね」羽織った白いマントは返り血で赤く濡れていた。
「ねえ、アルルちゃん。今回の魔物はイリルで出てくるような個体だった?」
「違うわ。北の方はとにかく大きくてもっと獰猛だもの」
長い横髪をかきあげて汗を拭いながらアーデルロールは言う。
「さ、東区画へ行きましょう。この通りはもう他の連中に任せて――、」
突然に聞こえた大きな地響きがアーデルロールの言葉を遮った。
大地が強烈な何かに怯えるように震えている。石畳がカタカタと揺れ、目と鼻の先で木材が激しく軋む音がする。
バギリ、と霧のうすもやの先に見えていたアパルトメントが突如潰れた。
三階建ての屋上から地上一階までが一息にぺしゃんこだ。
わたしも、ビヨンも、アーデルロールも……きっと他の戦士たちもが見つめていたであろうガレキの上に凶悪なものが見えた。
人間大のサイズの爪。大型の民家ほどの太さはありそうな腕。
ひび割れた皮膚には剣や槍が突き刺さっているが、そのどれもが数百年前の代物のように錆びついていた。
想像を超える巨大な脅威を目の当たりにし、呆気にとられていると「むー、むー」といった呻き声が頭上から聞こえ、見上げると霧の中にせり立つトカゲの頭――例によって巨大だ――が見えた。
ぼとり、とこぼれ落ちた唾液が路上に落ちて石を溶かしていく。強烈な酸だ。
「なんっじゃこりゃ……」
白い喉をあらわにしながら真上を見上げ、つぶやいたビヨンの頭から魔法使いの帽子がはらりと落ちた。
アーデルロールがそれを拾い上げ、手の平でぱっぱと払うとビヨンの頭にぽすっと被せ、忌々しげに巨体を見上げる。
「こいつが例の『壁壊し』か。
なるほど、〝大穴〟で見れるような連中が出て来てるってのは確かだったわね」
「これはアルルの見知った相手なのかな?」
「面と向かったことはないけれど、そうね、似たようなデカブツの話は聞いたことあるわ」
「知ってたらでいいんだけど急所はどこかな」
「そりゃあ……」
はるか頭上で揺れるトカゲの頭からまた唾液が落ち、わたしたちに襲いかかろうとしていた魔物の上に直撃した。
絶叫をあげて小鬼があっという間に骨へと変わる。これは喰らいたくはない。
「頭でしょうよ。やるんなら登山よろしく、こいつの体を登る必要があるわね」
ずずん、とまたも世界が揺れた。地龍が歩を進め、また誰のものとも知れぬ民家数軒が圧潰したのだ。
「……<ハインセル>の巨人が来るまでもなく街を更地に出来そうな魔物だなあ……」
「そうさせない為にやるんでしょうが。
エイリスが居れば彼女の〝九星堕としの大戦斧〟で潰せたんだけどね……。
けどエイリスは前線で体を張ってる。ここはあたしたちでやるわよ!」
………………
…………
……
やるわよ! と言われた所で、どうやってこの地龍の背中に飛びつけば良いのかわたしには見当がつかなかった。
名だたる大木のごとき太さの前足に今から走って追いつき――あまりにも巨大だから歩幅もとんでもなく広い――、しがみつき、子供の頃に遊んだ木登りの要領でよじ登るか? さいわい、古人たちが打ち込んだとおぼしき剣と槍が皮膚と同化しているから、それを掴んでよじ登ることは出来そうだが。
ちなみにアーデルロールは軽快な身のこなしをいかし、壁を利用しての連続跳躍で地龍に飛びついていった。
今頃は甲羅の上を走るか、魔力の刃による攻撃を試みている頃だろう。斬撃が通じているといいのだが……。
一方のビヨンは杖を使い、わたしの足元に何かしらの魔法陣を描いている。
杖の底でこつこつと地面を打つたびに陣に淡い光が灯り、なにか強力な魔法が作用し始めているのが分かった。
「何やってるのこれ?」
光る線をつまさきで擦りながらわたしは言った。
「上昇気流を呼んでるの。ほら、下からぶわっと吹く風」
「渓谷で見れるやつだね。でもなんで今?」
「体を使ってえっちらおっちら登るのは面倒でしょ。
だからうちが手伝ってあげる。ほら、行くよ。準備してね」
魔法陣の輝きが増していき、ビヨンが「4、3、2……」と数字を数えていた。
「ちょっ――!」
「すぐに追いつくからね。上で待っててー」
足元が爆発した。
溜めに溜め込まれていた魔力が一気に解放され、噴出した風の力が人間ひとりをとんでもない速度で上へと吹き飛ばしていく。
風圧を受けて頬がぶるぶると震えてるのが分かった。
自然と体が丸まっていく中で薄目を開くと地龍の体高などはとっくに通り越していた。
「ビ、ヨン……! 高すぎるってこれは!」
この巨大トカゲが背負っているという岩山を視認した。切り立ち、連なる岩塊はまさしく山と呼ぶにふさわしい。
上昇が止み、急速に落下をし始めるとわたしは岩山に剣の切っ先を向けて刺突を放った。
が、金属音がむなしく響いただけだ。剣は弾かれてしまった。
どっと冷や汗が噴き出し、首筋と脇を濡らした。
命の危機を予感・想像して呼吸が浅くなる。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
もう一度岩山に剣を突きたてるか?
あるいは土を操り、足場を作るか?
後者は無い。もう無理だ。
魔法を正確に詠唱できるだけの余裕もなく、落着も間近だ。
きっとまばたきひとつの間に、このバケモノトカゲの背中に叩きつけられて重症を負う。
怪我。怪我か。
回復魔法の作用が弱い今、重症を負うことは避けたかった。
忌々しい<ハインセル>の呪いめ。原因は不明だが早く消え去ってほしいと心底思う。そうすれば回復の魔法は正しく作用するのに。
と、前触れもなく自由落下が終わりを告げていた。頬を切る風も、服をばさつかせる風もない。
代わりに感じるのは横方向への滑らかな移動だった。
「――――大丈夫か? 坊主。
飛竜の相方も居ねえのに空に飛び上がるたあ、てめえは竜騎士志望か?」
深みのある重く低い声……俗にいう渋い声がわたしの耳に届く。
自分が今いる場所を見回す。
左右に見える一対の翼。翼膜が風を捉えて綺麗に張っている。
後方には白色の尻尾。根本から先端に向けて細まり、深紅の尾びれが中心に沿って並び生えていた。
これは――翼竜だ。わたしは翼竜の背にまたがっている。
「ハッ! あのルヴェルタリアが半べそをかいて『助けてくれ』などと言うもんだからよお、
どんな野郎が相手なんだと興奮しちまってな! 文字通りに飛んできてやったよ! ハハッ!
したらどうだ、ただの地虫が並んでいるだけときた! 北はこんな雑魚に苦労してんのか!?
なあ、おい坊主! 生きてんだろォ!?
拾ったのが死体だってんなら邪魔だからこのまま落とすぜ!」
「生きてます、生きてます!」
翼竜の手綱をにぎり、自由に霧中を飛ぶ男は二足歩行のウサギの亜人<ラビール>族だった。
わたしの腰ほども無い背丈の彼は鱗を組み合わせた軽鎧で全身を覆い、身長の二倍ほどもありそうな長大な槍を背中に背負っていた。
「その出で立ち……あなたは<ファイデン竜王国>の竜騎士――」
「ハッハハァッ! ご名答だぜ!
竜を駆っては龍を討つ、蒼天の国<ファイデン>の竜騎士だぜ、わしはな!
我らが誉れを見よ。星の槍は五神の座へと届かん――ってな!
わしの名はバレンドール・デュラン! 霧を吹き消しに推参したぜ、おい!」
――バレンドール・デュラン。
心をざわつかせる名だった。どこだ。どこで耳にした?
記憶を手繰る。薄闇の記憶の戸だなを揺らし、そして――、
「〝紋章〟所有者。レオニダス王が言っていた……!」
「てめえ、レオの知り合いだったのか?
んなら丁度いい! 聞きてえことがある……んだがな。
くそったれのトカゲめ。街をばかすか踏み壊しやがってからによ。
まずはあれを黙らせてくるわ。話はそのあとにすんぞ」
言ってデュランが翼竜に合図を送ると竜はグルグルと身震いをし、喉を鳴らして返事をあげた。
続けて彼はわたしに赤茶色の手綱を突き出し、手渡した。
「ん」
<ラビール>に特有のウサギそっくりの鼻がひくひくと動いている。
「え? な、なんですかこれ」
「手綱。こいつの」
翼竜が「クアァ」と甲高い声で一鳴きした。
「手綱って分かんだろ? 馬とか竜を操るアレだよ」
「それは分かっていますけど、え、その、僕は竜を操った経験はないですよ」
「落っこちねえように握ってりゃあいい」
デュランは巻きたばこを咥えていた。
紫煙を薄く吐き出す彼が翼竜の背の上ですっくと立ち上がり、背負っていた槍を手に取ると器用に一回転させる。
「三秒で戻る」
「ちょ――、」
ぱっ、とバレンドール・デュランが姿を消した。
彼が立っていた場所――わたしの目の前だが――にはタバコの煙がまだ少しばかり漂っていて、彼が幻でないのだと教えてくれる。
一瞬後に地上で絶叫があがった。野太く、おぞましい断末魔が<オランピア>という都市全体を震わせるようだった。
翼竜の首越しに下を見たわたしは、あの地龍が地に伏せる場面を目撃した。
背中と頭部にそれぞれ大穴が空いている。
地上を濡らす血液の量は致命的……絶命しているといいのだが、果たしてどうか。
「うちの〝ファーレンハイト飛行隊〟が空を舞って敗けた戦いは一度も無い。
霧こそ払えやしねえが、我らが槍は巨人だろうが真龍だろうが必ず穿つぜ。
さあ、祭りの時間だ。やろうぜ、同志。戦いは好きだろう?」
地上からどう戻ったのか。デュランはいつの間にか翼竜の背に戻っており、ウサギの顏に似合わぬタバコをふかしてニヤリと笑った。




