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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
152/193

148. 圧壊


 霧の到来を告げる警鐘は多くの場合において混乱をもたらす。


 宿屋に引き返して装備を着込み、いざ酒場へ向かわんとしたわたしたちが目の当たりにした周囲一帯は混乱と恐怖の気配に満ちていた。

 叫び、嘆き、飛び交う暴言。破滅的な予感。


 逃げ惑う人々の大半は街の中央――コロセウムや行政施設といった大きな建物が並ぶ<オランピア>の中枢だ――を目指しており、外縁部に居を構える酒場へ向かうわたしたちとは逆方向だった。


 老若男女が作り出す人の大河。家財を積んだ荷車が時折通りを横切る光景を見つめていた。


「まるで激流ね。遡上する鮭のマネしてバカ正直に歩く必要なんてないわ」


 アーデルロールは呆れた声でそう言うと両足に風の魔力をまとった。

 脛のあたりにほとんど透明な緑色の筋が現れ、やわらかい風を頬に感じた。


 彼女は跳躍すると民家の壁を蹴って跳ね、また別の壁を蹴るとあっという間に建物の屋上へと到着した。

 赤レンガ造りのテラスからひょいと顔をのぞかせると「ぼけっとしてないでサッサと行くわよ」といつもの調子で言う。


「足場を作らなきゃな……」

「うちがやろうか?」


 横に立つビヨンが魔女帽子のつばを親指で持ち上げ、上目遣いでわたしにそう言った。

 わたしがまだ本調子ではないと思い、土の魔法で足場を作るのは自分がやる? とビヨンは訊いているのだ。


 少し迷ったがここは好意に甘えておくことにした。

 土属性の魔法の扱いはわたしの得手だったが、片目が使えず他の不調もある今、どんなミスがあるか分からない。


 お願いするよ、と答えるとビヨンは木製の杖の先を前へと向けた。

 それから簡単な詠唱文言を口にすると民家の壁が変形し、足場どころか立派なハシゴがあらわれた。地上から高さ四階程度の屋上まで真っすぐに伸びる土製のハシゴ。早業とは思えない完成度だ。


「土が僕の取り柄だと思ってたけど、この分じゃ剣しか取り柄がなくなりそうだな」

「うちは剣が出来ないんだからあいこだよ。

 皆の役に立ちたいから毎日勉強してたんだから。ほら、行こ。アルルちゃんが上で待ってる」


 つい先日の<ハインセル>領内でもこうして民家の屋上を駆け抜けたな、と思いつつ家々の間を跳んで<オランピア>市内を抜けていく。

 空はとびきりの曇天。

 街の背後にそびえる黒色の活火山――<イヴニル連山>がその黒い影を、裾野に広がる街へと落としているのが目についた。



 冒険者や騎士とおぼしき物々しい出で立ちの連中でごった返している区画を見つけるとわたしたちは地上へと降りた。

 対霧防衛戦への参加証明書は既に発行されているらしく、何軒か並んだ酒場から出てくる者は誰しもが手のひら大のぺら紙を持っていた。


 わたしたちも周囲の人々に倣い、適当な酒場の入口をくぐると新たな戦力を見つけた連邦執政官から人数分の参加証明書を押し付けられた。

 朱色のスタンプはすっかり押印済み。ついでに言えば『私は戦闘中の大怪我・死亡などは自己責任として受け止め、連邦に文句は言いません』といった文言の箇所には国家の名前が記されており、つまり後先考えずにとにかく戦ってこいということだった。


「なんだか非人道的な感じだね……」


 ぺら紙をめくったビヨンが陰鬱な感じで言い、手帳に参加証を挟む。


「こうしている今も外では戦闘が行われているから、連邦としてはどんどん戦力を投入したいんじゃないかな」

「でも焼け石に水ってこともあるよ?

 束になってかかっても勝てないような魔物も出て来てるって言ってたし……。なんか嫌な予感がするな、うち」

「〝鉄羊〟とファイデンの竜騎士まで出張るんだからきっと大丈夫よ。

 それにあたしたちが〝精王〟と契約すりゃあどうにかなるわ」

「そのためにはコールとギュスターヴさんと合流する必要があるわけだけど――、」


 わたしは窓越しに空を見上げた。

 街の上空では灰色と黒い雲が渦を巻くように溶け合い、禍々しさが刻一刻と増していく。


「あの二人、そもそもこの状況じゃ街に帰って来られないんじゃないかな」

「……一理あるわね」


 整った顔に不似合いなシワを眉間に作ったアーデルロールがぼそりと言った。

 

「――姫様?」


 何者かがこちらへ向けて明確に声を発した。声の方向へ顔を向けると店内の片隅からひとりの騎士がやってくるのが目に入る。

 ロウソクの明かりに照らされた鎧は銀の色――ルヴェルタリア騎士だった。


「ひめ――はっ」


 公共の場でアーデルロールを『姫』と呼んではならぬ、という団長の厳命を思い出したのか、騎士は唇を横一文字に引き結び、がちゃがちゃと金属鎧に特有の音を立てながら近寄ってくると、


「どうしてここにいらっしゃるのですか! エイリス団長が『戦いに出てはならない』と言っていたでしょう!」

「ルヴェルタリア騎士の誓いに従っただけよ。

 戦えるだけの力があるってことは、周りを助ける責任もあるってことよ」

「それは我らに任せてくださいと……。

 あなたの身を案じているからこそ団長はああ言ったんですよ。

 その気持ちが分からない貴方ではないでしょう?」


 言われ、アーデルロールは腕を組んだ。『分かってるわよ、そんなの』と言いたい時の彼女はだいたいこのポーズをとる。


「……分かってるわよ。

 じゃああたしたちは壁内の防衛要員を務めるわ。……外はあなたたちに……ルヴェルタリア騎士に任せたわ」


 唇をとがらせながらの言葉は相当に不満げなものだったが、酒場で無茶の算段をつけている主君を見つけた一介の騎士にとっては満足のいく回答だったようだ。

 彼は一瞬だけ顔をほころばせ、しかし次の瞬間には鋼のような硬い面持ちをして「我らが誓いにかけて。では」


 そう言い残すと足早に酒場を後にした。


………………

…………

……


 街に大勢いた連邦騎士たちは誰もが口を揃えて『門へと向かえ』と言っていたがわたしたちが指示に従うことはなく。

 連邦発行の安いぺら紙を手にいれたわたしたちは酒場を出るなり、都市を囲む壁のてっぺんに建設された監視台を目指した。


 螺旋階段をぐるぐると回りながら登り、辿り着いた監視台には兵士と戦況を確認に訪れた戦士の類が既に十数名いてぎゅうぎゅう詰めだった。

 それでも人をかき分けて窓辺に位置を確保し、三人で顔を寄せて外を見る。


 眼下に広がる霧は黒混じりの灰色。

 足の速い遅いは読めなかったが、これは間違いなくあの濃霧だと確信できた。


「戦いは見えないわね。ビヨン、遠見の魔法で見れる?」

「んん……やってるけどダメっぽい。霧が濃すぎて何にも見えないよ」


 片手を丸めて作った筒を目元にあてがったビヨンが残念そうに言う。


「このまま待機かな」

「そうね。前線が突破されるようなことはないでしょうけど、いざって時はあたしたちの出番よ」

「出来ればそんなことが起こらないといいんだけどねー」

「――壁が崩れた! 壁が崩れやがったぞ、畜生っ!」


 監視台の扉をぶち破らんばかりの勢いで飛び込んで来た男が大声をあげたのはそんな会話をしていた時だった。

 例によって場の空気は氷のごとくに冷えてしまい、今しがた階段を全力で駆け上がって来たとおぼしき男が荒い吐息まじりに発する言葉が自然とよく通って聞こえる。


「東区画の壁がぶっ壊された! 住民が大勢……ああ、くそったれ! 魔物の野郎!」

「落ち着いて事実だけをしっかり教えて」


 男のそばにアーデルロールが駆け寄り、震える肩に手を添えて言った。

 彼女の言葉には自信を持たせる力がある。男の震えは次第に静まり、やがて言葉を区切りながら事実を告げた。


「北の……イリルで現れるような馬鹿でかい地龍の怪物が現れやがったんだ。

 山みてえに大きな甲羅を背負ってた。壁ほどの背丈がありやがる、本当だ。

 四つ足のあいつにはどんな剣も槍も矢も弾かれた。奴がしたことはただ前に進むことだけ。

 だが誰にも止められない。あいつは壁に触れて、体重をかけた。それで……」

「壁が崩れたのね」

「そうだ。魔物もしこたま入ってきやがった。今頃街の中は地獄だぜ」

「……分かったわ。伝えてくれてありがとう」


 男を労うとアーデルロールはわたしたちを――いや、監視台に集った全員を眺め見た。

 彼女と縁もゆかりもない戦士や騎士たちが吸い寄せられるように視線をアーデルロールへと向ける。

 正確には彼女の両目へと。


「みんな、今の話は聞いたわね」

「全員くたばるって話だろ? ああ、しっかり聞いたぜ」

「くたばる? いいえ、今聞いたのは剣を振るに足る理由の話よ。

 街に魔物が入り込み、住民が襲われている。今この瞬間もね。

 腰に剣を吊ったあたしたちには戦う力があるわ。

 なら、やるべきことは決まってる」


 鞘に収めた短剣に素早く指を伸ばし、柄を握るとアーデルロールが音も高らかに刃を抜いた。


「こんな監視台でぼけっとしてる場合じゃないってことよ!

 どうせ放っておいたってくたばるんなら、魔物どもに一矢報いてからくたばんなさい!

 死んだら終わりなのは確かだけれど、上手く生き抜けば報奨金はきっと山ほど出るわよ!」

「おいおい何なんだよあんた。小娘のくせに随分威勢がいいじゃねえか」

「あたしが誰かなんてどうだっていい話よ! じゃあね、先に行くわ!」


 そしてアーデルロールは扉を内側から蹴破り――文字通り、物理的に蹴破った――宙に身をおどらせた。

 風の魔法によるものか、その着地はまるで衝撃を感じさせず、むしろ勢いを駆って彼女はぐんぐんと加速して街を目指していく。


「僕たちも行こう、ビヨン」

「うん! あ、でもちゃんと階段使うよね?」

「そりゃ勿論ね」




 既に街の内部には濃霧が入り込んでいた。

 家屋の窓は割れ、扉には巨大な爪痕が刻まれ、街路には赤黒い染みが点々と塗られている。


 先行したアーデルロールはその中で剣を振るっていた。

 左手で振るう短剣の刀身は風の魔力によって延長され、腰ほどの背丈をもつ小鬼の首や頭部を正確に貫き絶命させていく。


「遅いッ!」


 わたしとビヨンの姿を見るなりアーデルロールが吠えた。

 謝罪の他に何か気の利いた一言を返したかったが、民家の間から飛び出してきた魔物――五つ足の大型魚だ。口を開くと全長の半分近くまで胴体が裂ける恐ろしい風貌をしている――を居合の動作で両断したことで浮かんだ言葉は泡となって消えた。


「初めて見る魔物だね」

「ビヨン、あまり近づかない方がいいよ。

 倒されると死体が破裂して毒を撒き散らしたっていう例があるんだ」

「うん。大丈夫、泥に沈めるだけだから」


 杖の底でカツカツと石畳をビヨンが打つ。すると死体を中心に石畳がどろりと溶け、突然に現れた底なしの沼に大型魚の姿が飲み込まれ、消えた。


「ユリウス。ビヨン」アーデルロールが駆け寄ってくる。

「問題の区画はここから先よ。いくつかの大通りと公園を抜けた先に東区画はあるって兵士が言ってたわ」

「分かった。すぐに行こう」

「十分気をつけてね。特にユリウス、あんたは左が見えないんだから無茶すんじゃないわよ」

「出来るだけ努力するよ」

「減らず口。んじゃ行くわよ」


 ああ。

 そう答えようとしたわたしは右目の視界の中にあの姉弟を見た。

 見間違いではない。二人はあの喫茶店の表に立ち、お互いの手をぎゅっと握りながらわたしに視線を向けていた。


「アルル、ビヨン。ごめん、少しだけ待ってほしい」

「何よ? ん……ああ……分かった。二分だけ待つわ」


 アーデルロール。それからビヨンの二人は即座に察した。正解に行き着いたのかは分からないが、気遣いがありがたい。

 二人に駆け寄ると少年は一層強く姉の手を握ったのが分かった。

 わたしが片手に握った剣が恐ろしいのだろうか? だがこの街は既に戦場だ。剣を鞘に納めるという選択肢は存在しない。


「戦うの?」


 開口一番に彼は言った。

 

「そのつもりだよ」

「壁よりでっかい奴が出たんだよ。勝てないよ!」


 彼の視線がわたしの持つ直剣に向かった。それじゃ無理だ、とでも言いたげに。


「それでも行かなきゃいけないんだ」

「なんでさ!?」


 なんで、か。どう説明したものか。

 こういう時に自分の思いを言葉に変換できないのが何とも歯がゆい。

 わたしは少しのあいだ――自分としては一瞬だった――言葉を探してから、


「僕は君ぐらいの年頃に〝霧払い〟に憧れたんだ。

 それから剣を学んだ。戦えるようになった。誰かを守れるようになった。

 だから……行かなきゃ」


 上手く伝わったかどうかは分からない。

 分からないが、少年が言葉を受け止めるように押し黙っていたからきっと幾らかは伝わったのだと思いたい。


 ちらとアーデルロールの方を見ると視線が合った。親指を立てた彼女が通りを指す。『行くわよ』の合図だ。


「じゃあ行くね。

 君たちは無茶をしないように。確か<オランピア>の中枢区画に人々が集まっているって話だからそこに向かうといい。

 今ならこの近くに連邦騎士がたくさん居るから助けを求めるんだ。きっと送ってくれる」


 言い残してわたしは踵を返し、ビヨンたちのもとへ戻ると大通りへと飛び出した。

 視界に映るのは剣戟と決着。生と死のみ。

 魔物と人間の闘争がこの場にあり、霧はすべてを包んでただじっと横たわっている。


 平穏は既にない。ここから先は血風の舞う戦場だ。

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