144. 「二度と名乗るな」
〝悪竜殺し〟のもとまでおよそ三十歩余り。
大剣を握った奴の足元に十名ばかりの参加者が倒れているのが見える。
〝悪竜殺し〟は今も斧を振りかぶった戦士を相手どっていて、互いの得物を数回ばかり音も高らかに打ちあわせると、おもむろに戦士の横腹へと素早い斬撃を打ち込み、その一刀をもって見事に倒してのけた。
観察した限りではあるが、彼は手練れの剣士のようだ。
剣を振り回す際の腰はしっかりと安定していて、大剣の重さを両手で制御できている。
名ばかりの素人でも駆け出しの剣士でもない。
剣の道で糧を得ている、本物の剣士だ。
敵を倒し、次の戦いに備えて息を整えている彼。
垂らして握った直剣の切っ先をガラガラと引きずり、地面に直線を刻みながら真っ直ぐに歩くわたし。
必然といえば必然なのか、両者の視線が交差した。
わたしはまだ見える右目で奴の顔を視認する。
奴はわたしを認め、瞳の奥に戦意の色を見せる。
『〝悪竜殺し〟ニルヴァルドのもとへと黒髪の剣士が近づいていく!
先のルヴェルタリア騎士との打ち合いを見ていた他の戦士はどうしたことか、彼に近寄っていきもせず! 静観に徹しているぞぉ!』
かちり、と思考の歯車が噛み合うのを感じた。
〝悪竜殺し〟の名を騙る人物。
大仰な二つ名を背負いながらも大衆には決して偽物ではなく、嘘偽りのない確かな本物であると信じ込ませるに十分な実力の持ち主。
男の名はニルヴァルド。
そうか、あの男がニルヴァルドか。
その名前はよく覚えている。子供の頃、街の書店の本棚に収まっていた近代書に名前が記されていた。悪竜殺し。ミストフォールを終わらせた英雄の名として。
なるほど。では彼は本物だ。わたし以外にとってはまず間違いなく、本物の英雄。正真正銘、世間に認知された〝悪竜殺し〟に違いない。
苛立ちがふつふつと湧き上がるのを実感しながら、わたしはお互いの声が十分に届く間合いまで歩き進んだ。
彼が大剣を握り、剣先を起こすのをぼやけた視界で見ながらわたしは口を開く。
「あなたの名前は耳にしたことがある。
ニルヴァルド。
<ミストフォール>を収束させたとして歴史に刻まれた男の名だ。
周囲があなたに授けた二つ名は〝悪竜殺し〟。
連邦が生んだ最も新しい英雄。最新の伝説だ」
顔の半分と左半身を血に濡らすわたしの姿がニルヴァルドの目にどう映ったのかは知らない。死神に映ったかも知れないし、自分の舞台で好き勝手に剣を振り回すイカれた男に見えたのかも知れない。
可能性についていくつか想像はしたが実際のところはどうだって良かった。結果としてこの男がわたしに下す評価などは気にしない。
「俺を〝悪竜殺し〟と知って挑んでくる奴は相変わらず後を絶たねえな」
ニルヴァルドが言った。
「聖王国の騎士。特等の冒険者。帝国の戦士。
世界のあちこちから様々な奴が挑んできたが全員叩きのめしてやった。
悪竜を征伐した時に手に入れたこの大剣で、全員をだ。
見たところ、小僧、お前も随分やるようだが――、」
片手を大きく広げ、大げさな仕草で会場全体を見渡して、
「ここじゃ俺には勝てねえよ。
コロセウムは俺の城。その上ここはかつて自分の手で救った連邦領土だ。
そこいらの有象無象とは集中と覚悟の度合いが違うんだよ。
ここじゃあ誰にも。俺には。勝てねえ」
「あなたに言っておくことがある」
引きずっていた剣の先を静かに上げ、剣身の先にニルヴァルドの調子付いた顔を捉えてわたしは告げる。
口にするべきことを。言うべきことを。
「僕は本物の〝悪竜殺し〟を知っている」
「あァ……?
はっ! 寝ぼけたことを抜かしやがる。俺が偽物だとケチつけにきたのか?」
「ケチ?……ケチと言えばそうかも知れない。
僕は〝悪竜殺し〟を名乗るあなたに相当にイラついてるから。
人の気も知らないで得意になっているあなたを叩きのめしたいのかもしれない」
「意味がわからねえ」
ニルヴァルドはあざ笑っていた表情をひそめ、代わりにあからさまな警戒の気配を全身にくゆらせた。強者を前にしたそれではなく、不審者を見る時に特有の顔だ。
「第一偽物だ本物だと? いきなり出て来て何を抜かしてんだテメエは。
〝悪竜殺し〟のニルヴァルド様はこの俺ただ一人だってんだ。
なにせこっちは連邦から直々に二つ名を授けられてんだからな」
「――……本物かどうかはすぐに分かる。判断するのは――、」
言うやに一歩を踏み、二歩で跳び、三歩で眼前へ迫る。
驚きに目を見開いたニルヴァルドの顔から視線を外さず、気持ちを冷静に留まらせ、剣を握る手に力を込めた。
「この僕だ」
彼の顔を両断するつもりで横一閃を斬り放った。
直後に響くのはカンッと小気味の良い金属音。ニルヴァルドがわたしの剣を確かに受け止める。
「いきなりかよ。随分なご挨拶だな、おい!
言葉じゃなく剣で俺が『本物』だと証明しろってか!?」
「賢者は言葉で。剣者は剣で。このやり方が一番分かりやすい」
「あんま楯突くと連邦が黙ってねえからな。覚えとけよ、ゴルァ!」
わたしの剣を弾き上げ、ニルヴァルドが大剣を横に振るう。するとその剣先が風を巻き、宙へと浮いた砂埃をまとった大剣がわたしの左眼めがけて振るわれる。
死角からの攻撃を躊躇なく実行する点は剣に生きる者のそれだった。ニルヴァルドは見栄よりも確実な勝利を獲らんとしている。いい剣士だ。
迫る剣を右目で追い、横に倒した剣の柄頭を攻撃の軌道上に向けて彼の一撃を止めた。
やるな、と彼のつぶやきを耳で拾いながらカウンターを狙う。
返す刃で首へと仕掛けた。ニルヴァルドの防御は間に合わず、剣が打ち込まれた彼の首に血がにじんだ。
放った刺突が吸い込まれるように彼の胸に入り、胸当てがおおきく凹む。
「速ぇっ! くそがっ、舐めんじゃねえぞ!」
「……」
下段からの鋭い斬り上げを半身をひねって躱し、跳ね返るような速度で振り下ろされた斬撃は剣の横腹を叩き、軌道を逸らしてやり過ごす。
ニルヴァルドの剣は強く、速い。直前の二連撃にいたっては達人のそれだ。
おそらくこのコロセウムの試合では彼に勝る剣士はそう居ないだろう。常人の世界では彼はきっと強者に位置すると心中で勝手に想像をした。
「このっ! 野郎があっ!」
空気を巻く独特の剣術を受け、流し、時折カウンターを打ちながらわたしは納得した。
マールウィンド連邦という国家がこの男に表向きとして〝悪竜殺し〟の名を授けた理由と、彼がその強者の名を今日まで失わなかった理由の二つを察したのだ。
「およそ二十年前」
「あぁ!?」
「あなたは連邦に〝悪竜殺し〟を名乗れ、と半ば強制の指示をおそらく受けた。
いや、打診かも知れない。とにかく連邦からの干渉があったはずだ」
鍔迫り合いの中で彼にだけ聞こえる声量でわたしは言った。
汗に濡れた彼の顔に確かに驚きが見え、
「んなもん……俺ぁ連邦からこの名を授けられたと言ったはず――、」
「もういいですよ、そんなことは。連邦の上層から話は聞いています。
本物の〝悪竜殺し〟の名はフレデリック・フォンクラッド。
ルヴェルタリアからの密使と協力し、<ミストフォール>を払った本当の英雄だ」
父の名を聞いた途端にニルヴァルドの悪辣な顔に大きな変化が起こった。険しい眉根があがり、薄く開いた口は確かに「フレデリック」とつぶやいた。
だが心中の揺らぎはさざ波のようなほんの一瞬の出来事だった。
彼が後退ざまに放った横薙ぎをとっさに屈んで躱し、わたしはニルヴァルドの片腿を直剣の潰れた刃で強く打つ。
防具に覆われてない部分を打たれた彼はひるんだが膝を突きはせず、どころか屈してなるものかと力強い打ち込みを返してきた。
一撃を剣で受け、再度の鍔迫り合いが始まる。ぎちぎちとお互いの鉄が噛み合う中で彼はわたしに問いかけた。
「よく知ってやがる。まさか連邦が寄越した刺客か何かか?
まさか〝悪竜殺し〟が用済みになったわけじゃねえよな」
「とんでもない。そんなことには決してさせない」
剣が離れ、左右の二連撃が神業染みた速度で繰り出された。
「……くそが! 確かに俺は<ミストフォール>の最中のハインセルには出張ったが、悪竜をのしちゃあいねえよ。
フレデリックだとかいう黒髪の剣士の功績を背負えと連邦に目をつけられたのもたまたまだ! それでも俺はこの名を守ってきた! 誇りにかけて!
どうだ!? 不満はあるかよ!」
「不満ならある」
当然だ。
「あなたは世間的には〝悪竜殺し〟を名乗るに相応しい実力者かも知れない。
知れないが、本物の剣を知っている僕にとってはその弱さが我慢ならない」
素早い斬撃を防御し、流し、攻防の隙間に言葉を交わす。
「ふざけやがって。俺が弱いだと!?
あぁ、確かにテメエは強い。だがよ! ここで俺を打ち負かしてどうする?
今度はテメエが〝悪竜殺し〟を名乗るか? あぁ? 望みはなんなんだよ!?」
「望みはただ一つ。僕はあなたに二度と〝悪竜殺し〟を名乗って欲しくない」
「っ! 速いっ!?」
腰を落とし、やや下段寄りの切り上げで奴の防御の構えを崩し、返す刃で二の腕を潰す勢いで一撃を叩き込む。
高速の二連撃を受けてあからさまに怯んだニルヴァルドへと、わたしは血濡れの顔をじっと向けた。
「あなたも強い。強いがフォンクラッドの剣には決して及ばない」
続けざまにいくつかある隙へ目掛けて容赦無く直剣を振るう。
空いた脇腹。注意の回っていない右手首。やや出すぎている足の甲。
「がぁうっ、くっそがぁっ!」
膝をついた背中に大上段の一撃を振り下ろし、鈍い音を立てて地面にうつ伏せたニルヴァルドを見下ろし、わたしは告げる。
「この場の賞金は要らない。勝利も要らない。俗なものはあなたに一切を譲る。
代わりに二度と〝悪竜殺し〟を名乗るな。それだけだ。
例え連邦の命令だとしても、二度と名乗るな。
今後、あなたが〝悪竜殺し〟を名乗っているのを見聞きした時には容赦をしない。
……この話を受けるなら起き上がりざまに僕へ剣を打ち込み、受けないのならばそのまま倒れていてください。返事は二つに一つです」
強い舌打ちが聞こえた直後、わたしは彼の答えを見た。
返答は前者。
苛立ちと不満、怒りといった様々な感情がないまぜになった渾身の一撃を彼はわたしの横腹へと起き上がりざまに打ち込み、わたしは受け身や防御を一切取らず、少しの距離を吹き飛び、転がり、地面の上に仰向けに倒れた。
それで終わりだった。
司会の声と場内の大歓声がとどろき、曇り空へと消えていく風船の群れを見送り、大コロセウムでのわたしの戦いはそうして終わったのだ。
………………
…………
……
「ユリウスさん? ですよね。
あなた、呪いか何か受けた経験はありますか?」
結局ニルヴァルドが優勝をおさめた戦いの後、負傷者でごった返す治療術室でわたしはそう訊かれた。
「え?」
質問を放ったのは、正直に言って直視しがたい状態になっている左顔面の傷へと向けて、せっせと第二階位相当の回復魔法を唱えてくれている<五神教>所属の回復魔法師だ。
教会指定の青い制帽を被った若い女――同い年に見えたからきっと十五歳ぐらいだろう――は汗を拭いながら、
「回復魔法の効果がものすごく薄いんですよ。
ほら、鏡を見てください。『うわ……』じゃなくて。あなたの傷ですよ。
ひどい出血は引きましたが、それだけです。
相変わらず微量の出血は続いているし、裂傷はまるで閉じていません」
「自分のことながらひどい具合ですね」
「でしょう。最近どこか怪しい場所に行きましたか?
曰く付きの古王の墓所とか、西大陸のダンジョンとか」
「ハインセルに……しばらく居ました。怪しげなところは――」
〝水精王〟の領域に居た、とは言わない方がいいだろう。きっと怪しまれる。
「いえ、そのぐらいですね」
魔法師はペンを指先でくるくると回すと何か薬品の名前が列挙された紙にチェックマークや丸印を書き込み、
「ああ、そうですか。ハインセルに……。
ハインセルに!? ならこの呪いも納得ですね」
「納得なんですか。それはどうして」
「あの領域は何が起こるか分からないからですよ。
残念でしたね、ユリウスさん。今回は魔法での回復は見込めませんから、」
薬品棚を開くとガサゴソと魔法師の女は物色をはじめ、
「実験的な方法で治療しましょう」
持ち出したのは包帯と針。それから沸騰する薬品や白い布。
用途は不明だが、負傷者を前にしてニコニコと笑う女からは不穏な気配しか感じなかった。
わたしは「このぐらいツバつけとけば治るんで帰ります」と席を立とうとしたが稲妻のような速さで腕を捕まれ、そのまま両手に鉄製の枷をはめられた。
なんなんだこれは。医療室にあっていいものなのか。
「この技術は『外科手術』というんですけどね」
よく研がれた銀色の小さなナイフがキラリと光る。怖い。
「回復魔法を使用する魔力が枯渇した場合の治療手段として研究が進められているんですよ」
研究段階の技術の実験台になるなんて本気で嫌だった。
立ち上がろうとしたが、早業で装着させられた足枷がガチャガチャと鳴るばかり。虜囚か、わたしは。
「私は何度か研修で勉強しただけですが、大丈夫。基本は押さえてます。
それにまあ今回は縫うぐらいで済みますし、そんなに緊張しないでいいですよ」
「いやいいですよ。ほんとに、もが」
続けざまに口枷を嵌められて異論さえ挟めなくなる。
今更になって顔の傷は痛んでくるし、精神的には追い詰められるしで段々と生きた心地がしなくなってきた。
「じゃあ始めますね。痛みを鈍化させる薬品は切れていたので、申し訳ないのですけどもこのまま我慢してくださいね。男の子ですし大丈夫ですよね?
ああ。可哀想。この傷が残ったらせっかくの顔が台無しですよ」
「ももがもがが、んんん! がも、んん!」
「はいはい。じゃあ始めますからね。私に任せてください」
………………
…………
……




