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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
147/193

143. 自分の位置


 初速は遅く、しかし振りの半ばから剣速が強烈に増す。

 ウェインの剣筋は緩急の差が大きく、受けるわたしの側から言わせてもらえばまるで鞭を相手にしているような奇妙さがあった。


「武器は僕と同じ直剣。

 だっていうのに本当に複雑な剣筋だ。あたかもしなっているように見える」

「この振りが癖づいていてね」


 盾が無い現状では彼の斬撃を剣身で受け止めるしかなく、金属音が響く中で守勢に徹しているとウェインがぽつりとそう言った。

 声音に乱れはない。初めて挨拶を交わした時と変わらない、穏やかな声だ。


「エイリス団長に仕込まれたんだ。

『最初は溜めを作るつもりで柔らかく剣を振り、狙いを定めたら両断するつもりで全力で振り抜け』とな。おかげで私は今日まで生きている」


 どおりで毎度毎度、尋常じゃない衝撃が剣から腕に伝わってくるわけだ。

 怪物の強靭な首や四肢を両断する日々を送ってきた現役のルヴェルタリア騎士の斬撃は凄まじく、重い。

 ハインセルの地下で相手にしたメルグリッドの剣ほどでは到底ないが、常人の域からはおよそ外れた剣圧だ。


 これを受けることは不可能ではないとはいえ、延々と受ける側に徹していたら近いうちに剣が本当にダメになる。


 途中、周囲の試合参加者の乱入や横槍を危惧していたのだが、彼らが戦いに割り入るようなことはなかった。

 冒険者も戦士も、そしてルヴェルタリア騎士の生き残りも含めた参加者たちは皆、それぞれに相応しい自身の敵を見つけて戦いに熱を上げている。


 と、観客の声が耳に届いた。『黒髪』『騎士』といった司会の言葉が耳に聞こえ、おそらくわたしとウェインの戦いを指しているのだと分かる。


「見世物になるのはごめんだと思っていたけれど、意外と悪くないかもしれない」

「と、いうと?」

「僕の剣がルヴェルタリア騎士団の副長にどれだけ通じるか。

 その証人が大勢作れるから。……なんて言うと自惚れが過ぎますね」

「今更だな。君のその顔は自信家のそれだよ」


 上段からの袈裟斬りを横へのステップで躱し、連続して前方へ跳ぶことでウェインの懐へ入り込む。

 硬質で名高いルヴェルタリアの騎士鎧へ考えなしに打ち込むようなことはしない。

 わたしが狙うのは甲冑に覆われていない関節部分。膝裏だ。


「甲冑相手だ。当然そこを狙うよな」


 ざんっ、とウェインの剣が地面に突き立てられて、わたしの横一閃が阻まれる。

 金属と金属が打ち合った甲高い音がまだ残る中でウェインの隙を探る。

 一度がダメなら次を狙え。


 戦いに熟練したルヴェルタリア騎士とて人間だ。

 構えのどこにも隙が生じない、などということはありえない。

 凝視すればどこかに必ず攻略の糸口は見えるはずだ。


 青い瞳で騎士鎧を睨む。

 繰り出された蹴りを避け、斬撃を受け止めながらもまだ探す。


 そして、


「見つけた」


 ウェインが利き腕として振るっている右腕。

 これが攻撃の時には妙に前へと出ている。

 一見すれば攻撃時に重心を前へと寄せて威力を高めているように見えるが、違う。

 後ろへと半身を少しばかり逸らしているのは左肩を庇う仕草だ。


 古傷があるのか。それとも直近の戦いの影響で痛むのか。

 どちらでもいい。理由など今はいい。

 相手に歪みが、隙が見えたのならわたしは容赦無くそこを突く。


 直剣を腰に溜めて呼吸をひとつ。

 剣身に添えた手を鞘に見立て、音の速度で剣を抜き放つ。


「――……〈無影・五月雨〉」


 太陽の瞳の中に映る女の影。セリス・トラインナーグの技の模倣。

 紋章を使わなければ完全な再現は出来ないが、それでも迫ることは出来る。


 わたしの手元で瞬いた光が一瞬後にウェインの右手の甲を打つ。剣を掴んだ利き手を打たれた彼が苦々しげな顔を浮かべたのをわたしは視認した。


「この一撃……! 速い……っ!?」


 まだだ。まだ終わらない、わたしの剣にはまだ先がある。


 返す刃を袈裟の方向へと振り落とし、彼の右手の甲を直剣の潰された刃で打った。苦痛のうめきがあがるよりも素早く、続けて横一文字に剣を振り抜く。その狙いは以前として右手の甲。


「利き手を執拗に打つか! 確かに清廉では……、」


 そうウェインが顔を上げるがそこにわたしの姿は無い。セリス・トラインナーグの歩法を模倣したわたしは既に彼の背後に回っている。

 体を大きく半身に反らせてから放つ全力の斬撃。狙うはウェインがかばう左肩。


「後ろかっ!」


 振り返ろうとも遅い。

 わたしの剣は――〈落葉三連〉は既に振られ、お前に迫っている。


「どうだ!?」


 手に伝わるのは会心の手応えだった。これがまともな剣だったならばルヴェルタリアの銀鎧ごと両断していた自信がある。それだけの一撃だ。


 受けたウェインの体は前へと大きく揺らぎ、痛みをこらえるように自身の左肩を強く手で押さえた。

 その彼の指のあいだから鉄塊がいくつか落ちた。銀のきらめきを放つそれは間違いなく北騎士の鎧の一部。


 ややあって砕けた肩部がまるごと地面へと落ちたがウェインは狼狽えなかった。彼はゆらりと振り返るとわたしを見つめ、


「信じられない」と口にした。

「潰れた刃で我々の鎧を断つとは……。

 繰り返しになるが、君の剣は常人を相手に振るっていいものではないね」


 鎧の一部は破壊した。破壊したが、これでも痛打ではないようだ。

 この程度は霧の魔物が繰り出す牙や爪には及ばない。

 そう言うかのように彼は両手で直剣を握りしめ、表情、そして気配を冷静なものへと切り替えた。


「……硬いですね。メルグリッドや〝ウル〟を思い出します」

「君が……奴らと会ったというのは本当なのか?」


 奴ら(・・)、とその語気は強く、短い発音の中にも嫌悪と憎しみがありありと感じ取れた。


「ええ。どちらとも剣を交えました」

「それを超えて今ここに立つか。どおりでな。……<狼剣(ろうけん)>」

「っ!?」


 言葉の最後は技の名か。ウェインが上体をゆらりと揺らしたかと思えば、一瞬後にはわたしの眼前にまで剣を振り下ろしていた。


「次は私の番だな。ルヴェルタリアの剣を受けてもらおう」


 剣を受けた衝撃が抜けきらないうちに次の手がくる。

 上段。右から左。そしてまた上段から。

 目では追える。体もついてくる。だが、とにかく一撃が重い。

 盾さえあれば、と剣を受けつつ奥歯を噛んだ。とにかくこの状況は上手くない。

 展開を変えろ。自分の流れを掴まなくては勝負には勝てない。


 ウェインの剣に特有の緩急。一瞬だけ覗く緩やかなタイミングを狙い、わたしは今の体勢で放てる最速の切り上げを放った。


 速度の乗り切ったわたしの剣と、速度の乗り始めたウェインの剣。

 一瞬力が拮抗し、そしてわたしの刃がルヴェルタリア騎士の刃を弾く。


「う、お、おおおっ!」

「続けざまの剣の乱舞――!

 君の剣は速いな! だが溜めがなければ一撃は軽いぞ!」


 下段。袈裟。刺突。

 あらゆる角度。可能な体勢から斬撃を無数に繰り出し、そしてウェインがそれを受ける。


 彼は時に剣で受け、時に鎧で受ける。

 重い鎧を身につけた上でなんて速さだ。


 その技巧は賞賛に値するものだったが、この男のもっとも秀でた点は度胸だ。

 敵の攻撃をあえてその身で攻撃を受けるなど、よほどの度胸と鎧に対する全幅の信頼が無ければ出来ない。


「軽いが故に! わたしはこうして受け、反撃に転じられる!」


 革鎧……それも墜落の衝撃で傷んでいる防具でウェインの剣を受け止めようとはわたしは思わない。だからこうして縦横無尽に躱し、刃を刃で流し、散った火花の先へと剣をふたたび振るうしかない。


 しかし、と。唐突にわたしの体が重心を失った。

 足が滑ったのだと理解するのに一瞬遅れる。


 なんだ……!? 肉薄した状況で相手から視線を外すのは致命的だと分かっていながらも、わたしは堪えきれずに足元へと目を向けた。


 地面が切り刻まれ、崩されている。

 縦横に走る直線の断裂は間違いなく斬撃の痕跡だ。


 誰がやった? 考えるまでもなくウェインだ。

 彼はわたしに打ち込むのと同時に、どうやったかは知らないが地面さえもを斬っていた。


「獲ったぞ! フォンクラッドッ!」


 ウェインの大上段からの斬撃が眼前に迫る。

 避けるには遅い。跳ぶにも姿勢が悪い。となれば受ける他に無い。


「ここで終わるわけには……っ」


 滑った右足を力ませ、無理やりにつま先を地面へ向けて杭のように突き立てた。

 左足は可能な限り平行にし、衝撃を逃す役目を果たさせる。


「いかな、い……っ!」


 斬撃を受け止めたが、これまでのどの一撃よりも重い。

 これがウェインの本命の剣なのだろう。彼が大上段ばかりを繰り返すのは、これで多くの霧の魔物を殺してきた、ウェインの中での最強にして最も自信のある型だからだ。


 その証拠にこの大上段を受け止めた瞬間、勢いを殺せなかったがために自分の剣が大きく揺らぎ、わたしの額に直剣の剣身が思いきりぶち当たった。


 刃が潰れていなければ頭蓋が切断されていただろうし、実際に今も割れていないのが不思議なぐらいだ。

 死亡、および気絶こそしなかったが代償におびただしい流血はしたらしく、左眼の視界が血で潰れた。

 押し付けられた刃がぎりぎりと肌に食い込み、生温かい血液がだらりと溢れ出る。

 だめだ、これは押し返せない。


「どうした!? 姫殿下の騎士を名乗るならこの程度で倒れてくれるなよ!」


 分かっている。これで潰れるのなら〝ウル〟には生涯わたしの剣は届かない。

〝紋章〟を使う選択肢は最初(ハナ)から無い。地力でこれを凌ぐんだ。


 地に足が沈み、剣に潰されそうな錯覚を覚える中でわたしは反撃の手を考える。

 重圧がかかってはいるが足は動く。これは相当に疲れそうだが、しかし。


「やるか……!」

「むっ!?」


 天が落ちてくるような重さの剣を気合いで横へと流し、即座に跳ぶ。

 ずんっ! とウェインの剣が地面に打ち込まれるのとほぼ同時。低姿勢をとったわたしはウェインの膝裏を素早く切りつけた。


 奴はひるまない。

 むしろ『今度こそ獲った』と冷静な顔の下で勝利の予感に震えてさえいるだろう。


 まだ見える右目で見上げた奴は何も口にせず、言葉の代わりにこちらの脳天を目掛けて刺突を繰り出した。

 時間が圧縮されたように遅く感じる。


 いつ躱す。

 いつ避ける。

 喰らってからでは遅いぞ。


 まだだ。まだ引き付ける。

 早過ぎてもダメだ。遅過ぎてもまずい。

 よく見ろ。よく見ろ。


「…………っ! ここだ!」


 全力で頭を逸らしたがタイミングがズレた。奴の剣は予測よりも速い!

 ウェインの剣はわたしのこめからから頬を大きく切り裂き、顔の左半分が鮮血に濡れたのが感触で分かった。


 痛かった。あまりにも痛かった。

 冷たく、そして熱いこの感覚は我慢ならない。

 いっそ叫び出したかったが弱音は無理やり押さえつけた。

 まだ気を緩めない。まだ、やるべきことがある。


「喰、ら……っ! えええっ!」


 瞬間だ。ウェインが勝利を確信し、慢心を得た瞬間を突くしかなかった。

 わたしが屈み、奴が下方へと攻撃を仕掛ける。

 その瞬間にだけ奴の顔はわたしに寄る。その好機を逃がさない。

 硬質の鎧ではなく、奴自身のむき出しの肉体部分に剣を打ち込む好機はここにしか無い!


 突き出した上方への刺突がルヴェルタリア騎士の下顎を強烈に打つ。

 手中に響く手応えは間違いなく会心の一撃。

 精悍であり、同時に屈強と名高い北騎士の体が指先ひとつぶんぐらいは宙に浮き、そして体勢を崩し、背中から大地に崩れた。


 わたしは膝を突いたまま剣を支えに体を起こし、ぐわんぐわんと耳鳴りがひどい中で手のひらで顔を拭った。でたらめに赤黒く、血液がぼたりと地面へ垂れ落ちる。


「肉を切らせて骨を断つ、か。

 あまり取りたくはなかったな……参った。本当に左目が見えない……」


 全身をはしる痛みはひどかったが、回復魔法を使おうとは思わなかった。剣で戦い、腕を競う舞台に回復は野暮だろうから。


「これだけやったんだ。っげほ……。

 はぁ、はっ……アルルの騎士に相応しいと認めてくれるといいんだけれど……」


 ウェインから一言ぐらいは言葉が欲しかったが、彼の脳はおそらく頭蓋の中で激しく揺れてしまい、気絶状態に陥っているから当分は立ち上がれまい。


 司会が何かを言っているような気がしたが耳鳴りのせいで上手く聞き取れない。

 ウェインを下したわたしは前進をゆっくりと再開した。


「当初の目的を忘れるな。僕は〝悪竜殺し〟を確かめに来たんだ」


 腕は痺れているが使える。左目と左耳は機能していない。

 両足は無事だから歩いていける。


 コロセウムの隅に〝悪竜殺し〟の姿が見えた。

 黒いコートを相変わらず着てはいたが、顔を隠していたフードは外れている。

 見えた顔はフレデリックではなかった。


 赤茶色の短髪にエラの張った頬。自信に満ちた威勢の良い目元は父とは違う。

 扱う得物が両手で握る大剣だと知れた時から、こいつは偽物だと予感してはいたがこれで裏付けが取れた。安心してこの男を叩きのめせる。


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