142. 熱狂の剣戟
揃いの制服を着込んだ楽団の吹き鳴らすラッパの音を合図にして、コロセウムの上空へと無数の風船が放たれた。
色とりどりの風船が空を彩る円形のコロセウムの観客席はちらと見ただけで満席だと分かる。
このキメの細やかな砂地の上で数分後に繰り広げられる剣戟を楽しみにしてこれだけの人間たちが集まるというのだから、<オランピア>の決闘場の人気は聞きしに勝る。本当に。
「このご時世によくぞまあ街から街へ渡って見にくるよな。
命が惜しくねえのかね、こいつらは」
「まさか自分たちが霧に飲まれる可能性があるとは思っていないんだろうさ。
我々とは違う人種。幸福なる人々だ。よく見ておけ」
ルヴェルタリア騎士がそう話すのが耳に届く。ふと、苦笑する。わたしも同じような意見だ。
現在の世界情勢は――わたしが知る限りだが――平和とは到底言えない。むしろいつ濃霧があらわれ、都市を飲み込むとも知れない恐怖の時代だ。ガリアンの時代の再来だと言ったっていい。
だというのに剣戟見たさに旅行をするなどと命知らずもいいところだ。
大半がわたしの人生と接点を持たないだろう彼らだが、帰るべきところへ無事に帰りつけることを人知れずに祈っておこう。
やがて興行試合参加者にそれぞれ指定された立ち位置へとわたしは移動し、番号の割り振られた白い円の中に立つと心を整えはじめた。
周囲の戦士たちの強さはどれだけのものだろうかと想像する。特にルヴェルタリア騎士の一段と〝悪竜殺し〟だ。
彼らはフレデリックか、あるいは〝東の剣聖〟シラエアに迫るものか。
〝悪竜殺し〟がフレデリックだったのなら、わたしはきっと敵わないな、と自嘲する。
思えば普通の人間を相手にして戦うのは久しぶりかも知れない。
これまでの戦いは……〝ウル〟と戦い、死を忘れた<ハインセル>の騎士と剣を交え、〝巨人公女〟の拳を凌いだ。
振り返ると恐ろしい体験ばかりを繰り返したような気がするが、不思議とイヤな気がしないのはわたしが強さを求める剣士だからだろうか。
「今回の参加者は二百人ばかりらしいぜ。
全員が一斉に舞台に立つとさすがに圧巻だな」
「そんなに来てるのか?〝悪竜殺し〟目当てかね」
「実際そうかもな。野郎に挑みたがってる奴は多い。なにせ特別報奨金が出る。
まあ、ルヴェルタリアの色白どもがどれだけの腕っ節なのか確かめたいって連中も居るだろうよ」
「なるほどね。ところでお前は何目当てだ?」
「金に決まってる。お前もだろ? ヒヒッ」
ある者は体をほぐし、ある者は剣の振りを確かめ、またある者はこうした会話で緊張をほどく。思い思いの集中の作法だ。
わたしもわたしで胸の前で指で円を描き、拳を握りしめる。
「来たぞ。〝悪竜殺し〟だ」
「……!」
音を聞き、反射的に意識がギュッと澄まされた。
周囲の人間の視線を追わなくても分かる。円形の舞台のちょうど真反対。大勢の参加者の彼方に〝悪竜殺し〟の姿が見えた。気配が違う。
黒のローブを頭からすっぽりと被った出で立ちだ。顔は見えない。
背丈と肩幅といった体格はフレデリックとよく似ている。
わたしは彼を父かと思った。
だが、違った。
父は|大振りの大剣を背負ってなどいないからだ。
瞬間、自分の血液がすっと冷えていくのが分かった。
誰だ、あいつは。……いや分かってる。想像はついてる。結論は出てる。
あれは『騙り』だ。
<ミストフォールの英雄>の名を騙り、名声を得たニセモノがこの場に居る。
『これより始まるはただひとつの勝者の席を賭けた生き残り戦!
名誉と金を獲得したければ己以外のすべてを倒し! 勝ち抜く他に道は無ァし!
さぁてえ!? 混沌を鎮めた英雄にしてコロセウムの勇士、〝悪竜殺し〟が今回も優勝をかっさらうのか!?
あるいは北天のルヴェルタリア騎士が栄光を勝ち取るのかァ!?』
拡声魔法を用いた司会の声がぐわんぐわんと反響し、その声に観衆が一斉に沸いた。応えるように楽団の演奏の音も増していき、この場は祭りの渦中に落とされる。
「俺らみてえな何の箔もない参加者は紹介すらなしってか」
「だからこそここで名を上げるんだよ。さあ、やるぜ」
戦士たちが武器を握りしめた。鎧の金具が鳴り、場の気配が変わる。
戦いはもう目の前に迫っている。
『観衆のみなさま! 此度のこの一戦、一瞬たりとも目を離してはなりません!
では――始めッ!」
………………
…………
……
敵意を含んだ強い視線を向けられたのが瞬間的に分かった。
数は三から四。
気配を探ったわけじゃない。振り返った目の前に攻撃者が居たから、その頭数を数えただけだ。
「まずはてめえからだ、小僧!
澄ました顔しやがって。一目見て気に食わなかったんだよ!」
頭頂部を狙った大上段の振り下ろしを後ろへ跳んで躱し、また別人が狙った首への横一閃を屈んで避ける。
身なりが荒々しければ剣も荒々しくなるのか? 襲いかかって来た男たちは全員が息を荒げてわたしを睨んでいた。
高揚しているのか剣のグリップを指でさすり、挑発するかのように首を揺らしている。
「俺はお前みたいな自信のありそうな年下がえれえ気に食わねえんだ。
自分が強いと信じて疑わねえその面。今すぐぶちのめしてやる」
男の巨大な図体が邪魔で〝悪竜殺し〟の姿がよく見えない。
ひどい滑舌で何を言っているか上手く聞き取れないが、中身のありそうな話じゃなさそうだし別にいい。ただうるさいだけだ。
「おい、聞いてんのかよ!?」
それより〝悪竜殺し〟だ。
あの贋物には本物のフォンクラッドの剣を知らしめる必要がある。
奴の場所は……観客の視線が大量に集中している、この戦場の反対側だろう。 客の熱狂をしつこく煽る司会の声もそれを裏付けている。
急ぎ、奴と剣を交えなくては。
お前は仮にも〝悪竜殺し〟を名乗ったのだ。名乗ったからには、わたし以外の誰かに負けることは決して許さない。もし膝をつくようなことがあったらその時は……。
その時は、どうしようか。
「ぐ、うおあ!? て、めえ何て剣を使いやがる……っ!」
「もう終わりなんですか?」
考え事をしている間に襲いかかって来た剣士たちがわたしの足元で腹や足を押さえてうずくまっていた。
冗談だろう。
わたしがしたことは『攻撃を受けたから反撃した』。それだけだ。
横腹が空いていたから肋骨を砕くような刺突を全力で見舞った。
左脚をかばうような足の運びをしていたから、弱っている箇所に思い切り剣を打ち込んだ。
それだけだ。それだけだぞ!?
「だめだ。立てねえ……降参だ……」
「……分かりました。ではさようなら」
冗談だろう。
続いて次の剣士を相手にする。
「ま、参った!
剣を折られちゃどうしようもない」
やめてくれ。
「やめろ! こいつはもう気絶してる!
いつからだって!? あんたが不意打ちで首に一撃を叩き込んだ時にだよ!
俺もこいつも降参だ、畜生! 卑怯もんが!」
なんなんだ。
わたしは普段通りに剣を振るっているだけだ。
見えた隙は逃さず突き、見えた弱点には猛打を加え、勝利へ向けて着実に手を進める。
やるべきことはそれだけだ。それを卑怯とはどういうことなんだ?
実戦では負けたら死ぬんだ。死んだら終わりなんだ。
あんたたちも戦いを生業にしているんなら分かっているはずだろう。
『この試合にとんっでもない奴が紛れ込んでいたらしい!
皆さま、コロセウム中央に立つ黒髪の剣士にご注目あれ!』
思わず足が止まった。
わたしのことか? そう思って司会席を見上げつつ、迫るさっきに向けて剣を素早く振ると手応えがあり、少しして足元から「参った……」の声が聞こえた。
『涼しい顔をして鋭い剣を繰り出す若き剣士!
その剣筋に華やかさは一切無しっ! 相手の弱みを突いて突いて突きまくる!
彼の剣はさながら血にまみれた暗殺剣! これが〝悪竜殺し〟やルヴェルタリア騎士に通用するのか!? ここからの展開を見逃すなあっ!」
……ひどい言いようだった。
よりにもよって父に教わり、シラエアに研がれたこの剣が暗殺剣とは。
そういえばどこかの街で剣を見繕っていた時にも、武器屋の親父に『お前は暗殺者向きだな』などと言われたような気がしないでもない。
ならば、とわたしは思う。
なら見栄えのする剣技とはどういうものだ?
「ぐあああっ! 痛ってえ! 俺の指があっ……!! 参った、参ったよ!」
剣と剣をぶつけあい、火花を散らし、目と鼻のくっつきそうな距離で睨み合うのが華があるのか?
そんなのはごめんだ。わざとらしく遅い剣を振って周囲を楽しませるのは他人に剣を教える時だけでいい。
「なんなんだよその剣! 見えやしねえ! 俺は降りるぞ!」
〝悪竜殺し〟へと続く道の直線上に立つ試合参加者を鎧袖一触の有様で次々に蹴散らして進んでいると、わたしの前に立ちはだかる男の姿があった。
「どうやら君の剣はこの場にそぐわないらしい」
ウェインと名乗ったルヴェルタリア騎士だ。
<鉄羊>の副長を務めている、と自らの立場を明かしたこの銀鎧の男は柔和な顔を浮かべてはいるものの、その立ち姿に隙は無い。
「それに君自身が周囲に落胆をしてもいる。
どうして周囲は自分の剣をこれほどまでに受けられないのか、と」
「僕の心を覗いたんですか?」
「いいや。私に読心術の心得はない。
私自身がそう感じているから、きっと君もそうじゃないかと思っただけだよ」
顔を横向け、つまらなそうに言うウェインの背後には倒れたまま起き上がらない試合参加者たちの姿があった。
その中にはルヴェルタリア騎士の姿もある。同胞を打ち倒したこの北騎士はどこまでも涼しげな顔だ。
「ルヴェルタリアに伝わる戦いの技は怪物殺しに特化している。
人ならざる魔獣を相手にする我々の剣は本来なら人に向けるべきではないんだ。
強すぎるからね。
これは想像だが、観客は激しい剣の打ち合いを見たいのだろう」
「どちらが勝つか分からない。
手に汗を握り、夢中になるような戦いをですか?」
「よく分かっているじゃないか、ユリウス」
わたしの答えにウェインがニヤリと笑う。
「君と私ならば見世物として映えるだろう。
どうだ? 私と切り結ぶというのは。退屈はさせないよ」
あまり気乗りがしない。彼が自分自身をどう思っているかは知らないが、ウェインのその鎧姿は真紅の外套をまとってはいないものの、〝ウル〟のそれとだぶるのだ。
腹の奥底で重たい感情がざわつく。
あの日の炎が脳裏をよぎる。
「そうか、返事に詰まるよな。
ふうむ……そうだな。正直に言おう。私は団長の命もあるが、」
「っ!」
危険を察知し、直剣の腹でウェインの斬撃を受けた。
剣身からグリップ、腕へと衝撃が伝わる重たい一撃だ。
メルグリッドには遠く及ばないが彼が手練れである、と自らを証明するには十分すぎる剣だった。
「私自身が君を確かめてみたい。興味があるんだ。
アーデルロール姫殿下が見出した騎士の力にね。
いいだろう? ユリウス・フォンクラッド」
「……ルヴェルタリアの騎士が好戦的なのか、あるいは高潔なのか。
僕はずっとその判断ができませんでしたが、あなたのおかげで自分の中の議論に決着がつきそうです。どうもありがとう」
「返答を聞こう」
距離を取り、剣の柄を両手で握りしめた構えでかの騎士を睨み、
「アーデルロール・ロイアラートが近衛。
ユリウス・フォンクラッドが受けましょう」
「ああ、名乗りをあげての勝負などいつ振りだろうか」
言ってウェインは剣を勢い良く地面へと突き刺し、先ほどまでの紳士的な表情とは違う、獣のごときどう猛な笑みを浮かべて口上を口にした。
「我が名はウェイン・スタイン。
十三騎士団が三、<鉄羊>騎士団長エイリス・キングヒルの刃なり。
これより我が振るうは退魔の剣にあらず。
祖なりしガリアン王よ。我らルヴェルタリア騎士の剣響を聞き届けたまえ」




