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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
145/193

141. 意識を研ぐ


 大コロセウムへと続く中央通りは<オランピア>市でもっとも賑わう通りであることは知っていた。


「知っていたけれどもここまでスゴいのか……」


 連日連夜開催されている興行試合を見ようとする人間たちで歩く隙間も無い、という宣伝文句はどうやら一切の誇張がなかったらしい。本当に人で壁が出来ていた。


「よし、行こう」


 人々でひしめく通りをわたしは器用にすり抜け、出店の裏を通り、在庫の詰まった木箱の上を跳び、自分たちを撮影してくれとせがむ観光客の頼みを早口で断り、空へと向かいつつあった風船を掴んで半べその少女へと返してやりつつ、大コロセウムへと向かって走る。


 歴代勇士の胸像が並ぶ大正門にたどり着くとまたも大勢の人間の姿が目に入った。

 大正門の右側。チケット売り場にずらりと並んでいるのは観光客だ。

 その長蛇の列と熱気はすさまじく、今日これから行われる『〝悪竜殺し〟とルヴェルタリア騎士団の参加する生き残り戦』に彼らが相当に期待していることが一目でわかった。


 その目玉の興行試合への参加受付は大正門の左側で催されていた。

 こちらに並んでいる人間の雰囲気は物々しく、どっからどう見ても一般人ではない。


 トゲのついた肩鎧を身につけた大男やドラゴンの頭骨をそのまま兜へ加工した戦士に東国特有の衣装を着込んだ糸目の男。間違いなく戦いを稼業にしている人間たちだ。


 大角の生えた<ヴァーリン族>の男性の後ろに並び、受付にたどり着くまでの数十分をわたしは周囲の観察に費やした。

 それには参加者の力量を測る目的もあったが、やはりわたしの視線はどうしても〝悪竜殺し〟の姿を探している。


 居ない。前にも後ろにも居ない。どこを見ても父の姿は無かった。

〝ウル〟に片腕を断たれたフレデリックは今は隻腕のはずで、それに何より自分の父だ。全身ではなく、体のどこかが視界に入っただけでもすぐに分かる。それなのに見つからない。


「――見ろよ。鎧の音だ。ルヴェルタリアの連中が来やがったぞ」


 言葉に心が惹きつけられ、周囲の人間と同じようにその視線を追う。

 すると石造りの階段から銀鎧の一団が現れた。内の一人がルヴェルタリア古王国の国章、聖木と十三の星が描かれた旗を高々と掲げている。

 がちゃり、と鎧を鳴らして進む一団の武装は統一されておらず、槍を背負った者が居れば戦斧を握ったままの騎士の姿もある。


 受付列に並ぶ戦士の一人が「もう無い国だってのに堂々と見せつけて虚しくないのかね」と皮肉げに言うが、その声に同調する者は一人も居なかった。


 それもそうだろう。かの銀騎士たちの姿はあまりにも誇り高く、祖国を失おうとも彼らが霧払いの剣だということを周囲に示すようだったからだ。この高潔さを目にしてヤジをぶつけようなどと、それこそ発言者の品性を疑うことになる。


 ルヴェルタリアの一団は既に受付を済ませていたのか、あるいは特別枠なのか。受付を素通りすると正門横に立つ連邦騎士と合図を交わし、大コロセウムの中へと入場していった。


「ほーう、やはり(イリル)は違うな。

 そこらの騎士や冒険者と比較にならないほどの迫力がある」


 別物だと分かっていながらも彼らの鎧から連想してしまう〝ウル〟の姿に嫌悪を感じていると誰かの声がそう耳に届いた。


「言うなれば狩猟犬と愛玩用の小型犬だな。

 剣を持ち、戦場に立つ覚悟からして既に違うんだろうよ。

 ちょっと腕に覚えがある程度の犬がキャンキャンと走り回る中に本物を混ぜたらどうなるかなどと想像するだけで……ああ、楽しいな。いや、恐ろしい。うん」


 独り言にしてはよく喋る奴だ。


「今回の大会は参加せずに観客席から眺めてる方が絶対にいいぞ。

 背伸びして出場ところで叩き潰されるのがオチだからな。

 おい。おい、聞いているのかユリウス。無視するな」

「それでも僕には出る理由がある」


 無視してやろうかと思っていたが名前を呼ばれて条件反射で返事をしてしまった。


「〝悪竜殺し〟。フレデリックにそこまでして会いたいのか?」

「当たり前だ。父さんとは生き別れ……」


 あ、れ。わたしは誰と話しているんだ?

 無意識のうちにペースに巻き込まれてしまいそうな調子の良さと他人を煙に巻く厄介そうな性格をしていそうなこの声。


 受付待機列の後ろ。つまりわたしの真後ろに奴は居た。

 首元から足首までを覆うローブは雪のように真っ白。つばの広い大きな魔女帽子もまた白く、その下には人をからかうのが生きがいだとでも言いたげな表情をした顔がある。

 わたしとビヨンの魔法の師。〝紋章〟を持つ、雲のように捉えどころのない女がそこに居た。


 ああ、もう。

 数十分前に思い出したらすぐこれだ。わたしの妄想じゃないだろうな。


「……イルミナ・クラドリン」

「よぉう、バカ弟子」


 生きてて良かった、と素直に言えれば良かったがこの女を前にするとその言葉が出てこず、


「並ぶ列を間違えてますよ。

 こっちは腕っ節に自信がある人が並ぶ列です。

 いくら口が回るっていってもコロセウムじゃ誰も聞いてくれませんからね」

「再会の挨拶をどうもありがとう。随分調子が良さそうだな。ええ? ユリウス?」

「べたべた引っ付かないでくださいよ、もう」


 ぬるりと首に回された腕を力ずくで引き剥がし、イルミナの細い体を遠ざけてわたしは言葉を探した。村の消滅と一緒に姿を消してから今までどうしていたのか、とか身を案じる言葉はいくつかあったが――、


「色々言いたいこともあるだろうし知りたいこともあるだろうが」

「……お見通しなんですね」

「そりゃあお前の師だからな。んー……そうだなぁ……」


 受付待ちの列から出るとイルミナは腕を組むとため息を吐き、視線を斜め上に向けたままで言った。


「単刀直入に言おう。私は〝紋章〟持ちだ」

「知ってます」

「私はお前の魔法の師だ」

「それも知ってます」

「へぇん。そっちこそ何でもお見通しじゃないか。

 さすが私の自慢の弟子。なんでも知ってるんだな。大したもんだ」

「からかうのはやめてください」

「なら〝霧の大魔〟が血眼になってアーデルロールを探していることは?」

「知って……え?」

「私が別次元に隔離した〝ウル〟が自力でこっちに戻ってきたことも知ってるか?」

「いや知らな――、」

「お前の貯金を私が盗んでいたことはどうだ?」

「初耳ですよ!」

「良かった。まだ私の方が上手のようで安心したよ」


 言ってイルミナは両手を広げ、首を少しばかり傾けると他人を小馬鹿にしたあの表情を浮かべて「私の勝ちだな」と口にした。


 間違いなく本物だ。

 再会をちらとでも喜んだわたしの気持ちを返してくれ。今すぐに。


「一時はどうなったかと思いましたが元気なようで安心しましたよ」

「おかげさまで。私は殺しても死なんぞ」

「それでも〝ウル〟と対峙して生きているなんて普通じゃないですよ。

……って喋りながら僕のポケットから財布を抜くのはやめてください。

 言っときますけど空気とゴミしか入ってませんよ」

「ちっ……」


 無意識のうちに剣の柄頭を親指で撫でてしまう。

 苛立つな、わたし。ここは公共の場だ。人の目もある。落ち着け。

 久しぶりに感じたこの鬱憤は試合で晴らせばいい。


「それでどうして急に顔を出したんですか。ビヨンが会いたがってましたよ」

「ああ、そうだ。お前の財布に夢中で要件を忘れてたよ」


 忘れるんじゃない。


「私はお前に忠告をしに来たんだ」

「忠告?」

「お前、私が教えた物質の魔力変換を多用しただろう」


 途端、背筋が粟立った。

 この白い魔女には何もかもがお見通しなのか?


 言葉を受けて思い出すのはハインセルで出会った〝巨人公女〟メルグリッドとの戦いだ。

 あの戦いで〝太陽の瞳の紋章〟を使用したわたしは自身の魔力の不足を補うため、イルミナから伝えられた魔法技術の禁忌のひとつ、物質の魔力変換を繰り返して使用して〝四騎士〟の一角に挑み、生きながらえた。

 そうしなければ生き残ることはおろか、剣を交えることも出来なかっただろう。

 不可抗力だ。


魔術院(ウィリアンダール)にバレてるぞ」


 そっと前のめりになり、艶のある唇をわたしの耳元に寄せてイルミナがささやく。はたから見ると若い男を誘う美人の女といった光景かも知れないが、当事者のわたしにとっては死刑宣告の脅しのような強い力があった。


「連中の〝眼〟はあちこちにある。

 気をつけろよ。ウィリアンダールの刺客は手が早いからな(・・・・・・・)

「……ご忠告を感謝します。どうも、イルミナ」

「師匠といえ」

「師匠。この興行試合が終わったら聞きたいことが山ほどあります」

「私はお前に聞きたいことは無いけどな」

「あなたは話す方です」

「ああ、そっちの方か。気付かなかった。

 そうだな……私が覚えていて」


 言ってイルミナが指をひとつ立て、


「お前も覚えていて」


 ふたつ目の指が立ち、


「運良く再会できたら」


 みっつ目の指が立った。


「その時には話してやるさ。それじゃあな、フレデリックに会えるといいな」


 含みを持った言葉を残し、イルミナはタイミング良く現れた観光客の一団の中に紛れて消えてしまった。

 人混みの中にあの白い帽子を探そうとしたがちらとも見えず、そして「次の方」という受付窓口の係員の呼び声を聞き、わたしは魔女を探すことを諦めた。


………………

…………

……


「ユリウス・フォンクラッドさんですね。

<オランピア>の大コロセウムへようこそ。試合の参加経験はおありですか?」

「いえ。今回が初めてです」

「では説明が必要ですね。簡略化した説明と細部まで説明するもののふた通りがありますがどちらを希望しますか?」


 わたしは受付嬢の背後にある時計を見た。

 現在時刻は十四時四十五分。

 受付ボードに記された『生き残り戦』の開始時刻は十五時から。


「短い方でお願いします」

「かしこまりました。

『生き残り戦』ではこちらが用意した武器を持ち、参加者全員で一斉に戦っていただきます。乱戦を乗り越え、最後まで立っていた勇士が優勝者です。

 以上。簡単でしょう?」

「ええ、とても」

「用意される武器についてですが、刃は前もって潰してありますが……死亡の可能性は大いにあります。ので、こちらの誓約書に名前の記入をお願いします」


 差し出されたペンで誓約書に名前を書き、それを確認した受付嬢は「結構です」と口にした。


「控え室は左手になります。何かご質問などあればお聞きいたしますが」

「ひとつだけ。〝悪竜殺し〟は本当に参加しているんですか?」

「ええ、勿論参加していますよ。

 彼は今シーズン不敗を誇る最強の勇士です。

 ルヴェルタリア騎士との対決は今回最大の見所ですね」

「そうですか。……どうもありがとう。では、また」




 控え室の手前で衛兵に呼び止められると武器をどれにするのか、とそう訊かれた。

 短剣。直剣。大剣。斧。槍。

 様々ある武器は受付嬢の言葉の通りに刃を潰されている。

 当たりどころが悪いと確かに死ぬだろうが、それは覚悟の上だ。


 わたしは直剣を選び、重さを確かめると柄を確かに握って控え室の扉をくぐった。


 殺気立った戦士たちの数は随分と多かったが、その人数を数えようとは思わなかった。


 広い控え室の片隅にある椅子に腰をかけ、直剣を床に突き立てると残りの時間を集中に費やす。

 ルヴェルタリアの騎士。上級の冒険者。腕利きの騎士。異国の剣者。

 どれだけの人間が立ちはだかろうとも関係ない。

 わたしの目的はただひとり。〝悪竜殺し〟だ。


「黒髪の少年。少しいいかな」


 じっと精神を研いでいたわたしにそう声を掛ける男が居た。

 銀色の全身鎧を身につけた精悍な顔立ちの男。一目でルヴェルタリアの騎士だと分かった。


「どうしました? この椅子に座りたい……」


 男の背後にも数人のルヴェルタリア騎士の姿がある。軽口は言わない方が良さそうだ。


「わけではなさそうですね」

「ああ。私には小さすぎるからな。

 君の名前はユリウス・フォンクラッドで間違いないかな」


 わたしの個人情報はどうやら保護されていないらしい。

 面と向かって名前を言い当てられ、そのうえ強面の男に囲まれてしまったら頷く以外にとれる対応は無い。


「良かった。私の名前はウェイン。<鉄羊(てつよう)>騎士団の副長を務めている」

「……どうも」

「君には彼女が(・・・)……その随分世話になっていると聞いた。

 一度礼が言いたくてね。皆を代表して感謝を述べさせてもらうよ。

 どうもありがとう。君の剣に霧払いの祝福があらんことを」


 ウェインはその場で恭しく頭を下げ、わたしへと礼を口にした。

 一瞬何のことかと勘ぐったが、彼の言う『彼女』はアーデルロールのことで間違いなさそうだ。


「どういたしまして。あなたにも祝福があるように」

「ありがとう。それともうひとつ。うちの団長から伝言を頼まれていてね」

「伝言ですか? ルヴェルタリア騎士団のひとつをまとめている人物からメッセージをいただけるなんて光栄です」

「『お前が姫の剣に相応しいか私が直々に確かめに行く。首を洗って待っていろ。雑魚だったら即座に殺すからそのつもりで』……以上だ」


 言い切るとウェインはなんとも苦々しげな表情を浮かべ、


「すまん。原文ままで伝えろと厳命されたんだ」

「いえ……。<鉄羊>の団長は今回参加されていたり?」

「君にとって幸運なことに不参加だ。

 彼女は隊とともにハインセルの調査に赴いていてね。

 自分が手を下す前に君の実力を確かめてこい、とのお達しだ」

「なるほど。そういうことですか」

「ああ。お手柔らかに」

「こちらこそ」


 そして開始を告げる十五時の鐘が大きく鳴り響いた。

 戦士たちがひとり、またひとりと決闘場へと続く扉をくぐって姿を消していく。


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