140. 汗の価値
<オランピア>に数ある酒場の中でも老舗に位置する店、<王の胃袋>のホールにアーデルロールは居た。
日頃装備している皮鎧と胸当てを脱ぎ去り、代わりに袖を通したのはロングスカートのワンピース。頭頂部に店名の書かれたカチューシャを装着した彼女を、あのルヴェルタリアの王女だと連想する人間はまず誰ひとりとして居ない。
「マジか……。マジでやんなきゃいけないのよね……」
腰に吊るした抜かずの聖剣と二本の剣を〝王狼〟にあずけた彼女は今は剣士にあらず。銀製のお盆と伝票とペンを装備した彼女はホール担当のウェイトレス以外の何者でも無い。
が、昼の盛りから賑わう客たちを前にして浮かべる笑顔は不恰好だった。唇の端はピクピクとひきつっていて、生来の吊り目は歓迎の気配ではなく威圧を放っている。
「い、いら、いらいら……いらっしゃいませー……」
「新入りの小娘ぇっ! 声が小せえぞ!」
それを見とがめた店長から怒号が飛ぶ。
五十年前の開店当時から今日までこの野太い声に怯まない新人は居なかったという話だがアーデルロールはこの程度の怒声ではちらとも怯まない。北国育ちは頑強だった。
「あぁん……!? 小娘ですって……!? はっ。いやっ。いけないわ。
今はこのハゲが上司なんだから……。暗示をかけるのよ、アルル。
あたしは下っ端。ハゲは上司。あたしは下っ端。ハゲは上司……」
「ブツブツ言ってねえで!
お客様に聞こえるようにもっとドカンと! 腹から声を出さんかぁっ!」
「くそったれぇ……! 今だけよ、あたし。耐えるのよ……!
いっ!! いらっしゃいませえーーっ! がんがん注文してくださーいっ!」
「いいぞ小娘その調子だぁ! ヌゥハハァ! 注文ばっちし取ってこいよォ!」
「はいはいはーい! 了解でーす! あはは、ふざけんなぁ! ったくも〜〜っ!!」
そして北の王女が酔客の群れの中へと飛び込んだ。
やれ注文を取りに来るのが遅いだの、やれ愛想が無いだのと不満が飛び、普段のアーデルロールならば即座に相手に拳を叩き込んでいるであろう状況にも彼女は耐えた。
それはひとえに金を稼ぐためであり、生まれて初めて挑んだ面接にて獲得した働き口を失わないための覚悟であった。
「こ、この調子でいつまで働かなきゃいかんのよ……!」
アーデルロールが何故にこのような苦境に陥っているかは全て金欠が原因であった。〝精王〟との契約を行う旅の一行は今現在、全員が一文無し。
所持金ゼロの苦境を脱するため、ギュスターヴを除いた全員が短期バイトによる金策を行なっていた。
………………
…………
……
「……一番不安だったアルルがちゃんと働けてるみたいで良かった。
昼時の店内でもこけないで走り回ってるし、両手と頭に料理を乗っけても落とさない。それに客を殴ってもいない。
危なっかしいけども仕事をこなせてるなら良しだ」
わたしはアーデルロールの健闘を確認すると<王の胃袋>からそっと離れた。
本当ならば店内に入って彼女を呼び止め、定食のひとつでも注文したかったが残念なことに財布の中にはほこりしか入っていなかった。ほこりが金銭的価値を持つ世界なら良かったのに。
金策。金策か。
コルネリウスはわたしと二人で求人情報を眺めていたところに「君っ、撮影モデルをしてくれないか!?」と洒落た衣装を着た男女に声をかけられ、「いいぜ!」と二つ返事をするとそのまま繁華街へと消えた。
普段はすっかり忘れていることだが彼は一般的に見て顔が良いから、きっとなにかの宣伝材料にでもされるのだろう。一応言っておくが横に居たわたしには何の声も掛からなかった。いや期待はしていなかったけれども。本当に。
とにかくこれでコルネリウスはあっという間に就職決定。
続けてアーデルロールは顔面蒼白のうえにだらだら汗を流して面接に臨んだ居酒屋にてウェイトレスの仕事を勝ち取り、残ったのはわたしとビヨンの二人。
彼女とわたしの二人で何か出来る仕事はあるのかな、なんて考えていたのだが、ビヨンは外側に跳ね返った横髪を指先で悩ましげにいじった後に「うちは作戦があるから」とあっさり言い残して<オランピア>の人混みへと姿を消した。
そうして残ったのはわたし一人で、なかなか仕事が決まらないのもわたし一人だった。こんなことってあるのか。
「どうしよう。面接は飛び込みでいくつか受けたんだけどな」
公園の芝生に座り込み、足元の雑草をちぎって撒くとエサをくれるのかと寄ってきた野生のハトたちに話しかけるようにわたしは回想を開始する。
『そこの椅子にかけて。さて。あんたの名前は?』
『ユリウス・フォンクラッドです』
『特技があれば教えてくれ。あと意気込みも』
『剣術が得意です。厄介な客が居たら峰打ちで叩きのめすことが出来ます』
『うちは穏やかさがウリの喫茶店だ。用心棒は要らないんだ。悪いけど……』
これは不採用に終わった。
『フォンクラッドさんね。
ふぅん。顔は悪くないね。んじゃ愛想笑顔をやってみて。
いらっしゃいませ、って言いながらね』
『い゛……い゛らっしゃいま゛せ……』
『怖いわねえ……ごめんね。他をあたって』
これも不採用。
『猫の手も借りたいのは本当だけれど、ちょっと格好がみすぼらしいわね……』
『愛想が無いなあ。それじゃお客さんが逃げちゃうよ』
『私が調合したこの薬品を飲んでくれ。
腕が二・三本生えてくるが構わないな?
なに? 無理? 帰ってくれ。出口はそちらだ』
などなどのやり取りもあったが不採用。
「まずいぞ。このままじゃ報告会に出す顔がない」
今夜十八時にわたしたちは再びこの公園で集合し、一日の稼ぎをそれぞれ報告するということになっている。
わたしたちは一蓮托生の間柄ということもあり、最低でも全員分の宿泊費に夕飯を食べられるだけの金額が集まればいい。そう。集まればいい……、
「……のだけども。
みんなが稼いでる中で僕だけがアルルに財布の中のほこりを手渡したらどうなるかなんて考えたくもない」
絶対に殴られる。
「なにか……なにか手はないのか……」
首を前後にカクカクと振っている、実に聞き上手なハトに関心していた時だ。
なんとなーく円形の噴水のそばの人だかりに視線を向けると、その中に見覚えのある帽子が見えた。
まさかと思ったわたしは立ち上がり、木の陰からその正体を観察する。
「ビヨン……? こんなところで一体何を……」
つばの大きな魔女帽子。その正体はビヨン・オルトーであった。あのぴょんと跳ねた横髪をした幼馴染を見間違うはずもない。
彼女は噴水彫像の台座に貼り付けた大判の羊皮紙の前に立っている。
羊皮紙の表面には魔法の式と詠唱の文言。周囲に集まった老若男女に向けて木の枝を振り回しながらビヨンは得意げな顔をしてなんだかんだと喋っていた。
これは、まさか……!
「魔法の青空教室。その手があったかぁ……!」
何の宣伝も実施していない――はずだ――というのにビヨンの青空魔法教室はなかなかに繁盛しているようだった。
遠目に見る限りでも彼女の足元に置かれた缶には結構な数の貨幣が入っているようにも見えたし、見物客も冷やかしというよりかはかなり真剣にビヨンの講義に見入っている様子だ。
大人たちは腕組みをしながら意見を交わし、どころか魔法使いを本職にしているらしき人物たちも観衆に混じり耳を傾けていた。
同じ師のもとで魔法を学んだ人間としてこの光景はなかなかに感慨深い。なんだか目元が熱くなりそうだ。
ああ、我が師。一体どこに行ってしまったのか、そもそも生きているのかも分からないイルミナ・クラドリンがこの光景を見たらきっとほろりと涙を……、
「流すわけないな。
あの人のことだから『立ち寄った人間全員に行動不能の呪いをかけて、解呪して欲しかったら倍の金を払えと言えば大金が稼げるぞ』とでも言いそうだ。
しかしこのアイデアは良い。
わたしも剣術教室でも開いたら儲けられるんじゃないか?
フォンクラッド流……じゃなくて、シラエア師匠の<迅閃流>なら名前も売れてるしきっと集客も上手くいきそうだ。
よし、これで行こう。
善は急げ。どこで剣の教室を開こうか。
ビヨンに睨まれて営業妨害だと文句をつけられると面倒だから離れた場所がいいな……などと考えていると公園の中に警笛の音が響いた。
「貴様ーっ! そこの貴様、ここで何をやっている!」
続けて厳しげな注意の声。見れば三人の連邦騎士が鎧をがちゃがちゃと鳴らしながら噴水を目指して走っている。脱げばいいのに。
「そこの魔法使いの女! やめろやめろ!」
「んぇっ? う、うちですか!?」
連邦騎士は疾走の勢いをそのままにビヨンの青空教室へと突っ込んでいった。
その威圧っぷりときたら凄まじく、一瞬前までその場にあった和やかな雰囲気は騎士の立てる騒音の前にあっという間に霧散し、ついでに大勢できた即席の教え子たちは手のひらを返して野次馬に変わったほどである。
「貴様以外におらんだろうが!
ここは公共施設だぞ!? 連邦法を知らんのか? 露店を開くのは原則禁止!
それでも開きたいというのなら許可が必要!」
「そうなんですか!?」
「そうだとも。あるならすぐに見せてくれ」
「な、何を……!? すみません。動揺して実はほとんど聞いてなくって。
もっかい言ってもらってもいいですか? 何を見せればいいの?」
「だから! 許可証を、だ!」
「えっ。えっ。えっ!? 許可証!?
ちょ、ちょっと待ってください。許可証……許可証って……!?」
ローブのスカート部分の内側や帽子の中をまさぐったって出てこないものは出てこないだろう。あわてふためく姿を目にしたわたしの心中は痛々しかったが、この場で騎士とビヨンの間に割って入ったところで何の助けになれるわけもなく。
なにしろこの場での正義は連邦騎士の側にあるのだ。
ビヨン・オルトーは無許可で商売を行なった側。どう言い訳したところで劣勢がくつがえらない。賭けてもいい。……いや賭ける物はないのだが。
「無いのか?」
「ありません……」
小さい背中がさらに小さく見える。
「なんで無許可でやった」
「お金が欲しくって……」
「まったく……」
さっきまで人々を指導する立場だったビヨンが今では連邦騎士に指導される立場となり、いくつか注意を復唱させられると最後にはおひねりの詰まった缶を連邦騎士に没収されて騒ぎは終わった。
連邦騎士に「それだけは持っていかないでぇぇえ!」とすがり、それを跳ね除けられたビヨンは芝生の上へと移動し、適当な雑草をちぎって手に取るとそれを野生のハトへと向けてばらまき始めた。
その背中は非常に哀愁が漂うものであり、幼少からの付き合いのわたしでさえも声を掛けるのが憚られるほどだ。
「ねえ。うち、結構上手くやってたんだよ……」
ビヨンのささやきが風にのって聞こえてくる。どこかの誰かとほとんど同じことを言っているのは気のせいだと思いたい。
わたしは歩道を挟んだ向かいのベンチに腰をかけ、悲しみに暮れる金髪少女の背中をじっと見つめながらに、青空教室で儲ける作戦はやめようと胸に誓った。
「しかしこれがダメだとどうすればいいか本当に分からないな。
十八時まではまだ時間があるけれど……いっそ力仕事でもやった方がいいかな。
倉庫整理とか色々ありそうだし……」
そうぼやいているとまた誰かの声がわたしの耳に届いた。
決闘場。腕試し。報奨金。飛び入り参加。
わたしの意識が声の方向へと行くのには十分な単語が揃い踏みだ。
声の出どころは公園に設置されたゴミ箱に背中を預けた若い二人の男だった。彼らは一枚のチラシを眺めていて、決闘場で行われる生き残り形式の興行試合について語っている。
「お前、今度こそ出てみたらどうだ?
いつか優勝するんだって言ってずっと剣の素振りを続けてきたじゃないか」
「いや無理だって。俺を殺す気か?
普段ならともかく、今回はルヴェルタリア騎士団まで出張ってきてる。
あいつらが戦闘狂なのは知ってるだろ?
本隊はハインセルの方に行ってるが、ここに待機している連中は絶対に参加してくるさ」
「そう……だな。いやすまん悪かった。
確かにそれじゃ優勝は無理だ。それにお前に死なれると暇になって困る」
「だろ? だから今回はいつもどおり観客に回るよ」
「おう。〝悪竜殺し〟とルヴェルタリア騎士団の戦いを見ながら一杯やろうぜ」
「最高のつまみだぜ」
今。なんて言った?
〝悪竜殺し〟。
〝悪竜殺し〟と言ったのか?
父さんがここに……居るのか?
どこだ。どこに行けば彼に会える。ええと。落ち着け。決闘場だったか。
街で一番大きいあの建物だ。そこに居る? 父さんが?
「あの、すみません」
気づけばわたしは二人の男に声をかけていた。怪訝そうな視線がわたしに向くがまるで気にもならない。
「ん。なんだ?」
「お二人の話が気になって。その、闘技大会にはどうすれば出場できるんですか?
「んなもん簡単さ。コロセウムの大正門にある受付所に行くだけだからな」
「『死んでも文句を言いません』っていう誓約書に名前を書くだけ。簡単だろ」
「分かりました。ありがとうございます」
礼を言い、その場で振り返ったわたしの背中に声がかかる。
「おい! 話が聞こえてたんなら知ってんだろ?
今年は〝悪竜殺し〟とルヴェルタリア騎士団の潰し合いだ。
素人が出る幕なんてねえぞ! 怪我したくないんならやめとけ!」
「そうとも。観客席でビール片手に見物してる方がずっといい」
「忠告をありがとう。でも問題ありません」
それだけを言い残すとわたしは足早に公園を走り去った。
目指すは<オランピア>の大コロセウム。
潰し合いも生き残り戦も知ったことじゃない。ついでにビールも知らない。
やり手の冒険者だろうがルヴェルタリア騎士だろうが、何者が立ちはだかっても無駄だ。わたしはどんな相手でも打ち倒して前へと進む。
〝悪竜殺し〟――……父に会い、無事を確認する。
それだけがわたしの目的……いや……!
「いや、違う。もうひとつ大事なことがあった。
大会の優勝金だ……! それだけあればアルルに殺されずに済む! 必ず獲るぞ!」




