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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
九章『溶鉄の炎髭王』
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139. オランピアへ


 世界にいくつか存在する活火山の中でも<イヴニル連山>はとりわけ規模が大きく、いっそ火山の代名詞だといっても過言ではない。


リブルス(南方)>大陸に存在する<イヴニル連山>につらなる山々の肌は総じて黒く、そのおどろおどろしい波打つ形状は、主山の大火口より流れ出した溶岩が冷え固まったものとするのが通説だった。


 景勝地としても有名なこの活火山だが、観光以外にも人々を喜ばせる点があった。

 この黒い山々では良質の鉱石がよく採れる。本当に。とにかくよく採れるのだ。


 鉄鉱石に黒蝶鉱、鳩血石といった鉱石の他、大龍眼のような希少な宝石の原石までもがザクザクと採掘される。


 それら高値で売れる鉱石を効率良く掘り出すための組織がこの辺りには多く存在しており、一攫千金を夢に見た人間たちが炭鉱夫にならんと集うのだ。


 しかしだいたいの場合において一度炭鉱夫になると抜けられないし、いくら鉱石を納めても給与は大いにピンハネされるのだが、それでも志願者が絶えないというのだから相当の利益なのだろう。わたしにはよく分からないけれども。


 話はつづく。

 良質の石が集まるとなれば鍛冶屋や彫金師がぞろぞろと集まるのは自明というもので、山脈のふもとにどっかりと広がる大都市<オランピア>には鉄打ちを生業とするドワーフが随分と多く居るのだという。


<オランピア>の街には宝石の輝きが満ち、武器屋や防具屋には一目で質が良いと素人目でも分かる装備がずらりと並ぶのだ。


 そして良い刀剣が店先に並ぶとあらば次はそれを試す場が必要となるわけで。

 最初は藁を編んだ大きな人形を斬り、次は樹木を真っ二つ。

 試し切りの欲求はどんどんとエスカレートをしていき、対象は無機物から生物へ。家畜や魔物。そして――、


「最後は人間相手!<オランピア>名物の決闘場の始まりよね!」

「……うん、アルルの言うとおりだよ」

「よっしゃあ! 楽しみんなってきたわね!

 あたしは剣が好きで好きでたまらないのよ。

 せっかく寄るんだから興行試合のひとつぐらいは見ときたいわ!」

「急ぐ旅なんじゃねえのかよ」


 コルネリウスが白い目でアーデルロールをちらと見て。


「けどまあ……装備を一度立て直さないとだな。俺たち何にも持ってねえもんよ」


 彼の言うとおりにわたしたちの所持品は墜落と同時にほとんどが失われた。

 備蓄食料も携帯薬品も地図も無し。

 残ったのは身につけていた装備品とハインセルでの収穫品。あの国で拾った物品を売ればいくらかの足しにはなるだろうから、装備の補充にはまあ困らないはずだ。


 砂浜を抜けたわたしたちは林の中へと踏み入ってひたすら歩いた。

 途中で名称不明のキノコや果物で空腹を満たして歩くこと数時間。鬱蒼と生いしげる木立のあいだに、赤レンガ色をした巨大な外壁がそびえ立つのを確かに見た。


「あれが<オランピア>の外壁なんだね。なんだか随分立派。

 壁の上に砦が作られてるよ。物々しいね」

「妙だな。<オランピア>の壁はここまで大きくなかったはずだ」


 ビヨンの関心をギュスターヴが拾い、それをまたアーデルロールが横から拾う。


「そうなの?」

「中央海から運ばれてくる風で霧を遠ざけているから、うちには大きな壁は必要ない……だのと以前に居た総督がたわ言を抜かしたのを覚えてる。

 とりあえず行ってみるか。突っ立っていたって何にも分からんしな」


 霧が出ていない平常時にだけ開放されている外壁の正門に近づくと例によって衛兵が現れた。<マールウィンド連邦>の国章を刻まれた兜を装着した兵士に身分と滞在の目的を明かす。


「僕たちは旅の冒険者です。<オランピア>へは装備の新調へ来ました。

 見てのとおり……」両手を広げて装備を衛兵へと見せて、「ボロボロでして」

「確かにな」


 兜の奥で衛兵が気の毒そうな目をわたしに向けた。


「ここなら良い装備が手に入る。ただ在庫分だけだろうがね」

「在庫分だけ、とは」

「<イヴニル連山>に入れないのさ。

 坑道も瘴気が出たり出なかったりで安定稼働していなくってね。

 石が無ければ剣は打てず。

 ルヴェルタリアが潰れてからずっとこの調子だ。参っちまうね」

「そうですか。ルヴェルタリアが――……、」

「ちょっと!」


 わたしの真横からアーデルロールが飛び出した。

 身分を隠すために目深にかぶったフードが外れていないか咄嗟に目で追ったが、どうやら問題なさそうだ。それに兵士も気づいていない。


「ルヴェルタリアが潰れたってどういうこと!?」

「なんだ、嬢ちゃん。あんた新聞を読んでないのか?」

「ええ、お生憎様。

 この格好見れば分かるでしょ。新聞買う金があるんならパンを買うってのよ!

 そんで? 新聞にはなんて書いてたのよ」


 妙だ、と思った。

 ルヴェルタリアが霧に飲まれて消滅した事実が明るみに出るまでが早過ぎる。

 世間に知られるのが時間の問題なのは分かりきっていたが、それにしては早い。


 北の十三騎士団でさえも王都にたどり着けていないというのに、それをどうやって新聞社が情報を掴んだ?

 いや。そもそもルヴェルタリア騎士たちが王都を離れた地で戦線を張っているのがそもそもの異常事態だ。その有様を目にした記者が聞き込みを行い、記事を書き、それを世間が知ったと考えると自然かも知れない。


「つっても三ヶ月前の――、」

三ヶ月前(・・・・)……!?」

「――――新聞記事だしなあ。詳しく覚えちゃねえよ。

 確かルヴェルタリアの王様が声明文を発したんじゃなかったか。

『騎士国ルヴェルタリアは霧に飲まれて沈んだ。伝説の〝霧の大魔〟は目覚め、世界に破滅が迫っている。諸国は手を取り、団結せよ』って内容だったと思うけどな」


「おじい……陛下が明言したのね。……そう」

「俺はここで門番やる以外に能がねえんだ。

 詳しいことが知りたけりゃあ街の中に居る暇そうなヤツに聞いてくれ」


 んじゃこれが入場許可証だ。良い滞在を。

 兵士はそう言うと門の中に作られた監視部屋の中へと消えた。取り残されたのは四人の若者と一匹の大きな狼(飼い主はアーデルロールで申請済)。


 四枚の入場許可証をわたしはそれぞれに手渡しながら率直な感想を口にした。


「今の話はかなり衝撃的な内容だったね」

「そうだな。俺は三ヶ月経っているってのがショックだった」

「そんな顔には見えないけど? いつものコールくんじゃん」

「どういたしまして。生まれつきこういう顔なんだよ」

「オレが気になったのは三ヶ月の経過ってところもだが、あの兵士がそれほど動揺してないって点だな」


 わたしたちの足元でギュスターヴが唸りながらに言う。


「一国家が霧に潰れて〝霧の大魔〟が目覚めた。まんま『霧と聖剣』の話じゃねえか。それに直面してあののんびりした表情ってのは少し妙じゃねえか?」

「何か安心材料があるのかしらね。というか三ヶ月ってなんなのよ」

「ハインセルの中と外じゃ時間の流れが違ったのかもな。

 今のオレたちには情報が不足しすぎている。<オランピア>ですぐに聞き込みだ」

「わかったわ。行きましょ、みんな」


………………

…………

……


 破滅的な情報を聞いた直後ということもあり、街の中が荒廃していてもおかしくはないと覚悟をしながら<オランピア>へと踏み入った。


 すると街の様子は平穏そのものだった。忙しく動く炭鉱夫の姿や鉱石運びの台車が行き交う場面こそ見えなかったが、住民たちに荒んだ様子はなく、彼らは普通に談笑し、普通に買い物をし、普通に日々を過ごしている。平穏だ。


「どっからどう見ても平和だな」

「そうだね。決闘場で始まる試合のビラ配りが居れば、誰が優勝するかの賭けをやってる連中がそこら中に居る。平和だ」


 辺りを冷静に眺め見るわたしとコルネリウスとは違い、アーデルロールの調子は一変した。彼女は街の入場口に立っていた案内人から<オランピア>のガイドを引ったくると、


「きゃーーーっ! 見てよあれ! あれが<オランピア>の大コロセウムよ!

 勝者が決まると花火があがんのよね。ねえ知ってた!?

 ああ、あがんないかしら。花火見たいわ。花火。

 まだかな。まだかな……わーーーっ! あがったわ! 誰かが勝ったのよっ!」


 と喜色満面。その場でジャンプを繰り返してメインストリートの彼方に見える、ひときわ巨大な決闘場を憧れを目の前にした子供の瞳で見つめている。

 一方で同行者たちの視線は冷静だった。


「アルルの奴は異常だな」

「ああ、異常だね」

「うちの姫は使い物にならねえな。こいつの面倒は俺が見とくから、ユリウスたちは三人で聞き込みをしてきてくれ」

「了解です」




 それからわたしたちは善良顔の買い物客やベンチに腰掛けたままで置物みたいになっている老人、コルネリウスがナンパで引っ掛けた女性たちやトランペットで鳩を呼ぶ少年などなどから聞き込みを行なった。

 以下はその様子。


「なあ婆ちゃん。いきなり変なことを訊くけどさ、今って何月?」

「今は四月よ。まだ肌寒いってのにあんた半袖で寒くないのかね」

「いや寒い。四月って知った途端に具合が悪くなってきた。ありがとな」


 これで四月ということが判明。


「突然すみません。つかぬことをお聞きしたいのですが」

「あら……。いい男ね。どうしたの?」


 買い物客の主婦が振り返り、わたしの顔をじっと見つめる。値踏みかな。

 質問ができるなら何でもいい。確認をしたいのはこの街がどうしてこうまでのどかなのか。その理由が聞きたい。


「<オランピア>は随分穏やかなんですね。

 ルヴェルタリアが霧に沈んでから向こう、旅で寄った街はどこも――」


 言葉を探した。うまくでっち上げろ。


「陰鬱な雰囲気でしたから。何か理由があるんですか?」

「ああ。旅人さんなのね。

 この<オランピア>には今ルヴェルタリアの騎士団の一団が居るのよ」

「ルヴェルタリアの?」

「<鉄羊(てつよう)騎士団>だったかしら。

 突然現れてから向こう、彼らは居着いちゃったのよね。

 あの恐ろしいハインセル王国に何か捜し物があるらしい、って団員の方が言ってたけど詳しいところは分かんないわ。

 ともかく<オランピア>は彼らのおかげで安全なのよ。

 多分だけど連邦の首都より安全ね。ふふ。こんなの言っちゃだめかしら」


 このような聞き込みを二時間ばかり繰り返し、最後には噴水の目立つ公園に座り込んでいたアーデルロールを見つけると「聞き込みはこんなもんだろ。報告しとこうぜ」とコルネリウスが言い、わたしたちの調査活動は終了した。


「それで?」


 アーデルロールの革ブーツの後ろからぬっとギュスターヴが姿を現し、訊いた。


「カレンダーを随分飛ばしちまったみたいで今は四月なんだと。

 このあたりも霧は相変わらず発生していて、出てくる魔物も強いのが多いみたいだが冒険者ギルドと連邦騎士が協力して上手く凌いでるらしいぜ。

 んで、こいつは朗報だな。

<オランピア>にはちょうど今ルヴェルタリアの騎士団が来てるって話だ!

 良かったな。アルルとオッさんが頼めば何でも協力してくれそうだ」

「そうね」


 楽しげなコルネリウスの声とは違い、アーデルロールの声は地を這う蛇のように低い。

 ついさっきまでは夏祭りを好きなだけ遊ぶ分のお金を与えられた子供みたいにはしゃいでいたというのに、この変化は一体何があったのか。


「頼めば何でも助けてくれるかもね。お金も貸してくれるかしら」

「あん? 金?」


 何のことだとコルネリウスが片眉を上げた。


「悪い知らせがあるわ」

「おかしいな、片方しか聞こえない。

 こういう時って良い知らせとセットだと思うんだけど?」

「んなもん墜落と一緒にどっかに落っことしたわよ。

……あたしたち、一文無しよ」

「はっはっは。何言ってんだアルル」


 道の隅っこに座り込み、がっくりと俯いたままのアーデルロールの告白を彼は実に良い笑顔で一蹴した。

 白い歯をわたしへ向けるとコルネリウスは、


「なあ、相棒? 俺たちはハインセルから持てるだけの宝を持って帰ったもんな?

 あれを売れば当分は困らねえさ。そうだ!

 アルル、お前もポケットに宝石を突っ込んでたろ!」

「山ほどね。みっともなくポケットにばんばん突っ込んだわ。歩きづらかった」

「ご存知ないようだけども、あれこそ金だ。もっとも現金化すればだけどな」

「それが無くなったのよ。綺麗さっぱり。跡形も無しよ」

「う、嘘つけ。俺は信じないぞ」


 言われてみれば体が軽かった。

 嫌な予感だ。

 真横に居るビヨンに気づかれないよう、わたしはそっと金貨を入れたままだったはずのポケットを叩いた。あるはずの感覚が無い。


「何やってんの?」

「……何でもない」

「嘘なもんですか。だったらあたしはこんなに参ってないってのよ。

 ポケットん中に手を突っ込んでみなさい。すぐに分かるから」

「お安い御用だ。……あれ。ん? おい。無いぞ」


 ズボンの左右のポケット。尻ポケットに胸ポケット。ブーツの靴底に籠手の内側。全身をくまなく点検するコルネリウスの仕草はさながら奇妙な踊りだ。

 というか隠しすぎではないだろうか。

 あんまりヘソクリをしているとそのうちアーデルロールに叱られてしまうぞ。


「無い! 俺の金貨がどこにも無いぞ!」

「分かってくれたようで嬉しいわ。ギュスターヴ、あとお願い。

 あたしは現実に打ちのめされてもうダメだわ」


 そしてアーデルロールは芝生の上に大の字になって倒れた。

 曇り空を割って射し込んだ陽光が彼女の全身をちょうど良く照らし、その様はさながら天からの迎えである。迎えられては困るが。


「さよなら」

「いや逝くんじゃねえよ。

 つまりまとめるとこうだ。オレたちは飛空挺の墜落で全財産を失い、頼みの綱だった宝石は魔法みたいにパッと消えた」

「本当に魔法だったのかもしれないですね」


 あるいは夢か。


「かも知れねえな。

 今のオレたちはアルルの言うとおりに一文無しだ。

 金がなければ旅の支度を整えることはできない。

 宿にも泊まれず、飯も食えない」

「雑草鍋なら作れるし、野宿も苦じゃねえぞ」

「コール、あの鍋はお前一人で食ってろ。

 オレは要らん。足みたいな味がすんだよ、あれ。

 とにかく金策をしなけりゃ始まらん。これは共通認識だ」

「ギルドのクエストを受領して稼ぎますか?」


 そう提案したがギュスターヴは「そりゃ無理だ」と否定する。


「受領する際に発生する手数料が支払えないから無理だな。恥ずかしい話だが」

「じゃあどうするんですか?」


 純粋なビヨンの疑問に対し、ギュスターヴは狼の眼光を鋭くきらめかせてこう言った。


「短期バイトだ。やるぞ、お前ら」


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