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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
八章『薄墨の頃』
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134. 夢のほとりへ


「よくやったな。切り抜けるって信じてたぜ、相棒」


 わたしに肩を貸し、体を支えながらコルネリウスが言う。泥みたいに重たい体を引きずり歩き、案内されたのは船のへりだった。

 脱力しながら背中をあずけると近くのどこかでバキリと音が立った。思わず眉根が寄る。貴族が好むような豪奢な見てくれとは裏腹に、こいつはその実ボロらしい。


「アルルは?」


 割れた木板のささくれを千切りながらわたしは訊いた。やっぱりボロだ。


「お姫様なら上でボタンを叩きまくってるよ」


 コルネリウスが黄色い目を動かす。

 それを追った先には操舵室があり、はめられた窓ガラスの中にはむつかしい顔をするアーデルロールの姿が見えた。


 若草色の前髪を左右に揺らしながらムムム、と悩ましげな顔をしたかと思えば、次には手を振り上げ、拳の底でガンガン叩いている。

 一瞬後にはブスンッ! と黒い煙があがり、彼女が両手をあげて驚いていた。

 遊んでる……わけではないのだろう。すくなくとも本人は大真面目にちがいない。


「ボタンって?」

「船の起動ボタンさ。

 あいつ、運転するっつって大見得切ったものの

 船の動かし方がてんで丸っきり分からないんだとよ。

『このポンコツ』だの、『作った奴呼びなさいよ』だのと吠えまくってたぜ」


「誰か手伝ってあげた方がいいんじゃないかな。

 あのままだと全部のボタンが潰れて使い物に――とっ」

「ん……。動いたな」

「あるいは沈む前兆かも」

「そしたら泳ぐしかねえなあ」

「はっはっは。……笑えない」

「マジでな」


 二人の男の不安なぞどこ吹く風で。

 船はごごん、と重々しい音をあげると動き始めた。

 足のすぐ下で振動を感じ、船体がゆっくりと前進し始める。この先にて待つ運命は神のみぞ知るというやつだ。


 操舵室の扉を蹴飛ばし、顔を出したアルルの表情はいやに喜色満面だった。


「なんか分かんないけど動いたわよぉっ!

 よーしよしよしよっしゃーっ! やったわね! ねえっ、見てたわよね!」

「うちも手伝ったよ! わーいわーい」

「見てね〜〜〜よ!

 正体不明の力で動いても『よっしゃあ〜っ!』なんてならねえし!

 ビヨンも一緒になってガッツポーズすんな! 見ろよ、こいつを!

 この船の不気味さときたらマジでゆ……」


 顔のパーツを中央に寄せたコルネリウスが渋い顔をする。彼は言葉を口の中で数秒たっぷり溜めてから、


「〜〜〜〜…………せんみてえじゃねえか。

 怖すぎる。ああ口にしたら、ヤバいぜ。もうやめてくれ。この話は終わり。な?」


 自分で言って自分で凹むとは。これも自給自足かな。まあ、


「コールは置いとくとして。

 けどまあ、順調に動いてるならなんでもいいよ。

 あの牢屋を抜け出せるなら僕はそれでいい」

「冷たくねえ?」

「なんと。失敬な。戦い終えた僕の体はちゃんと熱い」

「失敬ってたぶん俺のセリフだし、そういう冷たい熱いじゃねえよ」


 ぎいぎいと船体をきしませ水路を船が進む。

 帆もなければオールもないこの船がどうして進むのかはようとして知れなかったが、アーデルロールの「動けばいいのよ、動けば」の徹底した主張にコルネリウスは結局閉口せざるを得なかった。


 唇を横一文字にきゅっと結び、険しい顔をするコルネリウスをよそにしてわたしはどうしてか、彼の言うとおりに幽霊船にでも乗り込んでしまったような気持ちになる。


 このままどこかへ連れ去られるのなら、満身創痍の体を奮い立たせて剣を取らなければならないが、今はこうして何かに背中を預けてじっとしていたいと言うのが偽りないわたしの気持ちだった。


 すぐ横で革靴の小気味良い足音が聞こえた。

 視線をあげると我が剣の主……などとかしこまった呼び方はやめよう。

 アーデルロールが腰に手を当て、しかし顔はそっぽを向くように横を見て、だが頰にはほんの少し朱が差している。



 沈黙。

 船は相変わらずきしんでる。


 こういう時はわたしから声をかけるのが通例なのだろうか? 実際はどうかはともかく、先に口を開いたのは今回もわたしだった。


「やあ」

「……よ、よっ」


 片手を手刀の形に変えて、しゅっと素早くアルルが返事をする。


「変な挨拶。どうにか頑張ってきたよ」


 二度目の沈黙。気詰まりだった。わたしは次の言葉を素早く探す。


「メルグリッドは多分、本調子じゃなかった。

 きっと地上でギュスターヴさんと戦り合った時に痛打を受けてたんだと、」

「い、生きててくれて。その。えと、」

「?」

「嬉しいわ。また会えて。うん。

 あんたが頑張ってくれなかったら、あたしたちここに居られなかった、から。

 あり、ありがとね! ユリウス!」

「僕は君の騎士だから。それも近衛だ。だからこのぐらいは……なに?」


 頭に手のひらがぼふっと乗せられ、そのまま指先で髪の毛をかき混ぜられる。まるでイヌを愛でるかのような手つきだ。


「そんなんじゃ僕の癖っ毛が余計にひどくなるよ、アルル」

「んなっ。あたしからの褒美のコメントがそ、それなわけ!?」


 ああ、これご褒美だったのか。なるほど。


「じゃあありがたく……」

「ふんっ」

「……」

「――お二人さんちょっと悪いんだけ、」

「ぎゃーーーーーーっ!?」

「どぼぬ」


 絶妙な間に掛けられた声にアーデルロールは裏声をあげて叫び、振り返りざまに声の主へと腰の入った拳を見舞った。

 耳に残響が残るなかでわたしが見たのは、みぞおちを押さえてよろめくコルネリウスの長身である。まあこんな気はしていたが。


「声かけるときは『少々よろしいでしょうか?』のひと言ぐらい添えなさいよ!」

「んなもんナンパの時にしか口にしねえよ脳筋女め」

「言ったわね。あんたの死刑は確定したけど今すぐじゃないわ。

 さあ、あたしがこの破壊衝動を抑えてるうちに早いトコ用件言いなさい」

「相棒、お前、こいつのどこがいいわけ? 拳の重さとか?」


 一体何の話だ?

 答えを聞こうにも彼は一瞬後にマウントを取られ、色々な意味で終わった。


………

……


「船が沈む!? よく聞こえなかったわ、もう一度はっきり言いなさい」

「ふぁはら、ふあほほひあはがあいへはんばっべ」

「ユリウス! 通訳!」

「『だから、船底に穴が空いてたんだって』って言ってる」


 彼の顔の腫れを治療しながらわたしは言った。魔力が少ないので元通りとはいかなかったが、彼の自然治癒力ならすぐに治るだろう。


「なるほど、そんなことになってたのね」


 腕組みしつつ頰に指先を添えつつ。とんとんと黒革グローブの指でリズムを取りつつアーデルロールは言った。


「って〜〜……。今は船底に駆けてったビヨンが魔法使うわバケツ使うわで必死こいて水をかき出してるが沈没は時間の問題だぜ」

「シュミットは?」

「まだ夢ん中だ。

 ところであれだけ殴られて反撃ひとつせずに、しかも怒りもせずに話す俺って聖人の生まれ変わりかなんかだと思うけど、お前らどう思う?」

「興味ないわ。ふん、この船には脱出艇も無かったものね」


 ご明察。コルネリウスが肩をすくめて息を吐く。


「じゃあ覚悟決めて泳ぐか。やれやれ風邪でも引いたらしんどいぜ、おい」


 戦いの直後に泳ぐのかと思うと気が滅入った。

 が生存は何よりも優先されるという真っ当なる冒険鉄則にしたがい、ここは腹を決めてこの暗黒色の水に飛び込むしかないのだろう。


「むふ。どうやら幸運はあたしたちに向いてるみたいね」


 口を手で隠したニンマリ笑いでアーデルロールが言う。不穏だ。


「あん?」

「泳ぐ必要はないわよ、コール。ふふん、ここが水場で良かったわ」


 脱ぎかけたシャツを戻し、コルネリウスが哀れな目をアーデルロールに向け、それからわたしを見た。

『こいつ……とうとう』。そんな形に口が動く。命が惜しければそれ以上は言うな。


「目ん玉かっ開いてよく見ときなさい。〝聖剣〟の真価を披露したげるわ!」


 彼女が腰に吊った〝聖剣〟の柄に手をかけ、力のままに振り上げた。

 祝福を与えられた鎖に剣身をおおわれた鞘無しの聖遺物。


 ガリアン王が振るった古い英雄の一振りをその末裔が高々と掲げ、鎖の上から剣に指を添え、言う。


「アーデルロール・ロイアラート・ルヴェルタリアが緋の瞳によって命ず!」


 剣身の根元を彩ると言われる十三の宝玉。それは〝精王〟との契約を象徴する北王の証。

 その輝きは一度確かに失われた。しかし末裔は――アーデルロールは十三の星の一つを取り戻したのだ。

 常人では成せぬ偉業を彼女は確かに果たした。

〝霧払い〟としての一歩を。〝精王〟と自らとの契りをふたたび――。


「十三の冠、四の剣、一の願いに従い、我がもとに顕現せよ!

 あまねく水の盟主、睡蓮の王――〝水精王〟セレナディア!」

「っ!」


 言い終わると同時に真っ青な球体が宙に浮き、ひし形をかたどり、つづけて三本の棒になり、霧散した。

 驚きは続く。

 透明な糸――違う、これは水流だ。透明度のきわめて高い水の筋が空中で渦を巻き、濃密な魔力風が船の甲板上で吹きすさぶ。


 厳かで、しかし温かい気配を肌で感じた。ハインセルやこの地下通路は冷たかったのだと今更に実感する。この魔力はあたたかい(・・・・・)


「こいつは――!」


 顔を腕でかばい、吹き飛ばされないように踏ん張り、目を細く開くわたしは水でつくられた花のつぼみを捉えた。

 光の筋が表面を走り、やわらかな匂いと共に花弁が開く。


 現れたるは人ならず水の女王。

 世界のあらゆる水を支配下におく〝水精王〟セレナディアがアーデルロールの呼びかけに応え、召喚されたのだ。


『アーデルロール。霧払う娘よ。早い呼び出しだな』

「セレナディア女王陛下。この度は――」

『良い』


 白波の手をするりと突き出し、水の指先をアーデルロールの唇に添えてセレナディアは言う。その所作は軽かったが発言を遮るには十分な迫力があった。


『貴様との契約は既に成った。

 故に、赦す。楽に言葉を吐くが良い。ありのままの貴様を妾も知りたいでな』

「んん……ええと……では……」


 そんな申し訳なさそうな視線をちらちらとわたしに送られてもどうしようもない。

 大きな声でアドバイスを出来る空気ではなかったが、もし発言出来たのなら君の好きにするといい、とわたしは声をあげただろう。


「困ってるの。すごく」

『ほう? この死臭漂う汚水に耐えかねたか?』

「いやそれは分かんないけど。

 この船沈みそうなのよ。船底に水が入ってきちゃって――」

「もうダメだーーーーっ! 沈没する!

 泳ぐ準備するよ! 貴重品持って……あれっ」


 船倉へと続く下り階段からビヨンが飛び出した。ひたいから汗を滝のように流し、ずぶ濡れのローブのスカートを際どい高さまでまくりあげたままで叫んだ。

 が、それは〝精王〟の姿を目にした途端にぴたりと止まった。


 水の瞳と緑の瞳が交わり、魔法使いの少女が言う。


「すごい。〝精王〟を召喚したんだ……! 触媒は〝聖剣〟、それに血筋……?

 あの気配、過酷な水抜きに耐えかねたうちの錯覚じゃなかったんだ。良かったあ!」

『……成る程な。

 良かろう、委細は承知した。

 腐れに沈もうとする小舟を守り、終着点にまで届ければ良いのだな?』

「その通り。出来る?」


 腰に手をあて、ついでに顎を上向け。えらそばって言うアーデルロールは既に普段通りの彼女に戻っている。不敬極まりなく思えてならなかったが、当の女王はさして気にするそぶりは見せず。


『容易いことよ。

 しかしハインセル。ふ、淀みに淀んだな。

 国が興る以前には<星の心臓>と呼ばれる美しき森だったのだが……。

〝風精王〟とあの炎の髭め。奴ら、何もせぬのか……?』


 船体を水の膜が覆い、ふわりと浮く。水流の上を半ば滑るようにして船は加速する。それはまるで川の流れに葉っぱの船を乗せたような軽やかさだった。


 出発時とは比較にならない速度で通路を抜ける。

 この先にあるのは果てもない霧だが、わたしはハインセルの旅の終わりが近いことを予感した。


「……そういや俺らがこの最悪な国に来ちまったのはどうしてだったっけ……?」


 コルネリウスが不穏な呟きを口にする。

 それは……セレナディアに訊いていいものなのかどうなのか。


 二人の男の沈黙を乗せ、船は往く。


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