133. 憧れを見た
幾筋もの銀閃が虚空をはしる。
<瞬影剣>は平時の威力をはるかに超え、どころか単一ではない複数の斬撃となってメルグリッドへと向かった。
圧倒的な剣技。恍惚の歓喜。剣士としての高みへと駆け足で至ったかのような錯覚がわたしの中に生まれる。
霧を食い破る閃きを目にしてわたしは直感した。これは殺った、と。
この剣は避けられない。ひとたび放てば相手の命を断つ、そういう性質のものだ。
およそ尋常の人間では受けられまい。この死からは逃れられまい。
どんな鎧も盾も信念もこの剣はきっと両断する。
ただしそれは、そう――尋常なら、だ。
「ッアァアアアアアアアアァァアアアッ!!」
戦士の雄叫びが場を震撼させた。
肺の息を吐き切り、腹の底から絞り出す強い声がとどろいた。
勇猛なルヴェルタリア騎士らはこの戦士の雄叫びを何度聞いた? 彼らはそのたびに意気を揚げ、魂を震わせたに違いない。英雄の咆哮は気高く雄々しい。それは味方の鼓舞となり、敵対者に恐れを与える。
瞬間、夕陽が弾けたようなまばゆい赤が視界いっぱいに花開いた。
次いで振り下ろされる巨大な拳。メルグリッドの左手が硬く拳を握り、轟然と迫っている。その甲には赤々と輝く幾何学の紋様。
〝巨人の拳の紋章〟の光で間違いないだろう。
この女……!〝太陽の瞳の紋章〟を通して振るっているセリス・トラインナーグの技術を使い、放った最速の剣を逃さずその目に認め、応じたのか!
わたしの三倍はくだらない豊かな戦闘経験のなせる技か、あるいは戦闘の天賦の際か。
確かなのは本当にバケモノじみているということだ。必殺と確信した剣を視られたことにわたしの矜持がうずく。
とっさに悪態が脳裏をよぎる。
見えすぎるわたしの目が巨人公女の視線を、重心を、拳を、敵意を観察し、現実を理解する。
奴の狙いはわたし……違う、これは斬撃――〝瞬影剣〟の軌道を阻み、潰そうとしての打撃!
「ッフォンッッッ!! クラッドォオオオオォオッッ!」
「届け――!」
りん、と鈴の音がどこからか聞こえた。
光の輪が生まれ、破壊が地平をなめていく。
剣と拳は真正面から衝突をした。
発生した衝撃は嵐となって空間に吹き荒れ、砕かれたお互いの攻撃はしかし消えはしなかった。強い力は強烈な爪痕を辺りに刻み、やがて相殺する。
ほこりの混ざった暗い煙と霧が入り混じってメルグリッドの姿がつかの間見えなくなる。まるで濃霧の中だ。
〝四騎士〟を相手にしている以上、ぼうっとしている暇など一瞬もないことは分かっていた。
攻撃なり回避なり、次の行動にとっくに移っていなければならなかったが現実問題、わたしの体はどうにもならなかった。
全身が強張っている。極度の疲労か緊張かは分からなかったが、この反動には飽き飽きだ。またか、と思う。しかし体は正直だ。わたしの意思は万全でもこいつだけはどうにもいかず、相当に歯がゆい。
どっ、と汗が全身から吹き出す。額を流れ、まぶたから落ちた汗が目に入り、痛みが走るあたりでようやく自覚する。
どうやら、まだ、生きている。
振り抜いたままの自分の手に視線を落とす。
腕はくっついている。それと足も。とりあえず体の部品はひととおり揃っている。なら、まだ戦える。
奇跡的なことに剣も折れてはいなかった。
購入した店のオヤジはどうしようもない不幸の剣だと言っていたが、とんでもない。この剣でなければわたしは怪物とは決して渡り合えなかった。
誰がなんと言おうとこいつは素晴らしい一振りだ。
落ち着いたらなにか銘でもつけてやりたい。縁起が良く、幸運を連想させる名前がいい。
と、風が変わるのを感じた。それと強い気配。この威圧を一度知ってしまったなら忘れることなど出来はしない。
「まだ立つのか。……さすが〝四騎士〟。飾りじゃない」
不意に空気が流れ、土煙と霧が旋風となって渦を巻く。視界不良もそれに伴ってやわらぎ、メルグリッド・ハールムラングの姿が現れた。
この感じ……。どうしてか、最初の霧の森を思い出す。あの時の牛頭の脅威とメルグリッドのそれからは同質の印象を受ける。
それは自身と比べてはるかに上の領域に立つ強者を前にした時の不安と重圧。しかしあの虚ろだったころと今を比べ、おおきく違うのはわたしは剣と自分が歩いた歴史を持っているという点だ。
何も無いという虚無感と無力感とに打たれ、ふたたび泥土を握りしめるつもりは毛ほども無い。
「――血」
巨躯はぽつり、とそう呟いた。
メルグリッドに戦意は見えない。彼女は棒立ちのまま、自分の左手をじっと見つめたままだ。剣を握るもう片手に力は入っていない。
かつての英雄に影響を与えたことでわたしは歪んだ歓喜を感じた。あの剣は、<瞬影剣>は確かに〝四騎士〟に届いていたのだ!
見たところメルグリッドは手酷い傷を負っている。彼女の左側頭部――片耳は飛び、こめかみは深く裂け、おびただしい出血が白い顔の半分以上を赤黒く濡らしている。
そして拳。
白銀の手甲はハッキリと割れ、亀裂からあふれた血液がぼたりぼたりと垂れている。その己の手を見つめ、メルグリッドがまたもつぶやきを落とした。受け入れがたい現実を前にして呆然としているように。
「血……。私が……?」
わたしはメルグリッドから視線を外し、周囲に目を配った。「まさかこうなるか……」
相殺されたと思ったお互いの力は、それぞれの背後にどうやら流れていたらしい。
巨人の周囲とその背後にはでたらめな軌道の斬撃痕が刻まれていた。
まさに縦横無尽。ふと、既視感があり記憶を追う。すぐに怒りと憎しみの暗い感情が背筋を這い上がった。
これは……村で〝ウル〟が放った斬撃によく似ている。
「あの外道の剣に……。っ! なんだ?」
足元に揺れを感じた。びりびりとした振動が加速度的に大きくなり、通路に大小のヒビが無数にあらわれる。
「揺れがひどい。地下通路の方がいい加減に限界なのか」
何もかもが上下に激しくふるえる中、ただ黙したまま立ち尽くす巨人の姿をわたしは眺め見た。
かつての英雄。心を狂わされた怪物。
彼女がこちら側に立っていればこれ以上なく頼もしかったに違いない。
風に聞こえた話が確かならば、メルグリッド・ハールムラングとアーデルロールたちルヴェルタリア王家三人の子供たちは個人としても親しかったという。
騎士であると同時に友であった彼女なら。…………。
「……メルグリッド、今のあなたはアルルにとって危険過ぎる。
殺せるまではいかずともここで痛打を与える――っ!?」
一際おおきな揺れが足元を通り過ぎると瞬間、立ち位置がガクリと降下した。
構造的にもはや耐えきれなくなったのだろう。
地下通路に次々に亀裂が走り、ある箇所は割れ砕け、ある場所は陥没し大穴に変わっていく。
「メルグリッドッ!」
〝巨人公女〟を囲うように円形の崖が生じる。「待て!」そう言葉がわたしの口をつくと同時に巨体が奈落に吸い込まれた。
氷色の髪が上向き、重力に引かれて消えていく。
わたしはとっさに駆け出し、手を伸ばしたがこれはどうしてだろうか?
落ち、姿を消す一瞬、あの氷の瞳と視線が交わったようにも思う。しかしその答えはもう誰にも分からない。彼女はもう遠いのだから。
………………
…………
……
「僕もこのままだとまずいな。
皆がどうにかしてくれているはずだ、合流しなきゃ」
後ろを振り返り、不安定な足場を蹴飛ばし走る。
鉛をくくりつけられたように足が重い。疲労がひどいのだ。心当たりは多かったがやはり最たるものは〝紋章〟の反動だろう。しかし、
「……大丈夫だ。前よりはひどくない。
イルミナの〈魔力変換〉のおかげだな。
会ったら礼だけは言っておかなきゃ、か」
気を緩めればわたしの体はきっと立ち止まる。そうして通路の崩落に巻き込まれることは想像に難くない。
巨人の拳によって生まれた破壊痕――円筒状にくり抜かれた通路が崩れる中を全力で走る。足がもつれ、何度も前傾しながらも前進だけは止めなかった。
彼らに、仲間に、アルルにもう一度会うんだ。
かろうじて残っていた通路最奥の扉に届く。このドアノブを回せばすぐそこが終着点だ。
「――こっ」
扉を蹴破るように開き、飛び込んだ。が、期待と達成感の二つはあっという間に消え去った。
「こんなのありなのか!?」
奈落。
扉の先はとっくに崩れ、足場なんて小石も残ってやいなかった。
わたしの足が宙を踏む……もとい蹴る。あるいは空を切る。なんでもいい。あるのは理不尽に打ちのめされた心だけだった。
だが決して諦めてはいない。むしろどうにかなった、といった安心がある。ここまで走れれば、後はきっと彼女がどうにかする。
自由落下をするだけだったわたしだが、腰のあたりに衝撃を感じた。視線を下げるとそこには薄緑色に発光する光の縄――ビヨン・オルトーの編んだ魔力のロープがくくりつけられていた。
「流石――! いいよ! こっちはいける!」
聞こえるかはともかくとしてわたしは声を張り上げ叫んだ。かつて通路だった道の奥へと伸びているロープが答えるように一瞬たわみ、しなると猛烈な速度で巻かれはじめる。
それに連動してわたしの体が移動していく。まるで滑車に吊られた荷物のようだが、お陰でどうにか間に合った。
ビヨンのロープが発動できる圏内ギリギリまで走ることは、わたしが生還する絶対条件だった。もうこうなれば後は仲間に任せておける。
鎖や牢屋、警棒に鉄の仮面と血錆びの足かせ。ハインセルの暗い影の歴史が、どこに繋がっているとも知れない闇の底へと消えていく。
「……終わりだ。メルグリッド」
わたしのつぶやきは崩落の音に巻かれ、すぐさまに消えた。
鳥になった心地で宙を飛んだ先は船着場だった。ここも振動は激しかったがまだ崩落は及んではいなかった。つまりまだ石畳の床は残っていたわけで、それに着地、引きずられるわたしの体がゴリゴリとそれに削られる。
「あだっだだだだだだ!」
これが命を賭してしんがりを務めた仲間に対する仕打ちなんて世知辛いにも程がある。
もんどり打ち、段々とすり傷だらけになりながらようやく終着点にたどり着いた。
ゴツン、と頭を打ち付けた感触と音はどうやら木製の……板かな?
疲れ切った芋虫のようにもぞもぞとするわたしの横に三人ほどの人間が降り立つ音がタタッと続いた。
それからやわらかい感触の手がうずくまるわたしの肩に触れ、満身創痍の体を起き上がらせると真緑の瞳が――ビヨン・オルトーが笑顔で言う。
「馬鹿! ありがとう!――〜〜っ、おかえりっ!」
「……ただいま」
頰にぽつりと水滴が落ちたように思ったが気のせいだろう。傷口にしみるこの感覚も、きっと。




