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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
八章『薄墨の頃』
132/193

128. 肉と道

「……さて、と。

 地下通路に無事着いたみたいね!

 魔法をありがとう、シュミット。ナイスな働きだったわ」

「ふん、数秒前まで誰よりも取り乱していたクセによく言うわ」

「それって誰のことかしら?」

「……」


 着地直後の気まずい会話。

 泥汚れを払い、装備の点検をしつつ、わたしは頭上をじっと見上げた。


 そこにあるのは黒い大穴だけ。

 一体どれだけの深さを落下したのか見当もつかない。

 冗談抜きで本当に地底世界に落っこちてしまったみたいだった。


「怪我人はひとりも居ないみたいだな」


 座り込んでいたコルネリウスが立ち上がりざまに言う。

 彼はわたしの挙動を真似るように頭上を見上げると「とんでもねえな」とこぼし、


「カエルの爺さん、ありがとよ。助かったぜ」

「本当にありがとうございました」


 帽子を押さえたビヨンが続けて礼を口にする。

 例の浮遊現象はすっかり収まっていて、彼女の白い足と黒茶のブーツは地面にしっかりとくっついていた。


 重ねての感謝を受けたシュミットは難しげに眉を寄せると「別にいい」と言って。


「魔法を使うのに躊躇はあったが、

 無様に落下死をするよりはマシだと思ったから使っただけの事だ。

 わざわざ礼を言う必要はない。ふん、それも形のなっていない礼では余計にだ。

 それよりも気持ちを切り替えろよ、小僧ども。

 この陰気な地下道が安全という保証はないのだからな」


 魔法灯の明かりを身に受けながらにシュミットが言う。

 顔にかかる陰影がどうにもハマっていて、怪談話にぴったりな具合だった。


 カエルの目をじっとりと細めて辺りを見回す彼につられて、わたしもこの湿気た地下通路を観察する。


「地下道、か。ふーん……」


 ひび割れたレンガの壁は蜘蛛の巣だらけ。

 それから牢屋が等間隔にずらりと並んでいる。

 独房だろうか? 無意識に耳を澄ましたが物音はしない。

 それもそうか。誰も居るわけがない。……居ないよな?


 他には湾曲した天井と嵌められていたらしい、今ではすっかり錆びたランプがいくつか。試しに中身を見てみると中にはガラス製の玉が収まっていた。


「なんだか静かで不気味ね。墓地みたい」

「別に普通の通路だろ。何も問題ねえよ楽勝楽勝。ほんとに楽勝」

「む」


 アーデルロールのしんみりとした呟きを、よせばいいのにコルネリウスが拾う。

 コルネリウスの妙な早口に違和感を覚えた彼女は口元ににんまりと意地悪な笑みを浮かべた。それからほんの少しの憐れみを交えた声で、


「ああ……。

 そうねえ、コール。ここはありふれた普通の古い通路よねえ」

「そのニヤニヤ笑いを止めていただけますかね!?」


 コルネリウスの言う普通の通路(・・・・・)はわたしたちの前後、一直線に伸びていた。

 壁に設置されている魔法灯がオレンジ色の明かりを通路に投げかけている。

 しかし、だ。今この場に限ってはちっとも温かみを感じられなかった。

 どころか不安をあおられる。


 物音ひとつしない棄てられた通路と虚しく灯る明かり。

 コルネリウスじゃないが、幽霊が出る場所というのはきっとこういうところに違いない。……そう思うとなんだか寒いな。


「あの、シュミットさんはここに詳しいのですか?」


 たまらずわたしはこの中で通路にもっとも詳しいであろう魔法使いの男に訊いた。


「まあな。どうした、何か気になることがあったか?」

「ええ。ここは地下通路ということでしたが、その……どうして牢獄があるんでしょうか? それも壁にずらりと」

「これらは王の趣味さ」

「趣味ですって?」


 アーデルロールが食いついた。

 小首をかしげつつ片眉をあげている。こんな時の彼女は言外にこう言っているのだ。『それってマジなの?』。


 王女のクセを知らないシュミットは手のひらに光の玉を作り出しながらに答えた。記憶を探りながらのゆっくりとした声だった。


「王は強い加虐趣味を持つ男だったのだ。

 我が国ハインセルは豊かな繁栄を得たが、それ故に罪人もまた多くてな。

 それこそ夏の夜、剥き出しの光に集う虫の群れのようにだ。

 王はそれら罪人を罰することを特に好んだ。

 ぶどう酒に濡れた口髭の下で彼はこう言っていた。『余の行いは正義である』と。

 笑わせてくれる。玉座と冠に酔っていただけではないか。

 ハインセル王は罪人に対して自ら手をかけた。かけ続けた。

 この通路は――……つまりそういうわけだよ。

 言ってしまえば王のおもちゃ箱だ」

「……そっか。それでなんだ」

「ビヨン?」


 すんすん、とビヨンが鼻で空気を嗅ぎ、嫌悪の顔を浮かべていた。

 わたしと目があうと彼女はすぐさまにコルネリウスに視線を向けて、声に出さずにある言葉を口の形で表現した。


 ゆ。う。れ。い。

 で。る。か。も。ね。


「ああ……」


 やっぱり思うか。そりゃそうか。そうだろうともよ。

 シュミットが口にしたハインセル王の行動が真実なら、ここには無念やら怨念を山と抱えたものがごまんと居るのだろう。


 そう思うとさっきまで感じなかった死臭だとかそういったものが香ってくる気がしないでもない。錯覚だとしても不快だ。


 足早に抜けた方が良い。

 一行のためにもコルネリウスのためにも。

 それにメルグリッドの手から逃れたこの好機をみすみす逃がすわけにはいかない。

 ギュスターヴが稼いでくれた貴重な時間なのだから。


……彼はきっと無事に切り抜ける。天下に名高きあの〝王狼〟なのだ。それに……情けない話だが、わたしたちは彼を信頼する他にない。


「先に進もう。

 早く地上に出なきゃだ」


 わたしの声にアーデルロールが続く。


「そうね。ギュスターヴと合流をして、とっととハインセルを抜けましょう。

 あんまりうだうだしてらんないのは全員承知よね? コルネリウス?」

「……えっ、俺を狙い撃ち?」

「珍しく考え事してるから振ってやったのよ」

「そりゃどうも。

 移動には大大大賛成だ。

 この通路にも霧が入ってきてやがるからな、魔物が出ないとも限らねえ。

 襲撃には気をつけようぜ」


………………

…………

……


 一行がそれぞれの言葉で了解を返し、通路を進む。

 先を歩くのはシュミットだ。手のひらに明かりを作り出した彼は的確に通路を曲がり、迷いのない足取りで歩いていく。


「来たことがあるみたいに正確に進むのね」 アーデルロールが訊いた。

「外道の輩なら一度は来る場所だからな。庭みたいなものだ」

「……そ」


 横目に見る牢獄の中には誰も居なかった。が、放り出された毛布や錆びの浮いた手錠、壁に規則的に彫り込まれた傷跡などから否が応でも人間の気配というものを感じられてしまう。


「コールは前だけ見ておいた方がいい」

「最初っからそのつもりだぜ。なんつうか……慣れてるからな」

「さすがだね」

「いやいや。……待て、その褒めは後に取っておいてくれ。

飯のおかずに最適だからな。味気ない乾燥パンでも俺計算で億倍はウマくなる」

「それはもう別の食事でしょ」


 同じような景色が延々と続く通路をしばらく進んでいるとシュミットが、


「あそこでしばし休もう」


 彼が杖の先で指したのは木製ドアだった。

 ドアの表面には『宿直室』とかすれた字で書いてある。


「休憩は嬉しいけど……休んでる場合なのかな?

 うちらは少しでも進んだ方がいいん……」

「いいや、それは違うぞ娘よ」


 わたしがドアノブを回し、開いた扉の隙間に身を滑り込ませたシュミットが言う。

 どうでもいいがこのカエル、アーデルロールとビヨンとで扱いが違う気がする。


「霧中の行軍というのは消耗するものだからな。

 休める時にこそ休んでおかねばならんぞ。

 魔法使いならば尚更だ」

「はあ……」

「その腰を降ろすのちょっと待った!

 シュミット、あたしたちは今どこまで来てるのよ?

 答えない限りは永遠に座らせないわよ。ねえ、空気椅子は嫌でしょ。教えて」


 中腰で動きを止められたシュミットが不快な面持ちをアーデルロールに向ける。

 

「そうまでせんでも答えるわ。

 今はおよそ7割といった具合だな。

 先にある隠し扉をくぐると水路と小舟がある。

 随分古い船だが、なに、わしの設計だからな。まだ現役に違いない」

「その船で王都<ゴルディン>まで?」

「正解だ、ユリウス。

 水路は一度地上に出るから、貴様らはそこで降りるが良かろう」

「……分かりました。アルル、それでいい?」

「んー」


 背中を壁にあずけたアーデルロールが唸る。

 吊り目をきゅっと細めた彼女はギュスターヴとの合流について思案していた。


「どう信号を送ればいいのかいまいち分かんないのよ。

 王都で落ち合うって言っていたから、行った方がいいのかしら」

「でもそれじゃあ遠回りになっちゃうよ?」 ビヨンが食料を取り出しつつ言う。

「そうなのよねえ。んー……。ユリウスは何かある?」

「えっ。ちょっと待って、考える」


 無味乾燥の食べ物をもそもそと咀嚼しつつ考えをめぐらせた。

 ダメだな。どうにも頭が回らない。

 きっと腹が空いているからだ。……思えばまともな物を随分食べていない。


 ハインセルを出たら飯屋に行こう。

 ステーキやら唐揚げを好き放題に食べるんだ。

 そうすれば気力も満ちるし頭も回る。


 いや、今が無いわけではないけれど。

 ああ。食べたいな。油……脂……、


「今すぐ肉が食べたい……」

「そうね。ぱーっとやりたいわよね……」

「ああ……」

「って違うわ。アイデア! アイデアを寄越しなさいってのよ!」

「いやごめん。願望が口からダダ漏れだった。

 そうだな……狼煙をあげるとかどう? あるいは花火とか」

「霧の中じゃ見えんと思うぞ」


 さらりと却下を食らう。

 とっさにひねり出した意見もこれである。

 こうなっては本格的に頭も回らない。


 結局良いアイデアが出ないままで食事は進んだ。

 それから交代で番を立てての仮眠も取っておく。


 まずアーデルロールとビヨン、シュミットの3人が眠り、わたしとコルネリウスが物音に耳をすませるのだ。


「……何も鳴ってほしくねえよな」


 あぐらをかいてコルネリウスがぼやく。下唇を突き出した顔は心底いやそうだ。

 ここで『何が?』と訊くほどわたしは性格は悪くないつもりだ。


「黙ってると耳が痛いぐらいに静かだね」

「ん? ああ、まあ言われてみりゃそうだ」

「なにか適当に話してよう。外出たら何食べるとか」

「今ここでその話題を振るのかよ。俺の胃袋がさめざめと泣くからダメだ」


 そんな!

 他に今のわたしが挙げられる話題といえば……何も無いな。


「羊でも数えるってのはどうだ」

「寝落ちしたら責任取ってよね」

「ああ、そりゃ無理だ」

「なんで?」

「俺も寝るから」

「アルルに殺されるよ」

「そしたら化けて出てやろうぜ。あっ、怖。この話やめようぜ」

「自分の口を制御出来るようになってからまた話そうか」

「辛辣かよ」

「お腹減ってるからね――……?」


 何かが聞こえたような気がした。

 足音? ありえない。この通路にはわたしたち以外の気配は何もなかった。


「どうした?」

「いや……」


 しまった。

 違和感に気づいた時に思わず気が張った。さっきまで和らいでいたコルネリウスが緊張した面持ちでわたしを見ている。


 彼にはもう少しリラックスをしていて欲しかったのだが……こうなっては……。


「……物音がしたんだ」


 こうなっては仕方がない。

 わたしは彼を信頼し、包み隠さずに言った。


「でも気のせいかもしれない」

「んな訳あるかよ。ユリウス、お前の耳は確かなことを俺は知ってる」


 嬉しいね、などと言おうとした時にまた聞こえた。

 ガリガリとした音……これは何か硬いものを壁に押しつけて削っている音だ。


 連想するのは木の枝とレンガの壁。

 子供の頃にはよく木の枝を削って遊んだことを思い出す。


「聞こえた?」

「ばっちりとな」

「様子を見に出ようか」


 中腰に立ち上がったわたしの腕をコルネリウスが掴む。

 首を左右に振り、目をまっすぐに見つめ、制する。


「やめとけ」 と、彼は何かに気づいた。

「……待て、何か言ってないか?」

「……本当だ。……?」


 ぼそぼそとした小さな声だったが、特に静かなこの地下通路ではやけに響いた。

 段々と明瞭になっていく。削る音も大きくなる。

 近づいているのだ! 手汗がにじむ中、わたしはその声の全容を確かに耳にした。


「アーデルロールおうじょ、あそびましょ」、と。


 冷や汗が背中に噴き出した。

 ゆっくりと視線を扉から仲間へと向ける。

 アーデルロール、ビヨン、それから……シュミット。


 この魔法使いのカエルは目を覚まし、扉を凝視していた。

 今ある状況だけでも十分恐ろしいというのに、よりにもよって彼はとんでもないことを口にしてくれた。


「この声……魔力の波長……間違いない」

「知り合いなのかよ?」


 コルネリウスの問いに彼は取り合わず、声を震わせてこう呟いた。


「し、信じられん……、

 〝魔導〟のドラセナがすぐそばに居るとは……何が……一体どうなっているのだ?」


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