127. 巨人王の七帯剣
巨人が手に持つ大剣――重宝剣ダインスレイヴが緋色の光を放ちはじめた。
それに続くように得体の知れない重圧感がわたしたちの手や足にまとわりつく。
わたしはこの不思議な感覚に覚えがあった。
まるで目には見えない枷を両手足に嵌められたようなこの感覚。
これは極めて強力な魔力による生物への干渉行為にみられる現象の一種だ。
記憶を掘り下げてしまうと、わたしの嫌な記憶の常としてイルミナ・クラドリンのニヤニヤ笑顔に行き当たるのだが今はそれは置いておこう。重要なのはこの状況は非常にまずいということだ。
一瞬前のことだ。ギュスターヴがこちらへ向けて『先に行け』と口にした。
ならばとわたしたちは広場からの離脱を試みようとしたのだ。
……が、こうも体の自由がきかないのではどうしようも無い。
言ってしまえばまな板の鯉……。
などと長々と考えている場合ではない。変なところにまで思考を伸ばすのはわたしの悪癖だ。
実際の話、状況は非常に切迫していた。
もっと言えば絶体絶命のピンチと言い換えたっていい。
敵意を剥き出しにした〝巨人公女〟はその宝剣を素早く抜き放った。
巨人王が所有する宝物のひとつ。これまでおびただしい量の血と命、そして無数の伝説とともに神代より継承されてきた遺物――重宝剣ダインスレイヴ。
本来であればあらゆる魔を滅ぼすために振るわれる剣――歴史を鑑みれば、このダインスレイヴもまた聖剣と称していいかも知れない。それほどの神秘物だ――だが、奇しくも今はわたしたちを殺さんと振りかぶられていた。
現在の所有者メルグリッドは自身がかつて忠誠を誓ったはずの王家、同胞である〝王狼〟、わたしのかけがえない仲間をも一緒くたに潰そうとしているのだ。
ああ、もう。まったく。
やたらに見えすぎる自分の目が今は厄介極まりない!
大英雄メルグリッド・ハールムラングの鮮やかな踏み込みがよく見えた。
左足から右足へ。流麗だ。
三つ重ねの城門よりも重いとされる巨人王の宝剣を、まるで木の枝かなにかみたいに軽々と振り上げる様はあまりにも堂々としていて、いっそ見惚れてしまう。かつて憧れた英雄のひとりなのだから当然かもしれないが。
ふと――これがそうなのか、と思い、目を見開いた。
彼女に潰し、殺され、斬り伏せられた命は最期の瞬間にこの姿を目にしたんだ。
なんて猛々しく、そして美しい戦士なんだろうか。
胸を熱する思いが脳裏をちらとよぎり、ぐっと息を飲んだ。
彼女の手にかけられるのならば戦士や騎士はある種の名誉を感じて死に行くに違いない。少なくともわたしならそう思う。
メルグリッドが踏みつけた地面、そのタイルが即座に砕け、どころか勢いを駆ってぱらりぱらりと宙を舞う。
まばゆい白銀の甲冑が目前に迫る中、わたしの中に戒めの閃きが光った。
――呑まれるな! 諦めるにはまだ早いぞ、ユリウス!
父の声か、あるいはわたしの中にあるあの声か。
どちらだっていい。とにかく鼓舞する言葉が響いたんだ。
舞い落ちるレンガの破片を目にしたわたしは必死に活路を見出そうとした。
無理矢理に意識を覚醒させ、戦士としての観察に全神経を注ぐ。
メルグリッド・ハールムラング! 彼女は〝ウル〟程では無いがやはり速い。
当然だ、彼女はルヴェルタリアで最高位の騎士号を持つ英雄なのだから常人の身体能力と比べたって意味がない。
活路、活路、活路……!
……一体どこにあるっていうんだ!?
どうにかしなければ、と思えば思うほど気だけが逸る。
明確に、確実に――死が迫っている!
アーデルロールの焦る横顔が見えた。
ビヨンが心底怯えきった顔でわたしを振り返ろうとしている。
コルネリウスは槍を抜いて応戦をしようとしている。
……おかしい。彼はどうしてああも身軽に動けるのだ? まるでこの重い魔力を感知出来ていないみたいじゃないか――――そうだった! 彼は魔力に対して鈍感な節があった。
まさか、ここか? ここでその体質が活きるのか?
冗談だろう。コルネリウスという男は時折思いがけない場面でわたしの意表をついてくる。まったく、なんて男だ!
一瞬の流れがやけにのろく感じられた。
メルグリッドのがとうとう宝剣を振り下ろした。
ごう、と空気を割って迫る剣気はひどく恐ろしく、圧力を全身にあてられたわたしは体が竦んでしまった。
迫力や気迫の類に圧倒されたのだ。
5メートルにも及ぶ巨剣ダインスレイヴ。
その剣幅はすさまじく広く、さながら壁が迫っているようだ。潰される、と、そう思うのは無理もない。
「――――っ、まだだ」
体は重かったが完全に動かせないわけではない。
指と……手はまだ動いてくれた。
不自由なりに私は剣に手を伸ばし、柄を掴み……そこまでだ。
間に合わない。
行動が遅すぎたんだ。
ダインスレイヴはとっくに目の前に迫り、わたしたちをまるごと破壊の衝撃で叩き潰さんとしている。
わたしはとっさにこれまでの経験を振り返った。
過ぎていった戦いの中にひとつぐらいは、この窮地を逃れる手段があるかもしれない。ただ一点。哀れなことに、わたしはこれが走馬灯の類であることに気がついていなかった。
盾で受け止める?
ダメだ。きっと潰されて終わりだろう。
巨剣が迫る。
そうだ! 剣の腹でいなすのは――、
――出来るわけがない。勢いと威力はあまりに強くなりすぎているし、そもそも質量が違いすぎる。
もう、ダメだ。潰される――、
「ッ!? 雷……!」
雷鳴がとどろき、目の前で紫電が弾けた。
活路を見出そうと目を見開き続けていたわたしは、メルグリッドの腕にぶち当たる黄金の筋を見た。
見間違えるはずもない、あれは確かにギュスターヴ・ウルリックが所有をする黄金の大槍だった。
ガンッッ! と、ダインスレイヴの剣身が轟音とともに大地に叩きつけられた。
破砕したブロックの欠片がしぶきのように体に打ち寄せ、とっさに顔を腕でかばい防ぐ。
ちくちくとした痛みを感じる中、わたしは薄っすらとまぶたを開いて巨人の一撃がどれほどの破壊をもたらしたのかを見た。
途方も無い威力をぶつけられた地面は陥没し、どころか大穴が穿たれていた。
家一軒ぐらいは入りそうな穴だ。
こんなのをまともに食らっていたら……。
「冗談じゃない。……皆は!?」
「無事よ! 急速離脱、急ぐわよ!」
一行に負傷者はいなかった。
攻撃が直撃する寸前にメルグリッドの手首を大槍が貫き、その衝撃で彼女が狙いを外したからだ。
踵を返すと同時に恐ろしさを感じた。
ここまでで起こったことは実際にはたった一瞬の出来事だった。
この間でわたしは何度自分の死を想像した?
まばたきのあいだにメルグリッドは巨剣を打ち下ろし、ギュスターヴがそれを阻害してみせた。強さの次元が違う。
わたしはあれほど早く動けないし、ましてやあの〝四騎士〟に一撃をくれてやれる自信も――、
「ギュスターヴ・ウルリックッッ! 貴様あっ!」
攻撃を妨害された上に手傷を負ったメルグリッドが猛々しく吠えた。そこにはもはや冷徹な美女の面影はなく、戦いに燃える北の戦士の姿しかない。
それもそうだろう。
殺せると思った狙いを外され、そのうえ傷を負わされたのだ。
激昂したって少しも不思議じゃない。
続けざまにダインスレイヴが再び光をまとい、次いであの不快な魔力が発生する。
やはりだ! この大剣が正体の知れぬ異常を発露している。
大槍が突き刺さったままの右腕をメルグリッドが大きく振り上げた。ぼたぼたと血を流しているが彼女がひるんだ様子は毛先ほどもない。
ぼっ、と目にも留まらぬ速度で拳が繰り出される。狙いは〝王狼〟の頭部。
しかし拳を振り抜いた先にギュスターヴの姿はない。そこには人の輪郭をした紫電がぱちりぱちりと散っているばかりだった。
「分け身……! 小細工を!」
次の瞬間、ギュスターヴはメルグリッドの真横に現れていた。その手には紫電の剣を握りしめていて、巨人の首筋に剣先を深々と突き立てている。
傷口からバチバチと嫌な音があがる。あの雷の剣で肉を焼いているに違いない。
凄惨な戦いの最中でギュスターヴが冷たく言う。
「ここでくたばっておけ、〝巨人公女〟」
「肉体の内側を焼かれた程度で私が怯むとでも思ったか?
笑止! 我が身は騎士団の剣にして盾!
足止めをしたくば首では無く、四肢の一つを断つべきだったな!」
「! ちっ……!
メルグリッドに肉薄していたギュスターヴの大柄な体が突然に真横へと吹き飛ばされた。
見えざる手に首根っこを引っ掴まれて放り投げられでもしたような奇妙な動きだった。
一体どうなっている?
当惑したのはこちらばかりらしい。当事者であるギュスターヴは「しまった、こいつがあったな……!」と訳知り顔で舌打ちを打っている。
「うおおっ!? なんじゃこりゃ!?」
「んなゃーっ!? ちょっ、ちょちょちょ!
ユ、ユーリくん助けて! うち浮いてる! 夢じゃなければ浮いてる!」
コルネリウスの悲鳴に意識を引き戻された。肩越しに仲間を振り返るとなんということか、ビヨンがふわふわと宙に浮いているではないか。
鍔広の帽子を片手で押さえ、ついでにローブの裾も手で押さえた彼女は行くあてのないシャボン玉のように宙を漂っている。
必死の形相のコルネリウスがビヨンの手を掴んでいるが、もしこれを離してしまえばどこまでも飛んでいきそうな具合だった。
「ア゛ル゛ル゛さ〜〜〜ん!? こっち手伝ってくれません!?」
男の救援要請にしかし答える声はない。
振られたアーデルロールはひとり神妙な面持ちであご先に指を添えていた。
「初めて見たわ。これがダインスレイヴの持つ特性なのね。
確か……力場に? 力の動く流れに?
働きかける力があるだのなんだのと騎士どもが言ってたような気がするわ。
ふーん。なるほどね。これがね」
「アルル先生!? 後でいくらだって考えていいから今こっちこっちこっち!
こっち向いて! こっちを手伝って!
麗しき姫様あるいは相棒、どっちでもいいから早く頼む!」
「分かった! 今行く!」
わたしは駆け寄りながらそう答え、釣られた直後の魚のようにばたばたと振り回されるビヨンの手をしっかりと掴んだ。
目の前にあるビヨンの慌て顔――ついでに言えば目の端に涙も見えたが、彼女の名誉のためにわたしだけの秘密にしておこう――をどうにかせねば、と。
あれこれと落ち着かせる言葉を考えていると誰かが遠慮がちな声でこう言った。
「あ、の。言いにくいんだけれど……。
なんだか揺れてないかしら」
「揺れ!? そりゃそうだろうよ!
ギュスターヴのオッサンと巨人の騎士が戦りあってんだから、大地が感動して身震いしたって不思議じゃないぜ!」
「コルネリウスくん。そういうのじゃないわ」
声の主はカナリアだった。
彼女は狼の前足で地面をかりかりと何度か引っ掻き、
「ごめんなさいね。多分だけれどこの広場……崩れると思うわ」
「崩れる!? 本当ですか!?
あれだけの衝撃だったんだ。あながちあり得ないとも……よし、今すぐ脱出を、」
「もう遅いわ」
「え?」
ごんっ、と足元が砕け散った。
直前まであった地面は無く、真っ黒い大穴が口を開けてわたしを待っている。
つまりわたしたちの身体を支えるものが無いのだ。
あるのは重力に引かれるがままの自由な落下のみ。
なんだか覚えがあるシーンな。これはどこだったか。
「そうだ。塔の時もこんなんだったな」
「言ってる場合じゃないってのよーーーー!?」
「……広場をまるごと砕くなんて大したものね。
流石は巨人の娘。〝四騎士〟は初めて見たけれど恐ろしいわね。
力を持つ者なら人外だろうと重用する。
本当……ルヴェルタリアは力を集めすぎたわ。滅びも必然ね」
カナリア! 何だってこんな時に冷静になれるんだ!?
直後にわたしは彼女の自信の裏付けを目撃することとなる。
「私は離脱させてもらうわ。
ごめんなさいね、王女さま。
私たちが従うのは〝王狼〟なの。あなたたちじゃないわ」
カナリアの落下が次第に緩やかになり、最後にはぴたりと停止した。
落下を続けるわたしたちとの距離はぐんぐんと開いていく。
「この下はハインセル王族のために用意をされた地下通路のはず。
上手く使えば王都<ゴルディン>へたどり着けるわ。
ただし気をつけてね。下にも何か――……、」
遠ざかるにつれて最後まで彼女の声を聞くことは出来なかった。
カナリアの声が小さいのもそうだったが、アーデルロールの悲鳴があんまりにひどかったからだ。
「どあああああああ!? どこまで落ちんのよこれえええええ!?」
「……聞こえなかった。
しかし深いな。魔界なんてのが本当にあるなら落っこちてしまいそうだ」
「のんきしてんじゃないわよユリウス!
はっ! そうだ、シュミット! あんた何か魔法でこう、どうにかしなさいよ!
今すぐ! すぐすぐすぐ! お願いお願い、ほんとにお願い!」
「……とっくに対処しとるわ。
ああ。カナリア。彼女の背中は随分と居心地が良かったのだが……。
居なくなってしまうとはなあ。あの毛並みが恋しいよ」
放り出されたカエルの淡い恋心について言及するつもりは今はない。
地上の光はどんどんと小さくなっていく一方で、足元には人工の明かりである魔法灯の光が揺れるのが見えてきた。
ハインセル王国の冒険でまともな思いというものはひとつもしていない気がする。
幽霊だとか影だとかが居るかと思えば、今度は〝四騎士〟の一人が追ってきた。
この分では〝四騎士〟の追加があったっておかしかない。
まったく、やれやれ。
「これから先、一体どうなるんだか……」




