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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
一章『灰のルヴェリア』
13/193

013 はじまりの色


 わたしはこの場所を知っている。

 色味も何も無い、真っ白なもやが揺れている。

 雪だろうか? 指先でそっと触れると、もやはゆらゆらと揺れてわたしを包む。

 わたしはこのもやを知っている。

 これは霧だ。

 

「動かないとはぐれるよ。走らないと見失うよ。私を忘れてしまうよ」

 

 霧の中から現れたセピア色の人影が言う。

 わたしの背後に詰まれたがらくたの山がけたけた笑ってる。

 

「僕は謝らないといけない。誰かのお願いのかたっぽを忘れてしまったんだ」

 

 見覚えの無い影。聞き覚えのある声。

 冷たい風が人影を揺らす。周りの霧は揺らがない。

 わたしはどうだろう。生きているのだろうか。

 霧の中の人影は背の丸い老人だった。おんぼろの杖で老いた体を支えている。

 

「私と君との距離はまだ遠い。霧がいつか道を繋げ、私と君を引き合わせる」

「僕は謝らないと。あの人に会わないといけない。あの人。誰のことだっけ」


 濃霧の奥から一頭の大きくて白い山羊を連れた女が現われた。真っ黒いフードで顔を隠していてなんだか気味がわるい。

 女の横でグルグル角の山羊がめえめえ鳴いている。

 よくよく聞いてみたら山羊は人の言葉を喋っていた。

 フードの女がお爺さんの頭を優しく撫でながらわたしを見る。

 

「坊やの落し物はいくつもある。でも拾ったものもたくさんあるはずだよ。ポケットの中には夢も未来も友達も。欲しかったビー玉が山ほど入っているからよく見てごらん。それに何でも描ける筆まで入ってる。君は白い世界に好きな絵を描いていいんだよ」


 わたしの何倍もある大きな真っ白い山羊がげらげら笑う。


「だめだめだめだめだめ。お爺さんは嘘つきだし悪いやつだ。坊やもきっと繰り返す。あたしは見てきたんだから何でも言えるんだ。あんたも懲りないやつなのさ」

「僕は知らない。悪いことなんてしていない」

 

 女がわたしに手を伸ばす。

 お爺さんがわたしを見ている。

 山羊が耳に障る声で笑っている。

 溶けた朝陽がどろりと昇った。

 

 

 

 

「……朝だ」

 

 見慣れた天井。吹き込む朝の風。聞き慣れた鳥の声。

 わたしが毎朝この身で感じている朝の空気だ。

 

 ゆっくりと身を起こして辺りをうかがうと、机の上に置かれた小石が陽光を受けてオレンジ色にきらりと輝いた。森で目を覚ましたあの日、泥の中で拾った小さな石をわたしは未だに後生大事に持っていた。


 森。

 その言葉に寝ぼけていた頭が鮮明になる。


「そうだ、僕は森に居たはずだ」


 猛り狂った雄牛のいななき。

 暴風のように轟然と振られる斧と、それに対峙した時の胸の鼓動を思い出す。

 あれこそはわたしを飲み込まんとする、死への暗い入口だったのだと自覚した。

 

 今のわたしの周囲には霧はない。

 窓の外に広がる冬の青空には雲一つさえも無く、怪物の恐ろしい咆哮の代わりに村人の声が聞こえてくる。

 挨拶の声、家畜の間延びした鳴き声、子供たちの笑い声。この耳がよく知っている数々の音。

 

 傷の具合を確かめるために自分の体を検めた。

 怪物と繰り広げた死闘の記憶が確かならば、わたしの細い左腕は無残にへし折れているはずだ。寝間着のボタンを外すことにここまで緊張したことは記憶にない。

 覚悟を決めて左腕に視線を注ぐ。と、一切の傷が無かった。無傷そのものだ。血が付着していなければ裂傷も見当たらない。

 あの戦いは夢か、それとも魔物に化かされでもしたというのか。

 

 部屋を見回すが同室で暮らす妹の姿はどこにもない。

 かばんと彼女の気に入りの帽子もが見当たらず、そうとなれば学校にでも行っているのだろう。わたしはベッドから降りるとひんやりと冷えた廊下へと歩み出た。もうすぐ冬が訪れると父が言ってかな。ぼんやりと思いながら、今の我が家で唯一、人の気配のする居間を目指した。

 

 一段、二段、それから数段。

 居間は半螺旋の階段を下ってすぐにある。誰か居るだろうかと目線をやると両親とお互いに慣れ親しんだ友人の一人と目があった。

 

「おはよう」 わたしは何てこともないように挨拶を口に出した。


 しかし答える声は無い。

 父は腕を組んだままに何事かを沈思し、母は指先でこめかみを抑えた。

 金色の短髪の少年だけが所在なさげにぎこちない笑顔を向けてくれる。

 

「ユリウス」


 父が息子の名を呼ぶ。

 普段の柔和な口調ではなく、鋼のように重々しく固い声音。

 

「父さん……」

「どうして霧の日に村を出た?」


 母は黙して語らず。

 父の静かな怒気が居間に浸透していることに今更に気が付いた。

 

「おじさん、それは俺が……」

「コルネリウス、お前は今は静かに。冷静に物を考えられるはずの息子が、何故友人を止めず、自身までもが危険の中に再び入って行ったのかを聞きたいんだ」


 他ならぬ息子の口からな、と父が強く付け加える。

 父の青い瞳はわたしを真っ直ぐに射抜いていた。

 

「俺は半端な稽古をつけたつもりはない。剣を何に使うかも、霧がどれほどに危険かについてもよく言って聞かせていたとも思っている。それが何故だ? どうして無力なビヨンさえも連れて森へ出たんだ? ……あまりにも愚かだ。下手をすれば死んでいたのは分かっているんだろうな」


 わたしには父の叱責に返す言葉は無かった。

 実際にわたしは無茶な計画を抱いた友人を止められる唯一の人間だったにも関わらず、彼の考えに乗って行動したのだから。

 霧の横たわる丘や森を歩く中、わたしの心に高揚と自身の腕を確かめるという興奮が無かったといえば、それは大きな嘘になる。

 

 父はわたしとコルネリウス、特に息子であるわたしを強く叱責した。

 息子は冷静な判断を行えるというわたしへの彼の評価はやや過大なものに思えたが、親のひいきの目線であったとしても、他者からそういった評価を得られるのは決して悪いものではなかった。


 だからこそだろう。

 彼の落胆と、その期待を裏切った後ろめたさは何よりも痛烈にわたしの胸を裂いた。

 

 時計の短針が八から九へと動く間、父は「剣は人を守る技である」と説き、わたしの言い訳がましい言葉を耳に聞き、その愚かな点をことごとく突いた。

 そして話のまとめには、全てを総じてわたしたちを叱りつけ、場を締めた。


「じゃあ、俺は……帰ります。フレデリックさん、本当にすみませんでした。もう馬鹿はしないように、よく考えます。あの……良ければ、これからも稽古をつけてください」

 

 もう行きなさい、と声をかけられたコルネリウスは戸口に立ち、以上のように言うと深々と頭を下げ、彼にはとても珍しいことにうやうやしい態度で我が家を出て行った。

 

 母はとうの前に席を立ち、わたしと父だけが居間に残された。

 時計が時を刻む音だけが聞こえる中、わたしは膝の上で握りしめた拳を見つめている。

 いたたまれない空気に耐えきれなくなったわたしが、気詰まりを打ち破ろうと言葉を発しようとしたときだった。

 

「……馬鹿を、やったことには変わりはない、が……」


 父がやや言葉に詰まりながらそう言う。

 目線をあげると彼と目があった。深く青い瞳だ。


「よく、人を守った。剣士として……男として、立派なことをしたな。父さんは誇らしいぞ、ユリウス」

 

 


 

 父から「もういいぞ」と許しを得たわたしは玄関から外へと出た。

 空は青く澄んでこそいるが、肌に当たる風は冬のそれだ。

 あまり長居は出来ないだろう。

 赤面をした顔が落ち着いたら家へと戻ろうと思った時だ。


「よう」


 わたしの自宅の敷地を区切る石の塀。大人の腰ほどの高さの場所に、見知った少年が腰掛けていた。


「コール? てっきり帰ったかと思ったよ」

「……まだ言うことを言ってねえからな」 ばつが悪そうにわたしの友が言う。


 芝を踏みつけて彼のそばへ寄り、その横に腰掛けた。

 石の隙間につま先を突き入れてどうにかよじ登ることの出来るこの石の塀だが、あと数年もすれば軽々と座れるのだろうか。


 コルネリウスの顔を見ると顔を伏していた。

 わたしは何も語らない。

 彼は何事かを話そうとしていたし、その内容もなんとなく分かっていたつもりだ。

 彼自身も言うべき言葉は短く、口にするのはたったの数語でいいことは分かっているに違いない。けれどそれは気恥ずかしい言葉だ。


 頬に北風が当たる。

 そういえば男二人で居るというのは、割に珍しいことだとわたしは思った。


「あの、よ」

「なんだい?」


 コルネリウスが言いよどむ。

 つい少し前、叱責の後にわたしを誉めた父のようで少しおかしかった。

 

「悪かった、無茶なことに誘って。馬鹿だったよ。下手すれば皆死んじまうところだったってのに。……今度からはもっとよく考えてから動くことにするよ。良かったら俺とまた、その、仲良くやってくれないか」


 彼はおずおずといった調子で言葉を紡ぎ、最後にその手を差し出した。

 わたしは何と言うべきだろう。

 今日は気恥ずかしいことばかりが続く日だ。


「……おうっ」


 気恥ずかしさを振り払おうとしてとっさに出た言葉は、我が無二の友、コルネリウスの口癖であった。

 だが効果は確かにあったらしい。彼は難しい顔から一転し、いつもの快活な笑顔を浮かべた。


「……ぷっ、ははは! 俺の真似か? 似合ってねえなあ、ははっ……ありがとよ、相棒」

「どうも。コールこそ落ち込む顔は似合ってないよ」

「おう、肝に銘じとくぜ」


 わたしと彼は互いの手を取り、強く握り締めた。

 これ以上の言葉は要らないだろう。




 

「そんでよ、どこまで歩いても森からでれないんだ」

「あれはほんとうに怖かったね。怪物よりも出口がない方が怖かったかも」


 いつもの帰り道、いつもの四人で帰る道中。

 コルネリウスとビヨンの二人は冒険譚に華を咲かせていた。


 わたしは時折に相槌を打つばかり。その代わりに妹のミリアはかつてないほどに興味を引かれている様子だった。

 目を輝かせているのを見るに、彼女も参加したかったのだろう。

 もし、次に霧が現われることがあったならば、妹が外へと飛び出さないように目を光らせておかなければなるまい。


「そういえばコルネリウスは誰を連れてきたの?」


 結局わたしは助けに駆けつけた人物の姿を確かめる前に気絶をしたのだ。問いかけにコルネリウスが嬉しそうな顏で言う。


「ああ、あれは馬屋のおっさんだよ。あの人、俺の姿を見るなり小屋から弓と矢を持ち出して『さっさと俺を連れていけ、急ぐぞ』なんて言って、俺に道案内をさせたんだ」 渋い声色を彼が真似る。

「そうだったんだ。魔物はあの人が倒したんだね」


 わたしが目覚めた時には怪物の姿はなかった。恐らくその男が倒したのだろう。


「ん? おっさんが……そうだったかな? でも助けが来るまで奮闘したのはお前だろ? ならすごいのはお前さ」

「僕が?」

「そうだよ、ユーリくんが怪物と戦ってくれたから時間が稼げたんだから。それにうち、怪物に膝をつかせるところをちゃんと見てたよ」


 やはりビヨンはわたしの戦闘を見ていたのだ。

 くじいた足が痛むのならばその場に待っていれば良かったろうに。今更責めることでもなかったが。


「まぐれだよ、本当に。木が山ほど生えてなかったら一撃目で死んでたろうし……。あんなの、幸運が続いただけだ」


 見れば彼女はあの日の逃走の場面で自身が転んだことに引け目を感じているようだった。

 顔は伏せがちになり、授業の最中もどこか遠くへぼんやりと意識をやっているのをわたしは横目に見ていた。


 責任を感じているのならばそれは違う。彼女には落ち度はない。

 だがそれを慰める形で上手に伝える方法に、わたしはまだ考え至っていなかった。


「いやいや。ユリウスの奮闘がなけりゃ全部がおじゃんだったって。親友として誇りに思うぜ。やるな、相棒!」

「う、うーん。いて、叩くときはもうちょっと弱めに頼むよ。とにかくコールが全力で駆けたから皆が助かったんだよ。というわけで、立役者は二人って事で」


 妹はどうにも兄の奮闘だけは信じられないらしい。「ほんとに~?」と疑い深い目で兄を見るミリアの目は、いったいいつ尊敬の色に変わるのだろう。

 



 

 その翌日、冬にしては暖かな日。

 

「父さんと出掛けないか?」


 そう誘いをかけてきた父と二人で村の正門から外へ出た。

 わたしと父は丘を登り、落ち葉の敷き詰められた森を訪れた。

 あの森だ。

 茶色の木々を見ると戦いと恐怖、そして未だに思い出されることのない記憶の喪失とが胸の中で一挙に目を覚ます。

 視界が少しだけ揺れた。


「ここはダリアの森って言うんだ。調子が悪そうだけど大丈夫か?」

「うん……大丈夫。平気だよ」


 わたしと似た風貌をもつ父の心配げな顔に返事をし、手を繋いだままに一歩を踏み出した。霧がない森を訪れるのはこれが初めてのことだった。


 見慣れぬ鳥が落ち葉の下の地面をつつき、餌を探っている。

 遠くの木々の傍には四つ足の獣が歩いていた。父が警戒しないところを見ると魔物ではないのだろう。

 途中、無惨に破砕された木々の集まる場所へ立ち寄った。

 幹が半ばまで裂けたもの、へし折れたもの。多種多様な破壊の爪痕がそこにはあった。

 だが破壊の主たる牛頭の怪物の死体はそこにはない。血だまりが無ければ骨さえも見当たらない。


 父はわたしをここへと連れてきたかったのだろうか?

 隣を見上げれば、彼は何も言わずにじっと戦いの痕を見ていた。

 何故だかいたたまれない気になり、心ここにあらずな様子の父を見上げた。


「……父さん?」

「……いや、何でもないよ。行こう、この奥だ」 わたしの問いかけに父は考えごとをしているような調子で答えた。

 

 森をしばらく進むと小川にたどり着いた。

 霧のないその川は清らかな流れをたたえており、水場に集う鳥の姿もあいまって恐ろしさとはよほどに縁遠い美しい景観だ。

 ふと。やはりというべきか、思うところがあり、その場を振り返ってみるとわたしが二度に渡って姿を隠したあの盾のような岩は見当たらなかった。今度は違うらしい。


 それから川をさかのぼること数分。

 森を抜けると、わたしの目の前に泉が現れた。

 

 泉には飛び石があり、その先には島が見える。

 たったひとつの大きな木が孤独にそびえ、木の根の間に古びた石碑がひっそりと佇んでいる。


 わたしは息を呑んだ。

 この森、父が言うところのダリアの森には陰惨な思い出しか無かったが、そんな森の先にこれほどの美しい景観があるとは思いもしなかった。

 森の深奥。不思議と懐かしい気になる場所だ。

 人心の原風景だとさえ思える穏やかな世界がそこにはあった。


「父さん、ここは?」

「秘密の泉だよ。さ、座ろう」

 

 わたしと父は泉の水辺に腰を下ろし、「ある子供の話なんだけどな」と前置きをした父の語る昔話に耳を傾けた。


「……そいつは頭も良くないし、愛想も無い、どうしようもない子供だった。

 何に対しても半端に投げ出すそいつだったけれど、ひとつだけ捨てられない夢を持ったことがある。〝霧払い〟の勇者に憧れたんだ。男の子ならよくある話さ。ユリウスもそうだったね?


 そいつは剣士を目指したけど、周りに剣を知ってる人はひとりも居ない。

 周りの大人は家畜がどうの、野菜がどうのと話す農家ばかり。その男の子は田舎の生まれだったんだ。


 その子供は家を出て大きな街でひとりきりで暮らした。っていっても金がないから最初は家を借りず、野良犬みたいに橋の下や馬屋で過ごしてたんだけど。

 剣士の仲間入りをしようと門を叩いたのはいいものの、周りと上手く行かずに途中でそいつは辞めた。

 師匠と稽古場の何人かはいい腕をしてるって誉めてはくれたけど、そいつは賞賛と評価を素直に受け止めない跳ねっ返りだったんだ。

 自暴自棄になって荒れてたそいつをこっぴどく怒った女がいて……結局、彼女とは長い付き合いになったな。


 しばらくして、大きくなったそいつはその女と二人の仲間。たったの四人でとある旅をした。

 その旅は物語として語るには十分なぐらいに大変で大きな旅だった。

 ……本当に色んなことがあった。過ぎ去った今では懐かしくも思えるその旅の中、自分が守ろうと真に心に誓ったものを守り通せたことは、歳をとった今でもそいつの誇りさ」


 フレデリックは泉をじっと見つめている。

 泉に波紋が生まれ、わたしと父の傍へ近寄ったと思えば、また泉の彼方へと去っていく。

 父がわたしの手を握り、言う。


「人を守るってのはとても難しいことだ。前にも言ったが……よくやったな、ユリウス。昔話のそいつも、俺も、自慢に思うよ」

「……ありがとう、父さん」


 固い手だ。

 わたしもいつかこうなりたいと願い、握り返した。




 

 森からの帰り。

 村の広場にたどり着くと、いつものベンチに見慣れた少女が腰を掛けているのが見えた。彼女は何か、人か物を探している様子だったが、こちらに気付いた途端に彼女は身を強張らせた。


「ふっ、父さんは家で待ってるぞ」 何が面白いのか、父が楽しそうに笑って言う。

「え、ちょっと……」

「母さんには俺が言っとくから。ああ、泉には今から行くなよ? はは」


 笑い声をあげながら父は片手を振り、ややキザな仕草で去っていく。

 さて、わたしはどうしようと考えながらも足は自然とベンチへ向かっていた。

 時刻はもう夕暮れで、広場にある人影もまばらだ。

 

「怪我、もう大丈夫?」


 顔を伏せたビヨンがわたしへ向かい、上目遣いでそう声をかけた。


「おかげさまで。魔法なんだってさ、すごいね」


 森で救出をされたわたしは村へ運び込まれるや否や、即座に回復魔法の処置を受けていたらしい。

 骨折していた左腕が完治しているというのだから全く大したものだ。

 だが、衣服が着替えさせられ、治療を受けたということは誰かがわたしの胸に走る醜い傷跡を見た可能性がある。秘匿すべき、このおぞましい傷を。

 わたしの快復を聞いたビヨンは少しだけはにかんだ笑顔で、


「……うん。魔法はすごいね。あの……うちね、魔法を勉強しようと思うんだ」

「それはなんでまた?」


 彼女は口ごもったが、一語ずつ、言葉を選んで話を続けた。

 ゆっくりとした調子で語る彼女の隣に腰を下ろして、わたしはじっと待った。


「魔法は……剣の才能が無くても、人の役に立てるから。うち、ユーリくんとコールくんが怪我をするの、黙って見ていたくないんだ」

 

 彼女が言わんとすることが何となくだが、分かった。

 わたしは何と言うべきだろうか。考えを巡らせる。

 

「どう思う?」 彼女がわたしの意見を求めた。

「……いいんじゃないかな。夢はあった方が間違いなく人生に色はあると思う」


 ビヨンが小首をかしげる。

 動作につられて彼女の長髪が揺れた。


「色?」 不思議そうに彼女が言った。

「そう、〝色〟だ。あのね、ビヨン。僕はよく思うんだ。

 生きる上で何も目標が無くっても年は取るし、体は勝手に大きくなる。

 でも、人生ってそうじゃないと僕は考えてる。何も無い人生には、色が無いよ。

 僕は……それがどうしても嫌なんだ。だから、誰かを守れる剣士や騎士を目指そうって夢に見た」


 真摯に耳を傾けるビヨンをわたしは見つめた。

 こうして自分を長く語ることは殆どなく、だからこそ気恥ずかしかった。

 わたしは……誰かに自分の内面を見て欲しかった。

 抱く熱意と思いを誰かに知って欲しかったのだ。

 語る言葉は止まらない。


「本当は夢は何でも良かったんだ。けど、剣があれば誰かを守れるから。

 ……僕は人生に〝色〟が欲しい。生きてるってことをもっと知りたいんだ。

 今だから言うけど、ビヨン」

 

 わたしは彼女を見た。

 夕焼けの色に染まるエメラルドの瞳を。

 風を受けて髪を揺らす彼女の姿は美しかった。

 

「君を守るって言った時のことだ。

 僕は怖かったけど、自分の中に生きてるって実感が湧いたよ。

 そうだ。あの時、確かに僕の人生には色があった。

 だからってわけじゃないけれど……その、また何かあったら、僕が君を守るよ。

 多分、その時はコルネリウスも一緒だけれどね」

 

 ビヨンがわたしの吐露をどう思い、どう受け取ったのかは知らない。

 けど、彼女はとても嬉しそうな顔で、少しだけ目元を潤ませて。

 

「なら、ずっとお願いするね。……ありがとう、ユーリくん」


 笑顔でそう言ってくれたのがわたしは嬉しかった。

 この時、わたしがどんな表情を浮かべていたのかは、あえてここでは言わないことにした。

 


一章『灰のルヴェリア』 了

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