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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
八章『薄墨の頃』
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123. 夏日の声


「本当、冗談じゃねえ! お前ら見たかよ、あの人型の影を!?

 目も鼻もくっついてねえのっぺらぼうがうようよ歩いてんだぞ?

 二度と会いたくねえ。次に街に寄ることがあったら、俺に目隠しをしてくれ。


 相棒、お前だけに言うけどな。……実は俺さ、初っ端に気絶しかけたんだ。

 おい何で笑うんだよ。ビヨンには絶対に言うんじゃねえぞ!?


『コールにしては珍しく耐えたね。どうしてなの?』、だと?

 そりゃお前……アルルに笑われたくねえからだ。

 それとギュスターヴのおっさんにも笑われたくなかった。なんでって?

 すげえ戦士が近くに居るんなら、少しは良いとこ見せたいじゃねえか!


 おっと、脱線したな。影の話に戻ろう。

 連中の現れ方はマジに反則だぞ? 思い出しても鳥肌が立つぜ。

 石畳の隙間やら、蜘蛛の巣が張った商品棚をすり抜けてフワリと現れるんだ。

 しかもだ。しかもだぞ?


 あいつら、あたかも自分が先にここに居ましたけど? みたいな顔で……、

 いや顔は無かったな。平静な声のトーンだ。分かるか?

 やたらに澄ました声で「人の店で何をやっている」だの「不法侵入か? 衛兵を呼ぶぞ」と言いやがる!

 人を呼びてえのはこっちだってのによ。


 ここで俺はまだ耐えてた。耐えてたんだ! すげえだろ?

 だが足はガクガク震えてた。これ内緒な。


 あ、内緒ついでなんだけどよ。

 この時俺、実は大声あげて飛び出したんだ。

『うおおおおおお! 近寄るんじゃねえええっ!』ってよ。


 ? なんだよアルル。こっち見てっと転ぶぞ。

 俺と相棒は男の話をしてんだ。そうだ。親友同士の内緒の話だ。

『丸聞こえ』? おいおい聞き耳立てんなよ。恥ずかしいだろ。

 まあいい。委員長は放っておいて続きだ。

 っつってももうオチなんだけどよ。


 店を飛び出した俺が見たのは、通りいっぱいにうようよひしめく影の群れだ。

 お前に見せてやりたかったぜ。

 その頃の相棒はでけえ図書館の中で仕事してたからな。

……どうにかして慌てた様を見たい? もう一度? おい、やめろって。

 勘弁してくれよ! いくら払えば諦めてくれるんだ!?……趣味悪いぜ、ったく。


 そんで、だ。

 通りいっぱいに立ち、なにやらくっちゃべっていやがった大勢の影が

 俺に気づいた途端に動きを止めた。まるで石みたいにな。


 こいつはやばいぞと思った次の瞬間、

 連中は打ち合わせしてたみてえに一斉に俺をバッ! と振り返り!

『ようこそ旅人さんっ!』と耳元で叫ばれたところで俺は…………気絶した。


 ひどいだろ? 怖いだろ? 断言する。絶対にやばいぜ、ここは。

 こんな土地はさっさと脱出するに限る。お前もそう思うよな?」


 短い休憩時間の中、コルネリウスはまくし立てるようにそう語った。

 一方でわたしは頬杖をついたまま、溜息を吐き出すような静かな声で答えた。


「まあね」



………………

…………

……



 ハインセル王国の環境は劣悪だった。


国の動脈そのものである街道は<ミストフォール>の騒乱で傷つき、戦いの余波で破壊をされていた上に長年にわたって放置された影響ですっかり傷んでいた。

 荒々しい岩山を連想してしまうようなこの有様では、めずらしく幸運の微笑みが向けられたわたしたちが手に入れた馬車も使えそうにはない。


 そうなると自然、わたしたちはこの劣悪な道を徒歩で行くことになる。長期の滞在は命に関わる、と念を押された呪われた土地を歩くのだ。


 馬車が使えないということで気落ちはしたが、なに、普段の移動も徒歩の割合の方がずっと多いのだ。むしろこちらの方が当たり前なのだから、こうもがっくりと肩を落とすことなどない。ないんだ。


「ユーリくん平気? 眉がずっと八の字で難しそうだけど……」

「上げて落とされることに慣れてないからね。大丈夫。僕は大丈夫」


 ハインセルの大地が危険で恐ろしいということは誰しもが知るところだ。


 親は子に『夜更かしをするとハインセルの恐ろしい魔物が迎えに来るよ』と脅かし、隣国ファイデン竜王国では竜騎士や戦士が度胸試しと称して足を踏み入れることもあるという。

 注釈をしておくが、正式な届けを無しにハインセル王国跡地に踏み込むのは違法な行為である。踏み込んだだけならば罰金の支払いか、身分の剥奪のどちらかが命じられ、魔導技術が仕込まれた物品を大量に持ち出していれば監獄行きか、場合によっては死刑だ。


 これらのリスクを背負った者にわたしは心当たりがあった。そう。誰あらん、わたしたち自身のことである。法を犯していることは喜ばしいことではまるでないのだが、不安に気をやる必要もないだろう。それというのも、国境を越えた途端に官憲や騎士連中に見咎められることなど滅多に無いからだ。

 少なくともわたしはそんな話を聞いたことは一度もない。


「ねえ、あたし思ったんだけどさ」

「なに?」

「もしかして、捕まった連中が監獄からまだ出て来てないだけじゃないの?

 檻の中なら話も聞けないじゃん。でしょ?」

「……アルル、君は……なんというか。いやもう、いい所に気がつくね」


 突然に舞い込んだ不安のことは余所に置き、話を戻そう。

 ええと、なんだったか。ハインセルの旅だ。


 これから先は相当の危険が伴う旅だが、各人の装備は率直に言ってボロい(・・・)。それというのも〝水精王〟との戦いが原因だった。


 後々で装備の点検をしてみて分かったことだが、無事だと思っていた籠手やグリーヴは金具が折れ、微細なヒビが走り、長期の使用に耐えられそうもない。かといって応急処置も出来ず、わたしは内心に焦っていた。


 満足に使えそうな物は、不幸な鍛冶屋を主張するオヤジから購入した長剣ぐらいのものだ。

 父フレデリックは『たとえ全裸でも剣だけあればどんな窮地でも切り抜けられる』などと語っていたが、実際にピンチを脱したとしても周囲の視線は寒々しいに違いなく、そんな教えをどこで受けたのだと当時のわたしは訝しんだものだ。


 余談だが、それはわたしと父の二人に剣術を授けた〝東の剣聖〟シラエア・クラースマンの教えであることは彼女と出会った時に分かった。

 あの師にしてこの弟子あり。

 この訓示はわたしの記憶の中の箱にそっと納め、表に出さないようにしよう。


 要するに。試練にも似た厳しい旅を始めるにあたり、自分たちの備えは決して万全ではないという不安がわたしの頭の内側で暗雲のように立ち込めていたのだが、これらの懸念は意外な形で払われることとなった。


「そうだねえ。それもコールくんの苦手な形だったねえ」

「ああ、本当にな。笑えたぜ。

 オレのような偉大な戦士を目指すんなら度胸をつけろよ、度胸を」

「分かってるっての。けどよお、アレばかりはマジでダメなんだよ」


「アレってなんだよ?」

「いやだから……アレ(・・)だって。

 足が無いように見えて、実際に生きてるのか微妙な……。

 勘弁してくれ! 大英雄だからって人をからかっていいわけじゃねえんだぞ!?

 なあ、おい、乗り越えるコツみてえなのに心当たりあるんだろ? 教えてくれよ」

「ん……無いな」

「……」


 結論から言ってしまうと、今や影に成り果てたハインセル国民たちが装備の新調を自ら申し出てくれたのだ。


 考える暇もなくわたしたちはそれぞれの武具屋に導かれ――人の形をした黒いもやと会話をするというのは、思い返しても非現実的な体験だった――あれよこれよの間に上等な装備に身を包むこととなった。


 それも音に聞こえた先進国、ハインセル工房謹製の品だ。

 月光を受けて魔力を増幅するローブに、羽毛のように軽く金剛石のように硬い籠手、溶岩に沈めても原型を保つ兜といった、とてもじゃないがマトモに購入しようと思えば目が飛び出るような金額の装備を入手出来ることになるとは本当に思いもよらなかった。


 正直に言って相当に面を食らっていたわたしは、ようやく自分を取り戻した時に彼らに訊いた。どうしてこうまでしてくれるのか? と。

 すると黒い人型は左右にゆらゆらと揺れて、それから見えない口から、


「近頃はハインセルを危険視する国がちらほらあるからね。

 国王様や書庫の連中がどう考えているかは分からないが、少なくとも

 わたしら庶民はそんな危ない人間じゃないってのを知ってほしいのさ。

 そもそもこの国は武器や軍隊とはまるで無縁だったんだ。

 なにもかも遺跡が見つかっちまったのが……。

 ま、気にしないでくれよ、旅人さん。

 うちの防具は王宮勤めのドワーフが鍛えた一級品だ。きっとあんたの命を救うぜ」


 といった言葉を吐き出した。

 遺跡、という言葉について聞き出そうとしたが途端に会話が成立をしなくなってしまい、情報は何も得られなかった。


 例えば「遺跡というのは何ですか?」とわたしが訊くと、影は「そろそろ冬になるな。ここらの山肌は雪が積もると綺麗なんだ」と言った具合にてんで的外れな返事が返ってくるのだ。


 魂の残滓とも言うべき影を前にしてこう表現するのもおかしな話だが、わたしは彼の体調が悪くなったのかと思い、手を伸ばした。


「大丈夫ですか?」


 彼の肩に触れた途端、影は左右に大きくぐわんぐわんと揺れ、それから小刻みに震え始めた。それはまるで痙攣のようでいて、影との意思疎通は不可能となった。


 これは、まずい。


 危険を直感したわたしは影から視線を逸らさずに後ずさり、武具屋の敷居をまたぐと踵を返して駆け出した。


 するとアーデルロールを始めとした仲間たちも通りに飛び出していた。まったく同じタイミングだと言ってもいい。実に奇妙なことに。


 おそらく彼女たちの前でも影の様子が急変をしたのだろう。

 目配せを交わし、互いにうなずくとわたしたちは街の門へと駆け出した。


 門前にはギュスターヴとカナリア、シュミットの三人の姿があり、それから一台の馬車の姿がある。しかし肝心の馬の姿はどこにも見えない。ただの車を用意して何をしようというのだろう?


 わたしの疑問を察したか、シュミットがぴょいと飛び跳ねると答えを口にした。


「これを引く馬は不可視の馬でな。

 被毛それ自体が周囲の景色に溶け込み、姿を消すのだ。

 この馬が走る時には、気高いいななきと蹄が土を蹴り飛ばす

 小気味の良い音だけが響く。実に神秘的だ。美しい!」

「講釈は後だ、シュミット。全員居るな? 早速出るぞ」


 問いただしたい事はいくつもあったが、背後から聞こえるうめき声の交響曲に思わず身がすくみ、わたしたちは次々に馬車へと乗り込み、目に見えぬ馬に旅路を預け、影がはびこる街を後にしたのだ。


………………

…………

……


「で、街道が使い物にならないから馬車を降りるって話に繋がるわけね」


 名も知らぬ葉を踏みつけながらにアーデルロールが言う。

 

「しょうがねえよ。どのみち馬は……いや、あれが本当に馬かは置いといてだぜ?

 ビビったのか知らねえけど、蹄をガツガツ鳴らすばかりで

 一歩も動かなくなっちまったじゃねえか。ああなっちゃ自力で歩いた方が速い」

「コルネリウスの言うとおりだ。

 こいつは相当に急ぐ旅だが、ハインセルを抜ける今の段階は特にだ。

 怖気付いた馬が覚悟を決めるのを待つより、一歩でも歩くべきだったぜ」


 新調した剣でやぶを切り裂き、軽くこちらを振り返ったアーデルロールが唇をとがらせて「確かに言う通りだわね」と、二人の槍手に向けて言った。


 わたしとビヨンは二人で地図を覗き込みながらに仲間の背中を追い歩いた。

 わたしが両手で開いている羊皮紙に描かれた図は、刻一刻と変化を遂げていた。


 谷が描かれていた場所には五分後には森が現れ、湖があった場所には山がそびえ立つ。地図上の変化が現実に起こっているものなのか、確認をしたい気持ちは山々ではあったが、周囲に立ち込める重たい濃霧がそれを許しはしない。


「もうっ! 霧は本当にうっとうしいね。

 これさえ無ければ、地形の変化が目で見えるのに」


 虫を払うように手を左右に振りながらにビヨンが言う。

 そんなことをしても霧が指に絡むだけで、視界はちっとも良くはならないのだが言うだけ野暮というものだろう。


「当面は地図を頼りに歩き続けるしかないよ。

 どういう仕組みか分からないけれど、地図に描かれている

 コンパスは僕が向いた方角に合わせて回っている。

 これが正確かは判断できないけど、信用をするしかないね」

「近くの街や都市の名前とおおよその距離・方角も描かれてるのは便利だね。

 もう二度と道に迷わなくて済みそう」

「それはちゃんと国境を越えられてからの話だよ、ビヨン」

「はーい」


 ビヨンはつまらなそうな声で言うが、彼女の目元はなんとも楽しそうな表情をしていた。


「それとついでに言うと、そもそもこの地図が外で使えるものかって

 言うのも分からないしね。後でシュミットさんに聞いてみようか。

 彼は確か自分で設計したって――、」


 話しながらに羊皮紙から視線をあげたわたしは、続く言葉を見失った。

 前を歩いていたアーデルロールやギュスターヴ、コルネリウスの姿が消えたのだ。


「――ビヨン?」


 こういう時の嫌な予感というものはどうしてかやけに当たる。

 視線を横へと流すと、艶のある金の長髪をたくわえた少女の姿はどこにもなかった。シュミットや四つ足でとつとつと付いてきていたカナリアも居ない。


「……落ち着け。

 似た状況は前にも経験してる」


 あれは確か〝夕見の塔〟だった。わたしは知らずのうちに霧に飲まれ、単独行動を余儀なくされていた。


「魔法による隔離か? それとも罠か、地形移動に巻き込まれたか。

……冷静さを見失うな。生き延びることを最優先に考えろ」


 鞘から剣を抜きはなち、りん、とした鉄の音が霧に溶けて消えていく。

 自然、歩みは緩やかなものになり、自分以外の音と気配を知ろうと感覚を研いだ。


 自分が草を踏みつける音と、革鎧の下に着込んだ鎖帷子がちゃりちゃりと音を鳴らす。すると、どこからか異なる音が細く聞こえた。


「……ス……えるか」

「誰だ?」


 右手の親指で剣のグリップを何度か撫でた。

 わたしの呼び声にそれは答えず、同じ音を繰り返している。


 冷や汗は流れない。

 焦りは感じない。

 呼吸は深く、視線は前に。


 声が徐々に明瞭になっていく。


「ユリウス……」


 わたしの名だ。一体誰だ? 誰がわたしを呼ぶ?


「……早く来い。稽古の時間だぞ。

 今日は俺の型を教えてやる。足腰立たなくなるまで鍛えるから覚悟しろよ?」

「……っ! 父さん……?」


 懐かしい音がわたしの耳を打つ。

 霧の彼方から聞こえる声は紛れもない父の声音。

 幼い日に何度も耳にした、フレデリックがわたしを呼ぶ声だった。


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