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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
八章『薄墨の頃』
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122. 追う男


「……ちょっと……何よ、この気持ち悪いサイズのカエルは……。

 うげー……なんだかぬめってるし……。

 実験生物? それとも異常成長? ゾッとするわね……」


 書庫を出てより十数歩。


 わたしたちの帰還を待っていたらしいアーデルロールらと合流を果たし、短い挨拶を交わし、それから大きめのカエルの存在に気づいた彼女は出し抜けにそう言った。


 アーデルロールは片手をするりと伸ばすとシュミットの首根っこをひっ掴み、持ち前の鋭い吊り目でカエルの瞳を真正面から覗き込むように、じっと見据えはじめる。


 気まずい沈黙が場に横たわった。


 気の毒なシュミット。彼の様子はさながら『蛇に睨まれたカエル』を地でいく……というよりも、まさにその文言をこれ以上なく体現している。


 わたしの肩に乗っていた時にはなんのかんのと大きく出ていたシュミットだったが、我らが一行のリーダーである北の王女(アーデルロール)と対面を果たしてからは、たった1分もしないうちに、その緑色の身体をぎゅっと縮こまらせている有様だった。


「ええと、だな……。おい、やめろ、何故わしを睨む。何か言え。……お、おい……」


 宙ぶらりんの彼は言葉も継げず、傍目から見ても気の毒なぐらいに狼狽をしている。

 いやはや。一時は耳元でやたらに喚き、生意気を言うカエルだと思っていたが、こうなっては少しばかり哀れに思えてならない。


 何しろあのアーデルロールの鋭い目つきに睨まれているのだ。同情を覚えるな、という方が無茶だ。


「……まあ、これも何かの縁か」


 人と人の出会いというのは目に見えぬ運命の巡り合わせのように見えて、その実は出会うべくして出会うものなのだ。……というのはイルミナの弁だったか。


 なればこそ、このシュミット・ハウザーとわたしが出会うのは必然でいて、何かの意味があったのだろう。

 そうだとも。大なり小なり、影響の幅はともかくとして、彼とわたしは出会う運命のもとにあったのだ。


 ならば助け舟のひとつでも出すか、と一歩を踏み出した。するとギュスターヴがわたしに先んじて動いた。彼はその大きな指先でアーデルロールの肩をちょいとつついて。


「そいつはただのカエルじゃねえよ。放してやれ」

「む。口を利くカエルがただものじゃないのなんて分かってるわよ。

 ま、いっか。見たところ害はなさそうだし、放してあげる。そらっ!」


 ぽい、とアンダースローでカエルが放られ、緑の身体が宙を舞う。

 柔らかな着地を果たすと無礼な扱いを受けたシュミットは二本の足ですっくと立ち、実に不満げな顔でアーデルロールを見上げた。


 頬がぷくりと膨らんでいるのはカエルの体だからか?

 自分を突き刺した視線に対抗するように、ぎゅっと細めた目は雪国の姫を睨み据えている。


 が、所詮爬虫類の睨みなど大したことじゃないらしく、


「ん、何よその顔? 野生に帰れるんだから嬉しいんじゃないの?

 ほら回れ右よ、回れ右。行った行った。もう里に出るんじゃないわよ〜」


 若草色の髪を揺らしてぷいと振り返り、片手をまるで顔をあおぐ扇子のようにひらつかせてるアーデルロールを見上げるカエルの手は、なんとまあ、強い怒りにわなわなと震えているのをわたしは後ろから確かに見た。


 

 これは感情が爆発するだろうな、と思った矢先。

 やはりシュミットは声を張り上げ叫んだ。

 彼の本調子と言うべき威勢をのせた声は王女のお付きである巨漢にぶちまけられ、


「……ンンギュスターヴッッ!! お前のところの姫は一体どうなっとるんだっ!?

 素行、常識、思いやり!

 王族としての……っ、いや! 人としての教養がどこにも見えんではないか!

 貴様ら、ルヴェルタリアは……! はっ、よもや……!?

 そこらの町娘に王女を名乗らせ神輿に載せているんじゃああるまいな!?」


「んなわけねえだろ、相変わらずやかましい野郎だな。

 いいか? うちの姫にモノを教えたってな、お前、

 そんなもんは耳に入った端からすり抜けてるって決まってんだよ。

 ルヴェルタリア(うち)じゃ常識だぜ? 覚えときな」


「ふん、貴様こそ相変わらずの屁理屈よ。

 英雄国の程度が知れるというものだな」


「ならお前がやたらに神経質なのはハインセルの国民性か?

 よう。久しいな、シュミット。また会えるたあ思いもしなかったぜ。

 見たとこ元気らしいな? 体色がちと変わったのを除いて、だが」


 言うとギュスターヴはずしりと重い一歩を踏み出し、ぎゃんぎゃん喚き散らすシュミットの小さな体へと手を伸ばし、二人は力強い握手を交わした。

 どうやら二人は旧知の間柄らしい。


 ギュスターヴはハインセルに長く滞在していた過去がある、とわたしたちに話をしていた。

 諸国に顔が効く、高い社交性を持つ王の懐刀。

 ギュスターヴ・ウルリックという男は名高き武名と、戦士の威容の二つをもって相手に近付き、顔に似合わぬ生来の懐っこさで心に入り込む……性質を持つ男なのだとわたしは考えていた。


 諜報の能力にも優れた彼のことだ。これまでの長い生涯を通し、どのような相手が知り合いでいても不思議ではないのだが。


「ん…………」


 丸めた指先をあごに添え、わたしは考えに沈んだ。


 シュミットが真に〝四天杖〟(してんじょう)と呼称する4本の杖の1つだというのならば、彼はハインセル王国における権力図では上位に属していたはずだ。

 そのような人物とこうして親しげに「久しいな」と握手を交わせるとは。

 いや、全く。大した英雄だ。


「お前は変わらんな、ギュスターヴ」

「よく言われるよ」


 皮肉げに〝王狼〟が笑う。


「『我が身は老い、苔のように静かな命と変わったが……。

 ギュスターヴ。お前は私が幼い日に見たあの頃の姿のままだ』ってな。

 こいつを言ったのは先代のルヴェルタリア王だ。よく覚えてる」


 さらりとこぼした一言だったが、わたしは彼の目の奥に射した悲哀の色を見逃さなかった。父から受け継いだ観察眼の賜物といってもいいだろう。


「……無理もない」


 人の倍以上もの長い時間を生きるギュスターヴ・ウルリックという男は、多くの別れと出会いを繰り返す運命に囚われている。


 人への好奇、王への忠誠心、楽と哀の区別などない、無数の思い出をただ一人で引きずり続ける人生。


 その太い足首にふと、重々しい鉄球がくくりつけられている想像をした。ギュスターヴが歩いた道は抉られ、拭えない筋道が残るのだ。


 わたしの背後はどうだろうか?

 過去のないわたしの過去には何があるんだ?


 わたしは振り返る気になれなかった。

 どうせ何もないと、そう分かっていながらも、どうしてかこの体は強張ってならない。


「わしには『久しい』という感覚は無いのだがな」

「無いだと? そりゃどういうわけだ」


 声が戻った。わたしはそっと耳をすます。


「言葉の通りだよ。

 このシュミットが持ち得る人として最後の記憶は、

 我ら、王の杖が織った魔法に飲まれるまでよ。

 暴走した力場に飲まれ、果ての知れぬ闇に消えてゆく、虚脱に似た感覚。


 もはやこれまで、と。……そう思ったのだがな。

 気がついた時にはわしはこの辺境の書庫におり、ただ一人で目を覚ました。

 万のルーンを記憶した賢者の肉体ではなく、不自由なカエルの身でだがね」


「んだそりゃ? まさかとぼけてるんじゃねえだろうな?」

「我が師に誓うよ。嘘などひとつも言うとらん」

「……本当かよ。言っとくがな、シュミット。

 お前は古い友だが、オレが追う罪人の一人だってことを忘れるんじゃねえぞ」

「……」

「<ミストフォール>を引き起こしたのが、

〝四天杖〟のアホ共だってのは割れてんだ。なあ、教えてくれよ、友よ。

 誰があの儀式の手綱を取っていやがったんだ?

 お前か? それとも〝白衣〟か、〝歌人〟と〝裾長〟のイカレか?」


 そう訊くギュスターヴの視線は針のように鋭い。

 汗、視線、あらゆる挙動。

 返答に際して体に現れるサインのすべてを見逃さない、熟練した観察者の視線だった。大抵の者が萎縮するような目を向けられたシュミットはやはり体をびくりと震わせた。目は見開き、首筋が浮き上がり、やや仰け反った姿勢。

 それから数秒後、かつての賢者はようやく


 「……今は……答えられん」と、短い返事を絞り出した。



 束の間、静寂のとばりが場に立ち込めた。

 すると視界の中にちらりと二つの赤い点がのぞいた。アーデルロールがわたしを見ていたのだ。


 彼女は瞬時にシュミットへと視線を向けて、それからギュスターヴを向き、最後にわたしへと目を戻すと少しだけ首を傾けた。

 以心伝心。

 アーデルロールは『あんたどう思う? 信用できんの?』と訊いている。


 わたしは返答のつもりで表情をしかめてみせた。

 込めた意味は『いいや』。


 書庫の中で彼は<ミストフォール>を引き起こしたのか、とカナリアに問われた時、まるで悪びれもせずにそれを認めていた。

 自分たちが行った儀式・扱った魔法が国を滅ぼしたのだと。


 しかし今はどうだ? 狼の男に睨まれた彼は身を縮こまらせ、先ほどとは違う答えを口にしている。

 どのような考えがあの頭の中で巡っているかは知れないが、賢者を名乗るには随分とつたない。


 ギュスターヴはじっと黙っていた。

 誰も口を開けぬ空気がしばらく続いたがやがて、


「アルル」


 と、アーデルロールへと背中を向けたままに言った。


「こいつは連れて行く。問い正したいことが山ほどあるからな」

「待ってよ。そいつはそもそも自衛できるの?

 時間も戦力も食料……はどうにかなったか。

 ん……とにかく! あたしたちに余裕が無いのは分かってるわよね?

 改めて言っとくけど足手まといはごめんよ」


「分かってる」

「ならいいけど。

 あんたがそこまでして、その生意気カエルを連れて行きたい理由って何なわけ?」


「『<ミストフォール>の真相を有耶無耶にするな。必ず真相を掴んでくれ』と命じられてんだよ、オレは」

「誰に?」

「お前の親父と、ユリウスの親父。二人の友にだ」

「……そ。悪かったわね。……」


 気詰まりな空気になりそうだ、と思った途端、ふっはは、と低い笑い声がその場に響いた。

 背中を向けたままでギュスターヴが顔を横向かせ、犬歯ののぞく鋭い笑みを浮かべ、笑ったのだ。


「シンミリすんなって。

 ええと? お前の心配はこいつが戦力になるのかだったな?

 安心しとけ。その点なら一切の心配が無用だ。

 やいシュミット。お前、その身体で魔法はどこまでやれるんだ」


「……わしを誰と心得る? 天下に名高き〝四天杖〟ぞ!

 どのように成り果てようともな! ふん!

 魔法は以前と同じ、第四階位まで問題なく扱えるわ。


 しかし、ええい、畜生の身体というのは特に厄介でな。

 口惜しいが以前のような高速詠唱や魔法の乱発は無理だ。

 それに魔力の充填が極めて遅い。

 自然回復は見込めないと思ってくれ」


 腕組みをし、信用ならない悪人を前にしたような渋い面持ちでシュミットに訊く。


「つまり?」、と。


「わしの魔法は使い切りということだ。

 回復が見込めない以上、魔力が切れればそのまま衰弱死。

 故に、わしの助力は勘定に入れぬことだな。なにせまだ死ぬには早いからな」

「なるほどね。……よし、決めたっ!

 なら死ぬまで魔法撃ってもらうことにするわっ!」


「えっ」が、わたしで、

「えっ、おい、ちょっと待て」とシュミットが続く。


 当惑の声などアーデルロールにはまるで関係ない。

 彼女の桃色の唇は矢雨のように言葉を吐き出す。


「ギュスターヴ。あんたはこいつがくたばる前に情報を聞き出すのよ。いいわね」

「了解だ。……やれやれ」

「ええとシュミットさん? だっけ?

 よろしくね。道中の露払いは任せるわ。期待してるわよ!」


 にこりと笑い、アーデルロールはその手を突き出すとカエルと握手を交わした。

 掴まれた手を一方的に振り回されるシュミットはひどくイヤそうな顔をしている。


「おい、貴様! バカ娘!」


 なんて言葉をぶちかますカエルだろうか。コルネリウスが聞いたら、きっと真顔でわたしを向くだろう。『死んだぜあいつ』なんて言うに違いない。


「おい、その耳は飾りか? 機能しておるのか!?

 わしの話は聞いていただろう!?

 魔法を使いすぎれば本当にわしは死ぬんだぞ! それを何故矢面に立たせる!」

「頼りになりそうだから」


 王女はさらりと言う。


魔術院(ウィリアンダール)にも滅多に居ない、魔法の第四階位が扱えるなんてあんた、相当の使い手じゃない。

 こっちにはギュスターヴが居るけれど、それでもこのハインセルを無事に抜けられるかって保証にはならないわ」


 おい、とギュスターヴがねめつけるような目でアーデルロールを見るが彼女はまるで意に介さない。


「あんたは王都を目指すらしいけれど、あたしたちはハインセル抜け。

 目的地はまるで別だけれど、途中までは一緒に行くのよね?

 なら一蓮托生ってやつじゃない。そんなら助け合いながら行きましょ。

 ねっ! よろしく頼んだわよ!」

「……貴様、さっきは死ぬまでこき使うようなことを言っとらんかったか?」

「そんくらいの気合いでお願いってことよ! お爺ちゃん!」


 朗らかになったり、冗談ぽくなったり、かと思えばしんみりとした空気になったりと何とも忙しい会話だ。

 それとなしにアーデルロールとギュスターヴの二人の背中を見れば、さっきまでスカスカだったリュックの中身がやけに膨らんでいる。


 二人とも物資の補給は無事に済ませたらしい。

 どこで? という疑問は……今更無粋だろう。

 霧に覆われた街には今や街灯がぽつりぽつりと灯り、ぼそぼそとした人の声が細く耳に聞こえていた。


 影となった国民たちが活動を開始しているのだ。どのような姿をしているのか興味はあったが、ここは己を殺し、街を出るべきだろう。


「ねえ」


 ちょいちょい、とビヨンがわたしの袖をやわらかく引いた。


「どうしたの?」

「コールくんはどこなんだろ? うち、戻ってから見てないんだけど……」


 そういえばわたしもだ。

 彼のことだから、『ここはマジでやばいぜ。早いとこ出ようぜ。早く。早く!』と喚くこと間違いなしなのだが、まるで声が聞こえてこない。


「あぁ、コールの野郎か。そんなら、ほれ」


 ん、とギュスターヴが書庫が街灯の根を指差した。

 そこには一人の人間の姿。両手足を力なく投げ出し、目は白目を向き、何事かのうわごとを呟く……コルネリウスの姿があった。


「コール!?」

「あいつ、影に声かけられるなり奇声をあげて一発で気絶したわよ」


 ふん、やわね。

 なんてアーデルロールは鼻を鳴らして笑うがとんでもない。


 これは冗談ではすまない事態だ。

 コルネリウス・ヴィッケバイン。彼にはこの異常な大地は厳しすぎる……。


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