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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
七章『翡翠の道』
118/193

114. 浅き夢見し


………………

…………

……


 薄水色の絵の具を塗りたくったような、見事な快晴が頭上に見える。

 わたしは遠い異郷の地、フロリア王国が誇る白亜の王宮に身を寄せていた。


 心を洗う清らかな水、四季を問わずに咲き乱れる万の花。

 人の背丈よりもずっと高い(はす)。小さな水草の中でまどろむ鴨のつがい。

 

 ドガから聞いていたとおりの美しさだ。

 わたしは王宮の中庭を見渡すテラスの縁に寄りかかり、時折ため息を漏らしながらに手の行き届いた庭園を見つめていた。


 赤の花園、水際の黄、木々の枝から垂れる青。

 弦楽器のような音を立てて歌う水鳥たちを見つめる中、わたしは過去を思う。


 霧を払う戦いはひとつの例外なく、凄惨なものだ。

 幾人もの賢者が言葉をつむげずに死に、幾人もの勇者が武勇も残さずに潰される。


 これまで解放してきた国々――霧の特異点での戦いではおびただしい犠牲があり、このフロリア王国を霧から解き放つ決戦でも、大量の血が流れた。

 

 山のごとき体躯の大狼。腹に子を宿した雌の獣。

 白金の毛並を血に染めてもなお、あれは抗い続けた。

 母としての本能が成せる技だったのだろうか?

 

 遺体の前に立ち、折れた牙へと哀れみの視線を向けるわたしの背を叩き、ルーヴランスは「あれは死ぬべき獣だ」と口にしていたのをよく覚えている。




 時折、わたしは戦いを投げ出したいと思う時がある。

 もちろん、今が決して平和な時代ではないのは理解している。

 

 私が立志する以前の世界は人類が大地の果てまでをも支配し、神々の居る空をも行き来し、海の底に都を築くような……まさに繁栄の絶頂だった。

 

 だが、今は違う。

 今のルヴェリアは死の世界だ。

 魔と繋がる霧は世界の大半を覆い、人間の領域は8割以上が失われている。

 

 そういった事実を知っていてなお、剣をそこらの草むらに放り、使命をゴミ箱にでも突っ込み、他の人間と同じような日々を送りたいとわたしは思ってしまうのだ。


 そんなことは決して許されないと分かっているのに夢想をしてしまう。

……使命を捨てることはわたしにとって自害するのと同義だ。


 まだ、死ねない。

 わたしが身と魂を使い潰し、霧を払わねば、このルヴェリアに平穏は決して訪れないのだから。


「……届かない夢だからこそ、こうして僕は焦がれるのだろうか」


 包帯の巻かれた指先で白い手すりを撫でた。

 よく磨かれた宝玉のようになめらかな指触りが心地よい。

 これらの白亜石を加工する職人は、その多くが霧の化け狼の腹に収まってしまったことがひどく残念だった。


 わたしがもう少し早くに駆けつけていれば……。

 そんな悔悟の念がわたしの背筋を覆いはじめる。

 エルテリシアが巻いた包帯に視線を落としても、暗い感情は消えていかない。


 テーブルに置いたコーヒーが湯気を失い、すっかり冷えた頃。

 相も変わらずテラスの手すりに体を預けているわたしの背中を、誰かが指先でこづいた。


「ガリアン様、こんなところで何をしていらっしゃるの?」


 透き通るような金の髪。

 よく日に焼けた小麦色の肌、その額はサファイアのきらめくサークレットで飾られている。


 宝石に負けないぐらいに輝かしい瞳で少女がわたしを見上げていた。

 フロリア王国の王女、セーレだ。


「やあ、セーレ。実は花を見ていたんだ」

「花を?」

「うん。

 フロリアは本当に美しい国だ。

 色鮮やかで、生命に満ちる力を強く感じる。

……見ていて飽きないよ。こんなに綺麗な国は今まで見たことがない」

「まあ!」


 白い手袋をはめた手を口元に添え、やわらかな笑い声を王女があげる。


「ガリアン様ったら。

 剣に負けず劣らず、口が上手なのね」

「笑うなんてひどいな、ウソじゃないよ?

 本当にそう思ったから、僕はここで景色を独り占めしているんだ」

「でしたら、あたくしも同席しますわ。

……懐かしい。物心がついた頃、

 父に連れられてこのテラスに来た日を思い出します」


 手すりを掴み、ひょいと体を上げたセーレが白い手すりに腰を落ち着けた。

 彼女の金色の横髪を風がさらい、静かにたなびく。


 それと同時に王宮の廊下から誰かが叫ぶ声が聞こえた。

 声は「セーレ様はどこにおられる!」とがなり立てている。


「いいの? 皆が君を探してる」

「いいのです。ようやく王宮に戻ったのです。

 こうして静かな時を過ごすぐらい、許されましょう」

「そうかい。……君のわがままなら誰だって許すだろうね」

「よくおわかりなのね。ふふ」


 風の音に聞き入り、中庭の泉に葉が落ち、ひびく波紋を見つめていると騎士が歩み寄る音が聞こえてきた。

 金具の音がちゃりちゃりと鳴っている。

 急いた様子はなく、王宮仕えの衛兵ではなさそうだった。

 

「ここにおられましたか、ガリアン様」

「ウルヴェイン」


 テラスと廊下の境目にひとりの青年が立っていた。

 白と薄水色の騎士鎧を着込んだ彼はまだ年若い。

 年齢は確か……19に上がったばかりだったろうか。

 

 よく日に焼けた肌と精悍な顔立ちは戦士のそれだが、全身にまとった気品は王家の血を引く者に特有のものだろう。

 

 右手に黄金色の長い騎士槍を握り、彼がゆっくりと近付いてくる。

 

「もう傷はいいのかい?」

「ええ。すっかり治りました。エルテリシア様の魔法のおかげです」

「良かった。いや、それにしても随分大きくなったね。

 先代王から継いだ大槍がよく似合っている」

「はっはっは! それはこれ以上ない賛辞です!」


 掲げた槍の穂先がきらりと輝く。

 騎士と花弁の文様が彫り込まれた<水撫(みずなで)の槍>は神代の頃に鍛えられ、フロリアの初代王が霊山で手に入れてより、当代の王の手に収まり続けた。


「これこそは歴代のフロリア王が継ぐ大槍ですからね。

 父が……先王が命を賭して守ったこの地と国を導くのがこれからの私の役目です。

 であれば、武と勇を願い、

 私の名に『ウル』の音を取り付けた父母に恥じぬ王にならねばいけません」

 

 言って片目をパチリと閉じる。

 軽口かとも思ったが、少し見れば彼が真剣なことが分かった。

 

「まあ、ほどほどにね。

 ところで……あんまり『ウル』の称号を口にしない方がいいよ。

 どこからか耳ざといセリスが飛んできて――」

「私が飛んできてどうなるというのだ?」


 ダンッ! と、轟音と言ってもいい着地の音を立て、わたしの目の前に女が現われた。王宮の屋上から飛び降りでもしたのだろうか、相当の高さのはずだが、女は涼しい顏をしてわたしを睨む。


「ふん、ウルヴェイン。

 背丈ばかりを伸ばしてどうするつもりだ?

 中身はしっかり詰まっているのか? 見てくれだけの王など誰もついてはこんぞ」

「セリス様……あんたどこから来たんですか」


 ウルヴェインの言葉を彼女はすっかり無視をして。


「仮にもだ。仮にも己の名に『ウル』を冠するのなら!

 当代の〝ウル〟にして我が師、〝北海断ち〟メイヴ卿の

 足下に及ぶぐらいの武勇を身につけてみろ。

 なんなら私が今から稽古をつけてやろうか? どうだ?」

「セリス様相手には命が100個あっても足りませんので遠慮しておきますよ。

 そうだ。ガリアン様にお譲りしましょう」


 勘弁してほしい。

 やめろ、期待した目でわたしに振るな!


「貴様ら、何をニヤついてる!

 まったく……さあ、そろそろ発つぞ、ガリアン。

 フロリアの景色と色彩は目に焼き付けたか?」

「ん。……ありがとう、もう十分だ。僕はこの国を忘れないよ」


 くい、とわたしの袖をセーレが引いた。

 彼女は目を伏せたまま、わたしではなく地面へと言葉を落とした。


「……ガリアン様……あたくしとまたお会いしてくれますか?」

「もちろんだよ、セーレ」

「本当に?」


「ああ。いつか僕が君に贈った花の意味のままさ。出会いの日を祈って』。

 セーレのことだからきっと知っているよね」

「ええ……ええ。信じていますわ」

「ガリアン様。どうか道中お気をつけて」


 空いた左手を差し出し、握手を交わしながらにウルヴェインが言う。

 その表情は友人の旅の安全を祈るものであり、また試練を憂うものだ。


「このフロリアの大地を(おか)した大魔の子――、

 金毛白狼の化け物は、先代王と王妃の尽力によりどうにか討伐が叶いました。

 あれと同等の怪物が他の国々にも居るとは……想像するだけでも恐ろしい。

 あなたが歩む道はおよそ尋常ではありません。ご武運をお祈りしております」

 

「ありがとう、ウルヴェイン。

 でも大丈夫。僕はひとりじゃなく、セリスたちが居るからね」

 

 視線を向けるとセリスは腕を組み、ぷいとそっぽを向いてしまった。

 彼女はあっちこっちに顏を出すくせに、妙なところで引っ込むのだ。

 

「頼りきりでは困るぞ。

 まあ……こいつとの旅は良い修行になるから良いがな。

 ふふふ。……師メイヴを斬り、私が〝ウル〟の座を奪うのもそう遠くはない」

「なんちゅう物騒なことを……。

 それじゃ、僕たちは行くよ。

 ウルヴェイン、セーレ。フロリアの再興を旅の中で祈っているよ。

 霧が晴れた世界でまた、必ず」

 

「その日を心よりお待ちしております、ガリアン様」

「あなたの緋色の瞳に、主神ランドールの加護があらんことを――……」


………………

…………

……


 夢が、終わる。

 意識がもうじき目覚めるのが分かる。

 

 わたしは彼女をどれだけ待たせたのだろうか?

 人を止め、世界の楔となった彼女の生にもはや終わりはない。

 

 語らいもなく、永遠の時をあの泉で過ごす彼女が

 光の渦へと飛び込むわたしに見せた最後の微笑みは深かった。


 わたしの来訪が彼女の慰めになっていたのなら……。

 少なくとも、今のわたしは嬉しいと思う。

 




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