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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
七章『翡翠の道』
116/193

112. 二人の継承者


 重心を下げ、鞘に納めたままの剣を腰だめに構える。

 見据えるは敵対者、(あか)い視線は討つべき敵へ。

 

 一歩は鋭く、二歩は疾風。

 三歩で肉薄し、一切を両断する。

 

「行こう」


 足先にぐっと力を入れ、弾くようにわたしは駆けた。

 左腕を失った騎士王が呼応し、正面から迎え撃つべく、穂先を失った槍を構えている。その気迫は凄まじく、在りし日の栄光が垣間見えるかのようだ。

 

 水の女王をかばうように立ち塞がる彼は〝精王〟の近衛。試練の壁。

 勝利を掴む一手。わたしの剣が及ばなければもはや後は無い。

 

 わたしたちが……アーデルロールが〝霧払い〟を名乗るに足る資質の持ち主であることを認めさせなければならない。

 ならばわたしは――ルヴェルタリア王家の騎士であるわたしは、

 

「この刃で! 未来を切り開く……っ!」


 踏み切るように跳躍をし、放たれた矢のように接近、肉薄を果たすとウルヴェインの足元から奴の巨躯を見上げた。

 

 わたしの全身に自信と気力が不思議とみなぎっているのが分かる。

 指の腹で柄を薄く撫で、記憶に浮上する剣技の名を口ずさむ。

 

「我が放つは迅閃の一刀。

 悪を断ち、魔を絶つ我が剣は〝ウル〟の冴え。

 見よ! トラインナーグが魅せる光風の筋を!――……<無影・五月雨>!」

 

 鞘の中で剣を滑らせ、抜き放つ勢いは音の速度。

 きらり、とまたたいた刃の光条がわたしと騎士王をつなぐ。

 

 幾重もの剣閃がウルヴェインの肉体を格子状に切り刻み、灰色の水しぶきが宙を舞った。

 巨体が衝撃とダメージに大きく揺らぐ。

 まだだ、まだ終わりではない!

 わたしの刃は――終わらない!

 

「――まだだっ!」


 返す刃を袈裟に振り落とし、直後に横一文字に振り抜く。

 足を軽やかに運び、ウルヴェインの背後へと回ると同時、体ごとを回転させての大振りの一撃を見舞う。

 

「<落葉三連>っ! 貴様に見えるか……!」


 視認さえも困難な常人離れをした飛燕の剣舞。

 剣を鞘へと納め、甲高い音がキン、と響くと同時、騎士王の肉体が四散した。

 

 切り刻まれ、血液とは程遠い飛沫を散らしながらにウルヴェインが形を失っていく。

 警戒と剣気をそのままに、臨戦態勢のわたしは水しぶきを凝視した。

 すると……見えた!

 

「アルル! 核は右胸だ!」


 エメラルド色の宝石が陽光を受けてキラリと輝いている。

 認識をするのとほとんど同時のタイミングで、泉の水が逆巻き、露出をした核を守ろうと形を成していく。

 

 数秒もすれば騎士王はその姿を取り戻し、襲い来るに違いない。

 数秒。

 常人には短すぎ、アーデルロールには長すぎる時間だ。

 

「――見えてる! 上出来よ、ユリウスッ!」


 アーデルロールが疾走し、駆け走った筋道をなぞるように白い波が大きく立っている。

 速度をそのままにアーデルロールが刃を構え、下段から上段へと素早く振り切った。

 

「ルヴェルタリア流剣術!――<イオンエッジ>ッ!」


 薄緑の残光を引きつれて虚空を斬る。

 興奮と期待に胸が高鳴った。

 アーデルロールの腕、指先、剣の切っ先に視線を向けているあいだ、わたしは呼吸を忘れた。

 

「っ……!」


 かすめた。

 接触の寸前、球状の核が揺らいでしまい、アーデルロールの剣は芯を捉えることが出来なかった。

 それでも核には確かにダメージが入り、それが証拠に中空に鮮やかな真緑のきらめきが散っている。

 

 ウルヴェインは肉体の六割を取り戻していた。

 頭部は無く、また左腕も再生してはいない。

 頑健な両脚と拳を固く握り締めた右腕。

 

 緊急に際しての再生だったのだろう、奴もまた追い込まれている。わたしはそう判断した。

 

「こ、な! クソォオオオッ!」


 吼えるアーデルロールの頭部に右腕が素早く伸び、小さな頭を鷲掴み、圧潰させんと指先に力がみなぎっている。

 わたしは言葉を吐くよりも何よりも先に跳んでいた。

 

 まだ〝紋章〟の輝きとセリス・トラインナーグの力は残っている。まだやれる。

 

 抜剣せんとしたわたしの真横を一筋の光が走り、ウルヴェインへと向かうのが見えた。何だ? ビヨンの魔法か?

 

「――魔力じゃねえとダメージが無いってのは、ずるくねえか、おい」

「っ! コール!?」

「俺には魔力は、げっほ……まるで無いけどよ、

 頭をちっと使えばいくらでもやりようはあるんだよ。はっ……! 見たか!」

 

 振り返るとそこには死に体のコルネリウスが立ち上がり、脂汗を浮かせてほくそ笑んでいた。ビヨンの肩を借り、彼は渾身の力を振り絞って槍を投げ放ったのだ。

 

「コールくん一人じゃなくてうちもやったんだからね!

 ほんと、無茶ばっかしないでよね。

 怪我だらけなのはユーリくんだけで十分だっていうのに……」

「あーあー、分かってる分かってる、そう言うなって」


 魔力を付帯された投げ槍は、アーデルロールを捉えていたウルヴェインの胴体に突き刺さり、直後にその肉体をまたも炸裂させた。

 大方、ビヨンが爆発性の魔法を仕込んでいたのだろう。

 

「行けよ、相棒。後は頼んだぜ」


 走り出していたわたしの背中へ、コルネリウスがそっと声を掛けた。

 正面――アーデルロールは痛みに顏を歪ませながらも立ち上がり、わたしを見ると決意を胸に叫ぶ。

 

「決めるわ! 合わせなさい!」

「了解だ、やろう!」


 心臓部を守る(肉体)を吹き飛ばされ、裸になった核がその全身を晒す。

 アーデルロールに砕かれた一部がちかちかと明滅している。

 何かするつもりなのだろうが――もう、遅い。

 

「これでっ!」


 アーデルロールの風剣が正面から振りかぶられ、

 

「――終わりだっ!」


 背面からのわたしの居合が核の真芯を捉えた。

 わずかな抵抗、そして震動。

 パキリ、と音を立て、翡翠の玉は砕け、散った。

 

………………

…………

……


 泉の水面に波ひとつさえ立たなかった。

 風が吹こうとも、わたしが踏もうとも泉には何の変化も起こらない。

 まるで水が死んでしまったかのようだ。

 

 核を砕かれた騎士王ウルヴェインは、本当の意味で知んだ。

 もはや再生は無く、灰色の偉丈夫の姿を見ることは二度とないだろう。

 

「どうよ。はっ、やって、やったわ……」


 青ざめた顏に不敵な笑みを浮かべ、ニヤリとしたアーデルロールがどうしてかわたしを見る。

 声を掛けようとしたところで彼女の身体がぐらりと揺れ、「アルル!」と駆け寄ったわたしにぐったりともたれかかった。


「ひどい熱だ。魔力の使い過ぎだよ、気を付けないと……」

 

 発熱がひどい。彼女の前髪をかき上げ、額を寄せると熱はさらに上昇した。

 疲労からだろう。脱力をしたアーデルロールの手から折れた剣がこぼれ、

 

「こ、ここ、こんのバカ……! はあ……あんたにだけは言われたくないわよ……」


 などとうわ言を言う。


 これだけ言えれば上等だ。

 わたしと同じように彼女もまたそう思ったのか、「立てるわ。ありがと」と短く耳元で言うと身を起こし、ふらつきながらも自分の足で立ちあがった。

 

「よう。いやこっぴどくやられたな」


 両腿に包帯を巻きつけ、ずりずりと足を引きずりながらにコルネリウスが現われた。背の低いビヨンの肩に腕を回し、バツが悪いのか、微妙な笑みを浮かべている。

 

 どうやら歩きにくいらしいビヨンは口を尖らせていたが、彼に歩調を合わせてゆったりと歩いていた。

 本心はともかく、彼女の口からはからかいが飛ぶ。


「軽口言えるんならうちの肩借りないでいいよね?」

「それは困る。ビヨン様、俺を見捨てないでくれ」

「もっと敬って。生殺与奪権はうちにあるんだから。むふ」

「せせ、いさつよだつ? 新しい飯? ってうおおあ!? なんで離すんです!?」


 やり取りを目にすると釣られてわたしも口元が緩んだ。

 剣を鞘へ納め、意識と視線がアーデルロールへと向く。

 彼女の緋色の瞳は、水の〝精王〟を真っ直ぐに見つめていた。

 

『――……兄上……』


〝精王〟の声が鈴の音のように、凛、と響く。

 水の化身は睡蓮の玉座に座ったままに、じっと泉を――ウルヴェインの散った水面を見つめていた。

 

 ややあって女王がゆったりと顏をあげ、青い瞳がわたしたちに向けられる。

 

『白雪の娘、アーデルロールよ。

 狼討ちにしてフロリア最後の王、ウルヴェインを(くだ)すとは、見事』

「ありがとうございます、陛下」


 膝を折り、アーデルロールが恭しく頭を下げた。

 

「……ですが」と、彼女は言葉尻に懸念を添え、

「私一人では決して騎士王を打倒することは出来ませんでした。

 この場に立つ仲間との協力が無ければ、

 私は今こうして陛下の褒めを授からず、泉に倒れ伏していたに違いありません。

 これで試練を越えた、と言えるのでしょうか?

 セレナディア女王陛下は、私個人の〝霧払い〟の資質を見定めたかったのでは?」

 

『良い』


 白波の指がそっと揺れる。

 

『わらわはお前の剣振るう姿に、在りし日のガリアンの姿を見た。

 五人の仲間と霧中を駆け、絆と信頼、そして明け色を武器とし、

 霧を払ったあの男とお前の在り方はようく似ている』

「……五人の(・・・)仲間(・・)……?」


 女王の言葉に引っ掛かりを覚えた。

 わたしだけじゃない。この場の全員がだ。


「一人多くねえか? 四人だったからこその〝四騎士〟だろ?」


 コルネリウスの疑問に女王は答えなかった。返答を持たないのか、〝聖剣〟の所有者以外に興味は無いのか。

 

『お前を〝聖剣〟の継承者として認めよう。

 アーデルロール。〝聖剣〟の鎖をほどき、掲げよ』

「……はっ」


 しゃなり、と剣身に巻かれた鎖がゆるみ、ほどかれていく。

 光を失った十三の宝玉があらわになり、セレナディアの口から深い息がついて出た。

 

『おお……嘆かわしや……。

 ここには〝炎精王〟も〝時精王〟も残滓ひとつとて残っておらぬ。

 まあ、良い。お前が我らを再び一所(ひとところ)に集めるのならば……』

 

 水流の流れる指先がついと伸び、〝聖剣〟の表面に触れた。

 すると灰色だった宝玉に光が灯り、薄い青色がにじむ。それは絵の具を注がれたように濃くなり、みるみる内に深い青色へと変わっていった。

 

「これが……!」


 アーデルロールが感嘆に目を見張る。泉の上に立つ継承者。

 彼女の手に収まった〝聖剣〟は今、この瞬間、失われたはずの光のひとつを取り戻したのだ。

 

 西に落ち続ける夕陽を背にし、水の女王の傍で剣を携えるアーデルロールの姿は非常に美しかった。それはまるで〝霧払い〟という言葉と伝説が絵になったかのように。

 

『――契約は成った。

 これよりのわらわは汝と共にあり、

 ルヴェリアのあまねく水は汝を祝福し、加護を授けるだろう。

 わらわを呼ぶ時は〝聖剣〟を握り、念じるが良い』

「ありがとうございます、陛下。その……一つ、どうしても尋ねたいことが」

『なんなりと申すが良い。〝霧払い〟よ』


 わたしとコルネリウス、そしてビヨンの三人が顏を見あわせた。

 きっと彼女は『ガリアン王の五人の騎士』について訊くに違いない。

 無言の賭けがわたしたちの視線の中で催される。

 

「私たちは〝精王〟の知識に乏しく、次に向かうあてが無く……。

 陛下は他の〝精王〟の所在に心当たりはありませんか?」

『〝霧払い〟の血族が知らぬとは、おかしな話もあったものよ。

 ルヴェルタリアの大書庫には東西南北、あらゆる知恵が収められていたはずだが。

 盗人の輩の侵入でも許したか? ふふ。

――ここより北西、リブルス大陸西部に<イヴニル連山>という火の山がある。

 千年の前、かの地には<ヴィントゴア>という大国が存在した。

 聞き覚えはあるか?』

 

 わたしたちは全員が横に頭を振った。

 ビヨンだけはあごに指を添え、しばし考え込んだ様子だったが空振りだ。

 

『鉄血と劫火の国<ヴィントゴア>の王――ドルゲルバドル。

 鍛冶の炎を頭に燃やし、地深くを流れる熔熱の火をあごに灯した紅蓮の王。

 あの男は火を総べる〝精王〟となり、連山の地底深くで今なお燃えておる。

 アーデルロールよ。お主らは奴のもとへ向かうが良かろう。

 あれの試練は、わらわのそれよりも苛烈であろうが……偽らぬ己を見せるがよい』

「お教え下さり、ありがとうございます。陛下」


『礼など要らぬ。さあ、そろそろ発つ頃合いであろう。

 我ら〝精王〟の空間では時流が少々ゆがむ。

 外界に出た頃に数年も経っているなど、笑い話にもならぬわ』

 

 セレナディアが手の平で水を汲むようにそっと前へと突き出し、手から湧き出す煌めく水を泉へと落とした。

 すると水底から光が湧きだし、描く波紋が虹の輝きを放ち始めた。

 

『このフロリアの光は外界へと続く道だ。早々に戻るが良い』

「ありがたいね。あの道を歩いて戻るのはちっと面倒だったからな」

「ちょっとどころじゃないでしょ、もう」


 ビヨンとコルネリウスの二人がゆっくりと泉の光へと近付いて行く。

「先に戻ってるぜ」とコルネリウスが笑い、二人が揃って姿を消した。


〝精王〟のすることだから、妙なことにならないだろうという安心……というよりも信頼は確かにあったが、やはりこういった慣れない移動には警戒を覚えてならない。


 アーデルロールがわたしの肩をぱしりと張る。

 ほんのりと赤らんだ顏で、少しだけニヤついた彼女がわたしを急かすのだ。

 

『――……わらわとしたことが伝え忘れたな。

 アーデルロールよ。

 わらわの力は本来、この<白霊泉>を守るために注がれておった。

 それが故にこの地に霧は現れず、平穏であったのだが……』

「?」

『〝聖剣〟と契約を結び直した際、わずかに綻びが生じた。

 外界に霧が出ていないとも限らぬ。警戒を怠らぬようにな』

「ご忠告痛み入ります、陛下。では――……。

 ユリウス、先行ってるわよ」

「ああ。僕もすぐに行くよ」


 手をひらりと振って、若草色の王女が光を踏み、姿を消す。

 わたしは彼女を見送った後、その場に数秒立ち止まった。

 

 景色を見つめ、泉に視線を落とし、不可思議な空を見上げ、

 

「お話がおありのようですね。――セレナディア女王陛下」


 水の〝精王〟へとわたしは振り返った。

 アーデルロールと話す最中、彼女はずっとわたしへと視線を向けていなかった。

 それが意図的なものであり、また、言外に『話がある』というサインだと受け取るのは容易だった。

 

 花弁の玉座に身をうずめ、組んだ指先の上にあごを置いた女王の目はひどく冷たい。

 値踏み。疑い。嫌悪。懐古。

 いくつもの感情・思惑が混ざり、溶けあった表情がわたしを向く。

 

『然り。しばし貴様の時間を貰うぞ。……影の継承者よ』

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